羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

レベルを落とさずつづけることの難しさ

2012年04月27日 09時10分59秒 | Weblog
 日曜日の夜になると「龍馬伝」を思い出し、月曜日の朝になると「カーネション」を思い出す。
 そのシリーズのなかでよいものを見ると、もっともっと超えた作品を見たくなる。
 一度、ある感覚がひらかれると次には新しい感覚の扉をひらいてほしくなる。
 その点、「相棒」は、相棒が変わっても今のところ、上手くいっている。
 何かの批評で読んだが、「水戸黄門は、黄門様が変わっても継続が可能だ。しかし相棒は、水谷豊でなければならい」
 そこを逆手に取って、相棒を替えていく。やるね!

 さて、そうしたことは他人事ではない。
 授業やレッスンで内容の質を落とさず、長年参加してくれる方々に、少しでも違う感覚をひらくことで、何時も同じ動きを新鮮に見直してもらう。その種を自分のなかに植えておくことが肝心だが、そこが継続できるか出来ないかの分水嶺となる。
 楽しみ?苦しみ?気苦労?いや、ピタッとはまった時は、快感をともなう楽しみ、である。

「使命感・悲壮感のない遺言としての授業」と自ら掲げた野口先生の晩年は、ある意味でお幸せだったに違いない。私たちはいい授業に出会うことができた。
 この授業、消えていくところに面白さがあった。毎回がスリリングだったのだ。

 いずれにしても、継続とは力なり。
 幸せな時も、楽しい時も、苦しい時も、困惑の時も、そのことにひたって続けていく、ただそれだけ!と得心した。
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時は命なり……時計遺伝子の発見から

2012年04月24日 08時28分00秒 | Weblog
 昨晩、7時30分からのNHK「クローズアップ・現代」で放送された内容は、本川達雄『生物学的文明論』とリンクするものだった。
 人間のからだをつくる60兆の細胞、ひとつ一つに「時間遺伝子」が存在することが発見された。そこから「リウマチ」「癌」「メタボリックシンドローム」等々の治療に、画期的な効果が得られるというリポートだった。

 それは「時間治療」と呼ばれるもので、たとえば抗がん剤を投与する時間を深夜に行うと、驚くほどの効果が現れた。
 また、「リウマチ」の薬の服用時間を、就寝前の21時に設定する、昼間に服用した場合とは雲泥の差ほどの効果が得られた、という。

 細胞の中では、それぞれに異なるリズムが刻まれ、各々の時間遺伝子を上手く利用することで、薬が有効に働くことが実証されつつある。アメリカやフランスはもとより、すでに国内でも臨床で応用されているらしい。
 体内で作られるステロイドホルモンや、白血球に対して有効に働き、免疫力を高めることが可能ということだった。

 肝臓癌の治療に、この方法をとって手術不可能な大きな癌を小さくし、手術に踏み切ることができた日本人男性の元気な姿とインタビューが印象的だった。
 突き詰めれば、どの癌にも効果があるわけではなさそうだ。どんな病気にも効く万能薬でもなさそうだ。しかし、効果が明らかにある病もある。

 他には、夜勤などの不規則な時間帯で仕事を行う人々に対して、体内時計を大きく狂わせないために、深夜に二時間ほどの仮眠を取ってもらことで、体内時計の微調整を行うことも有効に働くらしいことも報告されていた。

 最後に、「体内時計を正常に近く保つにはどうしたらいいのでしょう」という質問に「しっかり朝食をとって、光を見ること」と、話の内容の重さにしては、思わず肩の力が抜けてしまうような答えが返ってきた。
 しかし、この当たり前のことがいちばん大事だ。それが出来ないのが現状だ。忙しく不規則な生活を強いられる現代人の現実が浮き彫りになった。

 外部環境には、自然環境・人工環境があり、身体の内部環境にはこの体内時計の働きが深く関わる。
「時間遺伝子」の存在が、これから研究対象として、今よりも多く脚光を浴びる機会が増えることは間違いない。
 本川さんは「時間環境」の大切さを説く。
 グローバル化の時代に、生物のリズムと社会のリズムの齟齬をどのように埋めていくのだろう。一生の生き方の価値観を、生活や暮らし方と照らし合わせて、「時間環境」を視野に入れ、覚悟を決めて選択を迫られる時代が、そこまでやって来ている。知らなければ知らないで済んだかもしれないが、ということはもう言えない。
 
