羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

老人と歯

2015年07月30日 09時41分40秒 | Weblog
 90歳になる母の歯の治療が7月27日月曜日に終了した。
 通いはじめたのは大学の春学期の授業が始まった翌日、4月17日のことだった。
 しばらく前lから、それまで通っていた歯科医院まで歩くことが難しくなっていた。この医院はマンションの二階にあった。関係者用のエレベーターはあったが、患者には一段の高さが通常より高い階段をのぼるという最後の難関が待ち構えていた。
 雪の日には、一時やむタイミングをはかって、借りた車椅子で連れて行って難儀したこともある。
 最近では、家の近くまで戻ってきたものの、おおよそ10メートルくらい手前で立ち往生してしまった。母は一歩も足が出ないという。
 そこに通りかかった筋向かいの家のご主人は「お姫様だっこしましょうか」と申し出てくれた。さすがに母は辞退している。するとそこへまた荷物運搬用の空のキャスターをひいた二人連れが通りかかった。
「おねがいします」
 すがるしかない、と私は心を決めた。
 そこで母とズレ落ちそうになるからだを支える私をキャスターにのせて、年のころは50歳すぎ小柄な男性が母の足が地面をすらないように支えながら、もう一人の30代と思しき若い男性がキャスターを押して、自宅まで送ってくれたこともある。

 数年前から、ブリッジになっている歯がそっくり落ちると、その度、母に付き添っていた。しかし、こうしたことが繰り返され、それが頻繁になってくると、さすがの私も面倒に思う気持ちが顔に出るようになっていた。
「こうなったら歯がなくても食べられる料理をつくるしかないのかなぁ~」
 料理の大変さもさることながら、歯を失って歯茎で食べる母を想像すると、なんとも情けなく悲しくなってしまった。

 折りも折り、4月16日晩のこと、母のブリッジの歯がまた落ちたのである。暗澹たる気持ちで眠りについた。
 しかし、翌朝になると “ここで諦めてはいけない” という気持ちになって、車椅子を高齢者生活支援センターに借りにいこうと自宅を出た。
 そそくさと商店街を歩いているとき、目にした看板の文字に釘付けになった。
『訪問歯科診療を始めました』
 ここは自宅から1分もかからない近さにある。
 この距離ならば、母でも十分に歩いて行ける距離である。

 そこで、“渡りに船”とばかりに、さっそく予約電話を入れて母をつれて医院を訪ねた。
 初診の際の書き込みに、“出来るだけのことをしてください”と、記してしまった。
 書きながら、どこまで治療に耐えられるのか、一抹の不安がよぎっていた。
 しばらくして案内された個別に仕切られた椅子に横たわり、口を開けたり閉じたり濯いだり、医者に言われるままに素直に応じている母に少し安堵した。
 その後、レントゲンや歯形をとって、初日の診察と治療の準備は1時間以上もかかって終わった。
 帰宅した母の様子に、疲れはまったく見えなかった。
「これはいけそうだ!」

 その日から、やく3ヶ月以上も続く歯の治療がはじまったのである。

   ******

 さて、具体的な話。
 ブリッジになっている歯は5本で、それまでの仮歯のような安易なのではなく、ちゃんとした歯をつくってくれるらしい。そのために柱となるとなりの歯にも手を加えることになった。
 こうして数回通っているうちに、別の歯が折れてしまった。
 二カ所を同時に治療していくことになった。

 その頃からである。母の日常に変化が起こってきた。
 商店街を歩くと知り合いに会う。どなたも声をかけてくださる。
「お元気そうですね」
「おかげさまで」
 簡単な会話がよい刺激になる。
 また知らない店の店員さんがお客でなくても老人には親切で、通りかかる自転車に対して何気ない心遣いを見てくれる。
 それが治療の他にも、良き作用をもたらしてくれたことだった。
 まず、ことばの数がふえた。
 それに、近年になって出てきた排泄の問題に、少しずつの変化が見られた。ひとつには、尿取りパットの汚れ具合が、明らかに変わってきたのである。

