羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

輸入品の方が安いなんて……

2008年01月31日 19時08分00秒 | Weblog
 昨日のニュース速報から、今日一日、冷凍食品の問題で、日本国中大騒ぎとなっている。
 それそれの家庭で、冷凍庫の中を調べるようにと再三にわたって呼びかけている。
 とりわけ新聞も読まないテレビもあまり見ないというお年寄りには、若い人から知らせて欲しいとまで言っていた。
 わが家は、冷凍庫を開けるまでもない。入っているのは、冷蔵庫がつくる氷とスーパーで買ってきた高熱が出たときに使うための予備の氷しかないもの。
 
 外食もあまりしないし、餃子だって作って食べてるから安全、などと高をくくってはいられない。
 最近でこそ八百屋の店頭では産地表示をしているが、以前はほとんどそんなことはなかった。

 いつのまにか危険といわれる食品を食べているのが、日本の現状だろう。
 神経質になったらあれもダメ、これもダメ、ということになって食べるものはなくなってしまうかもしれない。

 たとえば子供のころの記憶ではほうれん草の根の部分が赤くなっていて、そこがいちばん甘かったし味がよかった。茹でたてのほうれん草をまな板の上に長くのばして、根の先をできるだけわずか切り落とす。すると赤いところがたくさん残って、美味しかった。
 今、現在、特別な店で野菜を求めているわけではないから、昔の味がするほうれん草を、最近食べていないのが悔やまれた。

 先日は、暮れに葱と一緒にいただいた山芋をすりおろして食べたが、自然の甘さがなんとも美味しかった。深谷から送られた野菜だが、町の八百屋で売っているものとなぜこうも味が違うのかと、いつも感じている。
 人参、牛蒡、葱、山芋等々、それらを食べると元気がでる実感がある。
 一年に一度だけ知人から送られる。その時だけは、大地からの贈り物・野菜たちに生かされている命がある、なんて思う。

 今や輸入食材なしに日本人は生きられない。
 逆に中国の富裕層は、日本の安全な食品を輸入して食べているというニュースも見た。

「遠くから運ばれる輸入品が安いなんておかしいのよね」
 ニュースを一緒に見ていた83歳の母がポツリと言った。
 私の中にも輸入品はすべてとは言わないが、高価で高級なもので、日常的に食べたり飲んだり身につけたりするものではないという意識は残っている。
 昭和20・30年代頃の記憶だ。
「昔はそうだったよね」
 思わず、母の言葉に相槌を打った。
コメント (2)
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