羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

映画 懐かしさの「快感」

2013年08月28日 09時21分08秒 | Weblog
 昨日の午前中は、シェエクスピアプロジェクトのワークショップで、「呼吸」について講義と実技を行ってきた。さすがに関心が高く、30数名の学生が、皆、集中力を欠くことなく話を聞き、実践を楽しんでくれた。
 湿度が低いとこれほど過ごしやすいのか、と気分もよく帰宅し、昼食後にDVD「地球交響曲」第四番を見た。
 
「龍村ワールドは、何日ぶりだろう」
 障子には、外側に吊るしてある簾の縞模様が、時折の風に揺れる様が透かして見える。
 簾の細い隙間を抜ける日差しは、一夏の終わりを告げている。そんな午後の一時、ひとり座敷に座って、いつものように再生する。
 冊子には
《宇宙の漆黒の闇の中に、まるで一粒の宝石のように浮かんでいる母なる星ガイア》synopsisより

 この四番には「ガイア理論」を提唱したラブロック博士がいよいよ登場し、全編をとおして「地球はひとつの大きな命である」という思想が伝えられる。
 2001年に公開ということもあって、21世紀に育つ子どもたちへのメッセージを携えて創られた映画だ。
 自然の風景のなかに、人間の祈りと希望と愛を描いていく。
 
 ラブロック博士の暮らすイギリスの村の自然。
 サーファーとして大波に乗ったジェリー・ロペスのハワイの海。
 野生のチンパンジー研究家のグドール博士のアフリカの森。
 木版画家の名嘉陸稔のふるさと沖縄・伊是名島の海と人々の暮らしの中の祭り。

 海、森、空、波、雪、描き出される地球を見ているうちに、たっぷりとした呼吸をしている自分に気づいた。
 海の波に漂う幼かった日々の記憶が甦る。
 部屋の中では、語られる言葉、音楽、音が満ちている。そこに窓の外から夏を惜しむ蝉の声が邪魔にならない音量で忍び込み、溶け合うように重なっている。

 目、耳、鼻、皮膚、舌、そして記憶にからだが満たされていく。
 再び、文字を読む。
《地球はひとつの大きないのちとして、40億年の歳月を生き続けているのです》synopsisより

 ふと、翳める思いが……大正時代、浅間山の麓、利根川に近い養蚕農家に育った野口三千三の感性とリンクするものを感じるのは、私の錯覚だろうか……
 どこか懐かしさを覚える自分の感覚も、錯覚だろうか。
 
 三番までは取っていたメモをやめてみた。
 醍醐味は、浸すこと、満たすこと、ただ映像と音楽と音に委ねてみる。
 
 おぼろげな時空を超えて懐かしさに身を震わせる快感! その一言。
 
 
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……少なくとも半数の筋肉を完全に休ませて……

2013年08月26日 08時40分09秒 | Weblog
 1972年、三笠書房から出版された『原初生命体としうての人間』は、その後1996年に岩波書店「同時代ライブラリー」から出された。その後、同時代ライブラリーはなくなったが、幸いなことに「岩波現代文庫」版として読者の手に届けられる。
 
 今でこそこの本に書かれていることは、多くの読者にとって、理解され評価されるに違いない。しかし、1972年当時にあって、どれほどの理解と共感を得られたのかは大きな疑問である。
 にもかかわらずこの本を編集し出版しようと考え、実現した編集者がいたことは驚嘆に値する、と誰でもが思うことだろう。
 もし、という問いかけをしてみよう。
「40年以上前に、この本が日の目を見ていなければ、野口三千三の身体哲学は、永遠に知られることはなかった」
 とほぼ確信している。
 
 たとえば、朝日新聞出版のPR誌は『一冊の本』という名称である。この冊子名は、実に意味が深い。繰り返すが、“一冊の本”としてこの世に出る、という事実は、非常に意義深いことなのだと強調しておきたい。

