羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

シンフォニー・悲愴

2008年12月31日 18時44分00秒 | Weblog
 もし、余命3年と宣告されたら、何をするだろうか。
 その時、まだ歩くことが出来たら、ヨーロッパに渡りたい。
 ドイツに半年、もちろん春から秋にかけて。
 オーストリアに半年、秋から春まで。
 チェコにもハンガリーにも出かけたい。
 それからフランスへ、イタリアへ、スペインから海へ。

 音楽を、美術を、文学を、ポエムを、そして石の世界を堪能したい。
 ロンドンで自然史博物館と大英博物館を訪ねて、シェークスピアではなくミュージカルを見て最期を迎えたい。

 ……妄想……
 
 今日は、4時に片づけが済んで、テレビの前に座った。
 丁度、NHK・GTVで小澤征爾が黒塗りのアップライトの前で、なにやら話をしている。
 その話を受けてその部分を演奏しているオーケストラが挿入される。
 どうやらチャイコフスキーのシンフォニー‘悲愴’のようだ。

 それから本格的にベルリン・フィルハーモニー・オーケストラの演奏がはじまった。
 指揮は小澤征爾。
 会場はシンフォニーホール。

 ……さっきの妄想……

 この曲はいい。
 聞いているうちに、映像が目に浮かぶ。
 人間の内面に迫る映画を見るようだ。
 会場に席をとって、音に音楽に包まれたい、と思った。
 やっぱり、私は、クラシック音楽で育ったなぁ~、と溜め息をつく。
 全楽章のなかでも第一楽章と最終楽章が好きだ。

 生きること。
 死ぬこと。
 愛すること。
 嫉妬すること。
 人を傷つけること。
 自分を傷つけること。
 後悔。
 苦悩。
 至福。
 哀愁。
 陶酔。
 魂の昇華。
 許し。

‘悲愴’とは、哲学することであり、人生をまっとうすること。
 大つごもりは、とっぷりと暮れた。
 2008年も残すところ僅か数時間。
 今日のうちにやっておきたいことは、すべて終わった。
 
 今は、もう、元旦を待つのみ。
 iPhoneからはカレーラスの歌が聞こえる。
 
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時間ばかりが過ぎていく

2008年12月29日 19時24分53秒 | Weblog
 毎日、達成感が得られるようなことは何ひとつしていないのに、一日中動き回っていて気づくと夜になっている。
 だから慌ただしい年の瀬、師走というのか。
 一年の終わりが確実にやってくる。

 何かやり残しているようなのだが、なんとなくぼんやりしている。
 このごろ仕事の運びが遅くなったせいだろうか。
 年越しでやらなければならないことが幾つもあるからに違いない。

 今日は、お正月の飾り付けを行った。
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富貴豆

2008年12月26日 15時21分41秒 | Weblog
 日本橋人形町ハマヤ商店の「富貴豆」をいただいた。
 煮豆である。
 そら豆である。
 懐かしい味だ。
 東京の味だ。
 醤油の味がする。
 これが東京の味なのだ。
 なんでも醤油を使う。

 我が家の煮物も塩より醤油を使う。
 薄口醤油ではない。
 ちゃんとした醤油。
 したがってしあがりの色は茶色くなる。

 話を戻すとハマヤの富貴豆の商標登録のロゴの絵柄は扇のなかに向かい合ったそら豆が小鳥のようだ。
 包装紙がまたいい。

 暮は思いがけないいただき物があって、食卓がにぎやかだ。
 
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朝日新聞 「どらく」 ……極める 大人のお稽古

2008年12月25日 19時39分19秒 | Weblog
 朝日新聞社のWebマガジン「どらく」に、本日、野口体操が紹介されました。
「極めるー大人のお稽古 Vol.56 心と身体を解きほぐし 野口体操でラクになる 身体の使い方を学ぶ」です。

http://doraku.asahi.com/kiwameru/okeiko/index.html

 紙媒体ではなく、インターネット上でしか読めません。
 一つ新しい試みは、受講してるひとりに焦点を当てて、紹介するというもの。
 今回は、このサイトのターゲットである「ビートルズ世代に贈る」に合わせて、鳴瀬彰男さんが登場してくださいました。私と一つ違いと言うことが、この取材ではじめてわかりました。