 その頃には「付き添いは仕事だ!」と、覚悟を決めた私だった。
 出かける前に、歯を磨き、顔を洗い、髪を結い直して、服を着替えて、そうした身支度に30分~40分の時間がかかる行動をなにげなく促し見守っている。
 治療中は椅子を用意してくれるので、ずっと傍に付き添っている。
 結局、帰宅して、落ち着いて、昼食をすませる。午前中いっぱい母につきあうことになった。

 あるとき 
「わたくしは耳が遠くなりましたので、付き添いの者に説明をしてやってください」
 先生に伝えたときには、内心で笑ってしまった。
「耳が遠いいから聞こえないのよ」
「そんなことはないわ」
 日常の会話で、それまで認めなかった耳の不自由さを、自分から言うことに躊躇いがなくなったようだ。

 あるとき
 麻酔をつかっての大掛かりな治療が何回かあった。にもかかわらず、その都度、平然として任せている。
 
 その結果、ブリッジの歯の治療も無事に終わった。
「おかげさまで、ありがとうございます」
 そういいかけたところで
「あと二本、この際ですから虫歯の治療をしておきましょう。これまでのように大事にはなりませんから……」
 ここまできたら乗った船は途中ではおりないッ。
「一日でも若い方がいいです。おねがいいたします!」
 すかさず答えてしまった。

 これまで母の口の中など、見たこともなかった。歯の状態がどんなだったのか、知る由もなかった。
 仮に入れた歯の一部が前にせり出して、おかしな口元になってしまっていた。
 今年になって、こうした状況にはじめて気づいたときには唖然となった。
「この年まで長生きするとは思わなかったもの」
 母のことばに
「もっとはやく治療しておけばよかったわね」
 とはさすがに言えなかった。
 遅きに失した。
 しかし、お見合い写真をとってもいいくらいに仕上げていもらって、なんとか間に合ったじゃないの、と思いたかった。
 これから彼女の人生にどんな風景が描かれるのかわからない。
 これはこれでよしとしてもらおう。
 4月から通算25回の歯の治療は、生きているうちにできた母への贈りものだったのかもしれない。

 最後の治療が終わった晩、就寝前に母に話かけた。
「歯の治療、よく頑張ったわね。食べっぷりが変わったわね」
「えっ、治療に通ってたの?」
 次のことばを失った私だった。
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本のことー2- 鶴見俊輔座談『社会とは何だろうか』

2015年07月28日 13時16分47秒 | Weblog
 450頁、分厚い本である。
 全10巻のうち、第9巻『社会とは何だろうか』晶文社に、先頃なくなった鶴見俊輔と野口三千三の「からだとの対話」が載っている。
 その座談は、1972年、野口の最初の著書『原初生命体としての人間』が三笠書房から出版された年に行われた。
 
『鶴見俊輔座談』第9巻は1996年9月25日発行である。もし1年半ほど遅れていたら、野口が目にすることは出来なかった、と思うと感無量である。

 カバーには、次のような言葉が記されている。
《「私は〈一人の大衆〉という考えかたでいきたいんです。大衆の一人じゃない、かたまりの一部じゃない、一個の人間として、自分をいつわらずに生きたい。一人がどう感じるかを大切にするということです。それには、かたまりから自分を引き抜く、かたまりの思想に対抗する立場をなんとかしてつくっておくことなんです」鶴見俊輔》

 野口体操のものとしては、野口先生との座談が面白かった!と言いたいところなんですが、さにあらん。
『塀の中の懲りない面々』を書いた安部譲二さんとの座談「ボクシングとわたし」1988年が、実に面白い。
 鶴見俊輔ここにあり、といった印象なのである。

 時代を牽引する進歩的文化人、知の巨人と言われる知識人の代表、生のアメリカ文化に精通した哲学者が、「一人の大衆」として、ハグレ者の作家と見事なボクシング論を展開している。(これは、ぜひ、お読みいただきたい)
『思想の科学』大黒柱の面目躍如。深くてイキイキして、心浮き立つ話が展開されていく。

