羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

防災訓練

2015年09月29日 13時08分41秒 | Weblog
 9月最後の日曜日に、この地域の連合支部合同防災訓練に初参加した。
 各地区から集まった人数は、200人~300人くらいだろうか。
 災害のときに避難所となっている近くの小学校で行われた。
 まず、あいにくの雨で校庭がつかえないこともあって、体育館で全員が地区ごとに一列に並んで、会長さんの挨拶を聞く。
 続いて訓練の仕方を消防署の人から説明を受けて、それぞれ一つずつ体験することになった。

 内容は継の通り。
 1、応急救護訓練……AEDの使い方。これは以前に大学で受けたこともあって、他の方に譲った。
 2、煙体験訓練   口にタオルを当てて、テントの壁に手を触れながら低い姿勢で煙の中を通り抜ける。
 3、初期消火訓練  この場合は、水が入っている消化器で使い方を習った。
 4、消火栓の使い方 女性には無理だ!という印象。
 5、起震車体験   震度7の縦揺れ、横揺れ、を体験。
 6、炊き出し訓練  これは誰かがつくってくれたあたたかい炊き込みご飯とフリーズドライのみそ汁のもとをもらう。

 消化器の使い方は、自分の家にあっても試してみることはないので、受けてよかったと思った。
 煙体験は、実際はこんなもんじゃなかろうと、一緒に入った町会の人たちと話し合った。
 そして圧巻は、震度7体験だ。実際に7の揺れの地震が来たら、立ってはいられないし、飛ばされそうだ。わかっていても相当に恐かった。願わくば、地震にはあいたくない、とつくづく思う。
 最後の炊き出しのご飯は自宅に帰って食してみた。このようなあたたかいものは、きっと食べられないだろう、と思った。でも、こうした食事が配られるとすれば、幸せだと思う。
 
 いちばん問題に感じたのは、最初に集合した避難所の狭さだった。体育館のなかには、入りきれないことが予想される。
 まず、そこまで無事にたどり着けるかどうかもあやしい。

 災害は、いつ、どこで、どんな状況であうのか。”運”の一言ににつきる。
 「運です」。
 いつもは参加できなかったが、今年はたまたまオフ日だったので、受けてみてよかったと思っている。
 20人以上の消防署の人たちの物腰は優しかったが、ふと、戦時中の隣り組の訓練を想像してみた。
 いざとなったら、その時のことは正直なところ考えたくない、想像したくない。
 防災用品も取り揃えておかないといかん!とだけは思った次第。

 また来月には、違った訓練があるらしい。
 時間があったら参加してみようか、と思っているのであります。
 地域の人間関係は、実は、とても大事だ。

 
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文章は行間に、絵は余白に、立体は空気に……

2015年09月28日 12時20分11秒 | Weblog
「何、これ?」
 紙面上の写真では焦げ茶色よりも少し小豆色がかった瀬戸茶碗らしきものに、白地に藍色の染め付けらしき磁器らしき茶碗の一部がV字形に入っている一個の茶碗である。
 本日、9月28日付けの日経新聞朝刊文化欄に目が止まった。
『「破格の陶芸 十」▷5 美術評論家 森孝一』
「瀬戸筒茶碗 銘は呼継」とある。
 なんでも織田信長の弟で織田有楽斎所蔵で、後に細川三斎の秘蔵となったものらしい。
 で、「呼継」とは、壊れた部分に同じ形の陶片で補修する技法だという。
 金繕で修復するところを全く異なったもので補うところが粋であると著者は書いている。
「へー」
 そういうものだから、茶碗の写真が、まず目に入って、その異質感を持ったわけだ、と記事を読んで納得した。

『文章も同じで、「最後の結論を書くな」』と森氏のお師匠さんに言われた、と言葉がつづく。
「そうだわ、いい話を読んだ!」
 原稿の最後のまとめ数行に挌闘している私としては、思わず “渡りに舟”、とばかりに膝を打った。
「書きすぎちゃいけないんだー」
 それってちゃんと読者を納得させられる結論があって、それでも意識的に “ぼかす” ってことよね。
「なるほど、なるほど」

『文章は行間に、絵は余白に、立体は空気に本質がある』とおっしゃる。
 もう一度、写真をよく見る。
 すると最初の違和感はすっかり消えていた。
「直に見て、この手に包み込んでみたいなぁ~」
 まッ、無理なことだけれど。
『間や余白を大切にする感性がなかったら、継ぐという日本の文化も生まれなかったであろう』
 破格の陶芸は、破格の付加価値がついて、値が付けられないほどの高価な古美術品となるのか。

 最後、最後、あと数行をいかにまとめる?!
 自問自答しながら新聞を切り抜いた。
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非日常、そして旅好き!

