羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

語感の辞典

2010年11月28日 12時49分46秒 | Weblog
 野口体操をはじめてかれこれ35年。
 物も増えたが、本と辞書はもっと増えている。
 辞書に関しては、野口先生のお考えで、‘一冊ですますな!’。
 つまり、一つのことを調べるのに当たって、あれこれ複数の辞書なり辞典を引くことをすすめられた。
 
 まず『広辞苑』はもとより、手元に置いて重宝するのは『岩波 国語辞典』である。
 さらに、現在、日常的に使っている日本語をより深く知るためには、古語を調べる。 とりわけ語源に遡って言葉を調べることで、言葉が身体を持ち・実体を得る。そのために推奨されたのは『岩波 古語辞典』大野晋編であった。

 なかでも原稿書きに欠かせないのは、先生からいただいた『角川 類語新辞典』大野晋+浜西正人著だった。この辞典は、野口体操と縁が深い杉浦康平氏が本文構成者としてかかわっていらっしゃる。
 全体が「自然、人事、文化」に分けられ、その中が更に細かく‘0から99項目に’分かれている。完全に使い切るところまで使い切っていないが、とても引きやすい構成になっているのは、さすがだ!

 そして昨日手に入れたのが『岩波 日本語 語感の辞典』中村明著だ。
 まだ、丁寧に読んでいないが、かなり優れものの印象が伝わってくる。
「まえがき」を読んだだけでも、襟を正して言葉に向かわなければならない気持ちに導かれる。同時に‘もっと小説を読まなければ’や、読みたくなる思いが沸々と湧いてくる内容なのだ。
《表現の外面から発想の内面へとそのレベルを順にたどってみよよう。中略。浅いレベルは、どんな文字で表記するか。中略。少し深いレベルには、言葉選びがある。云々》とある。
 
 ぱらぱら捲っただけだが、類義語辞典より踏み込んで、語感を知るために詳しい内容の辞書は今までになかった。言葉のニュアンスをイキイキと的確に示す大切な記述が、参考資料として文学作品に出てくる生きた実例を添えてくれたことだ。
 本当は自分でたくさんの文章を読み、たくさんの話を聞いて、知識としてではなく知らず知らずのうちに血肉として蓄えられたら申し分ないと思うのだが。

 さて、この辞書は、無作為に開いたページから、目に入った言葉を読むことが楽しく、「そうそう、そう」と頷いて、つぎにすごく得した感じがするから不思議だ。
 たとえば【字典(‘もじてん’とも)・事典(‘ことてん’とも)・辞典(‘ことばてん’とも)、字引、字書・辞書】を引いてみると、何となく使い分けていた言葉のニュアンスがより鮮明になって‘スカッと気分’が味わえる。
 
 そこで思い出すことがある。
 何でも小泉純一郎氏は進次郎氏に「政治家にとって言葉は命だ。辞書を手元に置いてことあるごとに引きなさい」とおっしゃったとか。真偽のほどは確かめようもないが、以前、小耳に挟んだことがある。

 さぁッ、思わぬ落ちがついたところで、今日のブログ書きはお終い、としょッ!
 (御免、急に話し言葉になってしもうて……)
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月並み

2010年11月27日 08時49分47秒 | Weblog
 月並みな言い方だが「光陰矢のごとし」、年末が近づくと、更に時間の流れのテンポがはやくなる。
 11月の四週目も、とうとう本日までとなった。

 さて、今週、月曜日の出来事。
 私は、大学の授業のために朝9時台のJR中央線に乗っていた。
 すると新宿駅で警察官が三名乗り込んできた。
 彼らの制服の下に隠されている体躯には、相当に筋肉がつき、訓練されているのがわかる。全員、背も高くがっしりとした体格である。顔の表情は、さすがに民主国家の警官らしく、体ほどの厳つさはない。
 
 8時台のラッシュを抜けたこの時間帯になると、四ッ谷駅まででほとんどの乗客は降りてしまい、つり革につかまっている人も少なくなる。
 そんなこともあって乗り合わせている客の様子が、つぶさに見えるようになるのだ。
 そうなるとはっきりとは見えなかった三名の警察官の腰のものが、‘そこにあること’が、顕れてくる。毎週、ほぼ同じ時間に乗っている朝の通勤電車中、日常の風景のなかに、こうして警官を見ることは稀でなのである。
 
