羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

準備完了

2016年03月29日 07時18分35秒 | Weblog
 佐治嘉隆写真展の準備が完了したようです。
 本日は「百年」はお休み。
 明日、12時からはじまります。
 お誘い合わせてお出かけください。
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佐治嘉隆さんの写真展、琥珀の写真

2016年03月28日 10時08分38秒 | Weblog
 佐治嘉隆写真展「高田渡 1971/TOKYO70’s」2016年3月30日~4月18日 吉祥寺 「百年」に関する新聞記事を佐治さんのブログで紹介しています。


 3月26日(土)朝日カルチャーのレッスン最後に佐治さんが撮影した琥珀の写真です。高層ビル街の手前に写る琥珀の迫力と美しさにハッとしました。
 3月29日は野口三千三先生の祥月命日ということで、「早蕨忌」のメモリアルに持参しました。
「電磁気学」の演習の授業では、琥珀の話が出て来るそうです。当日、トライアルされた南アフリカ出身(オランダ系)で某大学の博士課程・留学生、超伝導を研究している方から教えられました。
「琥珀にはじめて触れて、大変感動した」というメールをいただきました。

 佐治さんのブログ「芭璃庵」から、3点リンクしました。
 ぜひ、クリックしてご覧ください。
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寛永寺~恐竜博2016~CARAVAGGIO展

2016年03月25日 13時25分37秒 | Weblog
「ハトリさーん、やっぱ水生生活していた恐竜がいたのよ!」
 興奮して話してくれるのは、井上修美さん?
「スピノサウルス、獣脚類恐竜なんだけどね、大腿骨はまったく中空になっていなくて、水生動物に多く見られるものだったってわけ。ほかにもその証拠となることがいくつもあるんだけれどー」
 まさか井上さんがいる筈はない。
 わたしは復元されたスピノサウルスの全身骨格の前に立ちながら、「真鍋博士スペシャル解説 スピノサウルスの骨密度」音声ガイドを聞いていた。その声がいつの間にか井上さんの声に重なってしまった。

 音声ガイドを聞き終えれるやいなや、身震いして意識をたてなおした。
「井上さんに見せたかった」

 植物を食べる新発見のチレサウルス、滑空を可能したムササビのような皮膜をもつイー(中国語の翼)、羽毛を持つジェホロルニス等々、恐竜の進化の多様性が展示されている。
 ただ巨大だ、とか肉食で獰猛だとか、そういったこれまでの視点とはことなった今回の展示内容だった。
 なかでも用意された双眼実体顕微鏡を一つずつ見ていくと、それぞれに琥珀に閉じ込められた花、羽毛、昆虫がはっきりとみえてくる。
「今ごろになってでも、こうして見せる方がいいんだ!ざま~見ろ!」
 30年以上前に、双眼実体顕微鏡の面白さを、夢中で伝えていらした野口三千三先生の声も聞こえてきた。

「やっぱり、先生のお墓参りは、科学博物館を見てからにすればよかった。こんなに亡くなった方々の声が聞こえてくるのは、寛永寺の墓所から肩に背負ってきてしまったからにちがいない」
 その時は、神田で乗り換えた山手線のなかで、上野下車にしようか、鴬谷まで行ってしまおうか、迷ったすえに墓参りを先にしようと選んでしまったことに、後悔にちかい複雑な思いを抱きながら、見せることを工夫した展示を満喫して、科学博物館を出て、上野駅に向かった。

 すると左手に西洋美術館の公園出口にさしかかったとき、CARAVAGGIO展に気づかされた。
 時計を見る。針は2時をさしていた。
 いっそこの特別展も見ておこう。
 そそくさとチケットを手に、地下の展示場へと向かった。
 CARAVAGGIOを中心に彼の影響を受けた画家たちの絵が展示されている。
「五感をどのように表現するのか」というテーマも面白かった。指先の痛み、聴覚の快感、官能の喜び、とりわけ楽器を持たせることで音楽を奏でることから生まれる陶酔を描く。
 静物画もただ果物や酒を描くのではなく、香りや味を彷彿とさせる。
 つぎに光を提示し、そこから宗教的な題材へと導かれる。
 洗礼者ヨハネ、法悦のマグダラのマリア。
 五感をとおして、「苦悩、痛み、苦痛、激痛……恐怖のレアリズム」そして、「法悦、陶酔、静寂、……宗教的な心性のリアリズム」が迫ってくる。
 ここまでくると“ルネサンスを超える”という副題の意味がちょっとだけわかったような気がしてきた。
 見てよかった、と思った。

