羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ビデオ編集エピソードー1-

2007年04月30日 17時10分07秒 | Weblog
 昨日のブログにサジさんが、コメントを入れてくださった。
 ほんとうに当時の苦労がしのばれる。

 ビデオ記録をはじめて、いちばん勉強されたのは野口先生ご自身だった。
 最初は抵抗された野口先生だったが、次第に面白くなって授業に工夫をこらされ、映像として惹きつける演出をさりげなくなさったと思う。
 私も撮れた映像を見ながら、内容を確認し、そこからテーマを抜き出してラフ編集をすることがあった。

 サジさんが次の段階のラフをつくって、野口先生にご覧にいれた。
 すると新しい提案がなされて、別撮りのシーンを挿入したりして、だんだんにきめ細かになっていくのを先生も楽しまれておられた。
 第一作の「装身具に貞く」では、装身具を別撮りしてこれで決まりかと思ったものを先生が一言。
「装身具に動きがない」
 不満を漏らされて、ご破算になる。
 そこでサジさんがもう一工夫されて、動きのある装身具映像が出来上がった。
「そう、そうです。動きがなきゃ、野口体操ではないでしょ」
 先生はニヤリとされるのだ。

 野口先生のセンスにいつも驚かされていた。
 体操の教師にならなかったら、映像関係かデザイナーになっておられたのではないかと思える。
 先生の視点はズレない。常に「うごき」が射程距離に入っている。この感覚はほとんど「本能的直感(?)」とでもいいたい質のものだった。
 思い返すと、大変さはそっちのけで、楽しかった!なぁ~。
 
 最後の「自然直伝」は、亡くなる前の年の12月に試写会をすませた。
 試写会は毎回一番後ろで見ることにしていた。皆さんがどこに関心を示されるのか、どのあたりでダレるのか、どこで笑いがおこるのか等々、後姿に表れる動きを見ながら、編集をしなおすこともあった。
 最後の試写会は、ぎりぎりに間に合った感じがしている。
 教室でダビングした「自然直伝」をお分けしたときには、先生は病院のベットの中だったように記憶しているが、記憶違いだろうか。

 何しろ当時の記憶が錯綜して、はっきりと思い出せない。
 いずれにしても動く映像の編集は、サジさんにご苦労をおかけした。
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人が生きた証

2007年04月29日 19時50分37秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャー土曜日クラスに、ポータブルDVD・CDプレイヤーを持っていった。
 おそらく連休初日で、出席者は少ないと読んだ。案の定、15・6人で、ゆったりとのんびりとした雰囲気が漂っていた。
 
 4月22日に催した「石と親しみ 石に貞く」を振りかえって話をすることにしてレジュメを考えていた。
 サジさんがつくってくださったDVDに「地に貞くー2-」があることを思い出して、その中から野口三千三先生の話しておられた一部をご覧にいれた。

 画面は小さいが石について語る野口先生のイキイキした姿が映し出された。
 先生の話はなかなか切れない。センテンスが長いのだ。切れ目なく話が続いていく。
 極小の自然金の結晶について、琥珀の中の虫について、実際に石を手にとって熱心に語る姿に、懐かしさを覚えた。地球時間のなかで、結晶が成長する。地球時間の中で生きものの細胞膜を通して熱水に溶け込んだ鉱物の成分が置き換わっていく。たとえば恐竜の骨の化石など、時間差で化石化する。置き換わっていく鉱物が異なっていることなど、見ていたかのようにリアルな話しっぷりに、居並ぶ人々が感動する様子をカメラは捉えている。

 没後、私は意識的に「もの」に語らせることをできるだけ避けてレッスンや授業を行ってきた。「もの」を否定するのではないが、どこまで「ことば」と「からだ」で伝えられるのか、試したみたかった。いや、正直、先生の真似をしても到底かなわないという思いだったかもしれない。ミニ野口、クローン野口では、「もの」に申し訳ないと思えた。
 10年近い歳月が流れた。

 そして久しぶりに「石の会」を開いて、参加された方々の喜びの表情と、石にあたってヘトヘトになられた様子に、「もののけ」のエネルギーを再認識した。
 いやはや野口三千三は野口体操と呼ばれるとんでもない類稀な世界を築いた。

