羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

雑感

2009年09月30日 18時48分11秒 | Weblog
 すっかり秋になった。
 今日で九月も終わり、いよいよ明日から十月である。
 とくに月曜日の授業は、休日講義日があったり、十二月には補講としてクリスマスイブの木曜日に振り返られていたり、と間違わないようにしないといけない。
 昔の飛び石連休がなつかしい。
 朝日カルチャーセンターも十二月は二十六日まであって、のこり三ヶ月は今年の締めとなる。

 昨年の九月、十月もリーマンショックによる津波が押し寄せた。
 今年は政権交代につれてまたもや荒れ模様になっている。
 アメリカにならって百日間は、猶予期間ということになるのだろう。
 
 さて、2009年はどんな一年になっていくのか。
 昨日、体育の教員室である先生と雑談を交わした。
「来年春の卒業生たちは内定が、もらえないんですよ。今年の卒業生は、内定取り消しはいけないといわれて多めに取られていたので、その余波もくらったみたいですよ。商学部より人気の経営は、公認会計士に受かっている学生も多いんですけど、いつもなら早々と内定をもらっているのに、今年はまったく様子が違って……」
 一年の違いで気の毒なことだ。
 五年くらいはこんな調子かもしれない、と溜め息を漏らしておられた。

‘鳩山・一郎政権’が、どう力を発揮してくれるのか、しばらくは政治経済への庶民の関心は高い。
 緊張感は日々の報道にもあらわれているようだ。
 とにかくあんまり悪くならないで年末年始を迎えたいと思うが、相当な覚悟が必要になりそうだ。
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新しいステージへ

2009年09月28日 18時44分37秒 | Weblog
 先週、土曜日の朝日カルチャーレッスンでは、壁に寄り添って手を離して‘脳天’で立つ逆立ちをつたえようと心に決めて出かけていった。
 久しぶりに出席されたKさんが、思いがけずすんなりと成功させてしまった。
‘~しまった’という言い方は申しわけないが、軽々と逆さまになってさらに手を床から話せるとは予想だにしていなかった。
 上下方向がからだの内側で、理屈でなくつかめた、という理由一つではなさそうだ。
 なんだかとても嬉しかったんです。

 そして昨日、27日(日)は、‘東京自由大学’というNPO法人に呼ばれて、三時間の実技を交えた野口体操+野口三千三紹介の座学を中心とした講座を行った。
 知的レベルの非常に高い中高年の方々の集まりだった。
 ホームページアドレスは次のとおりです。

 http://homepage2.nifty.com/jiyudaigaku/

 理事長:鎌田東二(宗教学) 学長:海野和三郎(天文学)
 発足して10年だそうだ。
 その間、非常に意欲的な講座・ボディーワーク・ゼミ等々、開催している。
 野口体操への理解も深く、価値観や身体哲学に違和感を覚える方がほとんどいらっしゃらなかった。
 むしろ身内の方々に久しぶりに会ったような親近感を感じてきた。
 日ごろの学びが、‘野口三千三の世界’に自然につながる方向に一致していた、と感じられた。

 運営を担当されていらっしゃる方々の情熱的なボランティア心に支えられていることが、この活動を継続してこられた要因であったと思う。
 これほどあたたかく受け入れて戴けたのははじめての経験だった。
「知・情・意・身体」が、バランスよく育てられている学びの場を共有していらっしゃることが伝わってきた。

 そして今日はもう一つの大学で後期授業の初日だった。
 通年で履修してくださる皆さんと、久しぶりの対面。
 一歩すすめた話と動きからはじめられた。

 というわけで文藝春秋の取材から始まった先週から今日までの緊張感から、程よい張りをもらったような気がしている。
 そして‘野口体操の社会化’は、新しい段階を迎えられたようだ。
 明日は、もう一クラスで後期最初の授業が幕をあける。こちらも通年の学生たちだ。
 ありがたい。
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はじめての音楽体験

