羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

今週はさまざまなことの一週間

2011年08月27日 09時35分24秒 | Weblog
 8月も残すところ僅かとなった。
 今週は、或る意味で大事なことを次々こなした週かもしれない。
 
 日曜日21日は、マンションの総会があって、これまでは管理会社の担当者が一人ですすめていた議事進行の役が回ってきた。どうなる事かとおもっていたが、まんざらではない議事進行ができたことは、自分でも驚いている。こうしたことは不得意と思い込んでいた。いや、この年になったので多少はできるようになってのかもしれない。今までの管理会社が二転三転して、とうとう大手の子会社となった。それに伴って面倒な説明と手続きをしなければならなかった。或る意味重要な総会だったが、出席者はいつものメンバーに一人増えただけだった。こうした活動は、もっと改善されてほしい。はやく理事長を辞めさせてもらいたい。

 月曜日22日は、母の要介護1の再審査のために来客。1時間ほど在宅。母に質問をしたり、椅子に腰掛けて片足ずつあげさせたり、腕を上にあげたり水平に保つ動作のあと部屋の中をぐるりと歩かせたりした。他にも答えられない質問をして、今回も要介護1はいただけそうだ。

 水曜日24日は、終日家にこもって『原初生命体としての人間』手書き原稿をScanしiMacに取り込み、1949年から1979年までの資料整理を一旦ここで打ち止めとする。今度は冬休みに再開したい。

 木曜日25日は、所用で外出。途中、叔父の家を見舞いもかねて訪ねた。相当、認知症らしき症状がすすんでいた。高齢者問題は身の回りにあって、これから深刻になってくることに、いささか気が重くなる。他人事ではなし!
 立ち寄った銀行では系列証券会社の担当者から一時間ほど、世界と日本の経済情勢動向についての話を伺った。とんでもない情況に陥っているのに、「民主党に対してはいい加減にしてくれ」と言いたいが、声を出す“気”もそがれてしまう。待ったなし!なのに、学生運動、市民運動のセクト争いを見せられているようで、これでは政治とは言えない。民主党は政党ではない。「強い総理はいらない」と仰せになる政治評論家もおられるが、「男泣きはまっぴら」といいたいシーンを見せられては先が案じられる。かといって国民の支持率の高い候補者が総理になってまとめられるのだろうか。このままでは二つに割れるしかないのではないか。かといって野党もねぇ~?大連立は私は反対。でも、仕方がない局面もあるのかな?

 金曜日26日は、池袋シアターグリーンで「STUDENT ART FESTIVAL」(日大、慶応、明大、大阪芸大、上智、多摩美、各大学から)参加作品の一つを観る。明大のグループによる公演だ。出し物は『Hear There Here』である。荒削りで完成度は今一だったが難しいテーマを若者エネルギーで押し通していた。「存在と不在」「物と思い出」「生死」についいてドタバタ劇シーンもありながら、その対比でちょっとウルウルこみ上げるものがあった。若者が何を感じ考え表現しようとしているのかを楽しませてもらうには、他の大学の作品を観ることも大切か、と思った。野口先生が1960年代に深い関わりを持った「新劇界」と「演劇と教育」のうち、その二つを橋渡しするセミプロを目指して現代を生きる学生演劇を観たかった。行ってよかった。

 そして今日は、午後から朝日カルチャーの野口体操講座。先週に引き続き、「遡ることは朔じまること」で、本日は「上体のぶらさげ」を取り上げたい。もうひとつ、自筆原稿がもつエネルギーと怨念に近い思いをどのように受け止めるのか、について。
 
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自筆原稿Scan ふ-ッ!