 カルチャーの教室で、野口三千三先生が嬉々として話される姿を映像として見ながら、人が地球に生まれ地球に生き、そして死がその人を連れ去っていく不思議さに心が揺れていた。
 その現実を改めて突きつけられた。
 どうしようもなく寂しい。
 
 映像の中の先生は77歳の夏ともうすぐ78歳を迎える秋。
 夏と秋に我が家で催した2回分の「石の会」をおさめたものを1本にまとめた1992年の記録だ。
 それから6年後に、お別れの時を迎えた。
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至福の食……食彩の王国

2007年04月28日 12時03分48秒 | Weblog
 母が動き出してくれたせいか、今日はゆとりをもってテレビを見た。
 ひさしぶりだなぁ~。こんないい感じの時間を過ごしたのは。
 
 テレビは「布海苔の物語」を綴った「食彩の王国」。毎週土曜日:テレビ朝日午前10時55分~11時25分の番組だ。
 今日のお話は、偶然が布海苔養殖を教え人々を救うことになったこと、小説家の滞在した旅籠のこと、伊達家の正月の食膳は祈りであるとか、名前のとおり布を織る糸に使われたこととか、蕎麦粉のつなぎに使われると緑色が鮮やかな「蕎麦」になること等々。
 余談だが、新宿駅西口を出て青梅街道へ。小田急のハルクからつながっている歩道橋をわたって降りた目の前に蕎麦屋がある。名前は失念した。間口は狭いが中に入ると奥が深い店で案外広い。そこでは、これに近い蕎麦が食べられたような気がする。以前、石と酒好きの知人に連れて行ってもらったことがある。
 
 話を戻そう。
 この物語もいいのだが、この番組の作り方が、脳の快感を引き起こしてくれる。 
 薬師丸ひろ子さんのナレーションと音楽に、惹かれはめられてしまうのだ。

 人が生きる至福の時間は、食文化の深さと豊かさと手間隙かけたこだわりから生まれる。
 紹介されるものを食しているわけではないのに、腹が満たされる。
 いや、心が満たされる。
 
 なぜかわからない。この番組が好きだ!
 
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アーカイブス

2007年04月27日 20時11分56秒 | Weblog
 佐治嘉隆さんが、「野口三千三授業記録の会」で編集してきたビデオをDVD化してくださっている。
 野口先生の授業のビデオ記録のうち9本を編集し、1991年「野口体操を解剖するー養老孟司氏を迎えて」だけは、春秋社から「アーカイブス野口体操」として出版した。

「装身具に貞く」
「ものの”気”を貞く」
「地に貞くー1-」
「地に貞くー2-」
「貝を賞で 貝に貞く」
「独楽と遊び 独楽に貞くー江戸独楽作家福島保氏を迎えて」
「蛇と親しみ 蛇に貞くー歌人にして爬虫類研究家高田栄一氏を迎えて」
「自然直伝」

 朝日カルチャーセンター土曜日のクラスから、貸し出しをはじめた。
 野口三千三先生のレッスンを受けたことのない方ばかりで、この記録は新鮮な感動をもって受け入れられているようだ。
 佐治さんが準備をし、貸し出しの係りを引き受けてくださっている。
 
 今は亡き野口先生の話を聞き動く姿を見ることが出来る記録が残った意味が、ここに来てよりいっそう深まったと言える。アーカイブスとしての資料をこれから整理することを本気で考え、実際にやり始めたいと思っている。
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回復の兆し

2007年04月26日 19時21分26秒 | Weblog
 いやはやホッとしたところ。
 実は、昨日から母の動きが活発になった。
 階段を一段ずつ昇降し、出来ることをはじめた。
 今日は、一段と社会復帰? いや、家庭復帰がすすんで、食後の洗い物や洗濯物の取り込みや、家の中や道路の掃除等々、はじめてしまった。