 さて、『思想の科学」といえば、私個人のことだが、立教大学の旧図書館での一日が思い出される。
 立教と言えば煉瓦造りの建物に四季を通して蔦が美しいことで有名だ。
 池袋の雑踏から少し入ったところに、独特の雰囲気を漂わせている。
 女子学生のなかには、建物に惹かれて入学を希望する学生も多いと聞く。
 正門を入ると右手にチャペル、左手に図書館がある。最近になって現在の新図書館は、チャペルの奥に移転した。
 この旧図書館の内部は、静謐な修道院の図書館を思わせる。外壁は趣深い煉瓦造りである。もちろんここにも蔦が這っている。
 野口没後、2005年か2006年頃だったと思うが、ある調べごとでこの図書館に終日籠ったことがある。
 創刊号から全て揃っている『思想の科学』を調べるためだった。
 まずは「索引」を借りだして、お目当ての号を見つけようとした。この索引が素晴らしいのだ。
 一冊一冊を丁寧に読み込む意味は深いが、索引を通して全体像を俯瞰すると、各時代の社会・大衆・文化、etc.、諸々がズシーンと明快なテンポで伝わってくるのだった。
 放っておかれれば、歴史のなかに埋もれてしまう。
 青史の影で虐げられ、いじめられ、泣かされ、どんなに一人一人が声をあげてもまともに取り上げてはもらえないこと。
 文字に起こせる範囲は狭い。生の現実、生の出来事、一人ひとりが生を営む大衆の息づかい、そういったことの隅々までを全て書き残せないとしても、『思想の科学」の索引を読むだけで、ひしひしとつたわることは深く大きい。
 むしろ索引だからこそ、伝わることがある、という方が正確な編集である。
 
 この時、探し物とは別に『1976年6月 No ー63 臨時増刊号 〈対談〉「生き字引き」の思想』五木寛之+佃実夫』を発見した。小説家の五木寛之とは、少し違った雰囲気の対談のことばがそこにはあった。偶然とはいえ私にとっては貴重な資料であった。

 さて、他にも野口から聞いたエピソードがある。
 劇団「ぶどうの会」を解散に追い込んだ竹内敏晴が、路頭に迷いそうになった時期に、野口三千三は手を差し伸べていた。つまり一冊の本を誕生させることで……。
 当時、「思想の科学」の出版部から単行本執筆依頼が野口にもたらされた。野口は即座に辞退し、代わりに竹内敏晴を紹介した、という。
 そこで出版されたのが『ことばが劈かれるとき』であった。
 この一冊がキッカケで、竹内敏晴は世の中に出る足がかりをつかんだのである。
 こうしてみると「思想の科学」とは、浅からぬ縁があった野口体操である。

   *******

 昭和の巨人がまた一人、鬼籍に入られた。年齢からいって、いたしかたがない、としても今のこの時期に、非常に残念である。
 息してくださっているだけでもよかった。
 若者が、老いたる者が、鶴見俊輔の写真を掲げて、抗議行動を連日連夜続けている。

「欲を言えば、あなたにもここに居てほしかった」
 切なる願いも虚しく、人は去っていく。

 合掌。
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本のこと-1-ありがたかった!

2015年07月26日 12時38分51秒 | Weblog
 いつものように朝5時ごろ、郵便受けから朝日新聞朝刊をとってきた。
 一面のトップ記事からはじめて、「天声人語」を読み、その上の「折々のことば」を読み、頁をめくる。
「書評欄」では今日は何が紹介されているのか、と思いながら毎週のこと楽しみに読んでいる。
 7月26日(日)15面、下の方にどこかで見たことのある名前に気づく。
「羽鳥操」
 自分の名前である。ちょっとどっきり。
「『野口体操入門』って、あー」
 まさかであった。発売されて一ヶ月が過ぎた。
『文庫』と『新書』の紹介コーナーだった。
 自分が書いた文章の一部を新聞の活字で読む新鮮さ。

