羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「野口体操の会」3年目・・・何!声を出す習慣?

2019年03月31日 07時52分12秒 | Weblog

先日、北区田端の劇団文化座で、「2019年度 総会」と「第六回 早蕨塾」の最終打ち合わせを行った。

先方は、劇団のプロデューサーの原田明子さん、こちらからは二階のぶ子さんが同席してくれた。

劇団自前の稽古場は、50名ほどの人数でも体操ができるほどの広さがある。

野口三千三つながりで、ここをお借りすることができた。

総会の後、早蕨塾では劇団代表で舞台女優の佐々木愛さんに「私と野口体操〜野口三千三との出会い」(仮題)でお話ししていただく予定。

舞台での身のこなしや発声と野口体操をからめて、そのままのつながりで体操を行う企画を立てた。

特に、私(羽鳥)個人としては、母が入所している施設で気づいた「発声」の大切さを実感している。

舞台での発声法がそのままリンクできるとは思わないが、何かのヒントがいただけると思っている。

「なぜ、発声か?」

人は、最後まで自分の手で食べ物を口に運び、噛んで飲み込むことが、“生きること”と、つくづく感じている昨今。

嚥下力の低下、誤嚥、むせる、といったことを避けるための力を維持することが、ものすごく大切だと思うようになったからだ。

唇・舌・口腔内の感覚を、できるだけ維持するには、「話をすること」がいいと思うようになっている。

入所している方々は、遠慮からか、声が小さくなって、だんだん口数が減っていく。

そのことと食べる力は正比例している。

結果的に、生きる意欲が低下していくような印象がある。

それはそれで仕方がない自然のことかもしれないが、自分で食べる力が低下しても、噛むことができなくなっても、栄養補給ができるチューブ入りの食べ物が提供されているのが現実。しばらく(かなり長い期間)はそれだけで生命維持は可能なのだ。

でも、でも、なんだかな〜、ありがたいけれど、難しいことだ。

 

昨日の朝日カルチャー土曜日クラスで、伺ってみた。

「腹から声をちゃんと出して、話す機会はありますか」

ほとんどの方が、あまりない、とおっしゃる。

その返事をききながら、ある程度大きめの声を出して遠慮なく話をする場を提供する必要があるのではないか、と思った次第。

私自身にとっても一つの課題である。

 

第6回 早蕨塾の佐々木愛さんの話を機に、「高齢期前から始める声を出す習慣」を模索したい。 

4月28日(日)10連休の始まり時、会員の参加で満員にならなければ門戸を広げて、参加者を募ってみるのも一考かと。

高齢者の自分で食べる力を維持するために、って副題をつけたいくらいだ。

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生命のリズムに触れる・・・なにものにも代えがたい喜び・・・

2019年03月26日 20時34分20秒 | Weblog

本日、午後、母が入所している高齢者施設で、音楽会があった。

入所者の方のスイス在住のお孫さんが率いるユニットで、去年も演奏をしてくれた。

彼女のチェロを中心に、バイオリン、クラリネット、アコーディオン、ドラムといった編成。

歌も入るが、それがイディッシュ語。ドイツ語のようなオランダ語のような、イディッシュ語というわけ。

東欧音楽でリズムがかなり複雑。強弱アクセントが特徴的な音楽である。

お年寄りには、手拍子をとりたくなるウキウキ感だけでなく、どこか哀愁もあってみんなで楽しめる。

古い東欧の街角や居酒屋で聞いたら、いいだろうなぁ〜、とふと思った。

聞こえないはずの母も一緒にリズムを手をとっていたが、あまり的外れではなかったのが、ふしぎ!

水族館でも思ったけれど、生きるとはリズムだってこと。

心臓の鼓動、血液の流れ、神経の伝達、目の輝き、筋肉の動き・・・・動きのリズムに乗って同調・共鳴できることが、元気の"気”が活動している証明だ、とつくづく思うこの頃。