 さて、本題に入っていきたい。
『原初生命体としての人間』第一章「体操による人間変革」は、もともと1967年『現代の眼』に、「体操による人間変革ー皮膚の内側での創造」という題で掲載された文章に依る。
 この一章に書かれている内容は、野口体操の「核」である。
 実は、先週のこと。これまで38年間、野口体操に関わってきて、はじめて『状態の「差異」を感覚する』という小見出しがついている19㌻~25㌻の内容について、「事実と実感と意識と表現の間にはズレがある」(野口)というそのズレを少しだけ縮めることができる方法に気づいた。
 気づいただけでなく、レッスンのなかでその方法を提示することができた。

《動きが成り立つための絶対必要条件はエネルギーの総量ではなく、同一の系の中において「差異」があること……》
 このフレーズに続いて、そのことを実感するために「腕立て伏臥の腕屈伸」を試して欲しい、と本には書かれている。
 野口存命中に、このテーマは何度なく繰り返して話を聞き、実践も体験してきた。
 具体的に書いておきたい。
 運動に関わる筋肉は、拮抗筋として動く。
 例としてとりあげられるのは、「肘関節」である。
 腕を曲げる時に働く筋肉は内側の筋肉で「屈筋」。
 腕を伸ばす時に働く筋肉は外側の筋肉で「伸筋」である。
 これは解剖学が教えることで間違ってはいない。しかし、実際に「腕立て伏臥の腕屈伸(腕立て伏せ)」をやってみると、腕を曲げる時に働く筋肉は、外側の伸筋である。
 つまりこの動きは曲げる時も伸ばす時も、両方とも外側の「伸筋」が働くのが事実である。

《生きている人間の動きは、まず地球に対しての諸関係によって決定される》
 自分では腕を曲げるために内側の屈筋を働かせているつもりでも、実際にからだの中で起こっている事実は、落下の速度を和らげるために、腕を伸ばす時に働く「伸筋」を収縮させてブレーキをかけている、ということになる。

 この場合、腕を曲げる時も伸ばす時も、内側の筋肉は完全に休んでいて、力が抜けていることが求められる。
 次のような言葉で表現されている。
《運動能力が高いということは、その動きに必要な状態の差異を、自分のからだの中に、自由に創り出すことができることである》

 このことを「腕立て伏臥の腕屈伸」を、行う人と拮抗筋に触って試人と、二人組みになって実験してみる。
 はじめて野口体操で体験する人は、このようなことを考えたこともなく、試してみるまでは「屈筋」「伸筋」という名称に惑わされているの実情だ。
 それでも感覚は、しっかりそのことを実感できる。実感できるが、言葉にする時には、ちょっと自信がない雰囲気でこたえる人が多い。それは解剖学の知識に惑わされるlからだ。
 感覚は知識を超えて、正確に捉えることができる。もしかするとこのようなことは他にもたくさんあるのではないか、というのが野口の問いかけの出発点である。

 次に、例として挙げるのは「懸垂」である。
 この運動は、「腕立て伏臥の腕屈伸(腕立て伏せ)」とは逆の働き方をする。
 内側の「屈筋」だけが使われる、つまり、腕を曲げる時は当然で、伸ばすときも内側の「屈筋」が働く。
 鉄棒があるわけではないので、実際にはそれぞれがイメージとしてつかむしかない。
 このことを理解する多くの女性たちにとっては、「多分そうだろうなぁ~」程度のことで話は終わってしまっていた。

 そのくらいの理解で、私自身も40年近くの歳月が流れてしまった。学生にも鸚鵡返しのようにして、同じ説明をしながらお茶を濁してきたのだった。
「それじゃいけない!」
 本当に思ったのが、恥ずかしながら先週のことだった。
 そこで思いついたのが「木刀ふり」である。
 かつて先生の西巣鴨のご自宅で、「真剣」をつかって剣の扱い方の基本を教えられことがる。その後、自分でも練習をするようにと、水道橋の剣道具店から「鍛錬用の木刀」を買って届けてくださった。
 30数年前のことである。
 その重い木刀を振るには、「真剣」で教えられたことを忠実に行わないと、力のない者には上手く振ることができない。
 相手に打ち込むための方法ではない。できるだけ余分な力を使わずに振る在り方の伝授だった。
 練習する時は、基本の「基」だけに集中する。すると「懸垂」のときとまったく同様というわけではないが、拮抗筋の使い方・有り様は、「懸垂」の時と同様であることに気づいた。
 つまり、外側の伸筋は休んでいる状態、“半分の筋肉は休んでいる”のである。 
 動いていく方向が地球に対して、どちら向きなのかによって、ブレーキ(制御)として働く筋肉は、単純に“屈げる伸ばす”ではない実感がつかめるのだった。
 素人は、力がないと思っている者は、重い木刀を振りかぶり、振りおろすには、満身に力を入れているような気になってしまう。それは事実として「違う」という感覚をつかむことは、本当は誰にでも出来るのだ、と気づかされた。
 もう一つ、足腰も同様で、重さの乗せどころがどこに在るのかによって、下肢は別として、半分の筋肉を休めることが出来る事実を実感することも連動して理解できるようになる。

