羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

熟睡の理由

2014年11月23日 08時18分18秒 | Weblog
 朝刊を手に取って、昨晩、長野県で大きな地震が起きたことを知った。
 東京は震度2ほどの揺れだったらしいが、目が覚めないほどに熟睡していた。
 実は、このところ夜中に目覚めることが多かった。いつも何かが頭の隅にあって、考え事をしながらの睡眠だった。
 おそらく昨日・土曜日の朝日カルチャーのレッスンで、野口三千三授業記録として残してきた録音テープをきいていただき、誕生月としてひとつの山を無事に超えられたことが久々の熟睡つながってくれた、と思っている。今、現在、野口体操を受けてくださっている方々に、しっかりメッセージが伝わった実感が得られたことがいちばんの理由のような気がしている。

 これまで2013年8月には演出家の鴻上尚史氏、10月には地球交響曲の監督龍村仁氏、2014年3月の祥月命日には俳優で舞踏家の麿赤兒氏をお招きした。こちらの申し出に即座に快諾してくださった三氏との対談を特別講座として開くことができたことは嬉しい出来事だった。
 そして5月には「石の会」神保寛司氏の入門編を高円寺で開き、新旧の野口体操のお仲間に集っていただいた。
 8月には「大学体育連合」主催、文部科学省後援の「全国研修会」で、野口体操を紹介する機会をいただいた。来月にはこのときの記録をまとめた冊子が出来上がってくる。すでに原稿は10月末に提出してある。

 そして11月、野口三千三誕生月に因んで、昨日のブログに書いたプログラムで、36年間継続している土曜日クラスでレッスンを行うことができた。
 こうした機会を得たことで、野口が戦前・戦中・戦後と体育の教師としての歩みが一つの流れとして見えてきた。また演劇人と野口の関係を「沖縄」という舞台台本とそれと一緒にまとめられていた原稿を読むことで、『原初生命体としての人間』第五章の意味が深まったことは特筆しておきたい。

 野口体操の中を流れる幾筋もの川の源流を一年と数ヶ月の間に辿ることができたわけで、メモリアルとは単に過去を振り返るのではなく“「遡ることは朔じまること」”と、野口が言い残した言葉を実感している。

 その都度、参加してくださった皆様に、この場を借りてお礼を申し上げたい。
 とくに、すべてに尽力してくださった写真家の佐治嘉隆さんには、感謝の気持ちをどのように伝えたらよいのか言葉が見つからない……。「野口三千三授業記録の会」を始めた1988年から一緒に歩いてくださった!佐治さんなくして記録は残らなかったことを思うと、どんなに言葉を尽くしても尽くしきれないもどかしさを感じている。
 その佐治さんから写真展のお知らせをいただいたのは一昨日のことだった。
《佐治嘉隆写真展「時層の断片」 お茶の水 ESPACE BIBLIOにて、12月15日(月)~20日(土)》

 付録として12月には、『大学体育-104号 からだとの対話ー野口体操を再考する」とインタビューを受けた『Spectator』特集「野口三千三の世界」の二冊も出版される予定になっている。
 こうして野口三千三生誕100年記念は、大きな収穫期を無事に迎えているようだ。
 本当に本当に「おかげさま」です。
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野口三千三誕生月に因んで

2014年11月22日 11時42分57秒 | Weblog
 以前にもこのブログに書いたが、野口三千三誕生月に因んで、朝日カルチャーセンター「野口体操講座」では、ゆかりのもの・記録等々をテーマにすすめている。
 かなりディープな内容で、一般には出しにくい内容でもある。
 
 11月1日は、NIKKA WHISKY IMAGE SONG byKATHLEEN BATTLE Ombra Mai Fuのテープを聴いていただいた。クラシックを専攻しているものにとっては、ヘンデルのラルゴという方が馴染みが深い。レシタティーボのあとに歌われるアリア部分だけを抜き出しているのが「なつかしい木陰」である。
 