 柱を背に立って「背骨がつかなくなってしまったの」と嘆くことしきり。
「やっぱり少しずつでもからだを伸ばそう」
 涙がこぼれそうな殊勝な言葉を聞いた。

 82歳になってこの回復はありがたい。
 坐骨神経痛がきっかけで寝たきりになるのだろうか、と最初は心配し覚悟をした。トイレに自分で行ってくれるのを見て、完全な寝たきりにならないだろうと思って、少しホッとした。そのうちに立ってトイレに行くようになって、さらに先が見えてきた。
 ある日、階段を降りて昇ってくれて、「これは大丈夫かも」と思えてきた。しかし、今日のところまで回復するとは思っていなかった。
 多少の詰まった感じや姿勢によっては痛さがあるようだが、寝込む以前のほぼ75~80%は回復しているよう感じがする。

 座薬は朝晩、一日2回、9日間使った。その後は我慢をしたようだった。
「薬はあまり使いたくないの」
 正解だった。

 というわけで少しずつ日常が戻ってきた。
「一ヶ月、旅に出ていたようなものよね」
 呟きながら大学に出かける私を送り出しながら、箒と塵取りを手に門の周辺を掃くのだという。何気なく振り返って、その動きを確かめた。
 まぁまぁ、かな!
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歌舞伎座の一幕見席

2007年04月25日 19時36分17秒 | Weblog
 4月24日付けの朝日新聞夕刊の文化欄をお読みになった方も多いと思う。
 「カルチャ場」に「歌舞伎座の一幕見席」の話が載っていた。
 右側にあった春風亭小朝師匠が「7年ぶりに歌舞伎座で独演会」を行う記事に連動したものだろう。
 歌舞伎座で落語を聴く体験がないだけに、いったいどんなことになるのだろうかと興味深い。

 それはそれとして「一幕見席」の話。
 ここは、歌舞伎座の4階席。この一幕見席は、1・2階席の上席や3階席とも入り口が異なる。急勾配の階段をぞろぞろと昇っていくのだ。着いた先は天井に頭がぶつかりそうになる空間。その上3階席ですら移動することはできない。
 料金も上席に比べて一桁違う。

 記事には「華やかさとは無縁 道場の空気も」とある。
 まったくそのとおりで、そこの観客は通人が多い。舞台の頃合をみて屋号の声をかける「大向こうさん」と呼ばれる人の声が、すぐそばで聞こえる席でもある。
 外国人や学生とおぼしき若者の姿も見かける。

 歌舞伎見物ともなれば一日仕事になる。しかし、この席ならば、ちょっと時間が空いたときにふらりと入って、一幕見て仕事に戻ることも可能だ。

 記事にも書かれているが、地上30メートルの場所なので、花道の七三のあたりまでしか見ることは出来ない。しかし、間口27・5メートルの横長舞台を見渡せるので、役者の立ち位置やせりふ・声、そして振りなどよくわかる。

 ここには物見遊山ではなく芝居を純粋に貪欲に見ようとする人が集まってくるだけに、記者は「道場」の空気が漂っているという。

 「常設幕見席」という響きには、格差社会の下流志向とはまったく異なる美意識と価値観とプライドがある。
 建替えの話が出ている東銀座の歌舞伎座から「一幕見席」は、なくなってしまうのだろうか。それが心配だ。
 
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「石の会」-その3

2007年04月24日 15時42分10秒 | Weblog
 東京国際ミネラルフェアに連動させて「石の会」を行ったのは、いつごろだっただろうか。記憶が定かでないくらい昔のことだ。16・7年以上前だと思う。
 最初は、羽鳥の自宅で二組に分けて行っていた。全員に声をかけるのではなく、先生が来てほしいと思う方だけをお呼びしていた。
 一回の人数は10数人で20人にはならなかった。

 それから商店街の寄り合い所を会場にして、最初に行ったのは1997年で亡くなる一年前のことだった。このときは30数名が集まった。
 没後、何回か同じ場所で不定期に開いている。

 今年は1階と2階に分けて、見ていただいた。
 二階は、双眼実体顕微鏡で石を見るための設定。そのほかに肉眼で見るだけのコーナーを、隕石・化石・鉱物・砂を中心に楽しんでいただいた。
 1階は、これまでに東京国際ミネラルフェア会場に飾った写真パネルのなかから、ごく一部のものを展示し、「岩石・鉱物の蛍光現象」を見ていただいた。