 そしてリタイアしたら家庭に社会の時間環境を持ち込むな!とおっしゃるが、この言葉は重すぎる。バランスが上手くとれる閾値をすでに超えてしまった社会を、人間は作り上げてしまっているのだから。
 すでに生きものとして生を全うすることと、社会的存在として生きようとすることと、二者択一の問題ではなくなっていることだけは確かである。

 別件だが、「グローバル化時代に秋入学だ!いや春のままだ」という議論が、虚しく聞こえる。
 これからの若者に安全な生をどのように担保してあげるのか、という根本的な問題を孕んでいることは間違いない。
 60兆の細胞が真っ当に気持ちよく時を刻む生を生きることは、もはや無理な相談なのだろうか。
 文明と文化の違いが失われていく現代だ、と言われるようになって久しい。が、全てが文明に集約されるとしたら、人間の命を蝕む方向へと突き進むことになるのだろう。たとえ文明の中で生きざるを得ないとしても、身の丈にあった地域文化の見直しをすることで、生命としての体内時計のネジをもう一度巻き直すことができる生活の有り様を、本気で考えなければなるまい、と思う。

 とにもかくにも、ファストフード店(ファミレスの聞き違いかもしれませんが)で食事をとっただけで、真夜中無免許で、しかも友達を乗せて、当てもなく車を乗り回す。朝になって襲われる睡魔の瞬間に、人の命を奪う若者の出現は、悔やんでも悔やみきれない。
 そういう社会を作ったのは、私たち大人の世代だということを重く受け止めよう。
 時は金なり、ではなく「時は命なり」。
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割れ窓理論

2012年04月23日 14時32分32秒 | Weblog
 先週末、環状七号線の高円寺陸橋・中央分離帯に位置する橋脚の落書きを消すボランティアを行った。
 仕事の都合で休みがちだが、時々参加している「防犯パトロール」の一環の活動だった。
 午後2時過ぎの時間帯、環七の交通量は、途切れなく自動車が走っていたなかでの作業だ。
 
 集合場所の駅前広場で、警察所長の挨拶やら、防犯課長のお話やら、街の防犯係の挨拶やら、災害時「解けないヒモの結び方講習」等、一連の出発式の内容が終わってから、それそれ班に分かれて活動する。
 私はといえば、いつの間にか「落書き消し隊」の仲間に加えられてお供した。
 現地に到着すると、警察の防犯係の男女が「警視庁」と書かれた赤いジャンパーを身につけて、しっかり用意してあった道具を次々に手渡してくれた。
 使い捨て手袋、マスク、ぼろ切れ、無害と称するシンナー入り液体噴霧ボトル、持ち手のついた金属ヘラである。
 鉄製の橋脚の数本全ての四面に、大きく落書きがされている。
 消し方の手順はこうだ。
 まず液体をかけ、ラップで覆い、しばらく待ってから金属ヘラで擦り取る。
 相当な力を入れてそぎ落とすので、塗料までも剥がすことになった。かなり厚塗り塗料なので、地肌がでるほどではないとしても、消すほどに、絶対に落書きは許さない、という気分になってくる。
 
 さて、そばでは制服を着た防犯課長さんが、笛をふいて交通整理を行いながら私たちの安全を確保してくれている。ひっきりなしの車の騒音のなかでも聞こえる笛だから、その音の鋭さといったらない。音量よりも音の高さが、騒音にかき消されない高いピッチだ。
 そこには横断歩道と信号機もある。場所は狭く、消し隊の人数が多いので、自転車や歩行者の通行の邪魔になる。当然、自動車以外の交通整理もなくてはならない、ということが次第に理解できた。

 民間人の集まりである「防犯パトロール隊」のメンバーが10名ほど。警察関係者も10名ほど。私たちの行動を見ていた若者が、いつの間にか仲間に加わっていた。
 それぞれが持ち場を決めて、30分~40分ほどの時間をかけて、排気ガスと騒音のなかで「落書き消し」を行ったわけだ。
 帰りの道々、その気になって街の中を見回せば、あちこちに落書きが残されている。つまり、消しきれないのが実情だ。