 11月8日は、今年の春に行った「石の会」の時には、まだお見せ出来なかった「蛍光石」をご開帳とあいなった。長さ35センチくらい、幅20センチ、高さ15センチほどの箱に、ビッシリ詰められたさまざまな蛍光石。現在国立科学博物館で開催されている「ヒカリ展」との関連からも、野口の先見の明をお伝えできた。実は、「ヒカリ展」でも見られないほど多様性があるのだ。これは収集癖とはことなる。

 11月15日は、木下順二作『沖縄』三幕五場 山本安英の会 1968年(昭和43年11月2・4・5日岩波ホールで上演されたときの台本+野口手書きの原稿メモ(『原初生命体としての人間』第五章ーことばと動きーの元になった)から、多くの問題を浮かび上がらせた。詳細は何かに書き残したいと思っている。

 11月22日は、本日は1990年1月20日、朝日カルチャーセンターでの授業記録テープを聴いていただくことにした。野口75歳2ヶ月の時である。『アーカイブス 野口体操』春秋社で出版した記録の丁度1年前のテープである。

野口三千三誕生月記念配布資料の内訳 2014・11・22 朝日カルチャーセンター「野口体操講座」
1、 朝日カルチャーセンター「講座案内」1990年4月『多様な価値観の究極である“個の自由の世界”を求める営みが体操なのです。』野口への取材記事。テーマは21世紀への提言。コピー
2、 平成二年一月二〇日(土)朝日カルチャーセンター教室板書(羽鳥記録)
3、 佐治嘉隆音声録音記録(約1時間)講義+実技(「上体のぶらさげ」「腕まわし」「尻たたき」)教室できいていただきます。

 昨年8月からはじめた生誕百年モリアルのなかでも、11月は野口の人柄と野口体操の核心に触れるレッスンになりそうだ。
 
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「光る花」と「光る鉱物」

2014年11月08日 09時24分26秒 | Weblog
 国立科学博物館で開催されている『特別展「ヒカリ展」』を、10月31日に見て回った。
 その時、「光る花」の写真撮影が行われていて、横から覗かせてもらっていた。
 暗闇に「光る花」は、むしろ蝋細工のようで、植物とは思えない静寂そのものの佇まいを見せていた。

「その時の撮影班は、この記事のためだったのね」
 今週、日経新聞2014.Nov.「マンスリー ミュージアムガイド vol.106」に特別展の紹介が掲載されていた。記事の真ん中にモノクロだが「光る花」が据えられ、可視光だけでなく電磁波のことを中心に紹介されている。
 オーロラのコーナーも広く取られていたし、3D映像でも見ることができた。
 しかし、なんといっても現物の強みだ。「光る花」と「光る鉱物」つまり、野口三千三が20年以上も前から強い関心を持ってきた「鉱物の蛍光現象」の話題が、中心になっている。
 
 本日の朝日カルチャー「野口体操講座」では、11月になって見つかった野口コレクションの一箱をご覧に入れようと思う。先生の几帳面さもさることながら、「鉱物の蛍光現象」が教えてくれる”人間の感覚の問題”に対する思い入れの尋常でない深さが伝わってくる。梱包からはじまって、手書きのメモ、選ばれた石とその大きさというか小ささ。限られたスペースに、できるだけ多くの標本を納めるための工夫が見事である。

 それにつれて思いおこされるのは、今は失われてしまった西巣鴨の野口庭の姿である。
 狭い敷地で出来るだけ多くの植物を育てるにはどうしたよいのか。たどり着いた方法は、鉢植えだった。いわゆる盆栽とは違う。自然の形をできるだけそのまま維持させる手入れは、独特の方法だった。
 四季折々に変化する日照時間と太陽の位置、気温、その日のうちでも変わる風向きと植物のご機嫌を伺いながら、位置の移動が可能な方法として鉢植えを選んだ。
 
 植物は原種がお好みだった。原種の椿、原種の葉タバコ、原種のクチナシ、今では手に入りにくいリュウキンシダ(琉球の金魚から琉金かもしれません。金魚の形に似ているシダ)、もちろん春になると一番に季節の移ろいを知らせる薇等々、始めて見る人は、見分けがつかないほどの種類の植物が育てられていた。

