羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口体操はじまって以来の画期的な一日

2015年03月29日 08時05分33秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーセンター新宿校で37年間継続している「常設・野口体操講座」に、フランス人で精神科医のマリオ氏を迎えた。
 実は、昨年末にメールでリサーチにいきたいという申し出をいただき、実現したことだった。

 この際だから“野口三千三のことば”のなから、この日の体操のレッスン進行にいかせそうなフレーズを選んで前日になって翻訳をお願いした。急なことにもかかわらず、一晩で下訳し、翌朝、更にブラッシュアップして3時半のレッスン時間に間に合わせてくださった。
 対訳の形で仕上げられていたのでとても読みやすく、参加した日本人にとっても大変ありがたい資料である。

 マリオさんには二人の方が寄り添って同時通訳をしながらの運びとなった。
 日本語と英語の言葉を聞きながら、持参した野口コレクションの数々に触れて、動いて、改めて野口体操の深さをマリオさんはもとより(と思いたい)参加された皆さんにも、味わっていただけた2時間だった。

 翻訳の難しさと面白さ、言葉のもつ底深さと微妙さ、言葉と実体験の問題、通訳の醍醐味が、波紋のように広がって、一人ひとりのからだの中に浸透し、「もの」と「ことば」と「うごき」が絡まって、独自の「野口ワールド」が創造されている「身体文化」を体験していただいた、と感じている。
 この日のために数日かけて『「重」「動」「働」』の字源を、野口先生の思いを抱きながら読み解いていた。昨日のレッスンを通じて、私自自身も新たな経験をさせてもらった。
 いってみれば、野口体操はじまって以来の画期的な一日になった思う。

「また、参加したいですが、宿舎が京都なので……」
 マリオさんとは新宿駅で別れた。そのまま品川駅から新幹線で京都に帰って行かれた。

 この場を借りて、お礼をさせてください。
 翻訳の増田さん、近藤さん、通訳の岡野先生、新井さん、本当にありがとうございました。
 そして昨日ご参加くだった皆様方の協力があって、実現したレッスンでした。重ねてお礼申し上げます。
 野口体操の新しい船出のテープが切っておとされたこと、野口三千三先生にご報告ができます。
 これから没後18年目に入る記念すべき一日が、このようなあり方でもたらされるとは、予想していませんでした。
 書きたいことは尽きないですが、今日のところは全員にお配りした対訳を載せて、終わらせてください。もとは対訳の形なっていますが、ここでは日本語に続いて、英文が表示されます。スクロールして読んでください。悪しからず。
 もう一度、ありがとうございます。

 野口三千三語録から
「もの・ことば・うごき」

『重さのエネルギー効果は、筋肉の力を抜いたとき、最もよく顕われる。「ぶら下げの状態」とは、力を抜いて重さ(自然の力)に任せ切った状態のことである。落下も飛翔も「重さ」による相対的な関係によって起こる現象である。地球上(宇宙)には、全く無秩序・雑然ということは起こりえない。つまり「重さ」による秩序が働くからである。』

『重さは自らの形を持たず眼には見えないものでありながら、他のものの形を創る根源の力として作用し、見えるものとして存在させる力なのである』

『からだは地球物質のまとまり方(構造)の一つで、こころはその働き(機能)の一つである』


『重さで動く。流体として動く』

  訳:増田眞千子/近藤早利

From Words of Michizo Noguchi
“Objects, Words, Movement”

The energy effect of “Gravity” appears most prominently when you relax your muscles. “The state of suspension” is the condition of your body left to the forces of nature (gravity) with relaxed muscles.
Fall as well as flight is a phenomenon produced by the relative relations of “Gravity”. ”Entire disorder or chaotic condition could never happen on the Earth (universe), because the order does work by “Gravity.”

Gravity does not have its own form yet it is invisible. Gravity, however, functions as primitive force to create the form of other things and has the power to let them exist as visible things.

The body is one of the cohesion (structure) of terrestrial materials, and the mind is one of the work (function) of the body.

Move by “Gravity”; Move as a fluid.