 その日は、彼らが携帯している拳銃が、‘非日常’をもたらしているように見えたのだ。交番や町の巡回に、目にするのとは全く違っていた。これが異国の兵士だったら、とても恐ろしいだろうなぁ~と思った。
「いや、待てよ、もっと怖いのは、隠し持っている銃器や刃物かもしれない」
 そんな言葉を頭の中で積み重ねつつ、御茶ノ水駅で私は降車した。
 思わず目を凝らして、ドアが閉まりかかった車中をみると、彼らはまだ乗っている。
 よく考えれば、武器を携帯した職業の人が、朝の電車に乗っていることが珍しく映る日本の治安は、よいことの証明だ。
 
 その後、隣国に起こったニュース映像を見るにつけ、いちばん大事なことを多くの人が改めて感じたことだろうことを私も思った。
 次第に量も増えていく映像に見たものは、民間人が‘自分の身は自分で守る’、守れる範囲の閾は超えてしまうことへの恐怖だ。
‘月並み’であることの大事さを痛感している週末である。
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龍馬暗殺まであと四日

2010年11月24日 18時37分58秒 | Weblog
 昨日、NHK・GTV午後1時05分「スタバ 龍馬伝最終回直前 福山雅治が生出演!」を見た。
 魅力ある役者だ。ますます福山龍馬にぞっこん!の私。

「龍馬暗殺まであと四日」
 はっきり香川照之の声だ。
 最終章になってから放送最後に流れるナレーションが、先ほど聞こえた。
 まさに幻聴である。
 
 こうして、一日が終わる。
 日が落ちて また 日が昇る。
 あぁ~、あと四日か。

 史実を枉げるわけにはいかない。でも龍馬さんを殺さないで、と言っている私。
 いやいやそれでは、話にならない。
 命を賭して幕末を駆け抜けたからいいのだ。
‘まさか’を実現し、誰もが‘ありえない’とした道を開いた。
 史実に何かが足されていても、削られていても、それでいい。
 
 最終回をはやく見たい。
 同時にゆっくり時間が流れてほしいとも願う。
 たかがドラマ、されどドラマ。
 いや久々に凄いドラマである。
 すっかり魅了されている私。

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言葉の言い換えと……

2010年11月23日 08時32分07秒 | Weblog
 ある日のこと。
 それは深夜の出来事だった。
 
 どうやら母が目を覚まし、動き出している気配を感じて、目が覚めた。
「どこにいるの。ご飯でしょ」
 声がする。
 仕方なく起きだし、母のそばに行った。
 見るとセーターやズボンを身につけている。
 ちょっと声が荒立った。
「まだ、夜中の一時半よ」
「何言ってるのよ。ご飯だって起こしたじゃないの」
 そうむくれている母に説明をして寝床に戻し、パジャマの上に着込んだ服を脱がせて寝かしつけた。年をとると関係が逆転することを実感した瞬間だった。

 で、私も床に入ったが目がさえて眠れない。 
 思い起こせば、寒くなった数日間、‘ご飯ですよ’と言って、母を起こしていた。きっと夢をみて寝ぼけたに違いない。けなげにも時間にちゃんと起きて朝食を一緒にとらなければいけない、と彼女なりに真面目に思っていたのだ、と気づいた。
 
 翌朝は、敢えて夜中の出来事には触れなかった。
 そして、その後は、隣の部屋の雨戸をあける音で目覚めを促し「おはよう、部屋はあったまったわよ」と、声をかけるようにした。間違ってもバタバタと‘ご飯よ、起きて’とは言わないことにしたのだ。
 大成功。
 床から身を起こして、ささっと身支度をすませ、部屋をざっと片付けて、起きて来るようになった。結構、ご機嫌がいい。
 で、最近ずっとやっているように、居間のソファにまず腰掛けた頃合をみて、温かいお絞りを母に手渡す。
「ありがとう」
 滅多に言う人ではないのに、芯から嬉しそうに必ずその言葉を返してくる。
 