2011年08月24日 17時36分04秒 | Weblog
 野口三千三先生の最初の本、『原初生命体としての人間』は、1960年代半ばから70年にかけて、種々の月刊誌やテキストに発表された原稿に、改訂加筆されて一冊にまとめられた。
 これまで、1949年から1979年までの月刊誌や新聞の他にも自筆原稿やメモをScanして、iMacに取り込んできた。先週末におおむね完了していた。その間、この書籍の自筆原稿を、果たしてScanしたものかどうか迷っていた。キャリアシートに挟まないことには、普通の状態ではScanができない。

 今日は、思い切ってその作業を午前中から始めた。
 最終的には、本のページからどこの部分かを見つけ出しながら、チェックを入れて一応の区切りをつけるまでに相当な時間を要した。半日ではできあがらなかった。

 これで残すところは、1980年から1998年までの18年間ということになった。
 ここまでくるとちょっとほっとしている。

 さて、8月20日土曜日には、サジさんが野口先生の写真を綺麗にプリントしたものを朝日カルチャーに持参してくださった。レッスンで見た方々は、ホーッと声をあげて、その64歳の筋肉に驚き、戦前から鍛えた「腕立て伏臥の腕屈伸(腕立て伏せ)」のピシッと決まった乱れのない姿勢に感嘆の声が上がった。
 今の若者には到底できないことだ。
 とにもかくにもこうした機械を身近におけることで、可能になった仕事と言えるかもしれない。

 まだまだ先は長いけれど、緒につくことができたことは嬉しい。
 地味な作業こそ疎かにしてはいけない。そうです。これも野口体操!
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八月も早下旬

2011年08月19日 13時09分55秒 | Weblog
 7月末からぼちぼち始めていた資料整理は、一つの山を越えた。と、言ってもまだまだいくつも山があるのだけれど。
 この二週間は、八月のお盆には関係がない東京人としては、絶好のチャンスだった。
 ひたすら家にいて、判で押したような毎日を過ごした。
 たまに客人が見える程度で、一気に仕事が進んだのでありまーす。

 1949年(昭和24)から1979年(昭和54)までの30年間。今日は、『原初生命体としての人間』が出版されてから数年分の資料をScanしPCに入れこんだ。
 70年代といっても、それから40年も月日がたっている。紙の質も相当に問題があって、ほとんどがそのままScanできない。そこで登場するのが、A3キャリアシートである。これに一枚ずつScanする紙をはさんで、読み取るのである。曲げたままのつもりはないが、読み取られたものが斜めだったり、見開きページの左右が逆になったりして、何度もやり直しをする事になった。
 それでも曲がったままどうにもならないものもあった。

 気分転換にMさんから送られてきたDVD『赤い風船』や『白い馬』を見た。『赤い風船』は、1956年(昭和31)東京・有楽座で『沈黙の世界』と同時上映になったものだ。
 脚色・監督:アルベール・ラモリス
 撮   影:エドモンド・セシャン
 音   楽:モオリス・ル・ルウ
 編   集:ピエール・ジレット
 少   年:パスカル・ラモリス

 風船に導かれて、パリの街散歩をしているようだ。大人の童話ファンタジーの世界が、『沈黙の世界』海底探検と一緒に上映されたことがなんとなくおかしかった。「おかし」とは、興味深いって意味なの。

 さて、私の修行に近い資料整理は、ただScanするだけで終わらせなかった。ざっとではあるけれど、すべてに目を通し、書かれた内容を確かめておくことをしていた。機械的にこなせばもっと時間はかからない、と思う。それでは勿体ない。ここは、腰を据えて取り組むことにした。

 特筆すべきは、『原初生命体としての人間』が、一冊の本としてまとめあげられるまで、最後の十数年間の苦労はこのことばに集約されている。1972年初版の三笠書房版、「あとがき」の一節である。
『難産だった。無痛分娩というわけにはいかず、あまり快感のともなうものではなかったのである。しかし、難産の末に産み落とした初児であるだけに、今は、強く烈しい愛情が湧き、母親の苦しみと喜びがわかるような気持ちになっている』
 必ずしも好意的ではない人も含めて、当時の先生を取り巻く人々との関係も資料を通して読み取れたことは、大いなる収穫だった。無理もない。1960年代にどれほどの人が、理解しただろうか。
 文字に落とし込んでいく作業は、先生にとっては猛烈に大変ことだったことを、改めて受け取らせてもらった。それに引き換え、動きのイメージを膨らませるきっかけとなっただろう『沈黙の世界』は、どれほどインパクトが強い映画だったに違いない、と半世紀以上も前の時代に思いを馳せている。

 ひたすらPCとScan Snap、そして隣の部屋の坐り机の前に座して、黙々と過ごした夏の時間は、もう少し続きそうだ。

 雷と稲妻を伴った雨が降りしきる午後に記す。
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8月15日が近づいて