 国立西洋美術館を出る。恰度一時間を過ごしたらしい。
「きっと、上野のお山の花は、寒の戻りから、一部咲きにとどまっていたのがよかった」
 満開の花を見たら、CARAVAGGIOを見る気にはなれなかっただろう。
 ほころびはじめたばかりのちょっと心もとない桜花であったことで、五感を覚醒させられる空間に導いてもらえたのだと思う。
 やっぱり野口先生のお墓参りを先にした道順は正しかった、というより神の思し召しに違いない。
 恐竜の進化を見ながら二人の故人と語らい、画家の狂気と正気が綯い交ぜになったリアルな肉体の深層に踏み込んで、生きものに与えられた「生と死」、そして「官能」から生み出される恐怖と法悦をしっかり目に焼き付けた。
 
 野口先生祥月命日まで五日。
 三月二十四日、春の午後のこと。
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さくら咲く!まえに……

2016年03月17日 15時56分39秒 | Weblog
 2月24日から3月15日までの間、お茶の水女子大・舞踊学専攻の学生さんに、一日に三コマ、5日間の集中講義、全15回を無事に終えました。
 舞踊を専門として学生さんということで、今回は、今までにないはじめての授業内容を組みました。
 さすがに積極的・活発な反応をいただきました。

 ちょうど最後の日の前日、2016・3・14「折々のことば 339」鷲田清一『表現するということは……「社会を変える方法」を手にするということです。 山田創平 京都精華大学ホームページから』
 切り抜きを読み直しています。
『表現とは社会への違和を形にすること』と鷲田氏の言葉が添えられていましたが、“違和”で成り立っている白ぬりの「舞踏」も、日本を代表する舞踊表現として認知される時代となったこと、複雑な思いを伴って感慨も一入。
 
 こうした時代に生きる若い学生は、さまざまなジャンルのダンスやボディワークに接し、見聞きし、経験していることもあって、野口体操への違和感は少ないのかもしれない、ような気がしました。本当のところはわかりませんが……。
 いずれにしても、野口体操の前途を考える上で、貴重な経験と勉強をさせていただきました。
 こちらから投げた“玉”に、思いがけず新鮮な反応を返してくれる若い感性に直接ふれて、何ものにも代え難い”早春の時”をいただきました。

 東京の桜は3月29日ごろ満開との予報が出ています。丁度、野口先生の祥月命日です。
 おかげさまで没後20年を視野に入れて、よいご報告ができそうです。
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高齢者と暮らす……

2016年03月05日 09時05分28秒 | Weblog
 冬の季節、ガスストーブを使うようになるとかならず1、2回は消し忘れが心配になることがある。
 今季も電車に乗ったものの、一駅目で降りて自宅に戻ったことがあった。
 戻ってみると、消えているんですッ。
 野口先生も同じ経験をされていて、外出前には雨戸を閉め、ガスを消し、玄関以外の戸締まりをするときに、ひとつひとつ指差し、点呼をするように声を出して確認する習慣をつけたそうだ。
 ただ高齢者をのこして外出する場合、水道の出しっ放しは、まぁよいとして、ガスのつけっぱなしは深刻な問題だ。

 さて、今週も高齢者の問題が二つニュースになっていた。
 一つは、認知症者の事故責任で最高裁は要介護1の妻と長く別居している長男に対して、責任無しの判決を出した。
 他人事とは思えず、新聞やテレビのニュースに、目を見開き、耳をそばだてている自分に気づいた。
 認知症の親が起こした事故では、親族は保護責任を負い、時に賠償責任が課せられることもあるという。

 車の運転をやめてもらうのに、どのように説得するのか。
 火の不始末を防ぐには、どうしたらよいのか。
 これだ!という良き案は見つからないのが現状だ、と思う。
 話せば話すほど、家族関係が悪化し、壊れてしまう可能性もある。