 そこで気づいた。朝の「おはよう」と「ありがとう」を、大きな声にして年寄り自身が言うことが、自らの心を安定させることになる、と。

 人は幾つになっても孤独がいちばんからだに毒だなぁ~。
 もうしばらくこのくらいの状態を維持してもらいたい。
 お年寄りとの同居は、一工夫の積み重ねだ。
 上手くいくことといかないことがある。そのあたりは適当にお許しいただこう。いい加減がいいんだよ、って誰かが言っていた。
 
 教訓。
「もつべきものはよき娘なり」
 あぁ~、私はによき娘がいない。どうしよう。
 でも、まぁ、その時はその時、と思える今は少し余裕かな!
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舞台あいさつのこと。そして、撫明亭のご亭主をさがせ!

2010年11月22日 19時02分59秒 | Weblog
 生まれてはじめて映画の舞台あいさつに接することが出来た。
 銀幕の前で繰り広げられる華やかさは、独特の雰囲気を作り出すもの、と知った。
 先週の土曜日、「レオニー」の初回が終わった昼の出来事だった。

 野口米次郎役の中村獅童さんは、モノトーンでそろえたラフな服装だったけれど、洗練されたセクシーさが滲み出ていた。打ち合わせ済みとはいえ、プライベートな地雷を踏みそうで踏まない司会者の質問に、極めて高感度な受け答えしていた。なかなかに印象深いアピールだったなぁ~、と思う。
 割の良くない役柄を、あの舞台あいさつで帳消しにされたような気がする。
 スマートに質問に答える、という勉強をさせていただいた。
 私の場合、生かすときはないとは思いますが……、でも人生何がおこるかわかりませんからね。(笑)

これからご覧になる方へ↓
 
 すでに映画を見た方々と話したところ、‘旦那が店から出てきて丁度通りかかったレオニーに意地悪な一瞥を投げかけるところ’と‘帝国ホテルのフロント係がお客様を案内するところ’の二箇所に出ている撫明亭のご亭主が見つけられなかったとか。
 特に帝国ホテルロビーのシーンでは「お客様、あちらでございます」と言う台詞がしっかり聞こえてきたんですけど。ウゥッ、幻聴だったのかな? 仕草が言葉を発していたのかもしれない。
 確かに、あっ、アッ、という瞬間ですけどね。
 ぜひ、それらしきシーンが近づいたら、よーく目を凝らし、息を潜めて見てください。そこだけは‘映画に見入ってはダメよ!’それじゃ、鑑賞にはならない、とお叱りをうけそうですけど。
 わが85歳の母曰く
「(そこだけは)巻き戻して、一時停止したいわね」
「ごもっとも」
 いやはや身内感覚とはこのこと、であります。
 
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グローバル映画「レオニー」誕生

2010年11月21日 08時20分53秒 | Weblog
 封きり初日、どうしても一回目を観ておきたかった。
 ひとり、ふたり、人気の少ない会場の座席に身を沈めた私は、iPhoneでバッハの平均律クラヴィーア曲集のプレリュードとフーガを、上映までの20分間に何曲聴いただろうか。
 こうして日常を断ち切って、映画を見る準備は整っていた。
 
 ところが、いざ、始まって、混乱に陥った。
 日本映画だ、と思っていた先入観がグラグラと崩れていく。
 はやいのか遅いのかはわからないが、30分過ぎたころ、はたと気づいた。
「グローバル映画だ!」
 叫びたい衝動に駆られた。
「ニューヨークで観たら、日本語の部分に英語の字幕が入るのね」
 うぅ~ん。素敵。
 それも字幕の量は、英語から日本語変換より、はるかに少なくてすむのよ。
 現代の映画界にやってきた黒船は、日本の一人の女性が船長だった。
 
 かつては杉村春子演じる「女の一生」が、演劇界で金字塔を建てた。
 そして、今、日本人女優からバトンを受け継いだロンドン生まれの女優エミリー・モーティマーが、現代版「女の一生」を銀幕で見事に演じた。
 すでに船は出港して、次なる港に向かう航路にのっている。たぶん。

