羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「三康図書館」

2022年08月31日 15時42分37秒 | Weblog
三康図書館

港区芝公園4−7−4 増上寺の裏手、東京タワー下に三康図書館はあります。
旧大橋図書館(明治を代表する出版社・博文館創業者の大橋左平 設立)の蔵書を継承して1964年に発足した公益財団法人の個人図書館です。

先週末だったか、東京新聞に「発禁本と閲覧禁止本」8月のミニ展示の記事を読んで、今日になって行ってきました。
展示は、9月2日までなので明後日までです。
ロビーには、『改造』や『蟹工船』などガラスケースの中に展示されていました。
お願いすると、司書の方が書庫内を案内してくれます。
約18万冊の蔵書の一部を見ることができます。
戦前の大衆雑誌から児童書、江戸期の写本や巻物など、多岐にわたる本があつめられ、整理・保管されています。
増上寺の境内に位置することもあり、歴代の管長が寄贈した仏教書も豊富。
竹田宮家の和綴本など、本好きにはたまらない図書館です。
古い本に囲まれて、虫除け・カビ除けの香が炊き込められた空間に身を置くと、独特の雰囲気に浸ることができて、ひとしきり日常を忘れられます。

さて、私は、発禁本と閲覧禁止本の書架から数冊を借り出して、その中から『ソヴエートロシアの芸術 1931 』を閲覧し、その中からグラビア写真と「第三章 ソヴエート演劇」の部分をコピーしてもらいました。
この本の奥付には、昭和5年12月29日印刷 昭和6年1月7日発行 白揚社 とあります。

世界大戦後のロシア演劇について書かれていますが、モスクワ藝術座の項には、スタニスラフスキーについての記述があり、いい資料が手に入りました。
戦前、戦中のプロレタリア演劇を志した人が、真剣に読んだのではないだろうか、と思えるような書き込みもあって、この時代のリアルな匂いを感じています。
こうして発禁本や閲覧禁止本を隠し持って、逃げ回っていた知識人の姿も見えてくるような気がします。
野口先生を演劇界に紹介した岡倉士朗さんも、そうしたお一人だった!

というようなわけで帰りも行きと同様に、増上寺と東京プリンスホテルの間の道、大きな樹木のかげになって涼しい散歩道を歩いて帰途につきました。
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第19回 明治大学 シェクスピア・プロジェクト『夏の夜の夢 二人の貴公子

2022年08月30日 13時31分25秒 | Weblog
11月4日(金)〜11月6日(日)舞台の幕が上がる練習は8月1日から始まっている。
本日は、午前10時〜12時 野口体操ワークショップを行った。
昨年・一昨年と、オンラインで行ってきた。

今年は、3年ぶりに25名の学生と対面で。
「気持ちよかった!」

和泉校舎なので、京王線に乗って明大前で下車するのだけれど、それまでの間少し不安な気持ちで電車に揺られていた。

ちゃんと伝えることができるだろうか。
途中で息切れしないだろうか。
73歳の年齢だもの若い学生に対して、この年寄りに何ができるのだろうか。

すべて杞憂だった。
ものすごくいい反応をもらった。
乾いた砂に水がスーッと染み込むように、吸収してくれる。
「若いっていいなー」

終わってからキャストたちの動きを2時間ずっと見守っていた演出スタッフの女性が満面の笑みをたたえて
「楽しかったです。皆んなあんなに動けるなんて、思いもしなかったです」

本当に皆さん気持ちよく動いてくれました。
最後は「ワニ腕たてバウンド」まで一気にこなして
「ハァ〜 ハァ〜」
胸で呼吸しながらも嬉しそうに、終わってからも何度も試そうとしている学生も見受けられた。

楽しみ 愉しみ たのしみ 
いい学生に出会って幸せなWS第一日目でした。
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朝カルオンライン野口体操講座 9月3日