そうそう、品川プリンスのマクセル・アクア・パークに出かけた日、介護士さんの「いかがでした」の質問に「とっても楽しかった」と答え、その日はぐっすり眠ったそうだ。

また、先日、水族館で撮った写真を見せた。自分が写っていることをちゃんと認識することがまだできるようだ。

水の流れのリズム、魚の動きのリズム、民族音楽の躍動感あふれるリズムに触れることは、生命の根源とのふれあいのようだ。

はじめにリズムありき・・・・

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野口先生の高崎・中山道・烏川・・・

2019年03月24日 14時10分03秒 | Weblog

先日の群馬の旅で、生まれてはじめて無人駅に降り立った。

高崎駅から10時54分の下仁田行きの上信電鉄に乗る予定で、高崎市立中央図書館を早めに切り上げた。

道路ぎわの街路灯に「高崎映画祭」と書かれた旗に気を取られて、高崎駅までのんびりと歩いてしまった。

駅に到着すると、時間はギリギリ。わかりにくい場所を通り抜けて、電車が停車してる場所が、案外遠いことに気づいた。

時すでに遅し。

「乗せてくださーい」

大きな声をあげると、改札とホームにいる駅員さんが

「大丈夫ですよ」

声をかけてくれた。

走って飛び乗った電車は、私のために数分遅れて、発車。

息急き切って乗って乗ったかともうと、3駅目には「佐野のわたし駅」に到着。

改札口はない。

申し訳程度の屋根のあるベンチは可愛らしい雰囲気であった。

その時はじめて、無人駅であることを知った。

降りる際に運転手さんに切符を手渡した意味が、わかったのだった。

さらに単線であった。

周辺にはレンゲの花が咲いている。のどかな村である。

さて、そこからお目当の野口三千三先生が、昭和14年から18年までつとめた当時は「佐野尋常小学校(佐野国民学校)」と呼ばれていた「佐野小学校」へ向かうことにした。

なんとなくの方向を見定めたものの、自信はなく、駅で一緒になった8名ほどの保育園児を引率する保母さんに学校の道順を聞いた。

途中まで一緒に行くこととなった。

この駅は、烏川に近く海抜が低い。

まず大通りに出るためには、急な坂を登らなければならなかった。

園児達をかばいながら、ゆっくりと歩く。

その間、自動車の往来はかなり激しい。

最初の曲がり角で皆さんと別れて、それから延々1キロメートル以上、歩き続けた。

最後の大通りは中山道で、倉賀野方面とは逆方向にさらに歩く。

それでも数分のうちに教わっていて歩道橋に出る。

そこに佐野小学校に通じる細い道があって、無事たどり着くことができた。

ここまでの道みち、周辺は住宅地ばかりで、養蚕農家もあったはずだが畑は全くなくなっている。

小学校で、写真をとらせてもらって、20分くらいで帰りもまた同じ道に出た。

すると、バス停で、見知らなぬ中年の女性が、手を振って私を呼んでいる。

「高崎へいらっしゃるんでしょ」

「はーい」

また走った。

勘のいい女性だった。

二人でバスに乗り込んで、話をし続けた。

「昭和14年ごろ、高崎市内から佐野小学校まで通うには、歩いたんでしょうか」

「えー、そうね1・5キロくらいだから、歩いたかもしれませんね」

後ろに座っていた男性が話に加わる。

「私も今、散歩して、高崎に帰るところ。歩いたってどってことありませんよ」

「自転車ってこともありますよ」

他の乗客も話に入ってくる。

するとバスの運転手さんが

「当時だって、路線バスはあったはずですー」

私と女性の声が大きかった。

数名しか乗っていないバスの乗客が全員参加で、野口先生が佐野小学校に通った方法を考えてくれたのだった。

行きに乗った上信電鉄といい、帰りに乗った路線バスといい、皆さん親切である。

ちなみに、倉賀野宿は中山道六十九次(木曽街道六十九次)で、江戸から数えて12番目だそうだ。

江戸期には、烏川の舟運搬の河岸にあって賑わっていた。

 

思い出すことがある。

「ここは、旧中山道だよ」

野口先生の西巣鴨の家は、旧中山道に近いところにあって、そのことを嬉しいそうに教えてくれたことがある。

先生の声の調子から、中山道・烏川、という街道名と川の名前を言う時には、いつも特別な響きを感じていた。

ゆかりの地を訪ねて、歩いて、はじめてわかることってあるんですよね!

野口先生にとって、高崎、中山道、烏川は、深い愛着のある街であり街道であり川だった、のだ。

なんとなく実感が、私にも乗り移ってくれたようだ。

旅の収穫であります。

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広瀬川白く流れたり・・発見・群馬の詩の旅

2019年03月21日 08時52分34秒 | Weblog

広瀬川白く流れたり 時さればみな幻想は消えゆかん

歌ったのは萩原朔太郎である。

 

高崎と前橋に、野口三千三の足跡をたずねる旅も5回目となった。

一昨日、群馬師範学校があった場所を確かめた昼過ぎ、前橋駅までの途中で左折し、「前橋文学館」に立ち寄った。

文学館は広瀬川のほとりにたっている。

3月19日の昼下がりのこと。

花の季節にはほんの少しだけ早かったが、川面に長く垂れ下がっている柳の新芽は緑麗しく、川の青さと相まって春の命を描き出していた。

広瀬川は疏水百選に選ばれているそうだ。

水量は豊か、流れは早くうねっている姿は、川幅こそ狭いが、利根川水系一級河川の面目を十分に保っている。

野口三千三の旅は、一旦、お預けにして、私はしばし詩の世界に迷い込んだ。

この文学館は、「萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち」と銘打っているだけあって、文学の香りが前橋ゆかりの文学と文学者をやさしく紹介している素敵な場所だった。