 全体に明るい紹介になっています。
 ご一読というか、ご高覧というか、観てください。

 それから、先日、取材を受けた「週刊文春」は、1月22日号で1月15日発売と言う知らせが先ほど入りました。

 あぁ~、今年も残り少なくなってきました。
 もう、未曾有の出来事はこりごりです。
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深谷葱、そして……。

2008年12月23日 18時54分22秒 | Weblog
 毎年のことだが、今年も深谷葱が届いた。
 もの凄く甘くて美味しい。
 箱から取り出して、家の北側に残してある僅かな土を掘り返して、そこに埋めた。
 聞くところによると猫は葱が嫌いとか。青い部分は土をかけずに姿を出したまでも大丈夫だ。
 これから2月いっぱい、この葱を食べることになる。
 少しずつ取り出して、水洗いして泥を落とし、冷蔵庫に入れておく。
 その分を使い切ったら、また掘り出しに行く、というわけだ。

 実は子供ころは牡蠣は大好きだった。
 フライにして、生のままレモンをかけて、味噌味で土手鍋には葱といっしょに等々、いろいろに調理して食べていた。しかし、十代の半ばに、体調がよくないときにたくさんに食べて中毒を起こした。それ以来、牡蠣が苦手になってしまった。

 にもかかわらず、見事な葱を見ると、牡蠣の味を思い出す。
 そのほかにも豚肉の生姜焼きや牛肉のすき焼きなどで食べると、肉もいいが葱もいいということになる。

 冬葱、冬大根、冬の白菜、冬のホウレン草、冬のレンコン、冬の里芋、あげたら切がない。
 野菜が美味しい季節である。
 そしてこれらの野菜は、どれもからだを温めてくれるものばかりだ。

 葱が贈られた箱には、人参と山芋とブロッコリー、そして埼玉のほうとうも入っていた。
 本日の昼食は野菜たっぷりの‘ほうとう’だった。
 深谷のほうとうも、山梨に劣らず美味しかった。
 
 日本全国、明日あさってをさかいにお正月に切り替わる。
 なんとも目まぐるしい師走もいよいよ佳境に突入かだ。
 
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偶然? 必然? 10年目の年の暮れ

2008年12月22日 19時38分52秒 | Weblog
 東京藝術大学の体育館を訪ねた。
 お目当ては野口三千三先生が昭和20年代後半だと思うが、サーカス団員の方に作ってもらった‘玉の乗り用の玉’を見せていただくことだった。
 現在の美術学部(体育)教授のはからいだ。

 玉は寄木細工で、どっしりと重い。
 詳しくは、日を改めて、何かに書きたいとおもっているので、今日のところは見て触れて手で回したことだけを報告しておきたい。
 それにしても捨てられずによく残されてたものだ。
 佐治嘉隆さんが同行してくださったので、ばっちり写真を撮っていただけた。
 
 その足で寛永寺の先生の墓所を訪ね、一年、無事に過ごせたことのご報告を二人ですることができた。感謝!!
 10年の節目の年末に藝大を訪ね、墓参りが出来るとは、何か大きな力が働いて、上野・鶯谷へと引き寄せられたに違いない。

 いよいよ今年も残り10日をきった。
 これも自然の成り行きだったのかもしれない。
 
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鴨なんば

2008年12月21日 09時06分51秒 | Weblog
 先週末のこと。
 弁護士のK先生から、京都八起庵特製の「鴨なんば」をいただいた。
 手間いらずであっという間に調理がすむのに、ひとかたならぬ味。
 二回に分けて食した。

 とにかく、驚いたことがある。
 まず、‘鴨葱’ということばがあるように、葱の美味しさがひときわだった。
 東京では特別なところに行けば手にはいるかもしれないが、わが町ではまず無理と思われる葱だ。

 次には、‘京うどん’だ。
 すでに茹で上げられているから、さっと温めるだけでよい。
 鍋に多すぎるかと思うほどの水を入れて沸かし、固まったままのうどんを沸騰した状態の熱湯に沈める。
 そして、なにもしないで、しばらく待つ。
 グラグラと来る前に、やさしく解きほぐす。
 それだけ。
 麺は細めで、温められてもグチャつかず吉野葛でも使っているのかと思えるつるつる感がいい。