 最近、少々、気をもむ出来事があっただけに、とても嬉しかった。
 野口体操を本として残したかった何十年間も持ち続けた想いがが、ふっと溶けて報われたような気がしている。

 すでにアクティブ新書をお持ちの方に、改めて第一章「野口体操前史」を読んでいただきたい気持ちも伝わって欲しい。
 思い返せば、この第一章は、2月から3月にかけて、何月何日何曜日も忘れるくらい集中して書いていたことを思い出した。
 最後に「03年の新書に加筆」とあったことが、なおさらに嬉しかった。
 短い行数のなかに、しっかり伝えられていた。
 
 書かずにはいられない、朝の出来事でした。
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「チベスタンスカル」その後

2015年07月24日 08時50分36秒 | Weblog
 ある方からメールをいただいた。

 許可を取っていないが、ここに一部を貼付けさせていただく。
《「チベタンスカル」について、少し気になったので調べてみました。
WIKIPEDIAの “Kapala”にある写真を見ますと、これが本来の物ではないかと思われます。
マンダラに描かれた憤怒尊が持っている物も、ただ白い頭部の骸骨ですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kapala

「チベタンスカル」のgoogle画像検索でぞろぞろ出てくるのは、
ZOCALOの商品にもあるアクセサリー物なのではないでしょうか?
いわゆるヘビメタさん達が好きなガイコツ物。
珍しい物を欲しい、という要望に応えて、チベット文化圏の街には様々な模造品が列びます。
外国人のリクエストにお応えして、道を外れた物も造られています。
ネットショップで取引されているものも、人骨の代わりに猿を使ったり、装飾を加えたり、わざと汚して古く見せたりと…。

本来の密教法具Kapalaは、普段は寺の奥に仕舞われていて、
必要な時にだけで持ち出される地味なものなのでしょうね。

改めて「ネーコル・チベット巡礼」伊藤健司著の中にある鳥葬の様子を読んでみますと
凄まじいものがありますが、火葬を忌み嫌う宗教もありますから、そこは宗教の違いなんでしょう。

「美と宗教のコスモス-1〈マンダラの世界〉杉浦康平+松長有慶」にある「五根の供物・五肉の供物」の項に
憤怒尊への捧げ物について詳しく書かれているのですが、興味がありましたらそこだけコピーいたします。》

 昨日、そのコピーが郵送されてきた。
 読みながら思う。
 なかなかの世界観、宗教観である、と。
 気候風土、標高、自然環境の違いが、まず宗教にあらわれている。
 西からか、東からか、南からか、方角はわかないが、戦火に追われた民族が逃れてきたのか、意識的な民族移動なのか、それもわからないがラダック地方のマンダラは、時空を超えた独特の神々の世界との交流を描きだしている。
 チベット文化圏の人々の美術的な想像力と描き出す力は、外国人が容易に踏み込めない地域で熟成したガラパゴス美術として優れているから、いわゆる文明先進国と言われるなかで疲弊した人々を癒す秘薬・媚薬、ときに感性に喝を入れる刺激的な効果も発揮するのかもしれない。
 意識的に隠蔽し、安易な興味だけで見てはいけないもの、畏れと祈りなしには触れてはいけないもの、そうしたものの根源的な力を西欧的な価値観で測ることは本来は許されないこと、と改めて文章と図表と見ながら思わずにいられなかった。