 双眼実体顕微鏡は、日常的な視覚の世界をほんの少し拡大しただけで、まったく異次元に導かれる面白さである。どんな小さい石であっても、そこには豊かな世界が広がってくるのを目の当たりにする。そして双眼ということは立体視できる。
 実体は石をスライスする必要はなく、そのまま手で触れながら見るところを変えながら「丸ごとの形と色」を楽しむことが出来る。
 野口先生は「丸ごと感覚」と日常を少しずらすだけの世界を殊のほか好まれたし、野口体操と一体感をお持ちだった。

 そして紫外線を照射することによって色の世界がまったく変容する感覚を楽しまれた。
「この目で確かに見ました」
 などという言葉はここでは通用しない。
 何気ない地味な色の石が見事な紅や緑や青に発光する。老若男女に関係なく純粋な驚きが与えられる。

 そこで、人間の意識や価値観、あるいは情動や感情や情念と言うような「精神世界」の範疇に入ることは、地球史の中ではごくごく最近の出来事に過ぎないことを実感として知らされる。そこが「石の会」の面白さなのだ。
 地球史のなかでは、人間は新参者なのだ。
 そして地球は多様な石の華を生み出した。

 地球史46億年を手の中に、あるいは手で触れて見る体験は、人間の見方を変える力がある。

 この世界を共有して、実感して、野口体操にかえったときに、きっと今までとは違う価値を自分のからだに感じ取ることになってくれたらいいと思っている。

 サジさんのブログ「芭瑠庵」では、毎日のように新しい写真が加わっているようだ。
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昨日そして今日のこと

2007年04月23日 19時50分52秒 | Weblog
 昨日の写真をサジさんがブログ「芭瑠庵」にアップしてくださった。
 双眼実体顕微鏡や蛍光現象の写真が美しく撮れている。左のブックマークから入ってください。

 参加してくださった方、お手伝いを積極的にしてくださった方、皆さんの熱気が無機物の「石」をホットな世界へと変容させてくれたようです。
 ありがとうございます。
 
 さて、昨晩のこと。
 階下で片づけをしていた。
 なんとなく人の気配を感じて、振り返ると母が立っていた。
 心臓が止まりそうになった。
 階段を一人で降りてきた。しばらくソファに腰をかけながら時を過ごした。
 きっと「石の会」の準備と片付けの動きを聞いていて、彼女も気持ちが動いたのだろう。
 今日は、夕方、再び降りてきて、いつもの食事処で夕飯すませた。
 足取りが昨日と比べて、わずかながらも良い方向へ変化しているようだった。

 おかしなもので急に緊張感が解けた。
 それに導かれて疲れがどっと出た感じだった。気が張っていたと逆に意識がはっきりした。
「先が少し見えてきたみたい」
 母のその一言に、ほっとした。
 一山超えた感じである。まだまだ山は越えなければならないが。

 昨日の「石の会」は、その意味からもやってよかった!
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石の会

2007年04月22日 21時16分17秒 | Weblog
 今日は、何年ぶりかの「石の会」を行った。
 にぎやかだった。
 野口先生の石へのというか、地球への思いを、参加された方にしっかり手渡せたような気がしている。

 いちばん心配だった、石の運搬や展示と言った裏方の仕事で、けが人が出なかったことでまずほっとしている。
 とにかく石は重い。
 朝早くからお手伝いいただいた方が、筋肉痛や腰の痛みなどでないことを祈っている。

 きょうはここまで。
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豊かさとは……

2007年04月21日 20時31分45秒 | Weblog
 今日は、立川駅から多摩モノレールに乗って、多摩川上水に出かけた。
 午前中のこと。
 快晴とまではいかないで、まぁまぁの天気で、眺めは非常によかった。
 しかし、驚いた。のろのろ運転なのだ。羽田へのモノレールはもう少しスピードが速かったと記憶している。
 とにかく歩く速度くらいではないかと思えるほどだ。それほど風が強かったとは思えなかった。きっとあのくらいのスピードが普通なのではないかと思う。
 最近は、中央線・山手線・東海道在来線・地下鉄等々に乗っているせいか、あまりの遅さに同じ乗り物かとびっくりした。都心を走る電車は速いし本数が多いことに改めて気づかされた。
 今の時代、このゆっくりなスピード感は、もしかするとものすごく大切なのかもしれない。あまりにも速さに慣れすぎている日常を生きているのだ。それが当たり前だと思っている。そうした自分に気づいた午前だった。