2011年08月10日 13時30分37秒 | Weblog
 つい先日のこと、Facebookの投稿を通して、朝日カルチャーセンター・新宿校は「カラダ文化の聖地」とよばれていることを知った。
 確かに、古今東西文化が生みだした身体観による身体技法を伝授する講座が豊富に提供されて久しい。
 そのなかで野口体操は、野口三千三先生が20年間常設講座を担当された。その間、私は助手としてお供し、没後はその教室を引き継いで14年目に入っている。通算、33年ということになる。
 実に、受講してくださる方があって可能な継続。本当にお蔭さまです!

 さて大学の体育に目を転じてみると、そこでも多様な身体文化が展開されている。私が授業を持っている大学では、野口体操はもちろんのこと、太極拳、ヨガ、インド武術、ピラーティス、クライミング、クラシックバレー、ダンス、よさこい等々あげたらきりがない。
 当然、以前からある剣道や柔道はもとより、日本馬術、日本泳法といった授業も組み込まれている。
 今を生きる若者たちは学生一人一人の自覚はともかくとして、教える側からみると実に恵まれている。言ってみれば、あらゆるスポーツやフィットネス以外にも、多様な文化的背景を持つ身体との向かい合い方を学ぶ機会が増えているのだから。
 つまり現代は、価値観の多様化とグローバル化によって、世界の文化をからだの動きを通して学ぶことが、広い意味での“身体の教養”になりつつあることの証明だ。
 培われた文化、その文化を作り上げた民族の魂、価値観、社会観、宗教観を理解するのに、言葉の理解と同時に身体を通して実感として捉えられる非言語コミュニケーションの大事さを、尊重してゆかなければ立ち行かないことに気づいた結果ではないだろうか。

 西欧列強の言語を学ぶことから始まって、政治組織、国家のありよう、軍事組織、等々、大きな枠組みでの文化や文明を輸入し、「和魂洋才」、欧化政策に邁進した近代から、全地球規模の共存を考えなければ環境・資源・食料、そして経済が成り立たない新しい時代を迎えていることのひとつの現れである。
 絶対的価値観から相対的な価値観へ。そのなかでものごとに取り組むことが、これからの時代を作り上げる若者は自然なこととして受け入られる力が、そのまま「生きる力」になるからだ。
 
 ただし、まず自分が依って立つ処をしっかり見定めてもらいたい。
 野口体操の立場から言えば、そこは身体ということになる。もっと狭めれば、「自然の分身としての自分の身体」なのである。
 おそらく敗戦の焼け野が原に立って、傷つきながらも、マイナスの身体から出発し、新しい体操を作り出すことが、生き残った日本人のひとりとして野口先生に課せられた戦後の使命だった違いない。
 
 思えば、これまでにない自然の原理に即した身体の動き、体操(彩なる釣り合いを求める身体技法)の創発。そこから導きだされる人間の見方、価値観、次なる時代への橋渡し、といった諸々が、最後の二十年間で集大成されていく場の一つとしてあるのが今私が継承している教室なのだ、とうようやく思えるようになった。
 野口体操は、戦後日本の社会文化から産まれた“身体からの発想”をベースにした唯一独自の体操であり身体哲学である、といってもよい。しかし、それは日本全国くまなく普及しなければならい、というものではない。文化はもともと手作りが基本だ。一人の手からもう一人の手にしっかり手渡していくこと、それが命なのだ。そこには当然のことに限界というものがある。限りあるなかで、これからどのように伝えていくのか、考える夏休みにしたい、と思っている。
 そして“カラダ文化の聖地”と言わしめるその源を築いた二階のぶ子さんが、強引に開講してくれたことを思い返して、来し方を振り返る8月である。
 
 同時に、敗戦後の野口先生にとって一年の始まりは正月ではなく8月15日である、という言葉をこの手にこの身体に受け取った重さを今更ながら深く感じ入っている昨今でもある。
 
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映画「沈黙の世界」、55年前の先生の感動を分かち合える幸せ