 鴨肉でだしが出た汁をどんぶりにあげたうどんの上にかける。
 葱はさっと汁に入れて火を通した。それでもシャキッととした歯ざわりがある。
 いただく直前に‘山椒’をかけて、鴨の臭みを抜く嗜好だ。
 半調理品でこれだけの味がでるのだから、八起庵で食べたら頬が落ちるに違いない。

‘底冷え’というおまけ付きで、冬の京都の社寺をめぐるのも一興。
 だからこそあたたかい食べ物で暖をとることが、感覚を覚醒させてくれる。
 かつて訪ねた都をしばし思い起こしながら、いただく‘鴨なんば’。
 ご馳走様でした!
 
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白いオブジェ 20の物語ー象山隆利展

2008年12月20日 09時07分05秒 | Weblog
 昨日、「象山隆利展」を見に、青山に出かけた。
 ギャルリー・ワッツの入っているマンションは、ワンルーム空間をいかした小さくも個性的な店がならぶ超ミニバザールといった場だった。
 洋品店、といっても普通に着られない服?
 アンティークな飾り物の店?
 そのなかにこの画廊はある。

 通称246の沿道を一歩入った住宅地。
 昔は静かなお屋敷街だった。今では飲食店やブティックや雑貨店が街のあちこちに点在している。それもかなりの数が‘軒並み’といった状況だ。
 ここ南青山界隈は、なぜか優しさとよい意味での幼さが交じり合っている。

 一つの路地を抜け、また次の路地を歩いていると、金融危機に伴う不況下で正社員までリストラにあい、内定が決まった学生には一通の葉書で‘内定取り消し’が伝えられ、大企業も業績悪化の一途にある、といった連日のニュースを忘れさせてくれる。‘不況’の文字と‘未曾有’の文字が飛び交っている現実から、ちょっと逃避できるような雰囲気がある。
 ただし、これは青山には日ごろからなじみがないエトランジェゆえの印象かも。

 前置きが長くなった。
 今回の個展は、今までになくあたたかだった。
 これまでは大きな作品を見せてもらっていたからだろうか。
 この作家のなかに、もうひとりの違った顔の人格を見せてもらった。
 一つひとつがそれぞれの物語を紡ぎ出してくれる。
 宇宙からのポエムあり、モンゴルの草原からの風の便りがあり、水の波紋がギリシャ神話を思い起こさせ、エベレストの頂上で宇宙から飛来した未知の生物が地球を見下ろしていたり、ブラックホールに吸い込まれるまで止まることのない時計の物語があったり、古代の生物が語る歴史は‘あんたたち人間が想像しているよりもっと豊饒だ!’といっているようだったり、子どもが忘れ物をしておっかけていく乗り物があったり、気にくわないことがあって心が尖がってしまった子どもがいたり、……、大人に聞かせる童話の世界を彷彿とさせてくれる。
 そうそう、蓑虫がいたなぁ~。いつまでも殻に閉じこもって、家から出ない。でもそれだっていいじゃん! いつか、必ず外の空気を吸いたくなるのが人ってものさ、たとえその時が死ぬ間際であっても。

 とにかく楽しかった。
 その足で、表参道から青山一丁目を通り越し、外苑の競技場を左手に千駄ヶ谷まで30分ほど散歩して、電車に乗って帰宅。
 久しぶりに文化圏の異なる街に身をおいた初冬の午後を過ごした。
 
 尚、「象山隆利展」は、本日17時まで。
 南青山5-4-44 ラポール南青山#103
 ギャラリーワッツ
 電話:03(3499)2662
 http://www.wa2.jp
  
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散華

2008年12月17日 09時45分05秒 | Weblog
 我が家は浄土宗である。
 唐突な始まりで、申しわけない。
 というのも、今朝、先日の七回忌の読経の際に、いただいてきた‘散華’の四枚の裏を返してみて驚いたからだ。
 