 そして午後は、新宿で朝日カルチャーセンターの土曜クラスのレッスンに臨んだ。先週に引き続き「ちぢむ筋肉・のびる筋肉・ゆるむ筋肉」を再度確かめた。
 「ゆるむ筋肉・力がに抜けた筋肉」は、地球につながる野口体操の基本的なアプローチということが明確になってきた。
 なかなか力が抜けなかった男性が、抜けはじまったのだ。
 自分で感じている感覚よりももっと、鉛直方向は「真下」だと気づかれた。
 今までだって「力を抜いている感覚」だったのだが、実際はもっと抜けると言うことだ。

 少しずつしからだは変化しないが、レッスンのすすめ方も野口体操の理解も、時間がかかるということを頓に感じている。
 小さな変化・わずかな違い・ささいな違和感・ちょっとしたアイディアが浮かんで、一歩前に進めるということは大変なこと。
『豊かさとは、ちょっと・すこし・わずか・かすか・ほのか・ささやか・こまやか…というようなことをさやかに感ずる能力から生まれる』野口三千三

 
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奉納・野口体操

2007年04月20日 20時08分27秒 | Weblog
 思わぬ申し入れを受けてしまった。
 昨晩、電話が鳴った。電話の主は、お庫裏さんだった。
 この寺は、京王線沿線にあって、「京王観音」の札所の一つになっている。
 八十八箇所のうちの一つらしい。
 寺の敷地内に観音様がいらっしゃる。

 寺では五月十八日に、毎年「観音祭り」を行っているそうだ。
 もうお察しだろう。
 奉納の茶会と日本舞踊の間に、野口体操を指導してほしいというお話だった。
 つまり「奉納・野口体操」である。

「では、日程の調整をいたしまして、出来る限りお伺いいたします」
 とっさにそう答えてしまった。
 父や先祖が眠っている墓がある寺からのお話を無碍に断ると、罰が当たるような気がした。

 住職の奥さんは、この寺よりも格が上の大きなお寺さんからお嫁入りなさった方だ。お姑さんが亡くなって、寺の改革に着手されて数年が経過したところだ。
 ようやく寺らしい活動をはじめて、檀家のためになる方向性を探っておられる。
 住職さんを支えるというより、尼寺でもいいのではないだろうかと思うほど、筋金が入っておられる方だ。

 その方と、父が亡くなった時に、初めて親しくなった。
 ご自身は「野口整体」を学んでいらっしゃるようだ。
 なんとなく気が合って「奉納・野口体操」という運びになったわけ。

 何かのご縁だろう。
 子供のころから、両親の知人や私の友人の先祖の墓参りに誘われてついて行った思い出が多い。
 最近では墓参りのはしごまである。野口三千三先生にはじまって、友人の飼い犬の墓から友人のご両親が眠っていらっしゃる寺へと巡る。
 まさに巡礼なのである。
 これはやはり潅仏会の日が誕生日という縁に違いない。
 
 ちなみに「奉納・野口体操」を行う寺は、法然上人の浄土宗である。
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日経新聞・本日4月19日の朝刊から……特集と広告

2007年04月19日 09時01分00秒 | Weblog
 今日の朝刊から、紹介したい記事と広告がある。

 一つは、特集記事に関連して。
 実は、1998年、野口三千三先生が亡くなって、四十九日を過ぎたところで、追悼としてのホームページを開設したことは、以前、このブログに書いた記憶がある。
 当時は、まだまだインターネットを使う人は少数派に過ぎなかった。
 その当時、野口体操の先輩方から「野口体操のホームページなどけしからん。野口体操をハウツーものにする気か。もってのほかだ!」と、お叱りを受けたことを、今となっては懐かしく思い出す。
 時代は変わった。
 