 映画は、1800年代19世紀末から1900年代20世紀へ、日本が日清日露戦争で幻想とも言える国家の高揚感を抱いたままの時代を丁寧に描く。対極に米国が幻影のように描かれる。そのなかで一人の‘人間’が存在感を得るのだ。その人は‘女’であり‘芸術家’だった。そして、その主人公は、そのまま監督自身に重なる。
 Introductionにある言葉《100年前、ひとりで日本の地を踏み、天才を育てた女性がいた。彼女の名はレオニー》を、そのまま監督に差し上げたい。
 100年後、多くの人とともに米国の地を踏み、グローバル映画「レオニー」を生み出した女性がいた。彼女の名は松井久子。

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政治音痴・外交音痴じゃすまされない

2010年11月19日 09時00分50秒 | Weblog
 昨日、外出準備を終えて、階下におりた時のこと。
 見てもいないテレビが、母のそばでガンガン鳴っている。
 国会中継らしいが、なにやら騒々しいやり取りに、しばらく見ていると、仙谷官房長が‘暴力装置’と発言するのを耳にした。
「まずいじゃない。またまた失言……」
 政治音痴の私でさえ‘とんでもないよな~この言葉’と思った。
 すぐさま取り消し、謝罪するところまで見て家を出た。
 再びの失言。何んと?ムムムッ、言葉が耳に残って、道々、菅内閣もそろそろ店じまいかな~!とつぶやいた。

 午後、授業を終えて帰宅。夕食後に日経の夕刊を開いた。
 真ん中には憮然とした表情の仙谷さんのお写真。その周りに人脈図が載っている。
《チーム仙谷 フル回転》【永田町インサイド】の記事に目が引き寄せられた。
 首相を越えた人数を従え厚みのある人脈チームであることが明々白々。
 
「仙谷さん、鳩山総理に話を残して、最後の発言してください」
 去る4月に内閣府会議室で聞いた「新しい公共」のシンポジウムで、仙谷氏と当時の総理鳩山氏に、二人に閉めの言葉を求める司会者の発言からしても、その後「影の総理」と呼ばれるようになることが十分に察せられる一場面だった。
 あの時の仙谷氏は大番頭って印象だったが、今は違う。掲載されている写真が顕しているように、しっかり次を睨んでいるなって感じだ。

 いやはや、日本はどこに向かうのか。
 こうなると、‘政治音痴’に甘んじてはいけないかも。混迷の時代を生きる知恵を身につけねば、と思いつつ新聞上の視野を横にずらす。
 そのとき《地図で読む 地政学-3-》が目に入った。
 そして、一行目に目は釘付けになった。
『英語併記のベトナム地図には「South China Sea」(南シナ海)という言葉はない。中国に1000年にわたって支配された歴史とカンボジア内戦に絡んだ1979年の「懲罰攻撃」の記憶が、ベトナム人の心に刻まれているためだ』
 なるほど。地図の上からも歴史と民族の恨みを読み取ることが出来るのか。
【南シナ海を巡る領土問題】
 キャプションがついた地図が、記事には添えられていた。(ハノイ=岩本陽一)とある署名記事だった。
 
 外交音痴などと言ってはいられない現実が、地図から伝わってくる。

 日経新聞 2010年11月18日(木)【政界】を読む。 
 
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喜劇鑑賞……そして龍馬伝

2010年11月16日 11時05分34秒 | Weblog
 今年も明治大学文化プロジェクト公演をみた。
 出し物はシェイクスピアの「夏の夜の夢」だった。
 先日の日曜日、昼時の電車はとても空いていて、耳にiPhoneのヘッドホーンを差し込んで、バッハの平均律クラヴィーア曲集チェンバロ演奏を聴きながら、御茶ノ水のアカデミーホールまで出かけていった。
 なぜか、この日は往復ともに音楽を聞き続けたかった。
 日常から脱して、非日常の一日を遊びたかったのだ。

 さて、今回も、学生たちが作り出した舞台は、非常によく練り上げられていた。
 終始、笑いが止まらなかった。みんなよくやったね!
 練習の途中はもの凄く辛いらしい。授業に出席しながら夜までの稽古だ。学生によっては日付が変わってようやく家路にたどり着き、翌朝は一限(9時)から授業に出る毎日を繰り返すことになる。