 これまで四十九日(納骨)、新盆、一周忌、三回忌、そして七回忌と、法要を行うたびに散華の花びら代わりの印刷物をもらってきたが、今回のもののなかには金色の紙に蓮の花や雅楽で使われる楽器等が描かれているものが混じっていた。
「散華の絵は自分で描きます」と、瀬戸内寂聴さんが書かれた文章を読んだことがある。
 法要には散華が欠かせないらしい、などと思い出しながら、パソコンの脇に置いてあった‘散華’を、何気なく裏返してみた。
 裏は銀色。そこに白抜き文字が書かれていた。

《忍辱(にんにく)-耐え忍び いからぬ心》
《禅定(ぜんじょう)-安定した ゆたかなこころ》

 寺の住職さんは、説教というものをほとんどしない。
 しかし、三日も過ぎてから、こうしたことばを目にすると、このための法事か、と苦笑してしまった。
 
 実は、私が‘散華’をもらってくるには、もう一つのわけがある。
 それは、体操のレッスンのなかで、それらを披露するためである。
 まだ実際に見たことはないが、東京の無形文化財になっている浅草神社の祭礼で奉納される‘田楽舞’に、リズムを刻む‘びんざささら’が使われているという。この楽器が、背骨のモデルとして非常によい。
 この楽器、一片、一片の、檜の板は固い。しかし、部分は固くても、紐で結ばれて長くなると、柔らかな揺れが伝わる。その形と動きが、背骨の動きのイメージを豊かにしてくれる。固い人体模型の背骨では、伝えられない動きなのだ。
 そして、この楽器のルーツの話も付け加えている。
 そのためにいつの頃からか思い出せないが、一冊の美術本をご覧にいれることにしている。
 それは平安期に描かれた「阿弥陀聖衆来迎図」(現在は高野山にあるらしい))である。そこには現存する雅楽の楽器がほとんど描かれているのだが、この‘びんざささら’もその一つである。
 
 絵には、阿弥陀様を中心に地蔵尊や天女、行く雲に流れる水、樹木、そして散華の花びらが描かれている。
 その絵に描かれている‘散華’の伝統がそのまま現代の寺の行事に活かされていることを説明するために、もらってくるのだった。
 
 実際に開いた仏画の上に散華を数枚重ねて見せると、ほとんどの場合、「オォー」と声が挙がる。たとえそれが印刷物の‘散華’であっても、「まさか」という驚きが各人のなかに起こり、それがそのままことばにはならないものの静かな喚声となってあらわれるのだ。
 
 そこで私は、今回は意識的に、まかれた散華のなかから、今までに見なかった絵柄の数枚をいただいてきた。

 そして裏を返したのが、今朝のことだった、というわけ。
 教訓一つ。
 何事も、裏を返してよーく見よ!
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師走も15日

2008年12月15日 09時12分23秒 | Weblog
 師走に入って、日々の流れが一段と速くなった感がある。
 もう、15日だ。
 13日土曜日には、明日16日に発売になる『宇宙の渚で生きるということ』にちなんで、久しぶりに双眼実体顕微鏡を朝日カルチャーに持っていった。
 今回の出版にあたって月刊誌では載せられなかった野口先生の写真と‘世界の砂’の標本ビンの写真を掲載できた。佐治嘉隆さんの写真は、こうして改めて見直してみると、先生への思いの深さが伝わってくる逸品である。
 ということで話の内容も砂の世界から透けて見える‘いのちの原点’に触れた原初生命体としての人間である。

 それはヒーリングでもなく、過多スピリチュアルでもなく、地球物質から(宇宙物質から)生まれた生命を確認し、からだのもつ本来の神秘性にまで触れていく。その一つの具体的な‘もの’として、世界各地から採取された国境線を超えた地球規模の‘命の連鎖’を実感につなげていくものであることが表されていると思う。
 
 そこで、朝日カルチャー土曜日クラスの方々に、久しぶりに双眼実体顕微鏡を通して‘砂’‘石’を見ていただいた。初めての方もいらっしゃる。
 お蔭さまでこの本に登場する33名が発信するメッセージも加わって、野口三千三が残した真髄を、困った意味での誤解なく受け容れていただけると思う。

 そして、昨日は、無事に父の七回忌を終わらせることができた。
 6年の歳月が、いや、野口先生を失った10年の歳月が、流れ星のように過ぎていった。と思うと同時に、しかし10年間は長かった、とも感じている。