 思えば、野口三千三先生につれられて東京・原宿で開催された「マンダラ展」を見に行ったことがあった。
 杉浦康平氏が日本ではじめての企画した「マンダラ展」だったと記憶している。
 それを機に先生の法具を初めとする蒐集が始まった。
 ある日、人骨でつくられた笛が入りました、と連絡があったらしい。
 さっそく出かけた先生から電話をもらった。
「やはり、こうしたものは、滅多に手元に置く物ではない、と思ったよ」
 時間をかけてよく考え、その上で下した思慮深い判断、といいうよりは、見て触れた瞬間にからだの底から沸き上った“直感”だそうだ。
 ここで、立ち止まる。
 ここで、引き返す。
 ここで、一旦やめる!
 始めたことを、今、この瞬間、この場で、やめる判断を下すことは、実はとても難しい。
 もう少し、もう一歩、もう一段、と歩みを進めたくなるのが人情というもの。

 さて、ZOCALO 高円寺にある5体のチベスタンスカルは、非売品だという。
 本物かそうでないか。あるいは宗教とは無縁のところで求められたものか。それは別にして、無理のない範囲であるならばという条件付きで、一度はご尊顔を拝しておく意味はあると思う。
 そこで何を感じるのか。その機会をもったうえで、直感力を磨くのが野口体操なのだから。
 本来は現地に行ってみるのがいちばん。とはいえ容易く許されない事情というものがありますから。

 なんでここにたどり着いたのだろうか。
 おそらく「生命大躍進」で人類に進化する頭蓋骨をみて、「骨」という字源を調べているうちに、「ヨガの逆立ち」つまり頭の中心に重さを乗せて、鉛直方向に真っ直ぐ立つ逆立ちはいったいいつから始まったのか。誰が始めたのか。どのような文化・価値観のなかで生まれ育ってきたのか?がはじまりたった。すっかり忘れるところだった。
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チベスタンスカル……脊椎動物のたどりついた道……お許しを!

2015年07月20日 08時38分18秒 | Weblog
 Do you know yourself ? If I know myself, I would run away.
 Goethe のことばらしい。

 この言葉はひとまずおくとして。
 わが町の南側に位置する商店街の坂を下り切る少し手前に、「 ZOCALO ー Modern Spiritual Jewellery 」というジュエリー店ある。
 前を通りかかるたびに、ずっと気にかかっていた。
 思い切って店内に足を踏み入れたのは、7月18日土曜日のことだった。
 そこではじめて知った。
 チベスタンスカル(チベットでつくられた髑髏に装飾が施されている法具)が5体もあるということを……。
 まず、一体は外からも見えるショーウインドウに飾られている。
 二体目は入って左側のガラスケースの上段に鎮座している。
 目を正面にすえると、さらに高い棚に二体、これは逆さまに状態である。
 そして右側の棚の五体目が、じっとこちらを見ている。
 チベスタンスカルに心を奪われている私に気づいて
「高僧や聖人が亡くなると鳥葬にして、しばらくして土に埋めて、ある期間が過ぎたら取り出して磨き、装飾を施すんです。銀細工を主とするジュエリー店の店主でありデザイナーのコレクションです」
 店員の男性がやさしい声で語りかけてきた。
「今では、輸入できなくなっています」

 5体のうち2体は頭蓋骨の上部が杯になっていて、取り外しが出来るそうだ。
「一応、おちないように止めてありますが」
 その説明を聞きながら、織田信長が髑髏の杯でお酒を飲み干した、という話を思い出した。その伝説はあくまでも伝説で、どうやらつくり話のようだ。しかしこの話に、頷けてしまうところに、つくられた信長像がある。
 ただ、当時、外国から入ってきたキリスト教文化以外にも、おそらくさまざまな文化や宗教がもたらされただろう、と思わずにはいられない、などど頭の中はグルグルと想いが回っている。

 ここにはレプリカだがサーベルタイガーの頭骨なども展示されている。
 その姿をデザインした銀製品がいくつも並べられている。
 
 この日に限って、何年にもわたって外から恐る恐る覗き込むだけだったのが、いてもたってもいられずに、中に入る決心ができたのは、「生命大躍進」のガイドブックに書かれていた言葉が後押ししてくれたのだった。
 三木成夫先生の比較解剖、形態学の大本となったゲーテの言葉を読んだことがキッカケである。
《ゲーテは1790年、イタリアのベネチアで砂丘を散歩していたとき、子ヒツジの白骨死体を見つけました。そのとき彼の頭に「頭の骨は、背骨と同じものが変形したのではないか」というアイデアが浮かんだ。これがゲーテの「頭蓋骨の椎骨説」》「ゲノム 座談会(212頁~213頁)」より
 頭蓋骨も椎骨が変形(メタモルフォーゼ)して今の形になっている、と考えたらしい。