「懸垂」を行っている時の腕の中身の在り方・半分の筋肉は休んでいること。屈げる時も伸ばされる時も働くのは「屈筋」で、最初から最後まで「伸筋」は休んでいる。
 そうした言葉のイメージをもつだけでなく、実際に「木刀」を振ることで実感できることに気づいたのは、私としてはものすごく嬉しいことだった。

 状態の「差異」を感覚する、拮抗筋の働き方とその関係を、事実としてからだで体験できる条件を見つけるには、これほどまでに長い時間がかかってしまった。
「懸垂」も「木刀」も、おろしてくる時に、重さそのものに任せ切ってしまっては一気に落ちる。それでは危ない。ここで反対側の筋肉が働く理由は、落下の速度を和らげるためにブレーキとして働くことである。
 落下するままに任せたら、止まる時までに丁度良いコントロールが利かない。
 大事なことは、ある点で、ピタッと止めることが出来なければならない、とするならば、減速が上手くできる能力が求められる。減速が上手くできると、自分が狙ったところでピタッと止めることができる。
 物もからだも落ちすぎないために、速度を徐々に和らげる感覚こそ力である、と言える。

 今週の月末の土曜日は、この第一章『状態の「差異」を感覚する』を、再度テーマとして扱ってみたいと思っている。
 なんと、前回のレッスンで、北村さんが一人居残り練習をして、「木刀ふり」の骨をつかみはじめたご様子。 さぁ、もう一押しして身につけていただこう。ご出席ならば、ですが。
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グローバリゼーションとローカリゼーション

2013年08月21日 06時49分25秒 | Weblog
 あの日は、雲が低く垂れれていて、今にも大きな雨粒が落ちきてもおかしくない天候だった。
「地球交響曲」第三番を映画館で見て、私鉄駅のホームに立った時だ。そのホームは地面とそれほど高さの違いがなく、柵がなければそのまま歩いて町に出て行くことは容易い。その場所は駅から少し奥まった飲屋街のようだった。細い路地を、風が抜けていく。もの哀しげな気配が漂っている。時間的に開店にはまだ少しの余裕がある。
 さらに肌寒い風がホームを吹き抜ける。首を少し縮めた後、私は、心を立て直して真っ直ぐ目の前を向く。
 すると目のなかに真っ赤な提灯が先ほどの風の揺れをまだ余韻のように残している姿が入ってきた。大きな提灯は、低いところにあったが、あと2時間もしないうちに軒下にしっかり吊るされるのだろう、などど思いながら電車を待つ時間をやり過ごしていた。

「何ともやりきれない。この悲しさは……」
 丁度、その頃、野口先生は、秋から冬、そして菜種梅雨が始まる頃まで、おろらく気管支炎ではないか、と思われる咳と発熱が、毎年のように繰り返されていた。
 早朝、電話がかかる。やっとの力を振り絞って、か細い声で緊急を知られてくる。すると私は始発電車に飛び乗って、西巣鴨のご自宅まで向かうのが常だった。
 大事に至らないこともあったが、入院することもあった。
 ただ、通う回数が増えるほどに、道々「先取りの悲嘆」にくれることが多くなっていった。
 這うようにして玄関にたどり着いた先生が、鍵を開けているはず。その玄関の戸を開ける前に、必ず涙を拭って、できるだけ平静を保って部屋に入っていった。