 本日の日経新聞「Saturday マネー道場」には、事故責任補償に関連して、損害保険会社が補償対象拡大に動いている、という記事が掲載されていた。
 個人賠償責任保険というものらしい。
 保険をかけて、何かのときにおりるのはありがたい話だが、この話、すんなりと落ち着けることではなかった。
 自動車保険、火災保険、介護認定を受けたらおりる保険もあるが、更に加えて認知症保険も入る必要が出て来る、となると溜息ものである。そういう社会は目の前に迫っているわかけか、と。
 お金で解決できることも沢山あるだろうし、お金で解決できないことも沢山ある。
 保険に入ることで安心が得られるのか、といえばそうともいえないところがこの問題の難しさを複雑化している。

 もう一つ、介護施設でベランダから手間のかかる入居者を突き落とした事件の動機もニュースになっていた。
 施設の運営のあり方や、細々した毎日の入居者へのサービスのあり方等々、こちらも他人事とは思えない問題が多数挙げられている。施設に働く方々の重労働とそれにともなうストレスは、ものすごく大きい。

 我が家でも、実母と接していると、声を荒げてしまうことがある。
 かわいそうなことを言ってしまった、とその場をちょっと離れて反省し、気持ちを穏やかに立て直して優しく接しようと戻って行くと、またまた新たな問題が起こっている、何てことも日常茶飯事である。
 その繰り返しをしているうちに、こちらも疲れてきて、嫌気がさしてくると「何もすることがなくて、生きていてもしようがない」と母が言う。そんなときは「元気でいてくれることがお仕事よ」何て言ってしまう。
 もっと答えようがないのが「私が邪魔なんでしょ」である。言葉が出ない。できるだけ自宅で過ごしてもらいたい、と思う気持ちに嘘はない。邪魔とは思っていない。でも私自身の行動が制約されていることも事実だ。では、母がいなければもっと自由にできるか?というと、そう話は簡単でなさそうなのが現実だ。

 おかげさまで、母は自分からガスをつけることもしないし、徘徊もない。夜中のトイレは一人で行ってくれるし、それも滅多にないようだ。とにかく朝までぐっすり眠れるように、それなりのやり方を手順を踏んでやっておく方法に気づいて、実行している。
 賢い友人が一刀両断。
「お母様は、デイケアサービスも無理だし、高齢者施設暮らしはもっと無理!」
 おっしゃる通り。
 理屈を言わず、試行錯誤を続けながら改善するしかない。

 私だって若くないんだー、これからどうなる?って、それも打ち消している昨今である。
 まだ授業やレッスンのため外出ができることで、よしとしようぞ。
「今、あるのみ」
 そう思うとブレないから不思議だ。
 ヨガの逆立ちをしながら、静かに呼吸をする、そんな時間が持てる幸せ。
 するとどこからか「聖人君子にならないようにね」と声が聞こえる。

 こんなことを書こうと思ったわけではないのに、なんだか愚痴ってますねー、と思いつつアップすることにしました。
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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見過ごすにはあまりにも惜しい存在

2016年03月04日 09時34分18秒 | Weblog
 NHK「探検ガクモン」『養老孟司の虫御殿』再放送を半分みた。
 なんだか面白くて、今、オンデマンドで全編を見終わった。30分弱の短い番組だ。
 養老先生にからむ爆笑問題のお二人。
 三名の軽妙な語り口がすごくいい!

 それに加えて、箱根の虫館にカメラがはいって、これまた興味深い。
 さすがさすが、であった。

 番組は進行し、終盤戦にさしかかって語られる言葉。
 虫は思い込みを裏切ってくれるらしい、とか、出来上がった概念を壊してくれる。それが快感なんだそうだ。
 普通は考えを組み替えることをやってはいけない、と思っている、とおっしゃる。
 そのまえにいけないどころか考えもしない。
 なるほど。
『世界は違いでできている』
 どこかで聞いたことがあるような言葉がに語られる。

 そして特筆すべきは、解剖学者としての養老が黒板の前に立っている写真は、野口三千三と対談『野口体操を解剖する』を行った1991年のものがちらっと映っていたことだ。なんでこんなことが嬉しいのかわからない。この写真は、私がお送りした一枚であるからか?な~。
 
 最後に《見過ごすにはあまりにも惜しい存在》
 なるほど。
 面白かった。

 羽鳥の独白『体育や体操、いや、生きているうちに何となく抱いていた”からだへの思い込み”を、野口体操に出会って組み替えちゃった! 私にとって「見過ごすにはあまりにも惜しい存在」は、敗戦後の野口が到達した野口体操だった」まさに覚醒!』
 笑いながら見ていたのに、見終わってみると、ジーンと胸に迫るものがあった。
 
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