『標本は一つではいけない』
 たった一つの標本を見せて、例えば三葉虫など、平べったい黒い標本が一般的だったが、それだけで三葉虫だと覚え込ませてはいけない、と考えておられた。

 というわけで「蛍光現象」を見せる鉱物も、誰も関心を向けない時期に、集めはじめた。
 多様性こそ、水惑星地球に活かされている人間にとって大切にしなければならないこと。
 その思いがあらゆるものに向けられていて、「光る鉱物」も同様の意味を込めて接しておられたことを懐かしく思い出す。
 人間が視覚で認識している世界は、宇宙の現象、あるいは地球の現象のなかで、ほんの一部分に過ぎない。
 錯覚であり、誤解であり、そこから下される判断は独断なのである、ということを覚悟して、あらゆる物・あらゆる人、あらゆる現象を先入観抜きで接し感じ取ることが大事である、とおしえてくれた。

『感覚とは錯覚のことである。錯覚以外の感覚は事実としては存在しない。
 理解とは誤解のことである。誤解以外の理解は事実としては存在しない。
 判断とは独断のことである。独断以外の判断は事実としては存在しない。
 意見とは偏見のことである。偏見以外の意見は事実としては存在しない。』
 野口三千三が残したこの言葉は、庭・植物・鉱物etc.に貞くことから実感として生み出された。
 
 この言葉を本当に理解できるようになるには、相当な時間が必要かもしれない。
 最初に戻れば、自分の目の前に「現物」がある、ということの意味は深い!
 それを実感させてくれる「ヒカリ展」であることは間違いない。
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『マッサン』効果? ウィスキーのことなど懐かしく……

2014年11月05日 14時47分09秒 | Weblog
 お酒は一滴も呑めない不調法ものの私だが、サントリーのテレビCMは大好きで、よく見ていた。
 サントリーというより、「寿屋」の名称の方が馴染みがある。
 とりわけ子どもの頃だったが、中年おじさんがキャラクターになっているトリスのCMは楽しくて見ていた。
 柳原良平さんの作品だということは大人になってから知った。
  
 で、野口三千三をNHKの番組で起用したディレクターの方は、開高健のファンで、亡くなった時には思い出を綴った3通の絵はがきをいただいた。
 この方はご自分で撮影した写真を貼付けた私製はがきをつくっていらした。その裏側に、ものすごく細かな文字でビッシリ詰め込んだ手紙を、山となるほどいただいている。
 ほとんどが一通だが、開高さんのときだけは、1、2、3とナンバーをふったはがきが届けられた。

 その開高さんと言えば、寿屋の宣伝部である。ここは面白いCM制作で有名だった。奥さんの代わりに中途採用され、作家として立って行くまで、ここに在籍していたことは何となく皆が知っていたことだった。
 数々の名CMが生み出されていたのは、そこに集められた才能ある御仁たちの力と「やって見なはれ!」精神だろう。

「『マッサン』の太陽ワインは、赤玉ポートワインだ!」
 女性には、とくに冷え性の女性には健康のためにはこれだ、という暗黙の了解があったような記憶があって、朝ドラを見ながら懐かしく、自分の子どものころを思い出してしまった。
 ドラマとはいえ、広告に情熱を傾ける鴨居さんの姿。なかなかうんと言わない大将に、女性モデルが「脱ぎまひょか?」この撮影シーンは、“あぁ~、そうだろうな~”と、思わずニンマリとして見てしまった。
 
 実は、昭和20年代生まれ、28年から始まったテレビで育った年代の者にとっては、サントリーよりも“寿屋”の方が馴染みがいい。
《ウィスキー頂点に「山崎」 英ガイドブック選出 サントリーの「山崎シェリーカスク2013」を世界最高のウィスキーに選出》
 このニュースでを知ったときは、たしなむことも出来ないのに、何となく嬉しかった。

 ただ、「サントリー不易流行研究所」の名称が「サントリー次世代研究所」に変更されたと知ったときは、正直なところ寂しい気がした。
 だって、「不易流行」の言葉は、芭蕉の「猿蓑」に因むということは、知識の浅い私だって自然につながって味わいの深い意味を感じていたのだから、そのまま残して欲しかったなぁ~。
 大きな会社になってしまったのね!