 そうした状況のなかで「地球交響曲」第三番を見たのだ。
 出演を予定されていて、撮影に入るその直前に、写真家の星野道夫さんを熊によって失っていた。そうした経緯からか、映画のテーマは「死」と「魂」が縦軸となっていた。残された遺児の笑い顔・泣き顔が、痛ましくけなげで、それだけで哀しみが倍増していった。
 座席に腰をかけていることがいたたまれなかった私には、ホームからみた真っ赤な大きな提灯が、現実に引き戻してくれた。夜になれば、あの提灯に誘われて、勤め帰りおじさんたちが立ち寄る。一杯のお酒で、いや二杯のお酒で、ときにやめられないほどの酒量で、疲れを癒し、憂さを晴らしていくのだろうなぁ~。
「それも現実だ!」

 さて、昨日は、明治大学シェイクスピアプロジェクトで野口体操を指導する初日だった。
 帰宅したのは1時少し前だった。そそくさと昼食をすませ、この第三番のDVDを再生した。
「やっぱり、何も見ていなかった」
 一番、二番よりももっと新鮮に感じられるのだった。
「悲しみは、人を盲目にする」
 あの頃の私は、常に、曇りガラスのこちら側から、あちら側を見ていたのだ、と気づく。
 龍村監督の「地球交響曲」の通奏低音は、「自然とテクノロジーの調和」だ。
 今になって見直してみると、とりわけこの第三番は、グロバリゼーションとローカリゼーションの微妙な関係を描いた作品としての意味が、当時よりも深まったと思う。
 たしかに、歴史の断面を無作為に切り取ってみると、どの断面であっても巨大な文明に押しつぶされる文化の姿が顕在している。規模こそまちまちに異なるが、文明におされて死語となった言葉があるし、それにつれて失われた文化は、数えきれないほどだろう。(幸いにして日本語はまだ生きている。フランス語を話す人口よりも日本語を話す数の方が、いまのところ多いという。しかし、それとて何時までのことだろうか。)

 さて、星野道夫が心寄せた人々は、今、どのような暮らしぶりなのだろうか。
 彼らが守ろうとした「魂のよりどころ」は、今は、どのような状態にあるのだろうか。
 当時、自然を守ることがそのまま“文化の魂・神話の世界”を守り抜くことだった。
 そのなかで命を捧げたひとりの日本人は、本当のグローバル(地球)を生きた命そのものだったことに、今更ながら驚きを覚える。
 ガイアの命を生き、そして命を熊に捧げた写真家の死が意味するところは、とても深かった。

 自然とテクノロジーの調和の道を探る。このことは、21世紀の今となっては、グローバリゼーションとローカリゼーションの関係を見直すことになる。それぞれの民族が悠久の時間のなかで育んできた「魂の依り処」を失わないための見直しでもある。
 こうした意識を覚醒させてくれるのが、この第三番だった。
 一度、失われた言葉や文化を再生させることは非常に難しい。
 生命がその内側に雌雄を得たことが、「死」を生み出した。個人に死があるように、種にも絶滅という宿命が負わされた。だから私たちは、神話を語り、歴史を語り、日常の文化を大切にしてきたに違いない。
 グローバリゼーションに呑み込まれないしたたかな文化継承は、どうしたら可能なのだろう。
 この二つの道に調和という可能性が残されているのだろうか。
 
 つくづく思う。
 酷暑の午後、座敷に座してひとり映画を見直す時間をもらえたのは、何か、大いなる力が働いたようにしか思えない。
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9月21日「からだとの対話」お土産を発見

2013年08月19日 15時57分11秒 | Weblog
 先ほど「地球交響曲」第二番を見終わった。
 この映画も第一番同様に、試写会には私ひとりで伺った記憶が甦る。野口先生は、やはり熱を出して、出席できなかった。
 試写会がおこなわれたのは、確か。。。。。目黒だったか、フィルムセンターの試写会専用の会場だった。
 見終わってすぐに、当時は携帯を持っていなかったので、公衆電話から先生のご自宅に電話をいれた。
 その後、渋谷のスペイン坂をのぼったところにあった映画館で、先生と一緒に公開された第二番を見ることになった。