特別展「接吻」中本道代を楽しむ空間は、近代史から現代史へと詩の道のりを自然に導いてくれるものだった。

最後に18分ほどの「前橋の風土と文学」と題したDVDを拝見した。

なんと嬉しいことに、詩の朗読は幸田弘子さんによるものだった。

「ここで、幸田さんに、声だけでも出会えるなんて」

心が、懐かしいと!喜びにむせぶ。

この数年はご無沙汰していていることを、密かに詫びた。

この文学館で過ごした時間は、野口三千三とは無縁の前橋なのだろうけれど、ゆかりの文学者たちが豊かな言葉の世界を作り上げていったことに、風土の奥深さをしみじみと味わうひと時となった。

徒歩で前橋駅に戻り、高崎行き電車が出たばかりとのこと、コーヒーにドーナッツを頬張って30分ほどの時間をゆったりと過ごした。

過ごすうちに、ふと思った。

野口三千三の語録は、詩ではなかったか?

いや、あれはまさに詩である。

私は確信した。

“からだ”と“うごき”を内面化し、近代詩を超える超近代の詩の世界を、野口はつくり上げたのではなかったか。

一昨日を境に、私の中では、三千三は朔太郎と同郷の詩人の一人になってしまった!

許せよ! 朔太郎ファンの皆々様。

今朝も、広瀬川のうねりの水音とやわらかな柳の緑が風にそよぐ姿が思い出された。

幻影だろうとなかろうと、新しい発見ができた早春の群馬行きだった。

川は詩情をそそる。

*****行程*****およそ10時間の旅

高崎駅からはじめ

高崎市立中央小学校 烏川 高崎中央図書館 上信電鉄の無人駅「佐野のわたし」 高崎市立佐野小学校 前橋群馬県民会館 萩原朔太郎 蔵・書斎客間移築 前橋文学館 広瀬川詩の道 

前橋駅から帰宅の途につく

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AQUA PARK SHINAGAWA にて・・・

2019年03月14日 08時22分44秒 | Weblog

品川プリンスホテル アクアパークへ母を連れて行った。

従姉妹もきてくれたので、高齢者3名が、平均年齢をあげた?!という次第。

 

一ヶ月ほど前にタコを訪ねた八景島シーパラダイスの経営母体がプリンスホテルで、品川プリンスホテルにも水族館があることをその時に知った。

「品川ならば母を連れて行けるじゃない」

まず、日程と介護タクシーの予約を入れてしまった。

決めてしまってから、少々不安になって、一週間前に下見をしておいた。

イメージを具体化して、行動予定を大雑把に描いた。

最後の数メートルの急な坂道だけでは、建物内から移動できる道順を確かめておいた。

あとは、すべてがバリアフリーで、多目的トイレは広々として美しいことに安堵していた。

 

春休み前だから、それほど人出はないだろうと見込んでいたが、大違い。

ベビーカーの子供から、小学校・中学・高校卒業生に20代カップルで賑わっていた。

集まっている人たちは、とにかく若い。

若い人たちは、元気だ。

その中で美しい魚に出会うことは、母にとってだけでなく、私たちもエネルギーをいただいた。

何よりも、非日常の空間の中で、止まっているものはいない。

魚は常に動き続けている。

子供達は歓声をあげて、喜んで動き回る。

カップルは手を繋いだり、見つめあったり、なんかいい感じ、であった。

母が手を振ったり、ちょっと触れたりすると、みなさん挨拶を返して、にっこり笑顔。

その上、道を開けて、前の方の見えるところに、車椅子を移動させるようにさりげない仕草までしてくれるのだった。

スタッフもホテル並みのサービスを仕込まれているようだ。

実に、いい午後でありました。

 

実は、出かける前、母に薄化粧をして、30,40年くらい前に着ていた服に着替えさせた。

だいぶブカブカではであった。それもご愛嬌。

昔に返って、お出かけ気分が出来上がっていた。

車好きな母はドライブも楽しんでいる。

というわけで皆さんに感謝です。

 

思えばほぼ2年前に、施設に入所させることができなかったら、今頃は共倒れになっていたに違いない。

それでも、時々、自宅に返してあげたいと思う気持ちを伝えると、親戚の者・友人・知人に止められていた。

実に、正解だった。

私自身の心身にゆとりができて、実行に移すことができた。

「ありがたい」の一言であります。

普通ってなんだろう。。。。。。。

母が、ありがとうの代わりに言いました。

「至れり尽くせり・・・だわね。さぁ、家に帰りましょう」

ウゥッ!

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ご破算に願いましては!

2019年03月11日 10時07分52秒 | Weblog

ウッヒャー!