2009年09月25日 16時29分53秒 | Weblog
 後期の授業がはじまった。
 昨日は、二クラスだったが、今までになく学生との距離を一気に縮めることができた。
 これほどいい感じで幕があいたのは八年前に大学で授業を持ってからはじめてのことだった。
 少なくとも三回目くらいになってようやく関係が持てるようになる。
 それが初回からだったことに驚いている。

 校門を出たとき、ある種の開放感を得た。
 駅まで十分ほど歩き、山手線に乗った。
 丁度、始発電車で座ることができただけでなく、車両は混雑していなかった。
 席に腰をおろしてから、二本先発の電車を見送った。
 急に音楽を聞いてみたい衝動にかられたのだ。
 今までホームで試したことがあったが、周りの音がうるさくて、すぐに聞くのをやめて以来、一度も試したことがなかった。
「みんな聞いているようだけれど、どうしてなのかなぁ~」
 むしろ疑問に思っていた。

 準備をしてイヤホーンから流れてくる音楽に耳を傾けた。
「いいじゃない」
「ステキだ!」
 二コマの授業では、それなりにテンションをあげて臨んでいる。
 終わった後は汗はびっしょりかいているし、興奮は短い時間ではおさまらないのが通常だ。
「音楽がこんなにいいなんて。いや、音楽を聞きたくなる余裕がこれまでなかったのだ」
 そう気づくと、なんだかとても嬉しくなった。

 ところがホーム発車直前を知らせる音のピッチが、音楽と共鳴してなんともはや耳の中で渦をまくことにちょっぴり不快。
 しかしそれとてやり過ごせる状態だった。

 曲は‘安全地帯のワインレッドの心’‘川井郁子の風が運ぶララバイ’‘TARO HAKASEのエアーボーン’、エトセトラ。
 自宅に帰り着くまで、聞き続けた。
 時々騒音にかき消されながらだったが。

 こんなクールダウン方法があったのか。
 遅い体験である。
 しかし生きているうちに間に合った。
 とは言うものの(理由ははっきりしないが)、こうした音楽とのかかわり、あまりはまらないような気がしている。
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‘つまづく’と訓読みする漢字群

2009年09月24日 07時57分12秒 | Weblog
 跎・跲・跌・蹉・蹎・蹶・躓
 
 ここに挙げた七文字は、すべて‘つまづく’と訓読みしている。
 ひとつひとつに微妙なつまづき方の違いがある。
 三番目のこの文字‘蹉’などいかにもさよう。
‘差’は‘ちぐはぐ’を表し、足がもつれてつまづくを表している。
 ワープロ機能で打ち込むと「躓く」とたった一文字だけ出てくる。
 
 これらの文字を読んでいると、文字が持つ表現力の前には確かな観察力、精緻な身体感覚によるところの実感力がすごいなぁ~と、感心している。
  
 昨日に関連して。
 
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感謝

2009年09月23日 18時59分38秒 | Weblog
 今日は、午後から『文藝春秋SPECIAL』の取材を受けた。
 11月中旬発売で、いただいたテーマは‘つまづかないために’野口体操からの提案だった。
 
 はじめてこのような取材を自宅で受けることになった。
 まず1時間ほど話をし、それから近くの公園まで出かけて、そこで‘おっかさんランニング’や‘階段の昇降’を中心に実技を交えて話をした。
 晴れたり曇ったりだが、まずまずの散歩日和。
 旗日でもあったせいか、午後の公園は幼い子供からお年よりまで、シルバーウィーク最後の日を楽しんでいるようだった。

 珍しく話が脱線しないように、外に出る時間が取られることを見越して、原稿を軽く書いて取材に臨んだ。
 この連休前半は朝日カルチャーのレッスンが土曜日も日曜日もあって、後半は今日の取材と後期授業の準備に明け暮れた。
 明け暮れたと言っても、あくせくしていたわけでない。
 こうしてレッスンや授業や取材を受けることがある、というのは有難いことだ。
 新しい視点で野口体操を見直すことが出来ること、年齢も職業もさまざまな人との出会いの楽しさもあって、11年前に野口先生を失った時の茫然自失したときから思うと恵まれた‘今’を生かされている。
 ひとこと、感謝!
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季節は巡る