 さてさて、先ほど買い物に行った近くのスーパーマーケットで、思わずウィスキーの棚の前に立ち止まってしまった。
「朝ドラの影響で、きっと揃っているはず」
 当りだった。
 ニッカの「余市」も、寿屋と一緒に、ちゃーんと並べてありました!
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11月は、野口三千三誕生月

2014年11月03日 14時43分28秒 | Weblog
「ヒカリ展」の公式ガイドブックの最後は《光を利用した測定技術 究極の精度を目指して》で締めくくられている。
 電磁波を使って時をはかる話をこのブログにも引用させてもらった。
 現在では、物差しの測る国際単位系は7つの基本単位が認められている、とこの本で知った。
 そのうちの2つ、長さの単位「メートル(m)」、時間の単位「秒(s)」は、電磁波を基準に決められている、とある。メートルは光の速さから、秒はセシウム原子が共鳴する電波(マイクロ波の領域)の周期から決められているそうだ。
 で、電磁波を使って時を測る、この精度を高める研究は日本を中心にすすめられていて、その精度は理論的になんと百数十億年に1秒以下しか違わないところまで到達している。
 その先を読んでみると、時計は重力のわずかな違いで進み方が違い、身長が1㎝違うと人によって時計の進み方が違ってくるとある。

 更に読み進むと、日常感覚では捉えられない物理現象の測定について書かれている。
 つまり、21世紀は電磁波がますます重要になってくるということだ。(科学は平和利用であって欲しい、と祈ります)

 実は、11月は野口三千三の誕生月ということで、朝日カルチャー「野口体操講座」では、先生ゆかりのものを持参し、野口体操の基本の捉え直しをテーマにしている。
 1日土曜日クラスでは、『NIKKA WHISKY IMAGE SONG by KATHLEEN BATTLE Ombra Mai Fu』を聞いていただいた。佐治さんが持参してくれたソニーのウォークマン・プロに、私のPC用BOSEスピーカー接続し、再生した音はなんとはなしに懐かしい雰囲気を醸し出していた。雑音あり、テープの緩みありの音だったが、時間の経過が味わいとなって耳に届けられた。
 現在では電磁波を利用した音響機器が使われている。その音質はものすごくクリアで美しい。しかし音の印象というのは、そこに物語がついているだけで、単にクリアで美しければいい、というものではなさそうだ。そこに科学だけではどうにもならない人間が深くかかわってくる。

 そして、翌2日日曜クラスでは、多様な石を納められるように小振りの鉱物を選び出し、一箱にまとめたもの。その中には、鉱物の化学組成表に、紫外線の長波(L)と短波(S)の区別まで調べ書き残している手書きの紙が同封されていた野口コレクションを見てもらった。今週は土曜日の方々に見てもらおうと思っている。
 電磁波に対する関心は、鉱物の蛍光現象から導かれた。すでに30年近い歳月が流れている。
 それだけに電磁波の問題は、なぜか身近に感じられるのだ。

 カセットテープの音の世界と、蛍光現象の電磁波が、野口体操にとってどのような関連を持つのか、太い線でその関係を論じることは出来ない。
 ただ、一人の人間が関心を深く持ったことは、なにか大事なことを潜めているに違いない。
「まだよく分らないことを分らないまま、そっとそこに置いておこう」
 先生の口癖だった。
 
 脈絡はなくても、11月16日の誕生日をはさんでの野口月間、皆さんに野口ゆかりのものを味わっていただきたいとおもっている。
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地雷を踏む……かも?!