 さて、その後も、2年おきくらいのペースで、映画は作られていった。
 第三番のときには、野口先生の体調はもっとすぐれず、招待いただいた試写会に私ひとりで見に行くことも出来なかった。しばらくしてから封切りになった映画館で、上映残り少なくなった頃に、ひとり寂しく見た覚えがある。
 そして、第四番がつくられ上映された時には、先生はすでに鬼籍に入ってしまった。

 走馬灯のように、思い出が甦る。
 DVDを見ていると、過ぎ去った時間の中でセピア色に変色していた記憶が、鮮明な色を取り戻していく。
 その記憶の一つに、第四番の公開に当たって、龍村監督に出講をお願いした朝日カルチャーセンターが、季刊で出していた「CULTURE」誌に、文章と写真を載せたものがあることを思い出した。
 さっそく、昨年、デジタル化した資料を検索した。そしてコンピューターのドロップボックスから、引き出したが、同時にそれ以前に第二番が封切りになった年に、おなじく「CULTURE」誌に、私が投稿した短い文章も発見した。
「そうだ、これは参加された方々へ、お土産としてコピーしてもらおう」

★1995年 夏号 「ひろば」『生と死と霊と……そしてワルツ」当時八十八歳の大野一雄氏と八十歳の野口先生が、半世紀近くの歳月を経て、朝日カルチャーで再会を果たした時のことと、第二番に登場したジャックマイヨールのグランブルーの世界を「ワルツ」というキーワードでまとめたもの。

★2001年 秋号 「地球への思い」と題して、龍村監督、羽鳥、伊藤孝士(当時・国立天文台助手)が寄せた文章が3㌻にわたって掲載されているもの。

 現在、担当者の方に、PDFをメール添付して送信しようと思う。
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幸せな時間

2013年08月17日 14時48分12秒 | Weblog
 今週は、一日おきに来客があった。迎えるための準備をし、お客人が帰った後は、ともに過ごした一時をふりかえる楽しみがある。
 そして、本日、朝日カルチャー土曜日のクラスは、盆の休みでレッスンがない。久しぶりのことだ。ちょっとした開放感を味わっている。

 そこで朝から、龍村仁監督の「地球交響曲」第一番を見た。
 20年以上も前になるだろうか。京橋のビルの地下、小さな会場で第一番の試写会が行われた。その時、野口先生は熱を出して、私ひとりで出かけていった。
 今、再びDVDで見直してみると、「あの時、何を見ていたのだろう」と、改めて思う。
 確かに、感動して泣いた。そのシーンは、野生動物の孤児院で、象の世話をしているダフニー・シェルドリックとエレナの物語だった。
 密猟の餌食となった母を失い孤児となった子象を育て、野生に戻す活動をしている女性の手助けをするのは、2歳の時ダフニーに救われ育てられたメスのエレナである。エレナは孤児院を出て、今ではブッシュの中で暮らしている。そこで子象を野生に返す前に、エレナが野生の生ものとしての智慧を授ける役割をになっているのだ。
 撮影が行われたその年も、時期を見て子象を野生に戻すために、エレナに預けることになる。
 まず、小さな子象が生きていくための下草が十分に育っているかを確かめ、エレナとの再会を果たすためにダフニーは彼女の名前を何度も呼ぶ。すると何処からか声を聞きつけたエレナがゆっくりとやって来るシーン。
 BGMは「蝶々夫人」から「ある晴れた日に」ソプラノのアリアである。その音楽とともに、象の素晴らしい能力が語られていく。
 例えば、密猟者に殺された仲間の象の牙を抜く行為を行う。つまり、殺されるのは「象牙」を取るためだ、と象は知っていること。
 例えば、仲間の象が亡くなった場所を何度も訪ねて来る。つまり象には“死の認識”があること。等々。

 試写会では、このシーンですっかり泣かされた。一つには「ある晴れた日に」のオペラアリアが重なっていたのだった。

 ところがである。
 今、思うことは、「あの日は、いったい何を見ていたのだろう」ということ。
 まったく何も見ていなかったに違いない、と思えるくらいに、今回は新しい映画を見ている。
 年を重ね、この20年間にいろいろな出来事が起こったゆえの、今の理解なのだろうか。
 うぅ~ん。

 午後になってから、無性に『装身具に貞く』野口三千三授業記録の会で残してきたDVDが見たくなった。
 こんなステキなレッスンだったのだ、と、ここでも溜息が出る。
「芸一代。誰も真似はできない」
 そんなことは言わずもがな。つくづく、先生のレッスンの記録が残って、よかった!