Translate by Machiko Masuda & Satoshi Kondo
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三月も末……ありがとうございます

2015年03月27日 04時16分53秒 | Weblog
 先週、6月に出版予定の『野口体操入門』の原稿を「あとがき」まで含めて添付ファイルで送信した。
 第一章の三分の二以上を書き直したことになる。全部で400字詰め原稿で58枚強になった。それに加えて今回も佐治さんに写真の用意を数々していただいた。
 12年前にアクティブ新書から上梓した時よりも、枚数が増えることになりそうだ。
 野口三千三生誕百年の対談を、一昨年からはじめて、1年半ほどの間に新しく手に入った資料もあって、それらを活かして、戦争末期から戦後にかけての足跡を追う内容に変更した。(しんどかった)

 かれこれ20年ほどまえ、はじめて「砂の息」と題して柏樹社の月刊「柏樹」に載せてもらった。短いものだったが、書いたものが活字になる嬉しさから、自分なりに集中し精魂込めて書いた記憶がある。その当時のことを思い出した。
 それから1996年に『野口体操 感覚こそ力』を同じ柏樹社から、それを機に10年間で単著と共著で6冊ほどの野口体操本を書かせてもらった。
 2008年『マッサージから始める野口体操』が2012年にちくま文庫に入った。この時は「まえがき」を書き足すだけだったが、今回はまとめて書く枚数が増えた。
 久しぶりである。

 2月から3月にかけて、殆どの時間、書くことに専念した。出来映えのほどは別として、これほど書くことに集中したのは久しぶりのことだ。
 一昨日まで、毎日のこと編集の方とメールでやり取りしていたが、これでゲラ校正までほぼ手を離れたせいか、腑抜け状態の観は否めない。否、腑抜けです。
 10日もすると66歳になる。年だろうか。この冬から初春にかけて、何かはしていたが、書くこと以外にできない状態だった。書くエネルギーは、相当に使うことを改めて実感した。

 というわけで、ブログも休みがちになってしまった。
 気がつくと、三月も末。
 野口先生没後17年、祥月命日は明々後日に迫っている。いよいよ18年目に入る。
 ここまで継続できたことに、本当に驚いている。
 あっという間にも思えるし、長かったとも感じる。
 先生を説得して「野口三千三授業記録の会」の活動を始めたのが1988年。すでに27年という歳月を数える。野口体操を本を通して残していきたい、という熱い思いがあった。それは今でも失せてはいないことに気付かされた。思えば充実した年月だ、という実感が今沸々と体内を巡っている。今年は、生誕百年の仕上げの年になりそうな予感がしている。
 ありがとうございます。
 その一言に尽きます。
 もう一度、ありがとうございます。
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『旧満州の真実』

2015年03月10日 12時30分13秒 | Weblog
 原稿書きは、最初の山を越えつつある。
「あとがき」最後の三行を、書いては消し、消しては書く作業を繰り返すばかり。
 いちばん難しいことに触れそうになる。
 今回は、やめておけばいい、と自分にいい聞かせている。
 気分転換に昨日から、一冊の本を読みはじめた。そして、午前中に読み終えた。

 経歴を読むと、著者は中国・長春に生まれ少女時代と青春時代に文化大革命を体験している、とある。文革の後、大学に進学し中国文学を専攻、中国伝統文化と西洋文化を猛勉強し、日本語は独学。現在は親鸞思想の研究をしているとあった。
 両親ともに中国人で、父は弁護士・医師であり、母は満州映画協会でタイピストをしていた。

 今まで満州国についていくつかの本を読んできた。しかし、この本は別格である。
 淡々と語られる満州国の歴史に、中国の底力を知らされる。
『三国志』を下敷きに、国民軍・共産(ゲリラ)軍・日本軍。日本が知らず知らずのうちに深みへと引きずり込まれる戦況が、確かな筆で描き出される。
 この戦争で多くの人間が死んでいった。一人一人は誰かの息子であり、兄弟であり、父であるのに、兵隊になれば何もかもが帳消しになって、ただの“弾の数”でしかない現実に、胸が痛くなる。
 帯には『奪った日本人も、奪われた中国人も、歴史の傷は深く苦しく、……』とある
 その一方で、満州国は、驚くべき実験国家だったことが、伝わって来る。