 若いということはそれをこなして、本番を迎える。
 彼らが醸しだす高揚感は、羨ましい限りである。
 どのレベルで批評をするかだが、今年も褒めてあげたい。

 悲劇より喜劇の方がはるかに難しい。白けさせずに笑いをとる。ここに関しては相当に成功している。舞台を縦横に動き回る男女は、プロだったらあそこまではやらないかも?と思わせる‘からだを張った’動きとダンスだ。
 ひとこと。照明にもうすこし積極的な語彙で語らせてもよかったかな~。

 いずれにしても‘風刺’がもっときくには、年齢の問題がかかわってくるだろう。それは望むところが無理と言うものだ。
 しかし、シェイクスピアは、異文化であり時代も離れた若者解釈にも耐え、人間の本質を際立たせる力を持った戯曲を書いたことだけは伝わった。
 そして‘ことば’‘コトバ’‘言葉’‘詞’が、戯曲の屋台骨をしっかり支えていることがあって、極まった馬鹿馬鹿しさから、人間の本性を浮き彫りにできることがわかる。

 帰りは三大テノールが奏でるオペラアリアを聴きながら自宅の木戸をあけた。
 良質の笑いは、人を幸せにしてくれる。
 学生たちもよくやるけれど、大学も自由によくやらせてくれた、と今年もおもったのだった。漲るものがある場に身を置ける幸せ感も手伝っての満足かもしれない。
 どれか一つが欠けても成就しない。全てが関係のなかで生き、生かされているのである。

 夜は「龍馬伝」を見た。山内容堂・後藤象二郎・坂本龍馬、三者の思いに武市半平太が絡んで息を呑む転回。歴史が史実が如何様であろうと、人間のドラマ、変革のドラマとして終盤の見せ所を堪能した。ふーっ。。。。
 二本立ての映画をじっくり見たような日曜日だった。
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チケット完売、そして吾は牧水の心境で

2010年11月11日 09時36分11秒 | Weblog
 映画「レオニー」の特別鑑賞券の委託販売をお引き受けして、最後に残してあった数枚も、昨日で完売いたしました。おかげさまです。
 11月20日封切りです。
 皆さんに20日(土)、21日(日)に行ってください、とお願いしています。
 内輪話ですが、最初の出足と人気度で、ロングランが決まってくるとか。
 殆どの方が、ありがたいことに、その日のどちらかに見に行くという約束をしてくれました。映画館で知った顔に出会う確率、大きそう!

「角川シネマ新宿」で見たあとは、ゴールデン街に繰り出して映画談議ができるバーに立ち寄るとか。学生から教えられました。うふふふ。。。。。。
 いやいや、それぞれの楽しみがあっていい。
 でも、私は、まず、一人静かに余韻にひたってみたいです。
 
 若山牧水がこんな歌を詠んでいます。

《 白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり 》

 今日も蛇足:下戸の私には、酒の代わりが映画・演劇なんでーす。
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早すぎる就職活動

2010年11月10日 11時42分03秒 | Weblog
「あら、今日はスポーツマン? 髪型、かえたの?」
「シュウカツで髪を切ったんです」
 大学祭で一回抜けた今週の授業開始前の一こま。
 
 男子学生と私の会話はこうして始まった。
 よく見ると、短めに切った髪の中央は心もち立っている。身につけているTシャツの柄はこれまでと打って変わって、黒地に力強さが漲る大きな文字が白抜きでところ狭しと書き込まれている。アメリカ製のようだ。そしてなにより際立っているのは、前回まで受けていたお坊ちゃま風の表情が一転して、きりりと締まっている。頬の輪郭と目の色に、それが如実に表れている。

「へー、君、三年生だったの。僕といっしょだ。でも、シュウカツか」
 隣に立っていて話しに加わったのは、ギターを弾き、詩をつくり、大学のほかに夜間の美術専門学校に通い始めた学生だった。
 正に豆鉄砲のまなざしを向けていた。
「で、どういう企業に入りたいの」
「商社をねらってます」
「凄いね!」
 この言葉を吐いたのは、芸術三昧の学生だ。

 今朝、朝日新聞一面をみて、おーこれか、と思った次第。

《現在の就職活動の流れ》朝日新聞記事
 大学三年 8月 インターンシップ
       10月 就職情報サイトがオープン
       11月 業界セミナー、就活フェア
        1月 会社説明会が増える
        2月 エントリーシート提出