2009年09月21日 11時00分37秒 | Weblog
 光陰矢のごとし、気がつけば秋が進行していた。
 お向かいの庭にある‘山茶花’が白い花をつけていた。
 まだ幾輪でもないが確実に季節が移っていることを樹木は教えてくれるのだ。

 思い出すのは西巣鴨の野口庭のこと。
 白い可憐な花をつける山茶花から始まって、翌年の三月末の‘斑入り椿’が大輪の花をぎょうさん咲かせるまでの期間、‘原種の椿’や‘侘びすけ’等々が咲き、楽しませてくれていた。

 庭に実物や花物が植えられていると、それはそれは楽しい。
 実がなると鳥がやってきてついばむ姿も可愛らしい。
 小さな庭に四季の移ろいを賞でる先生の姿を今朝はふと思い出した。
 
 道端で咲く彼岸花が、亡くなった方々との思い出の記憶を呼び起してくれるようだ。
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脳天逆立ち

2009年09月20日 09時05分20秒 | Weblog
 昨日の朝カルのレッスンでは、自宅で試した‘座位によるほぐし+にょろ転+おへそのまたたき+逆立ちへの軌跡’にたっぷり時間をさいた。
 これほど丁寧に行うのは、はじめての試みだと思う。
 からだを固めないこと、床に触れているところから緩められ、溶け込み沁み込む感じをほとんどの方がつかんでくださったようだった。

 最後に‘脳天逆立ち’をMさんに伝授した。
 壁に支えてもらっているのではなく、自分自身でも柔らかく逆立ちしている。
 背中側は壁にそっと触れている状態を保つことで、両手を床から離して、胸の前で組むことが出来る。
 腰を上げていくときには、両手で真下方向に一瞬間力をいれて床を押すことになる。それをきっかけにして逆立ちまで一気に持っていくのだ。
 上下方向しかない。鉛直方向にからだの長い軸を、一瞬にして一致させることで逆立ちになってしまうわけだ。

 自覚的には腕の外側の筋肉に力を入れる感覚がある。
 野口体操としては珍しく局在感として筋肉の能動的収縮感がつかめる動きだ。
 くりかえすがそれは、ほんの短い時間の出来事で、あとは骨に重さを任せる逆立ちである。

 春秋社刊『野口体操 感覚こそ力』の220~221ページに4人で行っている写真がある。「遡ることは朔まること」と題された中の‘脳天逆立ち’である。
「これは子供たちがやっているんですか」
 ある体育の教授に訊ねられて一瞬言葉に詰まった記憶がある。
 彼の言葉の裏側には‘こんな難しい逆立ちは、大人になったら出来ないに違いない’と言う思いがべったり張り付いていた。
 言葉にはなさらなかったが、大人を通り過ぎて年をとってきたら(少なくとも五十に近づいたら)出来なくなるに違いない、と言いだけだった。
 すかざさず私は答える。
「今でも、出来ますよ」
 たしか二年ほど前のことだった。(五十八歳ごろのこと)
 彼曰く
「このごろ硬くなってしまったからなぁ~」
 さすが体育専門の方だけに見抜いておられた。
 これが野口体操なのですぞ!
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昭和的なるもの・こと

2009年09月19日 11時10分41秒 | Weblog
 テレビや新聞報道でしかないが、民主党の報道を見たり聞いたりするにつけ、日毎に昭和が終わった感が強くなる。
 同居している母は終戦の年が二十歳だった。
 つまり昭和の年号と同い年なので、今年八十四歳がそのまま昭和八十四年に計算できることもかかわっているかもしれない。
 話はそれるが三島由紀夫が生きていれば、やはり八十四歳になる。
‘もし’と仮定するのは詮無いことだけれど、ときに‘もし仮に’といってみたいときがある。