2011年08月08日 09時12分48秒 | Weblog
 1956年制作『沈黙の世界』のDVDが手に入った。
 同時に日本では有楽座で上映された。そのときのプログラムも手に入れた。アマゾン経由である。
 映画は、同年のカンヌ映画祭でドキュメンタリー部門グランプリ受賞。アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞。
 監督・水中撮影:ジャック・イブ・クストオ、ルイ・マルが生み出した傑作である。

 プログラムは広告も含めて、昭和の香りぷんぷんである。
 それに引き換えDVDはさすがにデジタル加工されていて、英語吹き替えに日本語字幕がついている。
 映像の綺麗さ、飽きさせない物語展開は、55年の歳月を超えても強烈に訴えかける力が随所に漲っている。

 思い返せば、日本で白黒テレビ放送が始まったのが1953年(昭和28年)だ。まだまだ各家庭にくまなくテレビが購入されている時代ではない。そうした情況のなかで、今とは比べ物にならないくらいに、当時、娯楽としての映画は多くの観客を集めていた。
 そのような背景のなか、野口三千三先生が『沈黙の世界』を見て、感動に全身をふるわせただろうことは想像に苦しくない。体操の動きに直結させて、さまざまな発想を得られたことは間違いない。相当に強いインパクトをこの映画から受けた、と自信をもって申し上げられる体験をしている。それは後に、角川春樹制作映画「レックス」をご一緒に見たときの先生の興奮状態から、十分に察しがつくことである。

 さて、昨日早朝のこと、DVDを再生して見て、思った以上に綺麗な状態に感動した私は、朝日カルチャー日曜日クラスに、このプログラムとDVDを持参した。全編を通しで見入ると82分ほどかかる。そこでさわりだけちょっとご覧にいれることにした。こんなとき重宝なのが、PanasonicのPortable DVD/CD Playerである。小さい画面、音声は今一だが、時節柄、人数が少ないことを想像してこれでいくことにした。

 ばっちり予想が当たった。よかったですよ!ご覧に入れて。
 出だしから10分くらいだろうか「パート2の潜水病のエピソード」までを見ていただいた。
 みなさんの眼を釘付けにしてしまった。

 野口先生がどれほど興味を惹かれ、どれほど驚嘆されたか、その心情までもを想像の範疇に挿入して、それぞれが味わってくれていることが伝わってきた。
 このブログにも載せた「デッサンと談話の会」に寄せた「いつも波のように」と題した野口先生のエッセーのコピーを配ったこともあり、感慨は一入だった。
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「野口体操ほっこり作戦」

2011年08月06日 08時19分04秒 | Weblog
 本日、8月6日(土)、1時45分から3時15分まで、朝日カルチャーセンター新宿で、野口体操のマッサージだけを、丁寧にお伝えします。
 学生には一番人気の気持ちよさは、抜群。
 伝える方は結構汗だくなんですけどね。
 でも、これは人類の宝だと思ってます。
 さて、ミッションに励みましょうぞ!と、朝から気合いを入れている私であります。
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節電と超クールビズ

2011年08月06日 07時31分28秒 | Weblog
 先日、打ち合わせのために総務省第二庁舎をたずねた。
 廊下という廊下は真っ暗で、室内もこれまでの半分以下に落とされている状態。蛍光灯がはずされていて察しがつくわけだ。
「どの省庁よりも率先して節電し、手本を示さないといけないものですから」
 打ち合わせも薄暗い中で行われた。
 極端な言い方をすれば、新宿駅周辺の節電とは比べ物にならないくらい、電力消費を抑えていることがわかる。

 会場を見せたもらって、大枠の話を終えて建物から出る前に、トイレに立ち寄った。
「さすがにここだけは、比較の問題だけど、煌煌と電気がついているわね」
「?」
「男子トイレはどうなっているのかしら?????」
 同行してくれた朝日カルチャーセンターを定年退職された二階さんとコトバを交わした。
 入局する時に非常に厳しいチェックをうけたところを二カ所通り抜ける。
「外の方が、涼しいわね」
 思わず顔を見合わせた。
 夏の暑さが遠のいている8月上旬である。

 いずれにしても知りうる範囲の東京だが、相当に節電意識は高い。高いだけでなく実行されている。
 その上、7月中旬以降から、台風の動きの影響で涼しい日が続いている。
 我が家でも窓という窓を開け放つと、団扇で十分たりて、新しく用意した扇風機すら使わない日もある。