先の学生の弁
「11月の就活フェアに参加したんです」   
 それだけで表情が一変するのだ。たとえば学者だった人が政治家になると顔が変わる。それに似ている。
 
更に……
 大学四年 4月 企業面接・選考スタート
        5月 内内定が出はじめる
        6月 中小企業も採用本格化
       10月 内定

 就職活動の早期化と長期化で大学三年後半から授業がなりたたない。その声が強まって時期を見直す傾向が出てきた。経団連も検討をはじめたという記事に、目が止まったというわけ。政府が経済界に働きかけたらしい。

 リポートの書き方よりも、いかにしたら採用に直結するエントリーシートが書けるのか。年々、それを教えて欲しがる学生が増えた、と嘆くのは企業の研究所長から大学に転身した先生だった。 
「切実だよね」
 と話しつつも、シュウカツのために欠席が多くなるこの時期からの対応に苦慮する教員たち。
 朝日新聞記事を読むと‘倫理憲章’には強制力はなく、まして外資系企業には倫理憲章に参加していないところも多いらしい。実際には就職活動をめぐる問題は簡単には解決しそうにないことが伺われる。

 そして今年は、10月に入っても内定をもらえない四年生もいる。 
 そうした学生の話から、親御さんの苦労が伝わってくる。

 粘って粘って、思いをかなえた女子学生は、「いい加減に決めて頂戴」と両親に泣きつかれたと話す。それでも中途退社、転職だけはしたくないと頑張って10月に内定をもらえた、と報告してくれた学生もいる。
 昔は「ご職業は何ですか」と聞かれたが、今では「どちらの会社にお勤めですか」と聞かれる時代になった。
 まして就職難の時代に、学業よりシュウカツ。大学側としては、仕方がないとばかり言っていられない。どこか釈然としない就活論議だ。

蛇足:民主党のだらしなさが恨めしい政権交代だったなぁ~。 
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美しさって? (極端な例かもしれませんが)

2010年11月09日 11時22分29秒 | Weblog
 以前、といっても二十五年くらい前のこと。
 いつもは外で会っている方が、突然我が家を訪れたことがありました。
 その日の私はオフの日で、普段のまま状態で近所の買い物から帰ったとき、バッタリ玄関で遭遇。
 彼いわく
「羽鳥さんのお姉さんですか」
 言葉を失って、大慌てでした。
 百年の恋も冷めた瞬間だったかも。(私に恋してたわけでは在りませんが)
 当時はまだまだ黒髪を靡かせていたんですけどね。
‘ヘヤダイ’についていただいたコメントを読んで思いだしました。
 
 で、美しさって、さりげなく手をかけていように見えることじゃないかな。
 ずぼらにしている、あるいはちょっとの手抜きはいいけれど、大きく手抜きしちゃいけないよ、ってことかも。
 
 周りにあまり不快感を与えない程度のおしゃれはしたいんですけど、丁度よさを見つけるのが難しい。やりすぎたり、足らなかったりの繰り返しのなかで、ときどきいいときもある程度でよしとしたい、なんちゃって。

 そうそう、NHK・GTV月曜夜放送の「家族に乾杯」で、鶴瓶さんの服装は、普段の無造作な日常に突然入り込む無礼を許してね!っていうスタイルがなかなかいい、と‘鶴瓶に乾杯’してます。さりげない気遣いだけど、考えられた服装ですもの。
 男性でもあの人だから様になっていると言ってしまえばそれまで。女性の場合は‘女’というだけで公共放送ではあそこまで崩せないでしょう。
 でも、旅の服装とスタジオの服装の取り合わせで見せてくれる‘鶴瓶的センス’は、番組の性質とTPOに合わせていいですよね。
 髪が薄くなったり白髪が目立ったりお腹が出っ張ってきた人には、ちょっとしたヒントが隠されているかなって、この頃思っています。
 