 町によっては昭和を再現することを売りにしていたり、店の設えを昭和風にしたり、さまざまなところで昭和が懐かしまれている昨今である。
 平成生まれは大学生となり、昭和生まれの学生が年々減っていく。
 彼ら彼女らが闊歩する街の様相は、ここ数年で大きく変貌を遂げた。
 古いものを残す努力が虚しいほどに変化のスピードが早い。それは街の風景のことでもあり仕事の内容や仕方、家族のあり様、人間関係、暮らしの仕方、兎にも角にも変化している。

 そんななかで自民党が下野することで見えてきたのが‘昭和の終焉’だった。
 もっと正確にいうならば、昭和的な価値観の終焉だ。
 そのことは日を追うごとにはっきりと顕在化してくるに違いない。
 ただし民主党の掲げたマニフェストが実現されれば、の話だが。
 しばしの混乱は免れないだろう、と覚悟をした今週だった。
 いよいよ本当は手放しで遊んではいられないシルバーウィーク突入である。
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歴史の全体像こそ……

2009年09月18日 14時25分42秒 | Weblog
 以前、このブログにも書いた『昭和史』半藤一利著平凡社ライブラリーは、上下巻に分かれている。
 上巻は、1926年から1945年。
 下巻は、1945年から1989年 戦後篇。

 今、下巻の半ばを読んでいるのだけれど、最近になって並行して『江口隆哉と芸術年代史』も開いている。これは1900年(明治33年)から1978年(昭和53年)の文化史+政治経済年表である。

 自然の成り行きだけれど『昭和史』上下からうける日本の現代史の様相と『江口隆哉と芸術年代史』から受ける日本の印象が全く違うのだ。
 当たり前と言われれば引っ込むしかないが、戦前も戦中(戦争末期は別にして)も、日本人の文化活動は非常に盛んだ。日本の伝統芸能も西洋のものも量も質も驚くほどである。
 
 終戦後昭和21年からはすでに活動が始まっている。
 数えるほどではあるが、二十年代後半に向かって、まばゆい様相を呈するのが読みととれる。
 野口先生は昭和21年10月8日東京新聞主催「現代舞踊名流の日」に出演した江口隆哉・宮操子舞踊団の公演を共立講堂でみたことがきかっけで、舞踊研究所に入門するという暴挙(いやいや勇気ある行動)に出たと想像できる。つまりこの公演しか行われていないのだから。

 言いたかったことは、歴史も文化史と並行して読む必要があるということだ。
 つまり人々の精神史やその時代の価値観を抜きに歴史はありえないからだ。
 あるひとつの方向だけからある時代を読むことも精確さにおいては必需のことだとしても、全体像を捉えないである時代を決めてかかるのは危険がある。
 人間はかなりしたたかな存在だ、と思える。
 いや、それがなければ生きる希望が湧かないのだろう。
 これは理屈の世界のことではない。
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老齢曲線との付き合い

2009年09月17日 11時42分50秒 | Weblog
 野口体操のなかから、勝手に‘座位によるほぐし’と名付けた一連の動きがある。(ヴァリエーションが増えてしまった)
 そこに‘にょろ転’と呼ばれる一連の動き(これもヴァリエーションが増えてしまった)を混ぜ込んで、‘おへのまたたき’そのなかに‘ヨガの逆立ち’や‘脳天逆立ち’を組み込んで、液体がながれていくイメージの動きを、昨日から練習し始めた。
 すべての動きを途切れなく続けていくのだけれど、逆立ちになると意識が別の次元に入っていくのが一つ課題だ。なぜ意識が逆立ちで途切れるのだろう。

 今日は、二日目と言うこともあって、昨日とは少し違う内的落ち着きが感じられた。
 そこで反省することしきり。
 つまり、練習こそ命なのだ、ということ。
 今までも試さなかったわけではない。しかし、ここで、改めてやり始めてみなかれば十年後は動けなくなるという惧れを感じたからだ。
 