 こうした活動は、ジュリアーニ元ニューヨーク市長が始めて有名になった「割れ窓理論」の実践。
 NY市内で多発していた凶悪犯罪を撲滅するために、小さな問題から率先して解決することで犯罪を抑止するというもの。落書き、未成年者の喫煙、万引き、無賃飲食等々を減らしていく。とりわけ街が綺麗になると落書きが減ることがよく知られていることだ。

 因みに、ジュリアーニ市長は次のような仕事で成果を上げた。ウィキペディアから一部を引用してみよう。
《1993年、再び市長選に立候補し、前回敗れた現職のディンキンズを破り当選。治安の回復を目標に掲げ、ニューヨーク市警のトップにウィリアム・ブラットンを据え、割れ窓理論を用いて犯罪率の減少に取り組んだ。RICO法に基づき、マフィアのトップを重点的に取り締まった。検事の時代から、まずイタリアン・マフィアをターゲットにしてトップ達を逮捕、そのあと、その代わりに台頭してきた中国、ベトナム、カンボジア、イラン等のマフィアを各国別に対策を練り、頂上作戦を展開して大きな成果を上げた。警官を大幅に増やし、マフィアの温床となるSEXビジネスの撲滅作戦に乗り出すなど様々な手を打ち、ニューヨークの安全化に務めた。汚職警官を次々と告発、追放するなど、一時はマフィアより汚いと言われていた警官の規律を正した。そのうえで、各辻には警官が立つようになり、さらにハーレムの名物、出店も一掃。風紀を正すため、ところどころで火を噴いていたタクシーは新型車両に交換。実際に犯罪率を半減させ、全国水準より低く抑えることに成功したことから、その目標は一般には達成されたと評価されている。これにより、ニューヨーク市は全米でも最も安全な大都市となったといわれ、ニューヨーク市を浄化した市長として名声を博した。なおギネスブックにおいても「最も多く犯罪率を削減させた市長」としてノミネートされている。》
 読んでみると凄い人だ、ということがわかる。賛否があるらしいが。

 そのような大それた問題解決の一翼を担うわけでは全くない。
 気がついたら「街を綺麗にする!」、短い時間の活動に参加していただけだ。が、しかし、そこから得たことは、犯罪抑止でもなく、内容の質も桁違いの東北被災地でのボランティア活動がいかに大変なことであったのか、頭が下がる思いが沸き上ったことだった。
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日経新聞「路上から」

2012年04月18日 09時28分24秒 | Weblog
 日経新聞朝刊(文化)、4月17日から始まった「路上から 日本の近現代写真 十選 作家 大竹昭子」の第一回目は永井荷風 私家版「おもかげ」(昭和13年刊行)からの一枚だった。
 浅草山谷堀で撮られたらしい。写真手前に電柱があり、そこには「地方橋診療所」と書かれた文字がすぐにも目に入った。文章を読んでみると、選者の方も同様だったことが読み取れた。
 看板の文字は、手書きで、硬くもなく柔らかくもなく、のびのびした迫力ある書体。
 地方橋とは「じかたばし」と読む、とある。踊りの地方さんが多く住んでいたのだろう、と想像しておられる。
 
 夜景のなかに屋台らしきものと男性が一人シルエットとして浮かんでいる。
 荷風らしいなぁ~、と思わせる一枚である。
 戦争で焼け落ちた麻布・偏奇館には、暗室が設けられていた、というからスケッチだけでなく、写真にも相当なセンスと力量の持ち主だったことがわかる。
 日和下駄の音が聞こえ、気ままに散歩する荷風の後ろ姿が写真のこちら側に見え隠れする。

 一時期だが荷風の妻だった藤蔭静枝に日本舞踊を習った私は、そうした興味から全集を読んだことがある。
 はじめて見たこの写真に、荷風のもう一つの技を思い知った感慨がある。

《路上には貧富の差も職業も関係なく、さまざまな人間が行き交う。……カメラを手にすれば路上に出たくなり、街歩きをすればその手にカメラを握りたくなる。まことに路上と写真は相性がよい》
 そうだろうな。
 あいにくカメラの趣味のない私だが、せめてウォーキング・シューズを履いて東京の街歩きを楽しんでみたい。
 ちょうど良い季節となりました。
 