私の2月、ほぼ一ヶ月はなんだったのか。

それは先週の土曜日、9日の朝のことである。

予感がしたのか、4時半に目が覚めて、iPadを開いた。

メールに入っていたのは、野口三千三先生の小学校訓導時代のことが書かれた記事だった。

Kさんが高崎の図書館で見つけて、添付ファイルしてくださった。

昭和9年から18年までの、小学校訓導時代を「少年航空兵」にテーマを絞って、一応書き終えてあった。

恩師をその時代から冷静に見て、書く作業は、ある意味で辛いものがあった。

信奉者として大好き!状態だけで「三千三伝」を書くのではなく、事実として何があったのか、何がそうさせたのか、をごまかさずに書き残すことにした。

それはそれでいいと思うのだが、今回いただいた資料を加えると、少し様相が変わってくる。

いや、先生以外の方が語る貴重な証言を入れないわけにはいかない、というか入れたのだ。

《 体操王 野口三千三先生のウルトラC 》とキャプションがつけられた写真まで掲載されているのだから。 

ところが、この内容を入れ込んで、リフォームするというのは、なかなか難しい。

かといって、ほぼ、まとめてしまったものを、すべて破棄するのは勿体無く、正直いってためらわれるのだった。

 

今朝、気がついた。

日本には、すばらいい言葉があった。

「ご破算に願いましては・・・・」

笑ってしまった。

近々、群馬に行ってこよう。

姑息な手は使わない・・・・それからだ。

心が啓かれた。

おしらせくださったKさん、ありがとうございます。

多謝。

 

 

 

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お別れの会

2019年03月08日 19時54分42秒 | Weblog

野口三千三先生が亡くなってから、数年も経たないうちに柏樹社が傾いて、先生の本も羽鳥の本も手に入らなくなった。

なんとかならなものかと思案し、私としては春秋社から再版してもらえないか、と思っていた。

しかし、縁ある方はいない状態だった。

それでも、諦めずにひたすら「春秋社」と祈り続けていた。

「念ずれば花開く」

ある日、思いが通じて編集者のお一人からメールが届いた。

出版の話はトントン拍子に進んだ。

野口先生の『野口体操 からだに貞く』『野口体操 おもさに貞く』羽鳥の『野口体操 感覚こそ力』『野口体操 ことばに貞く』が再版されて、さらに『DVDブック アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司』新刊本として出版していただけた。

編集前段階では、担当の編集の方だけでなく、当時の社長さん、営業部長、製作部長の方々も常に同席されて、5、6名の方々と編集会議をご一緒させていただいた。

5冊の本を編集する度に、皆様から様々な助言をいただき、図書出版という世界を垣間見る貴重な経験であったと思い出している。

 

本日、6年前から社長職につかれていた澤畑吉和さんの「お別れの会」のお知らせをいただき、献花することができた。

長のご無沙汰だったが、社の皆様にお声をかけていただいた。

当時、澤畑さんは製作部長をなさっておられた。

享年72歳。

まだまだ春秋社を背負っていかれる年齢かと思うと残念で仕方がない。

春秋社一筋に、半世紀の間、図書出版に専念された誠実な方だった。

野口体操が野口没後も残っているのは、春秋社の方々に支えられたことは大きい。

そのお一人を失ったことは無念なこと。

心からご冥福を祈ります。

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久しぶりに国会図書館へ・・・司書の方のご親切に

2019年03月02日 08時52分54秒 | Weblog

国会図書館には、いつもこの時期に出かけて行っている。

国会周辺は開会中ということで、警戒警備が厳重な時期である。

さて、昨日は、「建国体操」の資料を探しに出かけた。

主には歴史的音声を聞くことだった。

インターネット検索で、館内でしか」試聴できないことを調べてあった。

音声は、8つ聞くことができた。

使われている音楽は、「建國體操讃歌」と「建國體操前奏歌」の二曲である。

作詞 北原白秋 

作曲 山田耕筰(指揮)

ピアノ 薗田三郎

歌  伊藤久男

太鼓(音楽と一緒に)1曲のみ

管弦楽伴奏 コロンビア・オーケストラ

録音 テイチク コロンビア

大谷武一(指揮)号令をかけているのがそうかもしれない?

楽譜を見ながら聞くことができた。

書籍の印刷も25ページほど手に入れてきた。

児童から大人まで、体操の仕方を図説入りで丁寧に解説している。

その中に、野口三千三先生が線描きで書いていらしたと同じ画風のイラストを発見。

昭和14年(1939)出版の本である。

当然、これは先生もご覧になったものと想像できる。

おかげで次第に体操教育の核心に触れるところまで辿りつつある。

国会図書館の司書の方は、とても親切で感謝あるのみ。

検索の仕方をしっかり学ばせていただいた。

ありがたいことです。

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