2014年11月02日 09時19分08秒 | Weblog
 2020年開催予定のオリンピックを盛り上げようと、“10月は東京オリンピックの月”と題して、NHKはいくつも特集を組んでいた。
 そのなかで、今日のテーマ「地雷を踏む……かも?!」につながる話が登場した。
 番組は10月10日(金)夜7時30分放送『特報首都圏』ー発掘”幻の日記”東京五輪の舞台裏ーである。
 最近になって第二代東京都知事の東龍太郎が残した100冊の日記が発見され、その中に日本のスポーツが軍隊と結び付いて若者の体力増強に使われたことへの反省と贖罪が書かれていたことが報告された。
 東はその思いから、戦後日本の復興のために東京にオリンピックを招致することで、戦場ではなく平和の祭典オリンピックに若者を送り出したいと願った。
 予算が足らなくなると当時の岸総理に直談判し、いち早く不参加を表明したインドネシア、そして韓国、台湾、中東、東西ドイツ等々の国々に対し自らが説得に当たり、それを成功させ、結局、それまで開催されたオリンピクのなかで、最多の参加国と参加人数を得た東京オリンピック成功に導いた。
 スポーツを人づくり国つくりの根幹と考えた東は、日本が先進国の仲間入りする国際化を目指す東京オリンピックを目指した、という内容だった。

 さて、ここからが地雷の部分。
 東は東京帝大出身のボート選手でもあり、東京都知事前職は、東京高等体育学校の校長もつとめた経歴の持ち主である。スポーツが軍隊と結び付いた「国防競技大会」は東条英機が深くかかわり、そのことも含めて反省と贖罪意識が後の東の行動を支えた。
 実は、この東京高等体育学校の全身は、1924年大正13年、文部省所管でつくられた体育研究所であった。場所は幡ヶ谷・西原である。1914年第一次世界大戦が終わったのち、欧米では兵士の体力づくりに、医学や生理学、心理学までも取り入れた体育の研究が進んでいた。それに比べて日本の研究は非常に遅れているということから、欧米のそれに模してつくられた研究所であった。その後、名称も内容も変えて1941年東京高等体育学校として指導者養成を中心とした学校に改変されて行く。(今のところの調べた段階です。今後、訂正される所も出て来るかと思います。)
 1944年昭和19年(野口の記憶によると18年末)東京体育専門学校と名称を変え、敗戦の色濃くなった時期に銃後の守りを研究するという表向きで、日本国中から武術家や体育専門の人間が集められた。
 このときの校長が大谷武一。地方の一小学校教諭の30代の若い野口三千三が、体操の研究者・指導者として大抜擢された、ということである。
 戦後、GHQ(CIE 民間情報教育局)の指導のもと、体育指導要綱の作成を委託されたのもこの東京体専であった。中心は大谷武一である。

 野口が自身の身体的ダメージと、戦時中の体育教師としての反省と罪の意識によって野口体操を創始することになったのだが、同じ系列の学校に後に東東京都知事となる東が校長として在籍していたことを、今回、はじめて知った。
 多くの日本人が、敗戦をしっかり受け止め、戦時中にとった行動に対して、それぞれに反省と贖罪の思いを秘めて、戦後を生きたに違いない。
 その中から、百人を選べば、百通りの生き方が、そこには展開された、と確信できる。

 そのなかでも野口体操の特殊性、独特の身体価値観は、いかにも正直で素朴である、としみじみと憶う。
 一般常識と照らし合わせると、なかなかに受け入れてもらえないほどユニークな体操で思想だ。
『原初生命体としての人間』という書名が顕すように、地球生命体としての発想による体操に結実していく道程こそ価値がある、と言える。
 正直なところ、始めて体操教室に足を踏み入れたときのカルチャーショックは忘れられない。
「なんて、こった!こんな動きが許されるのだろうか」
 
 しかし、野口の講義を聴き、出来ない体操に食らいついて思ったことは「このような考えを残していきたい」だった。
 戦後を独り真摯に生き、常識的には顰蹙を買うような動きを編み出し、その意味を解く体操の教師がこの日本にいたことを、どこかに残していきたい。
 そうした思いに突き動かされた私の二十代半ばだった。
 