 実はそれにはきっかけがあった。
 先日、若い女性の客人があって、八十四歳の母の話を聞いてくださった。
「おかあさん、まだまだいけますよ。何かなさったら」
 さんざん蔵を活かして、ご商売を始めたらいいとすすめる。
「どっかり座って、あれやって、これやって、指図なさればいいんですよ。若い人を育てる感じで……」
 彼女たちはいろいろな提案をしていた。
 そこで母がひとこと。
「あのね、自分が率先して出来なければ、人はついてきません!」
 自信のある声に思わず二人は顔を見合わせて
「フッ、そうですわ。うちの会社の人に聞かせたいわ。口ばっかりの上司がいますものね」
 ナットクの表情だった。

 そうなんですよ。
 率先してできなければ……。
  
 つくづく思う。
 私自身が蓄えてきたことは、ピアノにしても野口体操にしても練習あるのみ!の世界でした。
《バレリーナは、一日休むと自分がわかり、二日休むと先生にわかり、三日休むと観客にわかる》

 身体はすぐ錆付くし、年を重ねてくると‘老齢曲線’は、波を描きながら結局は下降へと向かい、現状を維持することも儘ならなくなることを、肝に銘じる必要がありそうだ。
 かといって強制し、義務化し、‘ねばならない’では続かないに違いない。
 野口先生曰く「強制することはいけないが、刺激することは大切」なのである。
 毎日の忙しさのなかでちょっとの時間でも刺激するってことですよね。
 それが凡人にはかなり難しい~んですが。
 とにかくこの一連の動きの練習が、三日坊主になりませんように、と祈っている。
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竹内敏晴逝く

2009年09月14日 15時33分15秒 | Weblog
 去る九月七日、演出家・竹内敏晴さんが亡くなったことをサジさんから知らされた。
 死亡欄はあまり読まないのはいけないと思った。
 そういう年齢に差し掛かってきたということに一抹の寂しさを感じた。
 享年八十四歳。
 
 野口三千三先生とは、或る時期、深いかかわりをお持ちになった方だった、と伺っている。
 頻繁に西巣鴨の先生宅をお訪ねになって学び、彼のメソッドのほとんどは野口体操なのである。

 そして出世作となった『ことばが劈(ひら)かれるとき』は、「竹内さん、あなたが書きなさい」という野口先生の強い薦めによって書きあげられ出版されたと聞いている。
 
 思えば平成の変革期に一時代が終わった感がある。
 平成であっても、むしろ実感として昭和が終わった今このときを、しっかり見定めて旅立たれたような気がしてならない。
 個人的な好き嫌いは別にして、彼の‘身体’へのまなざしには、長いこと闇のなかで閉ざされていた‘ことば’との親密な関係を解きほぐす視点が定まっていたのだろう。
 それは野口三千三との出会いなくして、‘身体’と‘ことば’は解き放たれ新たなフォルムを与えられることなく、彼の内側でいつの間にか消滅する定めだったのではなかろうか、と私は思う。
 
 繰り返すが、昭和が幕を閉じ新しい時代が幕をあけた。
 竹内氏の死を悼みお悔やみを申し上げたい。
 合掌。
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利き酒

2009年09月13日 19時15分58秒 | Weblog
「羽鳥先生、今、サーカスの歌が終わったんですよ。でも上には、ロボットも来てますから行ってみませんか」
 朝日カルチャーセンターに到着するやいなや、担当の緑川さんに話しかけられた。
 そこでエレベーターに乗って7階ロビーへ。
 工学院大学の学生さんたちが、ロボットについてリモコン操作しながら説明し、観客にも遊ばせてくれた。
 NHKロボットコンクールにも出場したメンバーとロボットだそうだ。
 動きを見ながら‘シャルウィー・ダンス’、そのうちロボットダンスができるんじゃないか?と思った次第。 