 
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4/14日経「シニア記者がつくるこころのページ」と4/15朝日新聞「ニュースの本棚」

2012年04月15日 09時31分06秒 | Weblog
 昨日の朝日カルチャーセンター「野口体操講座」土曜日クラスでは、再び『生物学的文明論』本川達雄著 新潮新書423を紹介した。著者が提唱する「時間環境」を生物としてのからだに合わせる事の大切さを、野口体操の立場からも支持したいことをテーマの一つとして取り上げた。
 帰宅して日経新聞夕刊「シニア記者がつくるこころのページ」に、著者紹介記事が載っていた。
《省エネ型の生活が社会を永続させる鍵である。シニア世代は利己主義を捨てて利他の生き方をしてほしい。企業社会の時間環境を生活に持ち込まない》等々、本の内容とリンクさせたインタビュー記事だった。
 著者は、ここでも「人間の生物としての時間環境」と合理的且つ効率的に仕事をこなし「納期にきっちり合わせるための企業時間環境」が、合わなくなっているところから、さまざまなストレスが生み出されようになって久しい、と指摘する。

 さらに示唆に富む言葉を発している。
『これまで日本人はより速くより長生きにという時間の欲望を満たすため、膨大なエネルギーを使ってきた』
 しかし、その時間環境を今一度見直す時が来た、というわけだ。
 おそらくそのきっかけとなったことは、3・11の大震災と原発事故によるエネルギー問題だ、ということは誰でもが実感として得ていることだと思う。

 で、本日、朝日新聞朝刊「ニュースの本棚」『日本型福祉の終わり「家族の革命」がすすんでいる』大野更紗(作家)の本紹介記事は、本川氏の主張とリンクさせて読むと現代日本が抱える問題がより鮮明になって来る。
 ここでは三冊の本が挙げられている。まだ、読んでいないのでこれから書店に出かけようと思っている。
 この記事を読むだけでも、考える資料となってくるだろう。
 大雑把にまとめると、これら三冊の本は、「家庭内福祉」「企業福祉」の瓦解は指摘され、日本型福祉はとっくに期限切れを起こしている。少子化と超高齢化社会が抱える今とこれからの問題を考え、厄介な先行きへの対応に重要なヒントを示してくれる、とあった。
 
 読まなければなるまい!と、その気を起こさせてくれる記事のなかで、膝を打った言葉は『今日「家族革命」が進行している。「核家族」は「典型」ではなくなる。「核家族」というユニットの維持に必要な費用を一人で稼げる男性は、残念ながら、もうそう多くはいない』である。
 とすれば女性がどのように生きるのか、ということがまっさきに問題として浮上するはずだ。
 
 記事全体から読み取れることは、現在、既に、問題が表面化している女性の“仕事と家庭、子育て、高齢者の介護問題”が、健全な社会と健全な経済活動を維持するために重要な鍵となり、この点で失敗すると日本社会そのものが崩壊することを強く示唆していることだった。
 もう一つは雇用と貧困問題だ。

 とにかく、生物としての人間から文明を見直すことと、現代進行形の日本社会の有り様をしっかり見届けることは両輪となる。 
 野口体操のこれからを考えている私には、この二つの記事を読み合わせることは、大事なことだ!とすっかり覚醒させてもらった朝だった。
 本屋に行こう。
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新学期が始まった

2012年04月14日 09時32分40秒 | Weblog
 今週から大学の授業が始まった。
 毎年、とりわけ、4月の新学期は最初の一ヶ月を乗り越えることに腐心する。学生との間で信頼関係を築くのがこの時期にかかっているからだ。
 嘘はいわない。ごまかしはしない。しかし、言わずに取っておく方が無難なことがある。
 それが野口体操の真髄だから、厄介なのことこの上ない。

《主観・特殊・個別以外に具体的に存在するものはない。存在するすべては、主観であり特殊であり個別である。客観・共通普遍という抽象概念をつくり出すのも、また主観・特殊・個別である。自分が客観と思っていることは、そのように認識する自分の主観である、ということである》野口三千三