 今回の「生命大躍進」脊椎動物のたどった道ーを見ていると、素人目にはその説が真実に見えて来るから不思議だった。
 進化は《手持ちの材料の姑息な小改造》で行われ、積み重なると《「洗練された精緻な身体構造」と見えてしまうものができあがることもある》「同書(19頁)」

 そこでさっそく Web 検索をかけてみた。
『人の頭蓋骨、大脳形成と表情筋についてーGoethe 説の証明ー白馬明(金沢呼応業大学)』にたどり着いた。
 その論文の「4、大脳、頭蓋骨の発達と顔面筋の比較解剖学的考察」の最後に、次のような記述に心がグラッと揺れたのだ。
《サメや爬虫類では、皮膚の直下に三叉神経支配の咬筋がある。この筋も補食筋であり内臓運動神経支配である。脊椎動物が進化して大脳新皮質が増大するにつれて表情筋が顔面だけでなく後頭部にまで広く分布して咬筋を覆い隠してしまう》

 三木先生の著書で、サメのエラ呼吸の内臓筋は陸上の動物では「咀嚼・表情・嚥下・発声」の筋肉の変身する、とあったことが、思い出されただけでなく、ことばの意味がようやくつかめてきた。それは、おそらく、「生命大躍進」で目にした数々の化石によるところが大きそうだ。
「三木先生は、実感をもってご著書の文章をしたためられたに違いない」
 定年退官前に亡くなったことが惜しまれてならない。
 もっともっと生きていただきたかった!

 さて、白馬論だが、サメの顔面には表情筋がないく、表情一つ変えることなく大きな口を開けて人を咬み丸呑みするのは恐ろしいことだが、《人は、このような本性を持った咬筋は、表情筋である顔面筋により完全に覆い隠されているそれ故 にこやかに見える表情筋の下には悪魔が潜んでいるかもしれない。詩人で哲学者であり物学者でもあったGoetheは次のように述べている。 Do you know yourself ? If I know myself, I would run away. 》と、結んでいる。

 命は循環する。
 ことばもまた循環する。
 髑髏を装飾し、法具として捧げ祈るラマ教に思いを馳せてみる。
 高僧の、聖人の、徳を譲り受けるために祈り、酒を飲干す。
 人とは罪深く、危うい存在であるから、慈悲を希求する祈りを行う証に、様々な造形が生み出されていったのだろう。
 その一つがチベスタンスカルなのだろうか。
 長い長い時間の末、脊椎動物がたどり着いた一つの思いがけない漂着の地点が、ここであったとは……。
 東京、杉並、高円寺、南、3-58-28、ZOCALO。
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特別展『生命大躍進』

2015年07月14日 12時21分30秒 | Weblog
 先週の金曜日こと、上野・国立科学博物館で開催されている『特別展「生命大躍進」ー脊椎動物のたどった道』を見てきた。
 展示をみながら、解説を聞きながら、最初に思い出した言葉がある。
「個体発生は系統発生を繰り返す」
 東京芸大の三木成夫先生も解剖学者の養老孟司先生も、口癖のようにおしゃっておられた言葉だ。
 
 養老先生は、1991年正月・朝日カルチャーセンター『特別公開講座「野口体操を解剖する」』と題して、野口三千三先生とのコラボ講座にお招きしたことがある。
 因みに、この記録は『DVDブック アーカイブス野口体操』春秋社刊で、一部をのぞいて見ていただける。
 その折、参加者の質問にこたえて、養老先生が次のようなことを話された。
「からだは建て増し建て増しされた古い旅館のようなもので、どこかをなくすと壊れてしまうんです。今は役に立っていないからといってとってしまうと、背骨がなくなっちゃうとか……。今は役に立っていなくても、将来、どんな役に立つかはわからないんです」
 