 実はロビーを使ってのミニコンサートやロボットお披露目やオープンカレッジ等々の催しは、朝日カルチャーセンターが10月からJTBの資本参加を受けて、新しく再編される記念行事だ、と次第に合点がいった。
 昨日12日(土)の午後は、いつもとは全く違った賑やかな雰囲気に、カルチャー全体が包まれていた。

 そして5時半、レッスンが終わっていつものメンバーと帰ろうとしたとき、またまた緑川さんに声をかけられた。
「利き酒をやってますよ」
「エッ」(全員の喜び声)
 さっそくロビーに向かった。

 お酒は滅法ダメ、という私も、少しだけというサジさんも、相当いける口の面々に従ってゆき、利き酒コーナーのテーブルを囲んだ。
 向かって左端から順に呑み比べていく。
 発泡酒風日本酒、大吟醸、生日本酒、5年(もしかすると10年かも)ねかした日本酒(これは琥珀色でウィスキーに近い味)の四種類の日本酒を、口上をうかがいながら‘利き酒’するのは楽しいひとときだった。

 全部ためしてもお猪口に一杯ほどにも満たない量だが、体操をしてめぐりが良くなった臓腑には、渇いた砂に水が沁みこむようだった。
 やっぱ大吟醸酒でしたね! おしかったのは。
 
 ウィスキー、ブランデー、ウォッカ、紹興酒、ワイン、チェリー酒、梅酒、……、これまでに舌の上に転がしたことがあるけれど、日本酒の利き酒ははじめての私。
 お酒は弱くても、チェリーボンボン、ウィスキーボンボン、ブランデーケーキ、酒漬フルーツケーキ(とくに銀座ウエストのブラック系)は、むしょうに食べたくなることがあるんですよね、とその場で告白出来る雰囲気ではなかった。

 てなわけで、帰りがけに教室に通っている皆さんとの利き酒は一興でした。
 今度は‘焼酎の利き酒’でも……いいわね。
 例の‘かんのこ’の話ににちなんで、でーす。
 新宿駅ホームで心配しながら見送ってくださったMさん、そんなに赤い顔をしてました? なんてことなく良い気分で無事に帰宅したことを、この場を借りてご報告。
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地縁・血縁、その他雑感

2009年09月12日 11時47分16秒 | Weblog
 一週間、すっかりブログ更新を怠ってしまった。
 衆院選挙以来、新聞を読みテレビを見る時間が増えた。
 政権交代が実現して、新しい顔が画面に現れ、何かを語っているとついつい聞き入ったり見入ったりしてしまう。

「ゥム、数年間は政治から目を離せない」
 いつの時代も目を逸らしてはいけないのだが、歴史的な変換の時代に入って、やっぱり選挙前とはあきらかに空気が違った。
 直近は参院選だが、四年後の衆議院選までの間に何が起こるのか、ぼんやりしていてはいけないような気がするのだ。

 たとえば日本の舵取りを行う閣僚が発表されるのはもうすぐらしい。
 一つ残念だったのは、社民党の対応だ。福島みずほさんが、閣僚ポストをめぐって要求を出した後になってポスト変更をするなんて! その理由がみっともない、と内心思った。最初からよく考えて要求をだせばいいのにねぇ~。いや、こんなことを思うのは、社会党党首だった村山さんが総理の座についたとき以来だ。あの時は驚いた。辞退した方ががいいと思った人もいたはず。でもやっぱり政治家となったら一度は大臣になりたいんだよね~、と巷の噂となった。
 今回、ただ内閣の足を引っぱるだけで実力が示せなかったら、嫌な予感がするんですよね。

 それはそれとして風前の灯火とまではいかないが、近くの商店街の親父さんたちが「これで大丈夫なんですかね」と話し合っている会話を耳にした。
 実は、片付けのあとは、老後の暮らしを考えるきっかけに、地域を見回したり、疎遠になっていた親戚との距離を縮めたりすることに専心してきた一週間であった。
 