 さぁ~、気を取り直して、9月に龍村監督と再会する日までに読んでおきたいと準備してあった本のページを、手当たり次第くってみる。
 これから読み始めよう、と、一冊を選び出した。

 この静けさ。
 しばらく“龍村ワールド”と“野口ワールド”を並行しながら、同時に味わうことにした。
 映像作品を見ながら「からだとの対話」の準備をするのは、今のところは幸せな時間が流れていれるようだ。
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野口体操のマッサージ

2013年08月11日 15時47分08秒 | Weblog
 8日の「からだとの対話」鴻上尚史さんとのセッションの準備は、ほぼ一ヶ月前からはじめて、最後の一週間で資料とそれに付随するKeynote作成、お土産として渡すものの選定、当日のタイムスケジュールとその大まかな内容について考えまとめていた。
 その間、最近は遠ざかっていた演劇の舞台、NHKオンデマンドで「クールジャパン」を過去に遡って見ていた。

 第二弾を希望されるほど、予想以上の好評をいただいた。
 さっそく9月の龍村仁監督を迎える準備を本日から始めた。
 まずは、「ガイアシンフォニー第七番」のDVDを見ること。
 世界各地の伝統医療と西洋近代医学を統合する「統合医療」の世界的第一人者であるアンドリュー・ワイル博士が夏の間に暮らす場が紹介されていた。そこはコルテス島。島では、統合医療の実践が行われている。ワークショップは、ヨガ、気功、マッサージ等もある。
 で、そのマッサージの方法が、野口体操で行われているのとまったく同じ方法が映し出されていた。姿勢の取り方は、直接、膝枕のようなことはないが、基本的には同じなのだ。このことは、ぜひ龍村監督に直接伺ってみたいと思っているテーマの一つになった。

「人はなぜ治るのか」
 動的平衡の考え方は説得力がある。
 環境と食事と生薬の力、からだに対する考え方等々、野口体操の身体観と通じるものが多い。

「日経ヘルス』2006年3月号「柔らかくゆらゆら揺らすとストレスも凝りも溶けていく」と題して野口体操のマッサージを、当時はデスクで現在は生命科学ジャーナリストとして活躍している北村昌陽さんが紹介してくれた記事でも読んでいるのではないか、と思うほどの共通点が見られた。
 これは驚かずにはいられなかった。

 ワイル博士の著書を読むことも大切である。しかし、それ以上に彼が暮らす自然のなかに佇む“神道建築様式を取り入得れた自宅”、ツーソンの祈りのストーンサークル、7番全体を貫く日本古来の自然観との関係のなかで、話を聞くことからイメージが膨らむ力は大きいと感じた。人は理屈だけでは共感は生まれない。そうした意味では映画のもつ訴える力は、非常に大きいと思う。
 
「からだとの対話」野口三千三生誕100年の記念講座のイメージが、少しずつ輪郭をあらわしてきた。
 野口体操の再発見につながりそうだ。
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盛会で、楽しかったでーす!!