 別の話ですが、先週と今週の二週にわたって出演された大魔神佐々木さんは、やっぱりかっこよかった。
 
 なんのことだ、支離滅裂な話になってしもうた。(お許しを)。。。。。。


 
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人事異動

2010年11月07日 09時24分18秒 | Weblog
 会社では4月の移動がごく普通のことだ、と思っていた。
 が、今年は11月に移動になる人が私のまわりに何人かいる。
 一人はメインバンクの担当者で、三年弱のお付き合いだった。父が亡くなった前後にもお世話になった銀行員以来、この女性行員の方にはいろいろなことを教えてもらった。一抹の寂しさを感じている。

 そしてもう一人は朝日カルチャーセンターの担当者のMさん。
 昨日が、移動になってはじめての土曜日だった。予想をはるかに超えて、ぽっかりとあいた穴は大きかった。先週までとは、流れる空気が違う。
 どう違うのか。私の気持ちは去年に引き戻された。

 野口体操が朝日カルチャー新宿校に開講されたのは、かれこれ三十ニ年前のこと。
 ここには野口三千三先生が二十年間つとめられた。その間、私は助手としてお供し、没後そのまま教室を引継いだ経緯がある。
 最初の講座開設のキッカケをつくった方が、昨年、定年で退職されたのだ。
 最後の五年間、その方に仕込まれた女性が、先の話の担当者Mさんだ。最初は見習いから正式の担当者と、深く野口体操にかかわってくれた。
 
 実は、前任者が辞められたあとに、不思議くらい穴があいた感じがしないまま過ごすことができた。しかし、後任のMさんがいなくなってみると、一人がいなくなったのではなく、二人の存在がまったくの真空状態になってしまった。
 実際、言葉にならない‘虚ろ感覚’にとらわれている。これから世話になる担当者に不安があるのではない。なかなかゆきとどいた女性である。が、しかし、このあいた穴は、去っていった二人の担当者との時間をかけて築いてきた‘関係の質’の問題に違いない。

 つまり、定年で退職されても残された担当者のなかに前任者が住んでいたことに気づかされたのだ。
 今の気持ちを言葉にするのはとても難しい。それでもブログに書かずには入られない心もちなのだ。
 これまでどれほど支えてもらってきたか測り知れない。二十九歳から還暦を過ぎるまで三十二年間、取り戻すことの出来ない時間がここには流れていた。
 
そうだ、今週に入ってから、何とはなしに空虚感がからだの隅に漂っていたのは、このことを予感していたからかもしれない。
 こうして一つの原因を見つけ出しても、晴れないものがある。この感じから逃げてはいけない、と思ってはいるが……。どうしたらいいのよ!?
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若さの美徳?……ヘアダイ産業

2010年11月06日 08時55分20秒 | Weblog
 先日、授業を終えて、夕方の山手線に池袋駅から乗り込んだ。
 5時前のこと。まだそれほどの込み具合ではないが、十分に空いてはいない。
 入り口から少しおされるように、七人掛けの座席前に立った。
 中ほどよりは手前まで進んだとき電車が発車し、瞬間的につり革につかまった。
 間髪を入れず
「どうぞ」
 座っていた男性がさっと席を譲ってくれた。
「ありがとございます」
 上背があって見上げないと顔を見ることができない。
 腰掛けると、目の前に男性の腹が迫ってくる。十分にメタボだ。

 7分ほどで降りる駅に到着する。その間、腹の出具合にどんな人か顔を見たかったが、表立って首をあげるのはいささか躊躇われた。
 新宿駅のホームに差し掛かったところで、少し早めに立ち上がり、はじめて男性と目を合わせた。
「あんたになんか譲らなければよかったよ」
 顔には後悔の色がありありと浮かんでいた。

 もう一度「ありがとう」と声をかけて、私はホームに降り立った時に気づいた。
「あの人、私の白髪を見て相当なお婆さんだ!と思ったんだ」
 
 そういえば、最近、黒髪を賞する‘烏の濡れ羽色’ということばは死語となった。若い女性のほとんどが洋服に合わせて明るい茶系の色に髪を染めている。
 ましてや、東京の街場や駅で、白髪の人を見かけることが少なくなった。
 若い人から年配者まで、ヘアダイするのがエチケットになっているのかもしれない。
‘老・病・死’といった永遠の課題は、とりあえず置いて、元気に生きるていることの象徴‘若さ’を如何に演出するか。老いは出来るだけ隠すことが、よりよく生きる美徳となった。十日もすれば色あせてくる髪、生え際から白さが目立つ髪に、ヘアダイ液は消耗品なのである。かくしてこの産業は、巨大市場を持つにいたったのだ。