 そこで今日(4月19日)の日経新聞朝刊「ネットと文明 第10部 主従逆転 4-目覚めた身体ー疑似体験より生身の感動」について。

 ネット検索で事前に調べを終えて、生身の体験をしてみると、ただ単に『「確認」するだけで「感動」に浸れない自分がいることに気づく』という記述があった。疑似体験をしておけば大外れもない反面、大当たりもないという。
「そりゃそうだろう」
 人生は無駄もあれば肩透かしもあり、まさかの連続だから面白いということによって、新しい発想も創造力も沸くというもの。
 
 記事は、金沢市のある碁会所では碁盤とパソコンが並んでいて会員はわざわざそこまでやってきてネットの向こう側の相手と碁を打つと、書き出されている。無言で一人パソコンに向かうより、画面を覗き込んだ人々との会話を楽しむのだそうだ。
 また任天堂の「Wii」が当たったのは、ゲーム機で汗を書くことが出来るから。孫を誘蛾灯のように招きよせるために買うお年よりもおられるとか。

『ネット上の体験が現実世界の感動を目減りさせ、将来の行動を縛る主従逆転が広がる。本来のバランスを取り戻そうと、ヒトの身体は部屋に閉じこもるのをやめ、再び生身の感動を求め始めたように見える』と記者は書く。

 1998年に、野口体操公式ホームページを開設したのは、来るべきIT化にいち早く乗るためではなかった。
 野口体操・野口三千三の身体論を、伝えたいがための思いからだった。
 すくなくとも「目覚めた身体」の価値を失うことはない。

 もう一つ、今日の日経新聞広告に目が止まった。
 ブルーの大きな文字で
「失敗。」
とある。
 で、書き出しがふるっている。
『どこのどなたかわかりませんが、この広告の長い文章を読んでみようと思われた方に、まず初めにお礼を申し上げます。ありがとうございます』
 クラリーノの宣伝なのだ。-大原孫三郎DNA。クラレ-
 経営者・大原孫三郎の話とクラリーノ(合成皮革)が商品化されるまでの話が全面広告として載っていた。
 「失敗」というキーワードを持ってくるところに、「ネットと文明」の話を重ねて読むと、今朝はちょっと気分がよかった。

 極端な物言いをお許しいただけば、リスクを回避するだけの人生は、社会を灰色一色に染めあげるだけだ。
 薔薇色の人生のなかには、黒もこげ茶も灰色も、えもいわれぬ色合いが混ざって「薔薇」の美しさが際立つのだ。
 
 さて、さて、振り返ると、できるだけリスクは回避したいし、書も捨てずインターネットも携えながら、生身の感動を失わない暮らしを維持するのは、生半ではないのかもしれないね~、と呟く人が確かに自分の中にもいる。
 でもね、安住しちゃいかんのよ。
 わかったつもりになっちゃいかんのよ。
 
 結論。
「若者に言いたい、新聞を読もうよ!」
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二本の足で立ち、そして歩く地球の子ども

2007年04月18日 20時20分25秒 | Weblog
 母が、直立二足歩行、いや野口三千三説によると「一足直立二足歩行」して一人でトイレにいかれるようになった。
 片方の足に乗らないと、歩行はできないから「一足」という表現を先生はなさった。完全に片足に乗って、もう一方の足は振り出されることになる。

 そしてもう一つ、からだはまっすぐが楽だということを身をもって体験したようだ。むしろひねりながら姿勢を変えるときに痛みがあるようだ。
 しかし、日常の暮らしに戻るには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 そんななか日曜日に予定している「石を楽しむ会」の準備を今日はする予定になっていた。その予定通り、朝から増渕さんが手伝いにきて、夕方まで思いケースを運び出したり、双眼実体顕微鏡を用意したり、こまごまとしたことも含めて当日に備えてくれた。
 