2022年08月29日 14時25分54秒 | Weblog

朝カルオンライン野口体操講座は、毎月 第1週の土曜日3時半から70分開いています。9月は今週末3日です。
本日の写真は、その舞台裏?
MacBook Airと繋いで、モニター用に使わないテレビ。
脇に見えるホイルは、手製のレフ板。作り方をコロナ自粛が最初に発令された時、まだ存命だった佐治嘉隆さんから教わりました。使い続けています。
ピアノの椅子の上に丈夫なMacの箱。その上に、微妙な調節がきく楽譜をのせることで高さ調節をしています。

前回、始まる前の担当の方との打ち合わせ写真です。
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「お蔵スタジオ」で「千葉大学意匠形態学研究室」の方への実習風景

2022年08月29日 13時53分17秒 | Weblog
8月25日、千葉大学「意匠形態学研究室」の先生に引率されて院生のお二人が来訪されたことはこのブログにも書きました。

研究室の「公式ブログ」に、その時の模様の一部をアップしてくれました。

狭い空間でも「和紙と遊ぶ」「鞭の動き」など、ある広さが求められることでもできました!

このブログの写真にある野口体操のロゴマークは、グラフィックデザイナーの大御所・杉浦康平氏より、野口三千三先生没後に寄贈されました。

以下、クリックしてご覧ください。
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夏祭 神輿

2022年08月28日 15時31分05秒 | Weblog
夏祭 神輿

コロナでお祭りは縮小。子供たちにはお菓子が配られたとか。
御神酒所には、お神輿だけが飾られていた。
5年前に宮本卯之助商店に修理に出された大きい神輿はかなり立派なので、ついパチリ!

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世界が愛する マツダ・ロードスター

2022年08月27日 10時45分28秒 | Weblog
朝日新聞8月27日 池井戸潤が撮る「日本の『工場』マツダ(広島県)」
今朝は、読みながら涙。

筆者は、ロードスターを開発してきたレジェンド・山本修弘(のぶひろ)さんに
「それにしても、よくマツダはロードスターを作りましたね」
そう話を向けた。
「そりゃあ、ここが広島じゃけぇ」
意外な答えが返ってきた。
「オープンカーは平和じゃないと乗れんじゃろ」
グッとくる私。

ここの工場は、同じ正確性で反復作業を求められるところではない、と前半に書かれている。
退屈な作業にはしたくない。はたらく人は、工場ではたらく歯車ではなく、プライドをもってはたらく工房職人だと。
その話から、私はもう感動していた。

さらに「撮影余話」にこう記されている。
マツダの本社屋は、広島市爆心地から5キロ離れていて比治山という丘があったことで大きな被害をまぬがれる幸運に恵まれた。
附属病院から医薬品を提供し、食堂や寄宿舎を開放し、広島県や裁判所、地元新聞社に社屋の一部間借り要請に応えた、という。
敗戦後、これが松田重次郎・マツダの広島県復興への出発点だった。

後部座席なし。
幌式オープンカー。
比較的小さなエンジン。
多くのものが詰め込めないトランク。

実用性からはほど遠いマツダ・ロードスターを、こよなく愛する筆者の熱い思いを読んだ。

オープンカーは平和じゃないと乗れないんだ!
亡くなった実父も、一時期二人乗りのオープンカーに乗っていたっけ。
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素敵な出会い

2022年08月26日 12時43分25秒 | Weblog


昨日、某国立大学准教授が男女二人の院生を引率して来宅。
お蔵スタジオで野口体操のレクチャー・実技をしてから、座敷に移動してお茶しながらお話。
最後は修士論文のことになって、盛り上がる。

早速、礼状メールをいただいた。
一人の方はほぼ書き上がっている論文に書き足し、もう一人の方は真剣に論文を書く意味がわかった、と報告をいただいた。

いい出会いができ、私にとっても貴重な出会いとなりました!
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本の中の本

2022年08月25日 05時55分29秒 | Weblog
このところ数年、本といえばWEB古書店から取り寄せる古本ばかりを読んでいた。
新刊本であってもハードカバーは少なくなっていた。

昨日、ようやく『定本 真木悠介 著作集 I 気流の鳴る音』が投函されていた。手元に届くまで随分と時間がかかった。

封を開けて手に取って、ある種の感動を覚えた。
さすが岩波書店の本。

昔ながらの学術本としてのしっかりした装丁。
手触り、色合い、すっきりした文字、重さ、紙の厚み、文字のフォント、etc

これぞ本!