 その間、取り返しがつかないことはなかったが、いくつもの失敗が「申し訳ない」という思いと共に、脳裏を掠める昨今である。
 さて、さて、こうして来し方を振り返りたくなるのも師走ゆえか、と……。
 あと半月、無事に過ごしたい。
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バタバタの一日

2008年12月12日 19時49分05秒 | Weblog
 今朝は朝食後6時半からバタバタバタ…………動き続けて、今、パソコンの前に座った。
 昨日に続いて暖かかったこともあって、仕事も準備もはかどった。
 本日到着する予定のものも首尾よく午前中に届いたし、連絡すべきところもすべて順調に終わった。

 あと一つ、残った仕事を、本日中に終わらせよう。
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‘どらく’サイトアップ、12月25日

2008年12月10日 21時01分39秒 | Weblog
 今、連絡が入りました。
‘どらく’に紹介される野口体操は、12月25日(木)にサイトアップされるそうです。
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しぶとく楽天的でありたい……といってみたものの

2008年12月10日 19時06分07秒 | Weblog
 朝日新聞社のWebマガジン「どらく」の取材を受けたことを、このブログにも書いたことがある。
 当日、レッスンの間、驚くほど積極的にしかも多量の写真を撮って帰られた記憶がある。
 このサイトを覗いてみると、文字も写真も相当な量がある。

 今日、ライターさんから原稿がおくられた。
 まず目を通してみて、まったく野口体操を知らない状態で、よくまとめられたと思った。
 受講生を主役に据えて、その講座を紹介するもので、‘お稽古を極める’というスタンスで、一味違った講座紹介だ。
 記事がサイトに載るのは来年1月になるそうだ。
 
 お蔭さまで、今年の秋は、讀賣新聞からはじまって朝日の‘どらく’、そして先日の日曜日には週刊文春の取材にも応じた。
 文春は、年末年始の弱った胃腸にいい体操を紹介したいと言うもので、目的効果を言わない野口体操をどのように伝えるのか、と迷い、難しかった。
 皆さん、一流のプロだから、そこは上手くまとめてくれることを信じて、お任せしている。

 実は、野口体操は‘絶滅危惧種’という人もおられる。
 そういわれても、クヨクヨしないで楽天的でありたいもの。
 でも、……時にくじけそうになることがある。

 いやいや、こうして取材をしてもらえるのだから、つくづく有難い。
 とにもかくにも、細々とでもしぶとく生き残っていきましょうぞ!
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昨日、今日、明日は……

2008年12月09日 18時48分04秒 | Weblog
 昨日は、法事の引き出物(お土産というのか)のお菓子を、出席人数+α 分、注文に銀座に出かけた。予てから‘これにしよう’と決めてあった「銀座文明堂の焼き菓子」である。実は、包装も含めて、銀座でしか手にはいらないものなのだ。
 その足でソニービル前まで歩き、丸の内線に乗ってお茶の水へ。4月からの授業を行う教室を見せていただいた。
 帰宅した夕方には、2・3日分の常備菜やシチューや鮭の味噌付けやほうれん草のおしたしや、その他あれこれ準備した。冬は、つくり置きが安心してできるので助かる。

 そして、本日は、午前中の朝日カルチャーのレッスンがない日だったので、寺に出かけて最後の打ち合わせを行った。人数や供物、花のこと、食事のこと、塔婆のこと、等々、14日に向けて着々と準備が整ってきた。
 その足で明大前に移動。1コマ授業を行って帰宅。

 明日は、晴天に恵まれたら、掃除をしたいと思っている。
 法事をはさんで、思わぬ客人が来ることがある。
 あとは、来年度のシラバスを、いくつか作成する予定だ。
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裁判員制度はじまる

2008年12月07日 19時04分33秒 | Weblog
 諸般の事情から、全部を見ることができなかったが、昨晩NHK・GTVで放送された‘裁判員制度がはじまる’の番組を見て思ったこと。
 参考にはなった。
 が、しかし、……
 見終わったときの感想は、
「理屈ぬきで、素人にはむりだ」
 その一言でした。
 ご免!
 
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