 思い返せば、野口三千三先生が亡くなる一年前、1997年5月に集まったのが先生と過ごした最後の「石の会」だった。あれから10年。はやいものである。
 野口体操に行かなかったら、野口三千三先生に出会わなかったら、隕石・鉱物・化石・砂といった「石の世界」の楽しみを一生知らずに過ごしただろう。
 それがどうした、といわれれば明確な答えに窮する。
 しかし、人間の歴史時間、せいぜい5000年の時間から解き放たれたことだけは確かだ。
 少なくとも地球誕生の46億年という時間を考えることで、歴史観などというとオーバーだが、命の時間感覚は、はっきりと変わったと思う。

「この地球に最後に現れたヒトという種よ、おごることなかれ」ということが実感となった。
 同時に『原初生命体としての人間』の「はしがき」の言葉の意味が深まった。

『人間の創造は、もともと自然の範囲内で行われるべき、ささやかなつつましやかなものではないだろうか。たとえそれが、ささやかなつつましやかなものであったとしても、そのものやことに対して、大事に大事に触れ合い溶け合うことによって、無限の豊かさと新鮮さとを、生み出す能力をあたえられているのではないだろうか』

 二本の足で地球に立つことができるということは、ヒトに与えられたものすごい能力だということを、再び歩き始めた母の「歩行状態」とそのことを喜ぶ様子を見て感慨深いものがある。

 人間は、水惑星地球の子どもなのだ。
『からだは地球物質のまとまりかたのひとつであり、心はその働きかたのひとつである』野口三千三
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新学期

2007年04月17日 20時24分32秒 | Weblog
 朝日カルチャーセンターの火曜日クラスも、一年と4ヶ月が過ぎようとしている。
 このクラスは、『野口体操 ことばに貞く』羽鳥操著 春秋社から初めて『原初生命体としての人間』野口三千三著 三笠書房版等の一部をテキストにしたり、NHKで放送された『訪問インタビュー野口三千三」などの映像資料を見ていただいた。
 体系だったり系統だったりはしていないが、他のクラスに比べてはじめて野口体操を体験される方々に照準を合わせてすすめてきた。
 そのためか今では「逆立ち」まで、来てしまった。
 他のクラスは、逆立ちに入るまで、相当な時間を要した。

 一つにはウィークデーの朝の新宿駅は、出勤する人がほとんどで、歩く速度は速い。土曜日や日曜日の午後と比べる方が無理なのだが、同じ道が同じではない。
 電車もラッシュの時間帯に乗って来るわけだから、否応ナシに緊張感を持ってしまうようだ。
 教室に入る前にある心構えが持てる。そういった状況というのも影響があるらしい。
 そして教室に入ると、天気のよい日は朝の光が差し込んで、すがすがしい空間になのだ。

 さて、時間とともに、それぞれのクラスに特色が出てきている。
 野口先生が亡くなって9年。
 おかげさまで新学期を無事にスタートさせることが出来た。
 
 これから一年、どのような展開になるのか。
 春はやっぱり新鮮でいい。
 継続の方がほとんどでも、気持ちがあらたまるから不思議だ。
 
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改札で立ち読み「アエラ」4月23日号

2007年04月16日 19時35分58秒 | Weblog
 今日の午後、かかりつけ医の先生が往診をしてくださった。
 家から医院まで1分の距離。病院のなかでもこれほど近いところに医局はない。
 その意味では、心強いことこの上ない。

 しかし、はじめて先生を迎えるとなると、午前中は掃除に精を出した。
 母の状況が快方に向かっていることもあって、あっちこっちを綺麗にする気持ちにもなる。
 往診はじっくり30分もかけてみてくださった。
 
 で、先立つこと12時に、最寄の駅で待ち合わせていたことを思い出し駅に向かった。
 ところが改札口で待てど暮らせど待ち人来たらず。
 携帯に連絡を入れると留守電になっている。
 どっちみち「アエラ」4月23日号がほしかった。キオスクで手に入れて、立ち読みしていた。
 もちろん読みたかった記事は、『佐藤優という「罠」』である。
 しばらく前に罠にはまった私だけに、記事を読みつつ「にんまり」していた。

 15分待っても来ないので、家に戻ることにした。
 そして夕方メールをみて驚いた。
 待ち合わせは来週23日だったのだ。
 忙しすぎて、混乱をきたした。

 本日は、お粗末な顛末をご報告。
 
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