2013年08月10日 08時16分00秒 | Weblog
 8月8日、「からだとの対話」野口三千三生誕100年。ゲストは演出家の鴻上尚史さん。
 満席の会場は、熱気に溢れ、終始笑いがたえませんでした。楽しい1時間30分があっという間に過ぎていきました。

 当日、神戸から、小田原から、その他遠方から出席された方々もいらして、ご参加いただいたお人おひとりに感謝です。ありがとうございます。

 そして、裏方の皆様にしっかり支えられました。どれほどこころ強いことだったか、この場を借りてお礼です。
 あっと、忘れてはいけません。両肩にのって野口先生も見守ってくださいました。

 末筆ですが、鴻上尚史さん、ありがとうございます。
 お蔭さまで、さい先いいスタートをきることができました。
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資料づくり

2013年08月07日 19時06分15秒 | Weblog
 今日は、一日かけて明日8月8日の『「からだとの対話」鴻上尚史さんを迎えて』の資料づくりに精を出した。
「野口三千三と野口体操」と題して、A4 2枚でおさまるように、箇条書きで作り上げた。
 先週からはじめていたのだが、最初はまず一気に文章にした。日本語は主語をたてないので、後から読み直しながら、主語をててみると、「野口体操」と「野口三千三」と二つの主語がたつことに気づいた。
 そこからが大変な作業となった。
 一方でKeynoteで、同じ内容のものをつくっていた。こちらには写真を入れることができるので、まったく同じ文章ではない。先ほど、母に見せながら読みとおしてみた。すると誤植を見つけて直しをいれて、殆ど完成にちかいところまでたどりついた。写真をみて笑っていたり、文章を聞きながら、「ふ~ん」とうなずいてくれたり、難しいところや、長いところは、時間をみながら割愛した方がいいとか、意見を言ってくれた。

 そして、参加してくださった方には、お土産になるように、先生が書かれた活字になった資料を用意した。

 あとは明日になってから準備することがいくつかある。
 なんとか見当がついてきたが、はじめての試みで、どのような展開になるのか、期待と不安とが入り交じっている。これまでに鴻上さんとは、4回ほどご一緒している。最近は、少し間があいて、何年ぶりがだろうか。

 久しぶりお会いするのが楽しみだ。
 そして毎日、NHK BS「クールジャパン」で司会をされているのだが、とても面白い番組で、ついつい見入ってしまう。「かっこいいニッポン!発掘」。とうとうオンデマンドで月きめの申し込みをしてしまった。
 これは便利だ。以前のように録画することもしなくなったので、オンデマンドに限るかもしれない。
 BS放送も、早々と入れて、早々とやめにした。こうして見られるのだから、いいことにしよう。

 画像や音声には欲はない。自分のパソコンで、自由にできるのがなによりだ。その上、iPhoneでもiPadでも見ようと思えば見られる。自宅のパソコンで見るのが基本ですが。

 ということで、本日はもうこれで、おしまい。
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「おへそのまたたき」という動き

2013年08月06日 09時30分23秒 | Weblog
 野口体操に「おへそのまたたき」と名付けられた動きがある。
 何を大事にするのか、というと「働く筋肉の数は少なく、働く時間は短く、働く度合いは低く方がいい」という考え方で動きを成り立たせる。このことは、腹筋運動だけではなく、殆どの動きに共通の原理としている。
 まず、野口体操の公式ホームページ「Webレッスン」で、動きを載せている。スクロールしていくと「上体のぶらさげ」「やすらぎの動き」「胡蝶の夢」につづいて出てくる。
 先週のこと、腹筋が緩むと腰に近い背中側の筋肉が緊張する瞬間があることに気づいた。そして、動きの経過でからだの前と後ろ筋肉の働きが、交替するタイミングが案外難しいことも判った。
 実は、後ろ側が働くときは、胸も頭も力を入れずに反った形になる同時に近い少し前の出来事である。
 あとは、できるだけ速く腰の力が抜けて仙骨が動くと、背中側の筋肉も緩んでくる。
 言葉にすると難しいが、それ以上に行う人のからだの条件がまちまちなので、実際は言葉通りにはなかなか上手く動かないのが事実かもしれない。質のよい練習を重ねる意味があるのかも。

 他にも「腕まわし」「腕立てバウンド」等々、新しい視点から見直してみた。
 土曜日、日曜日、二日続けて、同じテーマでレッスンをしてみたが、長年つづいている人にも、はじめての人にも、新鮮な感覚で動きを吟味してもらえたようだった。

 まとめると《 初動には、力が入る。しかし、出来るだけ速く緊張がとける『解緊』の感覚を磨く。伝えられて動くことは、「おへそのまたきの原理」が活きて、つぎつぎ交替する働きが可能になる。拮抗筋の交替感覚が研ぎすまされてくると、滑らかな動きが約束される。 》
 
