羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

真冬の午後……微かな嫉妬

2008年01月24日 08時43分14秒 | Weblog
 東京都美術館では、毎年、「回瀾書展」が、この時期に開催される。
 今年は56回だった。
 知人は、今年から同人になったらしい。書道暦10年というが、その腕前は相当なものだ。

 なんと三種も出品している。
 
 紀貫之

  冬ごもり おもひがけぬを 木の間より
  花と見るまで 雪ぞふりける

 そのほかに夏目漱石の俳句等々。

 かな書きは、存命の作家のものを選ぶと、表記と著作権でいろいろと問題があるそうだ。
 紙の上に文字を乗せたとき、どのような空間構成になるのかによって、普通の人間にはまったく想像もつかない変体仮名を使うことが多い。それで、存命の作家では許されない文字になったりすることが主な理由とか。

 そこで必然的に、西行だったり、定家だったり、今度の貫之だったりするそうだ。
 いやはや毎年、ここに足を運ぶと、わが身の不勉強を恥じている。

 しかし、和紙に染みこむ墨の色は、人がつくりだす作品として、美しいものとおもうのだが。
 この世界も、一歩、足を踏み入れると、なかなかに大変だ。
 一しきり知人と連れと3人で話しお暇をしたのは、2時半を少しまわっていた。

 美術館を出て上野公園の寒さが、むしろ気持ちよく感じられたのは、きっと館内の暖房が効き過ぎていたせいだろう。うっすらと汗ばんだからだが一気に冷やされた。
 顔をあげて、噴水の手前に設置されている‘せともの市’のテントに目をやると、さすがに客の姿を認めることはできなかった。
 ただテントの入り口には、「甘酒」と赤い文字で書かれた旗が、寒風にさらされ揺れていた。その様子が、公園内に寒気を一層強く呼び込んでいるかのように映った。
「短冊にここで一句したためて」といきたいところだったが、句も浮かばなければ持つ筆もない無調法な身に、一瞬間ではあるが忸怩たる思いが去来した。

   ******

 巷房の造形といい、書道といい、空間をどのように切り取り表現するのかという、高度な精神活動にちょっぴり嫉妬を感じた真冬の午後だった。
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