まずは居住いを正して、読み始めた。
本日から本格的に・・・・・。


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活字として残っている、ということ

2022年08月23日 10時15分01秒 | Weblog
明日、演劇関係の方のプライベートレッスンのためにレジュメを考え、印刷し終わった。

テーマの一つに取り上げる、未整理の箱から拾い上げてきた「機関紙」3冊に目を通した。
劇団で野口体操を習った役者さんが書き残したものだ。
1967(昭和42)年、まさに野口三千三が東京中の主だった新劇団で、精力的に指導している真っ只中の時期である。

基礎の身体訓練と舞台での演技との関連について、真面目に考察している。
活字と残してくれていることのありがたさと貴重さをつくづく感じている。

こうしたあり方ができることが個人レッスンの醍醐味かもしれない、と密かに
楽しみにいている。




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やってみてはじめて見えること・聴こえること・感じられること たとえ文字記録であっても

2022年08月19日 19時48分13秒 | Weblog
1960年から1974年の野口ノートを読みくだいて、どのノートに何が書いてあったのか、主な項目だけを手書きにしてみた。

そのほか10年以上も前だと思うが、関連書籍はバラして断裁機で切り離しデジタル化した。
同時に「野口三千三関係資料」として新聞・雑誌・月刊誌・手書き文等々もその時デジタル化しておいた。
それをどの端末でもみられるようにDropboxに上げてある。

今日は、試しにMacBook Airで、資料を一つずつ引き出して、軽く目を通してみた。
ところが、「やってみてはじめて分ること」を、すでに実感している。

まずは14年間だけだが野口先生の歩みを、ノートに記されている手書きを通して解読することで、どの時期に何を深掘りしていたか、どの時期に何を集中的に考えていたのかがわかったことで、照らし合わせて読んでみた資料がまったく変わって読むことができることに驚かされた。

自分の頭の中で、まだ記憶も新しいこともあって、ノートの内容と資料のそれが結びついて、より鮮明にその時点での先生の発想や行動が立体的に見えてくるような気がする。

私にとっては小学校高学年から音大を卒業して2年目までの14年間だ。
それなのに、イキイキと情景が浮かんでくるから不思議だ。

まさかノートを読む作業がここにつながってくるとは思ってもいなかった。
とんでもなく面白い。
しかし、これを文章にまとめるとなると、気が遠くなる。
もう一つ飛躍が必要だ。

実は、3ヶ月間、断裁機とスキャンスナップとPCを使って記録をデジタル化する作業を、ひたすらやり続けていた時も資料に目を通していた。
ところが、その時と今とでは、まったく印象が違う。
ノートを読み込んだことは無駄ではなかった。

行動する。
作業をする。
そうすることでしか方法は生まれてこない。
文字記録でも克明に記されたものならば、という条件であるかもしれない。
そして実際に体操を野口三千三先生から習い、断片的であっても折に触れて少しずつ聴いてきた話が理解の助けになってくれている。
些細なことが、決して些細でもなんでもない出来事に繋がる。
生きた記録とは、こういうことか。

それでも年の離れた相手と、たわいのないことも含めて話をする相手がいてがほしい、と今は思う。
それにはもうすこし、自分の中で整理しないといけませんね。
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一歩踏み出す前に 「兵隊文庫」

2022年08月18日 06時00分56秒 | Weblog
『「野口体操」ふたたび。』が出版されて、ほぼ5ヶ月。
その間、私は何をしていたのだろう。
いろいろあった。

そして8月。
お盆も終わった。

日暮れも早くなって、空を見上げると、月の光は秋を思わせる色に変わりつつある。
「そろそろ、三千三伝に戻らないと」

思いはあるのだけれど、今ひとつのジャンプが必要だ。
確かに、野口ノート読みは一区切りした。
後は同時期の新聞・週刊誌・月刊誌等々の資料を読むこと。
ほとんどが、デジタル化してあるのでPCで読むことになる。

「反田さんのショパンを聞きながら、いつまでも資料読みを続けていたーい」

キッカケがほしい!