 それから40年近い歳月が流れて、歴史がようやく表に出てきた。
 スポーツと宗教の関係、戦争とスポーツの関係、体育と戦争、体操と身体観等々。
 この道を進むには、いくつもの地雷を踏みそうになる気配を感じている。

 さてさて、11月は野口三千三誕生の月である。なにやら因縁話めいてきたぞ!
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よき資料

2014年11月01日 11時38分27秒 | Weblog
 10月2日から毎週木曜日に日経新聞夕刊に掲載された『(入門講座)「スポーツと文学」』玉木正之 全5回が30日で終わった。
(1)古典に描かれた競技ー日本人の個人技好み映す?
(2)近代民主主義と武道ー国際化と反時代2つの道
(3)20世紀、覆る「精神優位」ー思想を宿し物語る肉体
(4)運動会、躍動のパワー-壮士も近代女性も熱中
(5)「人間ドラマ」礼賛の気風ー競技描いた名作も多く

 どの回も興味深く、示唆に富んだ内容が、短い文章の中によくまとめられていた。
 とりわけ(2)のテーマだった武道の問題は、グローバル化の時代に考えなければならないいくつものテーマを浮かび上がらせていた。
 国際化の道を歩んでスポーツ化した柔道は西洋に呑み込まれたが、剣道や弓道は超然と自立している、という指摘。ずっと気にかかっていながら、読むことをしなかった『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲルを読んだ。弓術を学ぶことで日本の伝統文化に接し、武士道を語っているのだが、このドイツ人の体験による一冊に出会って、漠然としていた武士道が、明確な形を持って眼前に広がってくれた。
 三島由紀夫の『実感的スポーツ論』を、三島にボディビルを指南した玉利齋氏よりコピーをいただいてから15年ほどの歳月が流れた。この(2)と『日本の弓術』を読むことで、一段と三島像が私の中で熟成してくれたような気がしている。そして野口三千三が三島の自決を預言し、密かに三島に関心を寄せていたその意味も雲が晴れるように理解の範疇に入りはじめた。玉利氏から伺った話は別の機会に譲ることにする。

 さて、その剣道、それ以上に反時代性を保持する弓道は旧帝大では明治期からあって、現在にまで至り、しっかり根付いていることも或る学生の話から知ることができた。
 もちろん西欧のスポーツの多くが、明治期に東京帝国大学に導入されたことは『運動部活動の戦後と現在』中澤篤史著 青弓社 でも読んでいた。
 もう一つ、この連載の(4)では「運動会」という日本独自のイベントは、明治16年(1883年)英国人英語教師F・W・ストレンジが東京帝大当局に働きかけ、企画準備し、実際の競技運営迄たずさわり始まった、と書かれている。(『倫敦(ロンドン)から来た近代スポーツの伝道師』高橋孝蔵)
 つまり、東京帝大にはスポーツを通しての欧化と日本の伝統武道の二つの身体文化が、共存していたらしい。
 
 そこで最近手に入った『日本の身体』内田樹 新潮社 の中で、合気道家の多田宏氏は鋭い文明批評眼をお持ちであることを知った。
《西洋のスポーツはルールの下での勝敗であり、上位にあるキリスト教が方向を修正してくれますから。中略。スポーツというのはやはりキリスト教文化圏の概念なんです。ですからスポーツトレーナーが「人間いかに生くべきか」なんて辛気くさいことは言わないでしょう》
 仰せの通り。
 続けて《安らぎは教会や聖書によってのみ得ることができる。スポーツはそういう無言の条件の下で行われる、身体運動なんです》
 ここから先は、ぜひ、本を読んでください。

 勝っても負けている試合がある。負けても勝っている試合がある。つまり勝敗を超越した日本の武道の世界観は人間を深く見つめ、身体と対峙する優れた文化である、と言える。
 
 こうした連載や書物を読んでいるうちに、ようやく野口が三島由紀夫に関心を寄せ、彼の自決の後、野口体操が一段と深められたのか、その一つの答えの道筋が漠然とではあるけれど、見え始まったような気がしている。
 もう一息だ!
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