 百歩、いや千歩譲って、こと「からだ」だけに絞り込んだとき、このことは当たり前なのだけれど、素直に受け取る「からだの教養」が育っていないのだ。しかし、数は少ないが何となくわかる学生もいてくれるから救いはある。それでも「今は、言ってくれるなオッカサン!無理ってものよ」。
 “シュウカツ”、つまり数年後に、いや、目の前に、就職活動が迫っている学生には、受け入れる余裕などない。
 殆どそうした学生に、野口体操を教えている。仕方がないので、やわらかく『自分のからだで今を生きる』ことだけはなんとか伝えられるといい、と思って授業を始めているのが例年のこの時期だ。
 試行錯誤を繰り返しながら、バランス感覚を働かせて、10年間乗り切ってきたけれど、3・11以後は少しずつ状況が変わりつつある。四角四面に規則で動くのではなく、先入観を持たず、自分の感覚で逃げることが命を守ることになることを知ったからだろう。
 新学期、ここぞ勝負処である。
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藝術と猫

2012年04月12日 09時11分00秒 | Weblog
 今、Twitterで見つけました。
 名画と猫。はっと驚くエロスもあり!だから猫なんだ。好き嫌いはあるかも。
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「鉛直」と「オービット・ボール」、「水準器」、「トム・ボーイ」等々

2012年04月12日 08時06分18秒 | Weblog
 1988年に立ち上げた「野口三千三授業記録の会」では、ビデオを中心として、野口先生のレッスンを記録してきた。公開講座を企画し、朝日カルチャーセンターで開催させていただいた。
「独楽」あり、「蛇」あり、「貝」ありと、テーマは様々だった。その記録を編集し、何本かのビデオをみなさんにお分けしたこともあった。
 なかでも1991年正月「野口体操を解剖する」と題して、養老孟司先生をお招きした講座の記録は、没後、2004年に春秋社から『DVDブック アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司」として出版した。

 さて、このビデオ記録の全体のテーマは「もの・ことば・うごき」と名付けた。
 なぜ、体操におもちゃなの? なぜ体操に独楽なの? なぜ体操に石なの?
 怪訝な表情を浮かべながら、問いかけの言葉を呑み込む受講生の方も多かった。
「なぜって、とにかく、面白いでしょ』
 それでは答えにならない。
 呑み込まれた言葉を捉えて、その都度、みごとに体操へと結びつける野口先生の話術は、次第に「話芸」の域に達していった言っても過言ではない。「無理かなぁ~」と思うこともなきにしもあらずの時もあったが、最初に見た時と話を聞いてから見直すと、ものの見え方が変わるのだった。さらにだめ押しは、「うごき」だ。その壺にはまって動くことができた時の感動は、そんじょそこらの体操(ゴメン)とは違う!ことが明確になる。「ただ面白そう」と感じる人はもとより、深く腑に落ちるた人は継続組に残ってくれる。
 言ってみればそのあたりの間合いが「知る人ぞ知る体操」と言われる所以かもしれない。

 思い出してみよう。
 とりわけ今の時期ならば植物の蕨薇。ご自宅の庭に顔を覗かせる「蕨薇」を切って、教室に持参される。
 因みに、3月29日に亡くなられたことで名付けた「早蕨忌」はそこからもらった。
 
 ほかにもおもちゃ類のなかでも筆頭は「トム・ボーイ」だった。
「生ものは円柱形(円筒形)」「生きもののからだは管の集まり」を形として示し、重さで動く代表例として見せられる貴重な道具であった。残念なことにこの製品はすでに作られなくなって相当な時間が経過した。
 たくさんの「もの」を通して、そのものが持つ「構造(象ち)」と「機能(働き)」に触れることで、動きのイメージが具体化し豊かになる「導具」として大切にされてきた。

 もう一つ、いつも持ち歩いておられた袋のなかには、「鉛直」があった。これは紐に鉛の玉(釣りに使われる錘)をぶら下げて「鉛直線」「地球の中心方向」を実感するための「導具」であった。
 残念なことは亡くなる直前に持ち込まれた「オービット・ボール」だけは、関心が向くことはなく遊んでもらえなかった。この優れもののおもちゃは、鉛直を実感し、真ん中にある移動する玉を軸に末端についている同じ大きさ同じ重さの玉を回転させてあそぶもので、動きの基本を教えてくれるものだった。
 元はアメリカ製で日本では手に入らなくなった。そこで江戸独楽作家の福島保さんに木で作ってもらっている。