2015年09月18日 08時52分24秒 | Weblog
「旅は好きだ」
 そう確信した。
 それは昨日のことだった。
 地下鉄銀座線・浅草駅で下車して、雨に煙る吾妻橋の中程で、暮れ時の隅田川を眺めていたときのこと。
 屋形船が一艘、河岸に係留されている。三十個以上はあるだろうか、吊るされている提灯には灯が灯されて、そこだけが薄暗闇の川面にゆらめき、遊びの名残をとどめているようだった。
 視界を上へ。
 どこを探してもスカイツリーは見つからなかった。
 ビル群も夕闇と雨をもたらす低くたれ込めた雲に閉じ込められていた。
 そんななか目的地のアサヒ・アートスクエアの屋上にある金の炎“フラムドール”がぼんやりとオブジェの輪郭を闇の中に溶け込ませている。
 止まっているような町のなかで、高速を行き交う車のライトだけが、唯一、街が動いていることを見せてくれる。

 野口体操を、短い時間だが伝えるために、浅草にやってきた。
 一歩足を踏み入れると、天井も高く、現代ダンスやさまざまな無国籍なアートを展開するのにふさわしい雰囲気の非日常の空間が広がっていた。
 
 セッションは6時から始まる。
 気づくとなし崩し的に、始まっていた。
 私もまな板と包丁をあてがわれて、缶詰のマッシュルームをみじん切りにするお役をいただいた。
 隣の女性と、彼女の前の男性参加者は、タマネギのみじん切りに精を出している。
「何をつくる、って?」
 トマトベースのソースを、ハーブの香りを活かしたものと、各種スパイスをきかせたもの、二種類だそうだ。
 火にかけて、前段階が終わる。更に煮詰める時間に、野口体操を40分ほど体験してもらう段となった。
 ここは省略。

 さて、体操が終わる頃に、アルマンド・トエス・パエスさんが日本人の奥さんと会場に到着していた。
 聞くところによるとキューバ人のダンサーで、日本に来て5年だそうだ。奥さんはキューバで知り合って、彼と一緒に帰国したとか。彼女の助けで、両国でサルサクラブとイベントスペースを経営しているそうだ。

「ご一緒にどうぞ」
 企画の方に誘われて、サルサダンスのさわりを習うレッスンに参加した。
 歩くだけなんです。
 いや、ダンスって基本的に歩くだけなんですねー。
 初めのうちは遠慮して後ろで基本ステップを踏んでいた。
 そのうちに音楽が鳴りだす。
 かなり大きい音だ。しかし、不快ではない。良い音が鳴っていることと天井が高く、音響がいいことが救い。

 音楽に合わせて3つのステップを練習したところで、環になって男女で組むことになった。
 踊りの間に相手を変えてゆく。
 一人だけ習って1年という男性が交じっていたが、全員サルサは初めて!
 3周くらいしたしただろうか、新しいステップが一つ加えられた。これだけは結構難しかった。
 かれこれ40分以上、踊っただろうか。
 
 それから一息入れて、最初につくったソースの試食である。
 フランスパンや茹でたジャガイモに二種類のソースの味見。
 タマネギとマッシュルーム、レモン、セロリに各種スパイスがまろやかにこなれていた。
 箸休め役のピクルスが、ソースの味を引き立てる。
 ビールとお茶は飲み放題。アサヒだものね。
「お酒が飲めないなんてつまらない」
 なんてと愚痴は、いっさい言わない私。

 ちょっと名残惜しかったが、一足先においとました。

 季節外れの冷たい外気に触れる。
 心がふわっと宙に浮く。
 するとさまざまな映像が脳裏にあらわれては消える。
 先週の鬼怒川の氾濫。落ち着く間もなく調布を震度5弱が襲った二日目。
 阿蘇山の噴火。
 その間の国会の荒れ模様。
 しかし、火曜日の公聴会をニコニコ生放送で2時間半ほど見られた。
 昨日の不信任動議のほぼ全体を聞いた。
 セレモニーだった公聴会。あっけにとられた怒号と混乱の可決までは見られなかったが、時代の大きな曲がり角を見届けている。
 クーデターという文字が、紙面に浮き彫りになって目に飛び込んだのは、一回や二回ではない。
 日本は変わる。
 いや、変わってしまう。
 しかし、カオスの中から、若者は立ち上がった。
 大人は思う。
 いったい安倍総理は、誰にも明かさない、明かせない何を胸中にしまい込んでいるのだろう。
 実に、実に、不気味である。
 
 さて、帰路、再び立った吾妻橋から東京湾方面を見つめると、視界は遮られて何も見えない。
 夜の9時だから仕方がないのだが。
 隅田川にたれ込めた限りなく黒に近い灰色の雲は、はっきり見えないだけに嫌やな予感の色を深く増していた。

 さっきの時間は何だったのか。
 キューバのサルサ、音楽。
 編み込まれた長髪。
 あの黒い肌に隠された思いもまた、複雑なのだろうなぁ~、と組んで踊ったパエスさんの鎧のような筋肉の硬さをふと思い出した。

 そして、私はつぶやく。
 本当は、旅好きだった! と。
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国勢調査 インターネット回答

2015年09月14日 13時39分54秒 | Weblog
 たった今、平成27年国勢調査インターネット回答を終えた。
 以前行った、紙の回答よりもはるかに楽だった。
 でも、パソコンが古いバージョンになった場合には、出来ない可能性もあるのかしら?
 ま、老婆心だけど。
 