 話を戻そう。
 で、つり革につかまった私の髪を見てさっと立った中年男性は、落ち着いて観察したのだろう。
「俺より元気そうだ。このオバサン。悔しいぜ。。。。。。」
 つり革につかまっている手、傾げた首、顔の表情、立っている姿からは、お疲れ度が相当に高いことが伝わってきた。

 正直に言おう。私としては、内心、とても複雑だった。
「やっぱり、染めようかな。でも、いまさら。。。。。」
 若さを求める美徳行為にふらりとよろめいた夕暮れ。改札口を出る頃には、とっぷりと暮れていた。
 まったくもって‘秋の日は釣る瓶落とし’なのである。あぁ~!!!!
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同窓会

2010年11月04日 07時13分55秒 | Weblog
 ちょっと危ない‘同窓会ドラマ’が放送されたのは、昨年だっただろうか。その人気を受けて、未だに会を開くブームが続いていることは、モバゲーのテレビCMの同窓会物語が、日々、進行していることからも十分に察せられる。
 とりわけ卒業から長い歳月が流れた同窓生が、元気なうちに、あるいは生きているうちに集まりたがっている、と聞く。
 
 先日、野口体操公式ホームページの問い合わせから、一通のメールを受信した。
 読んでみると50年目の同窓会を開くにあたって、名簿を作成しているらしいことが伝わった。ある方の消息について八方手を尽くしても知りえないという。尋ねあぐねた末、縁があった羽鳥の名前にたどり着いたと書かれてある。
 
 その文面を読んで、ピンときましたね。‘このブログだ’と。
 念のためグーグルで検索をかけてみた。過去に3回ほど彼の実名を挙げて書いていたことが判明した。やっぱりそうか。
「かつての職場でさえも教えないということは個人情報保護法かな?」

 で、本人に電話で確認をとって、先方にお教えした。
 70代半ば過ぎの知人は、インターネットはもとよりパソコンもなさっていなかった。尋ねてこられた方とは、私へのメールだけのつながりだった。

 さて、社会的にも名誉職の方からのメールで、誠実さが伝わって、なにも確認をとる必要もない感じだった。が、待てよ。カタリかもしれない?いや、そうでなかったとしても同窓会には出たくないかもしれない。その方は別としても、他の学生運動時代の仲間とは会いたくないかもしれない……。さまざまに思い巡らせた。
 
 知人との電話では、昭和60年代当時の東大生の生き様を少しだが垣間見ることができた。

 結果は、ブログさまさま、ホームページさまさま、と言ったところだろう。
 これも野口三千三先生のご縁が取り持つ善き事に違いない。
 でも、世の中悪いこともある。次々に新手の詐欺も横行している。いつ騙されないとも限らない。何事も慎重に慎重を重ねて過ぎることはない。
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Web雑誌の時代到来

2010年11月03日 19時08分45秒 | Weblog
 以前、朝日新聞社刊のWeb雑誌「どらく」に、野口体操講座が紹介されたことがある。
 今回は毎日コミュニケーションズの「escala cafe」の取材を受けた。
‘働く女子にうれしい情報サイト’だそうである。
 このようなiPadやスマートフォンを射程にいれたサイトが、すでにいくつも立ち上がっている。
 こうした経験を通して、時代は確実に電子書籍に向いていることを実感しているが、まだiPadは様子見している私だ。
 とりあえサイトのご紹介。
 
「escala cafe」11月2日掲載
 ●「五感ゆるゆる 女のセラピー道」beauty New!
  http://escala.jp/

 イラストの羽鳥はちょっと老けてますが、若い人には年相応に見えるのかもしれない。61歳のこの年で、これだけ動けてやわらかいのだ!といっている内が花かもしれず。このWebでは動きをお見せできないのが残念でありまーす。

 末筆ですが、朝日カルチャー日曜クラスの皆さん、その節はお世話になり、ありがとうございました。
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