 意識にのぼらない状態で、からだは自然に動いているのだが、時に意識化・言語化してもらうと、出来なかった人にとって、動きの扉が開かれて来ることもある。

 最終的にハードとしてのからだにとって、いちばんの基本は「やすらぎの動き」だ、と皆が気づいてくれた。
 注:開脚長座姿勢をとって、床にべったり骨盤を含む上体が落ち着いて、力が抜ける動き。

 いやはや、言葉で書くのは何ともむずかしい。
 とにかく動きが一歩前進した二日間でした!
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幼なじみ

2013年08月01日 07時12分37秒 | Weblog
 NHKの朝の情報番組を見ていた。
 その日のテーマは「ベビーカーの公共交通利用」だった。
 結論は、専用の車両なり、専用の空間をつくる工夫があって欲しいが、それは無理な注文らしいことが次第にわかってくる。とりあえずは、周りの人への「声かけ」しかないだろう、という話で締めくくられていた。

 さて、先日、立川ルミネにある朝日カルチャーセンターの講座を終えて、Mさんにお茶を誘われた。
 エレベーターで一つ降りた8階にある「和カフェ ユソーシ チャノマ」、現代のお茶の間をコンセプトにしたカフェに案内された。
「こんなところもあるんですよ!」
 一歩踏み込むと、すぐ目に入ってきたのは、赤ちゃんだった。
 心を落ち着かせてよく見ると、お茶や軽い食事を楽しんでいるママたちがいた。
 靴を脱いであがる広縁に、ちゃぶ台と座布団とクッションがおいてある。
 すやすや寝ている赤ちゃん、目をぱっちり開けて通りかかる人にあやされている赤ちゃん、不思議なことに泣き声はまったく聞こえてこない。

 そこは空間のいちばんはしにある。
「お店内全体を、見渡せるんだ」
 ママたちの穏やか表情は、その開放感からくるに違いない、とすぐ理解できた。
 床の茶色に、グレーがかった白を基調にしたインテリア。店員さんたちも清潔感にあふれ、女性は殆どノーメイクに近い化粧をしている。
 ちょっとだけ身だしなみを整えた若いママたちに抱かれた赤ちゃんが、自然に溶け込んで、“やわらか~な空間”に、ゆったりした時間が流れていた。

 しばらくそこに滞在し、4時少し前に店をでたのだけれど、その時にはもう一組しかいなかった。
 お昼間の一時、赤ちゃん連れでちょっと立ち寄ることができる場があるっていい。
 
 ~~ 私の記憶は、半世紀前に引きもどされた。
    セピア色の映像のなかに、かつてのありふれた風景が浮かぶ。
 庭に面した縁側で、近所のお母さんが集まって、お茶を飲みながらおしゃべりに花を咲かせる。
「おねがいしまーす」
 ちょっと急な用事ができても、何気なく赤ちゃんを預かってもらえる。そんなに長い時間、頼むわけではなく、「お互い様」の関係が自然につくられていたっけ。
 夏は、お兄ちゃんやお姉ちゃんもいっしょに、庭に咲くタチアオイの花のそばで行水をしている。
 冬は、ひなたぼっこをしながら、学校へ上がる前の年頃の子どもたちが、赤ちゃんをあやしたりしている。
 縁側は、なにより開放感があった。内でありながら外とつながっている。
 ご近所のお年寄りも立ち寄って、一服しながら一休みしていく。
 皆が子どもたちや赤ちゃんやお年寄りを見守り、またお年寄りも見守られるだけではなかく、それまで生きてきた経験の智慧を伝えたりしていた日常が、そこここに見られた。
 懐かしか~~。。。。。。
 
 立川駅の雑踏を抜けて、一気に階段を下り、JR中央線の東京行きに乗り込んだ時、閉まりかけたドアの窓のガラスに、幼なじみの顔が浮かんだ。
「あれっきりになってしまった!」
 すっかり消息が途絶えて、さよならが言えなかった別れに、一抹の後悔と寂しさがよぎった。
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