 石原莞爾や甘粕正彦の実像に迫る著者の立ち位置には、日本人も中国人も超えた人間としての視座をしっかりと確立している稀なる存在として胸に迫るものがある。
 驚くべきは戦後の毛沢東の支配者としての姿を容赦なく描き出す筆が、さらに凄みを増すことだ。

 そして親鸞の教えをもとに、戦争というもの、そこに関わる人間の複雑さや陰影を、単純な善悪に分けず、感情を逆撫ですることなく、挑発をしっかり押さえ込んで、捉え直しをしていくみごとな最終章をもって終わる。
「甘粕正彦と親鸞」の取り合わせに、今までにない戦争の真実を読ませてもらった。
 これほど賢明な女性作家がいるということに、大きな救いを感じて私は静かに本を閉じた。

 ふと、よぎったことがある。
 もし、野口三千三に、野口体操に出会わなかったら、私はおそらく先の戦争にここまでの関心を持たなかったと思う。
 確かに、子どもの頃過ごした新宿の街角には傷痍軍人が何人も立ち、ガード下には戦災孤児と乞食が一緒になって物乞いをし、クリスマスから年末には救世軍が社会鍋の寄付集めをする姿を見て育った。
 終戦後とはいえ、まだまだ庶民の暮らしの戦争は終結していなかった。
 としても、それは時間とともに薄れて行く記憶であったに違いない。

 …… どうしてこのような体操に、野口体操はなっていったのかしら? ……
 
 何人かの高齢の方に問いかけてみた。
「それは教え子を戦場に向かわせたからでしょう」
 判で押したような答えが返ってくる。
 それはそうかも知れない。
 しかし、もっと、根本のところで、戦前・戦中の体育や体操から、まったく異なる体操へと変貌する”何か”、得体の知れない何か。湖の底の底に塵芥が溜まるように、人間が人間であることによってどうしようもない澱を抱えてしまう”何か”。
 またまた、私は、原稿の三行迷路にはまりそうだ。

『旧満州の真実』張鑫鳳(Chang Shin-feng)著 藤原書店 2014年12月30日
 
 
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「野口体操のススメ~毎日を自分らしくHAPPY♥に生きる~」

2015年03月09日 12時58分58秒 | Weblog
 2014年度秋学期最後のリポートに、女子学生が提出したマンガ作品を、野口体操公式ホームページに掲載しました。はじめて描いたマンガだそうです。提出日に間に合わせようと、エイヤッ、とした勢いで描いたそうです。思いのほか時間がかかってしまった、とおっしゃる。
 本人の許可を得て載せてました。

 ご覧ください。
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今朝のこと

2015年03月06日 08時16分50秒 | Weblog
 本日の朝ご飯は、ジャガイモとわかめのみそ汁に炊きたての白米。それに五目すしに入れるように薄く切った酢蓮、焼鮭、どじょうインゲンと出汁をとった後の鰹節の自家製佃煮。リンゴを刻み込んだヨーグルトに緑茶。
 みそ汁の出汁は、前の晩に頭とワタを取り除いたカタクチイワシの煮干しを水に浸しておく。調理前に5分ほど煮出して、煮干しをすくいあげたら、少量の酒と醤油をたらしておく。透明で澄んだ出汁になる。そして食べる直前に味噌を入れて、グラグラと沸騰する前に火からおろす。
 私の朝はここから始まる。これまでも続けてきたが、これからも続けると思う。
 こうした朝ご飯が食べられることは、本当に幸せだと思う。
 特に、今朝は、その思いが強くなった。
『マッサン」である。
 ありふれた日常の朝が、必ずやって来る大切さ。
 若者を戦場に送り出してはいけない!