 この言葉に呼応する内容を「生命大躍進」の公式ガイドブックで見つけた。
 国立科学博物館名誉研究員・山田格(やまだ ただす)氏が書いておられる『脊椎動物の歴史 一つの見方』10頁の文章である。
《多くの場合、進化における適応とは、ある段階から次の段階に向けて、手もちの材料にほんのその場しのぎの小改造を加えることで姑息に乗り切るというものだった》
 全文を引用するわけにはいかないのが残念である。

 古生物学、形態学、比較解剖学、発生学、ここまでは三木先生を通して、すくなからず垣間みさせていただいてきた世界だった。
 それに加えて今回の特別展は、1980年ごろになって、進化研究と発生学が連携することによって「Evo-Devo(進化発生生物学)」(前述のガイドブック19頁)という新しい概念が提起され、その成果が生かされた一般向け研究発表でもある。子ども達にも関心を持ってもらうための装置があらゆるところで力を発揮しているところがミソである。

 たとえば分類学的にまったく異なる生物の遺伝子(DNA)をとりこむことで、新たな感覚器が生まれてくる等、考えも及ばない発想から進化の物語が語られていく。
 進化の物語のなかでも「脊椎動物」に焦点が当てられていて、その系譜のなかで最後に現れる人類への道が、食・排泄・生殖・ほ乳、脳の働き、といった基本をたどって解説されているので、最後の部屋に到達したときには、驚愕と感動に圧倒されてしまった。
 
 私だけではないはず。おそらく多くの人が圧倒される理由のひとつに、会場に一歩足を踏み入れた時から、今まで見たこともない化石群に度肝を抜かれることが挙げられるだろう。
 次々に順々に展示されるたくさんの化石を前に、生物進化活動の姑息さについて思い巡らせてみると、ひとつ一つは姑息の賜物であったとしても、それらは水惑星地球の奇蹟によって偶然という名の”必然”によって生み出された自然の驚異として見えてくる。
 この先にいったいどんな生物が生まれてくるのだろう。
 人間の脳をはるかに超えた脳を持つ生きものかもしれないし、人間の脳が破壊していく自然環境を生き抜くのにものすごく単純な脳をもつ生ものになっていくかもしれない。それはまったく未知のことなのだ。伺い知ることはでそうにない、ことがこの特別展を通して実感させられる。

 実際、そこに展示されている化石は、同じ石でありながら地球の華である鉱物の結晶の形や色の多彩さといった美しさには欠けている。
 にもかかわらずそれらの化石は、生物が生きていた十分な証であり、みごとな痕跡なのだ。そして絶滅して化石として残っていない多くの生命体や生物に思いを馳せてみたくなる。
 
 化石として奇跡的に残された ”ものの形” が語る力は、地球生命体への関心をグングンと惹き付ける。
 だが、惹き付けられれば惹きつけられるほどに、生命の危うさとそれに相反する生命のしたたかさを、同時に浮き彫りにして見せてもらった印象を得て展示場を後にした。

 そうだ!『原初生命体としての人間』とは、危うさとしたたかさを潜めた私の存在そのものなのだ、と気づかせてもらった。
 そうだ!『原初生命体としての人間』とは、自分の命は自分一人のものではなく、連綿として続く生命の微細な断片であり、微塵として宇宙に散っていくものらしい、と気づかせてもらった。

 それは「あとから言葉にしてみれば」なのだけれど、なんともモヤモヤした心持ちのまま、目と鼻の先にある寛永寺第二霊園へと私は導かれてしまった。

「長年通った芸大のそばで眠りたい」
 そう語ってこの場所を選ばれた野口先生の墓前で、しばし呆然と佇みながら、からだの芯から沸々と湧いて四方八方に放散していく、なんとも言い難い衝撃の波動をひとつひとつ数えていた。
 かつて、経を唱える回数を数える道具が “数珠” だ、と教えられた。
 かつて、ネックレースのはじまりは数珠だ、とも教えられた。
 かつて、ネックレースはDNAの象徴だ、とも教えられた。