 さて、さて、これからお盆あけを心配するニュースが流れている。
 気温次第だが、その気になって多くの人が節電を実行するだろう。

 それにしても超クールビズの服装がどのようなものなのか、拝見してきた。相当にラフで、楽そうだった。とはいえ職種にもよるし、その日の仕事内容にもよるってことでしょう。
 
 初めて足を踏み入れた官庁の様子でした。
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いつも波のように

2011年08月02日 19時19分28秒 | Weblog
 古い資料は大変に読みにくく、Scanしてからワードに打ち込み直しをしました。
 本日は、それをひとつここに公開します。
 野口三千三先生45歳11ヶ月のときのエッセーです。

      ***********



   デッサンと談話の会 

談話会記録(1960年5月~9月)
 
 第1回 5月8日  〈人体美学随想〉西田正秋先生 
                 (人体美学専攻 東京芸大教授)
 第2回 6月25日 〈制作の祈りにふれて〉佐藤忠良先生
                     (彫塑、新制作協会会員)
 第3回 7月24日 〈絵画と民族性の問題について〉岡本太郎先生
                      (絵画、二科会会員、著述家)
 第4回 8月28日 〈高島屋のウィンドゥディスプレイについて〉
            坂田恒雄先生(商業美術、高島屋宣伝部装飾係長)
 第5回 9月25日 〈美しいフォームのために〉野口三千三先生
                       (体育学、東京芸大助教授)

 以下、野口先生の文章です。

 第五回談話会テキスト
            テーマ「美しいフォームの創造のために」
            講師 野口三千三先生 
                日時:9月25日(日)午后6時
                会場:東電神楽坂支店集会室            

*いつも波のように
 動物の進化の過程の大部分は、水中での生存競争の歴史であるという。したがってこの生存競争の勝者である現在の高等動物の多くのものが陸棲とはいえ生まれつきかなりの游泳能力を具えていることは当然のことかもしれません。しかしその高等動物中でのチャンピオンである人間が、相当練習しなければ泳ぐことができなくなっているのはどうしたことでありましょう。
 映画『沈黙の世界』、『海底の神秘』などに見られる水棲動物の動きは、見る人によって非常に美しくも感じられ、また気味悪くも感じられるでしょうが、動きの速いものも遅いものもいちように或る種の『波の動き』であることに気づかれることでしょう。水棲の生物は水中生活に適応して水そのものの持つ動きと共通の波の動きを得たが、陸に上がった生物が大地と大気の間にあって、それに適応して、どのように形や動きが変化して来たのか、そしてどのように変化するのが好ましいのか……。陸棲の高等動物でも、猫科の(ライオン、ヒョウ、ネコなど)は、両棲類や爬虫類のように、明らかに波の動きを失ってはいません。人間が泳ぎを忘れ、波の動きを失いつつあるのは、果たして陸上生活に適応した進化なのか、それとも退化なのか。
 
 人間の文化生活の花形である電気も、音楽における音も、美術における光も、すべて波であるという。人間の肉体に滑らかな効率の高い『波の動き』が失われてきたのは、人間が文化生活によって動物であることを忘れて動くことを怠り精神的な持続的緊張を強いられて肉体の中にも無意識の持続的緊張が生まれ、それが錆びつきとなり抵抗となって波の流れを阻み絶縁してしまうからだと考えられます。また、「気ヲツケ、緊張、疲労、○○(直線?)」を連想させるような不自然極まる從来の体操によって、自然の動きに対する感覚を麻痺させてしまったのだと考えてはいけないでしょうか。
 
 人間も動物であり、大自然の中の一つの『もの』に過ぎないことを思って、一つの動物としてどのように動くことが必要なのか、一つの『もの』としてどのように動くのが本当であろうか。こんなことを私は新しい体操として本気に考えているのです。そして頭脳の働きがその効率において、どんなに精密な機械よりも比較にならないほどすぐれている人間が その肉体の働きに於いても大自然の動きの理法『波の動き』に素直にしたがい、それを活かしていったならば、頭脳のそれのようにすばらしく適応進化してゆくであろうと甘い夢を描いているのです。

 以上です。

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