‘遠くの親戚より近くの他人’という諺があるが‘近くの他人より遠くの親戚’もアリだってことに気づかされた。年をとってくると両方大事なのだ。
 かまびすしい! などといわずに、しばらくは政治の行方にアンテナを立てておきたい、秋到来。
 
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一服の茶

2009年09月05日 09時00分08秒 | Weblog
 とにかく腕が太くなった、というと大袈裟ではあるけれど、二の腕の力が漲っているのだ。
 なぜか?
 それは夏の片づけだ。
 このあたりは一週間の間に‘可燃ごみ’は二日、‘不燃ごみ’は一日、さらに粗大ゴミの手前の大きさのゴミは小家電製品収集日は月に二回、そして‘資源ごみ’が一回となっている。

 そのすべてに捨てさせてもらった。
 まだ昭和のものが主である。
 母のものは、すこしだけ手をつけさせてもらった。

 45リットルの袋に満杯にして20袋はくだらなかった。
 そのほかまとめて縛り付けて出すものもあった。

 こうしてみると次に何がしたいのかが明確になってきたのは有難い。
 還暦に絶つことで、新しく立ち上げる可能性が見えてきた。
 普段使わない頭も使ってみると、見えなかったことが見えるようになり、決して‘固執’とは思っていなかったことが実は‘執着’や‘固執’であったことに気づかされたり、片付けは片付けの域を超えて、新たな道を照らしてくれることだった。
 
 久しぶりの晴天、今朝は、一服の茶が美味しかった。いつもと同じお茶なのに~。
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知りたくないの

2009年09月04日 18時46分57秒 | Weblog
 NHK[知る楽」で、なかにし礼さんの話を聞いた。
 以前、『長崎ぶらぶら節』を読んで以来、作家としてのなかにし礼さんを好きになっていた。

 今日は歌謡曲の音韻(リズム)論だった。
 日本の和歌の伝統の七・五調でかかれたものがヒットするのだが、それを壊したのが彼のシャンソンの訳詩だったと知った。
 昭和三十年代は小学生まで『枯葉』を歌ったりするほどシャンソンは流行った。
(こう書きながらも丸山(三輪)明宏さんや越路吹雪さんの歌声が聞こえてくる)
 そしてなんと言ってもエディット・ピアフが歌った「愛の賛歌」だ。

 さて、この番組で懐かしい歌を聞いた。
 菅原洋一さんが歌う‘あなたの 過去など 知りたくないの’である。
 もとはアメリカのカントリーソングだそうだ。
 それをなかにし礼さんが訳詩して、ヒットした経緯について話された。
 
 幸運だったのは「過去」のところ、つまり‘かこ’はアクセントが‘か’にあって‘こ’は下がって発音される……‘過去’と歌われるところは、音程が上から下へ下がっている。
 詳しく書くと「ソ~~ミソラ~~ド~ラソミ」この‘ド~ラ’とおりる‘ド=か(過)’で‘ラ=こ(去)’と言うわけだ。

 最近では日本語の言葉のアクセントと音程の動きを、一致させることが無視される傾向にあるが、近代日本の西洋音楽技法による歌は、ほとんどが一致させて作曲されてきた。
『知りたくないの』は、訳詩をするときに「ひらめき」が起きたはじめての曲だったそうだ。ひらめきが訪れると、ヒットにつながるとおっしゃる。
 
 ダンスホールでこの曲に合わせて踊る人が日に日に増えて、とうとう入り切れなくなった、というエピソードも頷けた。
 甘い声に酔って踊るときの気持ちよさは、相当な快感を呼び起すはずだから。
 それまでの歌謡曲や演歌にはない大人のムード歌謡というところだろうか。
 日本の大衆が知った‘からだ丸ごとの癒し’のハシリかもしれない。

 野口先生はおっしゃった。
「人には秘密があっていい。すべてを知ることだけが価値ではないよ」
 人を愛する極意かもネ!
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