 生命のはじまりの一滴のしずくが、一滴の思想を生む。
 なるほど、それが『原初生命体としての人間』なのだ、と野口のことばの循環のなかに生命を見た。
 その循環は螺旋を描き、決して同じ道をたどるものではない、とも知った。
「どこから来て、どこに行くのか」
 だれも知るよしもない。
 その領域に、はじめの一歩を踏み込んだ「生命大躍進展」だった。そう憶いにいたったところで、ここで一旦ブログを閉じるとしようか……。
 この先は迷路か?な!。
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新聞休刊日の朝のこと……実生から育ててみるなんて!

2015年07月13日 08時21分41秒 | Weblog
 今朝は新聞休刊日。
 とはいえ、目覚めはいつも通り日の出とともに、である。
 いつも最初の読み物が朝刊だ。積ん読状態の山をくずせばよかろうものを、と思いつつもその気が起こらず。
 なんとも手持ち無沙汰である。
 そこで涼しいうちに蔵の周りの掃除でもしよう、と思い立って裏に回った。
 まずは隣家の塀の脇に植えられている枯れ葉を、手でつまんで取り除く。

 とくに野口三千三先生からいただいてきた「鞍馬苔」を増やしているところに何枚も落ちている。
 実は鞍馬苔にこの環境があって、見事に増えている。
 驚くほどの生命力を秘めていた鞍馬苔だ。
 名前こそ「鞍馬苔」と「苔」とついているが、実は羊歯類だと先生から伺った。
 野口先生が亡くなる4年前に、西巣鴨のお宅の増改築をした際に、荒れ果てていた野口庭もすっかり様相を変えた。
 これまではなかった鞍馬苔を、置き石の間に、地植えの木の下に、いくつもの盆栽鉢の間に、はたまたご機嫌で育っていた岩ヒバの周りに、と転々と植えた。
 この鞍馬苔が一年で庭を緑に染め上げたのである。
「昔から鞍馬苔は作庭に欠かせないんだよ。そのことを思い出してね。植えてみたんだが大成功だ」
 飛び石の間に植えておくと、いわゆる雑草がはえてこないことから重宝されている植物であるあると先生から教えられた。
「少し、持っていきなさい」
 小鉢に分けていただき、自宅に持ち帰って大きめの鉢に植え替えておいた。
 びっしりふえたところで、野良猫に食べられてしまった。そこで少し残っていた鞍馬苔をいくつもの鉢で育てていった。
 その後、我が家も建て替えをした。その折りに、北側の万年塀の脇にブロッックで境をつくって栽培してみた。
 すると再び活気がもどったのである。
 
 鞍馬苔上に隣家の枯れ葉が落ちているのを取り除いているときに、違う植物の葉を見つけたのが今朝のことだった。
 すっと上に引き抜くぬいてみると、ドングリの実から芽が出て双葉が大きく育ち、根までもがしっかりついていた。
 その美しい姿にほれぼれしているうちに、コップにさしてしばらく鑑賞してみたくなった。
 実際にそうしてみると、今度は鉢に植えて育ててみたくなった。

 というわけで赤玉土の大粒・中粒・小粒の3種類の土を重ねて植えてみた。
 盆栽の植え替え要領で、果たして上手くいくのはかわからないが、風通しがよく日当りがいいところにおいて、毎日の水やりが楽しみになった。

 実生から育てて、いつごろになったら木らしくなるのだろうねぇ~。
「それまでは死ねない!」なんて思ってしまった。ええええッ!!!!!
 私、御歳、66歳4ヶ月であります。
 さてさて、生きる楽しみを見つけた新聞休刊日、朝のご報告。
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