 それから利用案内が開封のまま、郵便受けに入っていて、利用者情報にIDとパスワードが入っているのに、開封のままだったことが気にかかった。
 送信前にパスワード設定を変更するから安全なのだろうけれど、一抹の不安が隠せないのは私だけではないのではないか、と思う。

 因みに、かれこれ4、5年前に講演+実技指導で、河田町にある総務省統計局に行ったことがあった。
 その際に伺ったことだが、駐車場場にしては広すぎる空間が建物の裏手にあるのは、国勢調査の集計をするときに、プレハブ(テントではなかったと思う)を建てて、そこで作業をするという。
 日常の業務とは異なる5年に一度の大事だから必要な空間だったのだろう。
 これで、インターネット回答が大半になってくれれば、あの空間はゆくゆく必要がなくなる? 紙の回答があってもあれほどの敷地は必要なくなりそうだ。

 とはいえ不安がないわけではない。ハッカーに狙われたら、なんでも出来るわけだし、何もかもインターネットというのもいかがなものか、と思いつつ、結局こうして回答を送信してしまった。

 なんだかな~。
 それに消費税を10%にしたら、カードを提示すれば2%還付が受けられる云々。これはもっと生理的に受け付けない話だ。

 なんでもかんでもインターネットで……?!
 しかし、慣れちゃうんですよね。
 年をとったら、(今でも66歳の高齢者ですが)、もっと年をとったら社会生活困窮者になってしまいそう。
 回答をすませた後の感想でした。
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近況

2015年09月13日 10時19分36秒 | Weblog
 気づけば9月も中旬。
 月並みな言い方だが、光陰矢の如し。

 今しがた、明治大学シェイクスピア・プロジェクト(MSP)の公演パンフレットに寄せるコメントを、制作担当の方に添付ファイルしたところ。
 8月から始まって、9月10日に終わった野口体操ワークショップでの印象を、キャストの面々へのメッセージとして書いてみた。いや、書きたかったのだ。
 およそ3ヶ月半、みっちりシェイクスピア漬けになる学生たちには、秋学期が始まってからが七転八倒の苦しみの時?とまでは言い難いが、何が大変といって、授業を受けながらの時間配分の難しさとの戦いであろう。
 11月には、そんなことを微塵も感じさせない素敵な舞台をつくってくれるもの、と信じている。

 さて、私はといえば、ワークショップの間も、終わってからも、あれこれ本を読むことに、大半の時間を費やしてきた。
 そんな矢先、5日土曜日のこと。朝日カルチャーから帰宅すると郵便受けに、一通の手紙が入っていた。
 なんと岩波書店から執筆依頼だった。
 しばらく考えて、木曜日に「執筆します」に丸をつけて投函した。
『私の「戦後民主主義」』という岩波編集部編、来年1月刊行とのこと。
 7月に既刊された『私の「戦後70年談話」』の姉妹編と言ったところだろうか。
 この執筆に際して、信頼している野口体操の将来を託したいひとりの知人から教えられ推薦された本が、さらに増えた状況であります。

 今週の木曜日には、『スクエアわいど@アサヒ・アートスクエア』で、40分ほどだが、野口体操をお伝えすることになった。隅田川のほとりに金色のオブジェ“フラムドール”というそうだが、印象的な風景をつくりだしているところだ。
 それが終われば大学の秋学期授業も始まる。

 来し方を振り返ってこれから先の身の振り方に思いを馳せようか、と心づもりしていた夏は、このことに関してはどれほども成果を見ずに終わってしまう……。
 これから締め切りまで、短い文章を練ることで、何かが見えて来るかも知れないとかすかな望みをかけているここ数日。
 
 末筆だが、常総市水海道に住んでいる音大の後輩から、「母屋は15センチほどの床上浸水でしたが、ピアノの小屋は何とか無事でした」との知らせに、大洪水のなかでそのくらいですんでよかった!と安堵した。それでも何の力にもなれず。これ以上の大雨、強風、そして台風がこないことを祈るばかりである。
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薮の中

2015年09月01日 14時12分14秒 | Weblog
 8月30日、朝日新聞「読書」、宮沢章夫(劇作家・演出家)さんが書評を書いていらした 言視舎評伝選『竹内敏晴』今野哲男著 が、昨日のこと手に入った。
 まだきちんと読んでいないが、ざっと頁をめくって岡倉士朗、野口体操・野口三千三、ぶどうの会・木下順二・山本安英、つるまきさちこ、等々について記述されているところをつまみ読みした。

「うぅ~ん」
 野口三千三先生から直接伺っていた話、つるまきさちこさんから直接伺っていた話、九州は鹿児島の演出家で同時期にぶどうの会にいらした貫見忠司さんからなんとなく伺っていた話を断片的だが思い出した。
 それぞれの思いがあって、この本に書かれていることは事実だとしても、見方が変わると違った風景に見えてくることを感じた。
 芥川龍之介「薮の中」ってところもなきにしもあらず。

 とはいえ、1950年代末から60年代、そして70年代の初頭が見えて、面白く拝読した。
 90歳になられた貫見さんに、この本をお送りしようか、迷うところだ。どうお読みになるのだろうか?

「うぅ~ん」
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