羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

地球交響曲第八番完成「Long for」

2015年02月23日 07時04分00秒 | Weblog
 2015年2月22日日曜日正午過ぎ、明治神宮参集殿で、試写会が催された。
 会場に溢れんばかりの招待客が集まり、高円宮妃久子様を迎えて奉納試写会ははじまった。
 
 能楽師・梅若玄祥 能面打ち・見市康男 天河大辮財天社宮司・柿坂神酒之祐 ヴァイオリン製作者・中澤宗幸 ヴァイオリニスト・中澤きみ子 カキ養殖業・畠山重篤 畠山信

 七人をつなげるものは「樹の精」である。
 詳しい内容には、いっさい触れずにおきたい。
 ただ、いくつかここに書き込みたいことがある。
 まずは、東日本大震災の後、被災地で生き抜いている、復興現在進行形の日本人の姿に、勇気をもらったこと。
 上映後、トークセッションに参加された畠山重篤さんの言葉が胸にせまった。
 一つは、畠山さんが『森は海の恋人』と名付けたNPO法人名の英語訳に難儀をされたとき、皇后陛下美智子様から「Long for」という熟語のご提案をいただいたというお話。
「愛している」「好きだ」という意味もあるけれど、「お慕い申し上げている」という言葉だそうだ。
 森と海の関係は「相思相愛」の関係だった、と。
 
 そしてもう一つ、海は天国と地獄が同時に存在する。大津波から受けた被害は甚大であっても、自然の災害からは復興が可能だ。短い時間ではないけれど、いつか海が復活し、自然の力で復興できる。そして人間も救われていく。
 しかし、人間がつくりあげてしまって、人間の力で制御できないものは、宇宙レベルの時間がかかっても復興は難しい……といった内容の話、ノートを取っていたわけではないので、正確ではないが、このような趣旨ご発言が胸に響いた。
 なにより「自然・実感教育」の重要性を説く畠山さんの柔らかくひょうひょうとしたお人柄からにじみ出る言葉は、重かった。

 それは龍村仁監督の地球交響曲の第九番の、まさに同じテーマだ、と直感した。
 第八番は、その長い・長ーい前奏曲である。美しく、繊細で、力強い人間の英知と勇気の物語である。
 東日本大震災によって、監督もまた危機に遭遇された、と伺っている。そこから立ち上がって、第八番を誕生させた。監督ご自身もご出演の皆様と同じ苦悩を苦労を重ねられて復興・復活の途上にある、とお見受けした。 この映画の蔭の主人公は龍村仁監督、その人だと思っている。

 昨日、明治神宮の冷気は真冬だったが、参集殿の中は華やいだ早春の午後という印象だった。
 その中で催された試写会は、龍村監督にとって人生最良の日となった、と申し上げたいが、それはもう少し先に延ばして、やはり第九番「歓喜の歌」の試写会まで、お預けとしていただきたい。
 
「地球交響曲第一番」からずっと見続けて、音楽の力・映像の力を信じる者からの地球交響曲への「Long for」であります。
  
 因みに「地球交響曲第八番」は、3月21日から三週間限定ロードショーが決まっている。東京の会場は「シネマライズ」渋谷公園通り・パルコパート3前ライスビル 03(3464)0051 です。お誘い合わせて、お運びください。
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最近の進捗状況

2015年02月10日 08時31分54秒 | Weblog
 いつもはリュックを背負って外出することが多い。そして時間も判で押したように決められた中で動く次第。
 腕時計は必須のものとなった。

 ところが1月最終週からこれまでの2週間は、開放感に浸れる外出や、来客で過ごしている。
 ザックリした時間の行動だけに、時計はあまり必要ではない。

 まず、幡ヶ谷にあった東京体育専門学校が東京教育大学体育学部となり、筑波大学になった際、渋谷区に割譲されて、現在は「渋谷区スポーツセンター」になったことは以前にも書いた。そこを再び訪ねたのは1月26日月曜日だった。行ってみると休館日だった。そこでこの周辺を歩き回って、どのような施設があるのか、どのような住宅地なのか、そして新宿まで徒歩でどのくらいの時間がかかるのかを測ってみた。
 玉川上水緑道に整備されて、川は姿を消していた。ただ昔からかけられている橋はそのまま残されている。新宿に近づくにつれて、喫煙所がかなりの数設置され、近くの会社につとめている人や、他からくる喫煙者で結構満員状態だった。

 翌日は、遠縁にあたるものが訪ねてくれた。連れ合いが若年性認知症になった。59歳の発症で、8年間彼が介護を続けているという。今では会社を定年退職したこともあって、介護の傍ら三つの若年性認知症の会に所属して、さまざまなお手伝いをやっているということで、話を聞いた。
 丁度、時同じくして、国でも戦略を立てて、認知症の問題に取り組むことになった、と新聞報道がされた。

 29日には、「東京大空襲・戦災資料センター」に出かけた。細かい報告は後に譲りたいが、昭和20年、終戦の秋から調査をはじめて翌年に出版した「戦災焼失区域表示 35區分地図帖」から「渋谷区」と「淀橋区」の地図のコピー手に入れた。元になった地図帖の復興版もAmazonから手に入れることができた。
 そこで明治神宮周辺と東京体育専門学校のあった代々木西原町は焼け残ったことが判明。

 2月2日は、国会図書館で半日過ごした。昭和29年~30年代の「美容体操」について調べていた。「NHK美容体操」がテレビで放送された時の音楽を聞くことができた。最初の一本目は「歴史的音源」で本館のパソコンから、あとの二本は新館にある「音楽・映像資料室」で聞いた。全て同じ曲だった。平井康三郎作曲、竹腰美代子指揮(指導)、田中美恵子ピアノ。運動のやり方のコピーできた。

 本日は、東京体育専門学校で野口先生に習った?らしい方のご自宅を訪問する予定になっている。かなりのご高齢のかたなので、どのようなお話が伺えるのか、まったくわからない。

 という合間を縫って、原稿書きをしている。今は、バラバラ状態である。
 ざっとこんな感じで、過ごしてます。
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