 さらに加えてもう一つ、興味を示されたものに「水準器」がある。
 因みに「水準器」とは、《 水平面あるいは鉛直面を定めたり、水辺面から傾斜を調べたりするときに用いる器具。「気泡水準器」は、やや湾曲したガラス管にアルコールかエーテル(二個の炭化水素基が酸素原子1個と結合した化合物の総称。一般に中世で芳香のある揮発性の液体。特に、エチルエーテルをいう。)をいれ、気泡を残し、管が水平になったとき気泡が中央に来るようにしたもの。 》
 これは鉛直に対して水平を見る「導具」である。野口体操には水平感を探る動きがいくつもある。

 かくして、「もの(道具)」とは“道を貞く”、動きのイメージを引き出す、導きのための貴重な手がかりという位置づけなのだ。
「鉛直(鉛の玉をぶら下げたもの)」と「オービット・ボール」と「水準器」と「トム・ボーイ」は、動きを磨くための基本の「導具」と言える。
 ということで、今週もこれらのものたちに、お世話になりましょうぞ!
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花祭りの女子会

2012年04月09日 19時29分02秒 | Weblog
 一昨日、63歳の誕生日に、ちょっと贅沢な午後を楽しんだ。
 野口体操ゆかりの女子会に、母も仲間にいれてもらった。メンバー全員がそれぞれの経験からよい間合いで年寄りに接してくれた。おかげで翌朝の母は、いつになく気力が充実していたようだった。
 老いたら若い人たちと過ごすことの大事さを知ったが、当日参加した若い女性にとっても親族やPTAや仕事に関係ない年の離れた女性たちとの交流もまたよし、って感じかな。

 残してあったあった到来物の KUSMI TEA(The vert au Jasmin+Kashmir Tchai)に、当日持参してくださった自家製マーラーカオ(中華風カステラ)で、少し早めの午後の紅茶を味わった。
 最近手に入れた内側がホウロウで外側が鉄瓶製の紅茶ポットは優れもので、KUSMI TEAの香りを上手に引き出してくれる。保温性も抜群で、パリでも人気だということがうなづける。
 で、見た目は地味なお菓子だが、人様の家に土産として持っていけるほどに美味しくできるのは素敵だ。

 翌日も、いただいた可愛いいドレスタオルや花を玄関に飾って楽しみに、一人の女性が語った野口体操に辿りつくまでの意外な経歴話を思い出し、女だけの柔らかな時間を振り返ってよい気分に浸っていた。

 今年の桜は、丁度、満開。
 爛漫の春に生を受けたことが、これほど嬉しいことはないと感じた年はなかったかもしれない。
 心機一転。
 清々しさが身内から沸き上るが、不思議なゆとり感も同居している。
 年齢を重ねることで選択肢も減って、着実に残っていることに丁寧に向かい合えばよい、という諦念もまたよし、ってところかな。
 
 皆様、いつまでどこまで続けられるか見当はつきませんが、野口体操を生きる私の人生にもうしばらくのおつきあいをお願いしたいでーす!
 
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まずまず予定をこなした春

2012年04月07日 12時00分43秒 | Weblog
 今年は満開の花の下での灌仏会になりそうだ。
 最近は散る花、あるいは葉桜になることが多かったが、三月の寒さが開花時期を遅らせてくれたようだ。
 明日で満63歳になる私。こうして数字を打ち出してみると、もうそんな年なのかと驚くが、数字ほどの身体的な実感はまだない。

 ところで今年は2月に蔵の整理をして、階下に6畳ほどの作業場を確保した。
 3月には資料のデジタル化に精を出し、鉢植え植物の植え替えをした。
 月末から4月にかけて障子張り替えと畳表の裏返しと機に、部屋の掃除にかけくれた。予定に入っていたようないないようなガラス拭きは残ってしまった。
 建て替えた家に住まって6月で満7年になる。そんなこともあって、ここで少し手を入れておきたかった。
 いよいよ来週から新学期授業も始まる。その前に予定通がクリアできたことが嬉しい。
 かなり詰めて整理に励んだような気がしている。

 そんなこんなで、清々しい気分が得られた。
 おかげさまで、新たに、気持ちを引き締めて、2012年度が始められそうだ。
 春はいいな~。桜は美しいなぁ~。
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