始める前に、キャビネットにしまってある本の整理をしておこう。
見つけたのがこの本である。

『戦地の図書館ー海を越えた一億四千万冊』モリー・グプティル・マニング著 松尾恭子訳 東京創元社
米国と日本の戦時における兵士への向き合い方の違いに気づいかされた一冊だった。

そもそもナチスドイツが「純粋なドイツ人」らしからぬ本を一億冊焚書したことに対抗して、米国が戦地に一億四千万冊の本を送った話。
シェイクスピア、ディケンズなどの名作や詩集、ミステリ、娯楽本に混じって、復員後の職業選択に道を開く実用本まであったという。

兵士は戦場で死なせるのではなく、本国へ帰還させ、それからの人生をよりよいものにしたい。その思いがこめられたプロジェクトだといえる。
本は武器だ、といってしまうと身も蓋もないが、食糧・水・医薬品、安全な寝床と同じ必需品。
かけがいない「精神の糧」を配ることで、兵站が本当に充実したものになる。

米国の図書館員は全国から寄付された本を、次々と戦場に送った。
さらに軍と出版業界は、写真にあるようにポケットにも入るサイズ、ペーパーバックの「兵隊文庫」を発行して、あらゆるジャンルの本を世界中の戦地に送り届けた。
兵士の手に届く本は、いっさい検閲を行わなったという。
フィリピンで、兵士が「捨て駒」として消耗される様を描いたものまで、戦場の真実として、知る権利として、推薦図書として送り届けた、という。

2016年7月3日(日)の日経新聞書評
《ヒトラーは書物や文学の言葉が人を動かすこと、その脅威を知っていたからこそ、死にもの狂いで本を燃やしたのだ。そのメモリサイド(記憶の虐殺)に対抗するのが、兵隊文庫だった。(評 翻訳家 鴻巣友季子)》

私家版とはいえ、私の手元にある資料の山を見ながら、書くことの重さを測っている。



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ワクチン4回目接種は神社のお守り?

2022年08月17日 19時05分09秒 | Weblog

諸般の事情から、昨日、4回目の新型コロナワクチン4回目を接種した。
全てファイザー製だ。

1回目の時だけ37度後半まで発熱し昼寝をしたが、その後は1回目から毎回のこと腕の痛が出るだけで、それほどの副反応は起こらなかった。
今朝も、腕の痛みだけでそれ以外の何事もない。

それでも打った後も本日も、控えめに過ごした。
朝のうちに軽く体操をして、ピアノを弾いて、反田恭平さんのショパンコンクールの演奏を聴きながら野口ノート(『原初生命体としての人間』草稿)を読んだりして静かに過ごした。

一回目を打った後、3ヶ月後に銀座で「中和抗体」がどのくらいついているのかを調べてもらったことがある。
その時は、57・36%という数字で、打った時にはおそらく70%以上の抗体がついたのではないかと判断された。
今回は一体どのくらいつくのだろうか。
抗体がついたとしても、現在流行っている第7波ウィルスには効かないらしい。

実は、来週から9月初旬にかけて、五月雨的に大勢の若ものに接することになる。
ワクチン接種は神社のお守りを身につけるようなものかな!



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『気流の鳴る音』 真木悠介

2022年08月16日 09時44分36秒 | Weblog
私家版『哲学する身体』ー野口三千三伝 の全体像がようやく見えてきた。
一つの柱に、この記事内容も据えたいとおもっている。
朝日新聞 2022年7月27日(水)掲載

いただいた記事だけれど、太田啓之記者の署名記事だった。
以前、朝日新聞に「野口体操」を紹介した記者さん。
立教大学の私の授業を取材してくださったとき、授業の最後に学生に向けて話をしていただいた。
彼を囲んで車座になって、真剣に耳を傾ける学生たちの姿が、今でも目に浮かぶ。
悔しいけれど、学生たちの野口体操への眼差しが変わった瞬間でもあった!