 今の日本が向かって行く先に、危うさを感じるのは、私だけではないと思う。
「蛍の光」をしみじみと聞いて、月並みな言い方だが、平和の大切さを戦後70年だからこそ、確認したいと強く思う。
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へー?!

2015年03月04日 06時54分59秒 | Weblog
 2月22日龍村仁監督の「地球交響曲第八番」奉納上映会のアフタートークの合間に、第一番からナレーションを担当している俳優の榎木孝明さんが壇上に上がってご挨拶をされた。
 その時、何気なく触れられた話。
「ふしょくなんですが」
「エッ、腐食?!」
 他の人も突然のことでキョトンとしておられる。
 次に思い浮かべた文字は
「負食」
 どうも違うらしい。
「ふしょく、です。で、一ヶ月食べていないんです」
 つまり「不食」だった。
 某放送局で、4月にはそのテーマの番組が、もしかすると放送されるかもしれない、とおっしゃる。今、ご自身が実験台として試しているらしい。
 龍村監督も寝食を忘れて映画つくりに没頭されて、10キロも痩せた、と言葉をついだ。
「皆さんは、食べたいものを食べてください」
 監督は、微妙な心理を隠しながら、躍起になっておられた。
 直接、映画に関係がないので、話はそこまででおわった。

 で、先週の土曜日、朝日カルチャーの「野口体操講座」で、この話をしてみようと、Web上の検索をかけてみた。
 ちゃんと載っているではありませんか?!
 成長期のはなしではない。飽食時代、生活習慣病が悪さをしだす世代の話のようだ。
 なるほど、と思えるものからオカルト的なものまで、ピンからキリまでの情報が書き込まれている。
 それこそ寝食を忘れるほどの仕事や趣味を持つことが肝要らしい。
 すすめとしては”朝食を抜くことからはじめなさい”とあった。
 
 で、土曜日のクラスでも数名の方が、飲み物はとっても朝食はとらなくなった、という方がおられた。一日2食をもう10数年間実行している、という。決して、一言居士、という皆様ではないが、ひとしきり話を伺った。
 で、翌日曜日のクラスでもこの話を投げてみた。
 すると帰りがけに一緒になった女性も、一日2食で時にプチ断食をなさっておられるという。

 で、昨日、学生時代にボクシング部に所属し、社会人になってからはOBとして関わっている年の若い知人に「不食」の話をしてみた。
 皆さんと同じように、「エッ」と身を引いてから、「ほー」と声を上げる。
「休肝日どこの話ではないんですよ」私。
「そこまでいきましたか」彼。
 ひとしきり、不食について知ったかぶりを披露すると
「一つの傾向として、昔のようにガンガン筋トレしてプロテインを呑む、また筋トレしてプロテインを呑む、ようなトレーニングはしなくなっていますね。ベジタリアンのボクサーがチャンピオンになる時代ですから。だいたい午前中のからだは排泄にむかうので、食事はとらなくてもいいわけで、僕も2食です」
 この言葉を聞いて知らぬは我が身ばかりなり。
「一週間のうち、二日は断食、断食といっても青汁くらいは呑むんですけど。つまり、断食をして胃を休ませるんです」

 試合前のボクサーにとって減量は、半端じゃない苦労もあるだろうな~、と予想した。
 お菓子を切らしていたので、紅茶にそえて冷蔵庫に残っていた明治の板チョコを包みのままお出ししたら
「試合前に何も食べずに、板チョコを口にしてたんで……」
 嬉しそうにお持ち帰りになった。

 ピケティ『21世紀の資本』がベストセラーになる時代、格差が大きな問題としてクローズアップされているし、貧困、飢餓、差別、格差、それらが政治不安やテロを招く。将来は、水と食料争奪戦が起こる可能性が指摘されている昨今。この「不食」の話は、生活習慣病の問題だけではない、”何か?”も関わっているのだろうか、深読みしたくなる。

 私たち人類は、何を何時、どのくらいの量を食することがよいのだろうか。
 安易に答えは出せないが、一つの問題提起として、備忘録のつもりで、書いてみました。
 この話、ぜひ、鵜呑みにしないでください。
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