『気流の鳴る音 定本真木悠介著作集』を注文した。
まだ来ない。
待ちましょう。
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読むこと からだをほぐすこと 手づかみで魚を獲ること 

2022年08月15日 18時02分42秒 | Weblog
昭和35(1960)年から昭和49(1974)までの野口ノート34冊を一通り読み終えた。

大和ことばの語源や漢字の字源を探求始めてからの野口三千三の文字が美しくなっていく。
そうなるとスラスラと読み通すことができるようになる。
ところが、サーっと読んでしまって、理解が浅くなること実感したのだ。

読みにくくて、苦労した頃が懐かしくなる。
その時には、自分のノートに文字を書き取ることで、判別不可能な言葉が浮かび上がってくる。
文字が分かった瞬間の楽しさが忘れられない。
理解度の深さは、断然読みにくい文字の方だった、と勝手に思っている。

言葉を理解する、文章を読む、内容を自分のからだで納得する、ということはどういうことなのか。
文字を書く手を止めて、頬杖をつきながら、何度も考えさせられた。

6月からはじめて今日までを、なんとなく振り返ってみる。
ふと、思い出すのは、これに似た身体感覚だ。
野口体操を始めた当初、私のからだは悲鳴をあげ、ガチガチのからだで生きていた。劇団・四季で、浅利慶太さんの隣でピアノを弾く仕事に疲れ果てていた。
そんな時、野口体操に出会った。
これだ!と思った。
それから、体操を通してからだを辛抱強く、少しずつほぐす行為が始まった。
もつれた糸を、少しずつ、ほぐすように、切れないように筋めを見つけて、一本ずつ丁寧に、じっくり、伸ばす。

時間ばかりが過ぎていく。
それでも諦めず、毎日、少しずつ分け入って、丁寧に慎重に、柔らかさを求める。

わかるということは柔らかくなること。
わかるということは優しくなること。
今は思っている。

こんがらがったからだもこんがらがった文字列も、分けて分けて分けて意味を通していく。
面白いことに気付かされたものだ。
野口三千三の人間としての戦後の歩み。
幾筋もの道、何本も支流が、一つの道に、本流に流れ込む。
その道筋や川筋が見えてきたことのおそろしさを感じている。

いいのかしら。
こんなことをしてしまって。
許されるのかしら。

実は、もう一つ似たような情景をVDVで見てしまった。
ある方から「渓流釣り」のシーンが映っているDVDをお借りした。
映像には、どんどん上流に分け入って、清流の石の間に潜んでいる“いわな”を手づかみで獲った瞬間に見せた狩人の表情。
単なる喜びではない。
人が生きものの命をいただく敬虔さが、映像から伝わってきた。

直接には関係がなさそうだが、手づかみで魚の命を感じた時の表情から受けた何事かは、生の手書き文字を解読する醍醐味の中で、ことばの命を紐解き、書いた人のからだの中を流れる血の温かさを感じとることへの畏れを抱いてしまったことに通じそうだ。

ことばは生きものである!
今は、そう言いたい。

分け入って、からだを解き・ほぐす愉しみ、分け入って文字を解読する愉しみ、共通の愉しみが、この何ヶ月かの間、いやまだ終わったわけではないから、これからもまだ続く。
私の時間を満たしてくれるありがたさを思う。
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官能の陰影 反田恭平のショパン

2022年08月14日 08時59分30秒 | Weblog

iPad でしか
YouTube でしかないのに

なぜ こんなに 聞きたくなるのだろう
繰り返し 繰り返し 繰り返し

何度でも 色褪せない
この心地よさ

文学に喩えれば
谷崎 
川端 

ショパンの音を 
これほどの官能の陰影のうちに奏でるピアニストがいただろうか

すべての情景を 情緒を 情感を 感情を 
音の言葉で うつろいゆく音の色彩で
深く 浅く 広く 狭く 
ときに薮睨みに
そのハッと感がまたいい

たゆとう音の波間に 
祖国を離れて生きるしかなかった 
エトランジェ
デラシネ 
ピアノの詩人
その悲しみが逝きつく先を聞かせてくれる

お見事!








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