羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

残りもの

2005年10月31日 07時56分17秒 | Weblog
 昨晩、ある方から、電話をいただいた。
 大豆を茹でて、手羽と煮込む惣菜をつくってみたと。とっても上手くいったそうだ。
 ところが大豆をたくさん茹ですぎたので、五目大豆煮をつくったら、これも美味しかったとの報告。
 
 そこでおすすめ、もう一品。
 牛蒡と人参のきんぴらを作りすぎたとき、精進揚げにすると、ものすごく美味しい。牛蒡や人参を単品で揚げるより、味がついているし、火が通っているので、さらに水分がとんで、カリカリっとする。味・歯ざわりともに、ビールのつまみにはもってこいだとお教えした。

 齢80になる母は、冷蔵庫の残りものをいかす天才だ。
 実は、きんぴらを揚げてみようといったのも母だった。
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ヘルメット

2005年10月30日 10時26分34秒 | Weblog
「アッ、アレ。。。。。何?!」
 ドアをあけると、若者たちがの熱気、ぶわ~っと音をたて、束になって迫ってきた。
 
 一瞬、たじろいで、部屋に入るべきか否か、迷ってしまった。
 鼻から空気を吸って、口から吐く。2・3回繰り返すうちに、遠慮せずに入る気になった。いや、遠慮することはない。
 
 はじめは、目の前に繰り広げられている光景が、何が何だか、理解が伴わなかった。
 気がつくと、小さく音楽が鳴っている。彼らの心遣いだ。
 男子学生が6・7名。女子学生は10数名だろうか。正確な人数は数えならない。目の前がちらちらするばかりであった。
 男女は二手に分かれているらしい。
 
 3限目の授業の前は、お昼休みである。
 彼らはその時間内に、ダンスの練習をしていたのだった。
 多目的教室の床は、とても気持ちのいいフローリングである。ちょうどよく滑る。ということはちょうどよい摩擦があるのだ。
 ここで、私は、野口体操の授業をおこなっている。

「1時になったら、止めてくださいね」
「はい」
 学生は素直に返事をする。返事をするだけでなく、ピタリと1時には解散していく。

 彼らが踊っているダンスは「ストリート・ダンス」であるという。
「この音楽って、ヒップポップ系っていうの?」
「そうです。近々、大会があるんです」
「それで熱がはいっているわけね」
「ハイッ」
 弾んだ声がかえってきた。
 
 それから、ずっと、授業が始まる前に、このダンス練習を見学させてもらっている。
 回を重ねるうちに、女子学生のなかからリーダー的な存在がでてきて、振り付けをしている。私も後ろに入って、踊りを試してみた。いやはや、リズムに乗れないことといったらない。
 
 最近では、十数名の女子学生の動きもなかなか様になってきた。
 一方、男子学生はというと、まったく驚きの世界だ。
 動きは激しい。飛んだり、跳ねたり、ぐるぐる回ったり。回るといっても足だけではなく、肩や腰やからだのあらゆるところを土台にして回りながら逆立ちに入る。飛び上がって、足を前後に開いて床に着地する。片手逆立ちをしながら腕でジャンプをする。エトセトラ。
 
 何回か、見ているうちに、目が動きを捉えられるようになった。気がつくと、白いヘルメットをかぶっている学生がいちばん激しいダンス? を繰り広げていたのだ。
「大会は、路上でするの?。。。。。」
「いえ、この部屋のような、フローリングです」
 ちょっと安心。
「本番は、ヘルメットどうするの?」
「えー、本番もヘルメット、かぶってます」
 とても安心した。

 
「どうも、阿波踊りに、似ていないか?。。。。。。。。。」と、最初に感じた理由が見えてきたのは、見学を始めて、何回目かの日のこと。そのとき思わず
「そうだ」と、膝を打った。
「阿波踊りも、男女別れて踊っているじゃない。女性はまとまって集団演技。男性はとても自由に個性的に踊ってる」
「つまり、洋の東西を問わず、ストリート・ダンスというものの共通点を見ているようだわ」

 今週も、彼らは集まってくるのかしら。。。。かすかな期待!
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楓糖蜜

2005年10月29日 07時36分00秒 | Weblog
 カナダ特産の「メープルシロップ」を煮詰めて、雪の上にかけて凍らせ、棒に巻き取って食べる「メープルシロップ・スノー・タフィー」の記事を読んだ。
 ふと、思い出したことがある。

 20数年前のこと。
 マサチューセッツ州・北欧系の人々が住む地域に移住していた友人から、楓糖蜜(メープルシロップ)をもらった。この地域、冬には氷点下20度以下の日々が続くのだという。越冬という言葉が生きているところ。お金持ちは、避寒旅行に出かけて、暖かくなるまでそちらで過す。その間、友人は留守を預かるアルバイトをして、生活費を捻出するのだと手紙に記してきたことがある。
 
 その友人が、せっかくアルバイトで稼いだ貴重なお金で買ったシロップだ。
 ありがたく頂戴しよう。
 アメリカ映画の一シーンをまねて、ホットケーキを焼き、バターを乗せて、このシロップをかけ、フォークとナイフで食することにした。
 小口に切ったケーキを含み、キュット噛みしめると、バターの塩気を含んだ甘さと樹液の匂いとともに少し苦味のある甘いシロップ液が、ジュァ~ッと口の中にひろがった。

 さらに、遡って思い出したことがある。
 たしか、昭和30年代後半、中学三年の夏休み前だった。
「風と共に去りぬ」をクラスで回し読みし、ビビアンリー・クラークゲーブルの映画も、友人と連れ立って見に行った。子供と大人が同居した時代だった。
「南部は、ホットケーキのないアメリカなの???????。。。。。。。。」
 映画の帰り、友人が言った。私たちは、屈託なく笑った。
 その日は、友人を連れて家に帰り、ホットケーキを焼き、楓糖蜜もどきの蜜をかけて、ほおばった記憶が甦った。
 当時、アメリカとホットケーキは、単純に結びついていたのだった。
 
 そういえば、あれ以来、ホットケーキを焼いていないなぁ~。
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酢の物

2005年10月28日 07時51分47秒 | Weblog
 私は、酢の物が好きだ。
 子供のころの好物は、梅干だった。
 今でも、食事には、必ず、何かしらの酢の物を欠かさない。
 
 まずは、一年を通して手に入る食材から。
「きゅうり」蛇腹に切り込みをいれ2センチ幅くらいにきったきゅうりには、生姜の千切りを加えると味がしまってくれる。
「キャベツとにんじん」この組み合わせには1センチ弱の薄さのきゅうりを加えると、歯ざわりにポイントができる。
「カブ」も、最近では一年を通して手に入るようになった。薄くスライスして酢漬けに。赤唐辛子の種を抜いて丸く刻み入れるとポイントになる。秋には、赤唐辛子ではなく、薄くきった柿と一緒にすると一気に季節感が出る。野口先生がこれを召し上がってビックリされた記憶がある。この組み合わせは、今が旬の酢漬けである。白と唐辛子の赤と、白と柿色が目にも楽しい。
 ここまでは、最初の塩加減が難しい。季節によって、少しずつ加減する。塩漬け状態の時間は「勘」としかいえない。

 春先から夏そして正月までの食材。
「はす」普段食べる酢ばすは、おせち料理とは違って薄切りがいい。五目寿司に入れるときのようにスライスする。湯がくときに蓋をしないことが、歯ざわりをよくするコツである。
    
 初夏から夏の食材から。
「新ものの生姜」これは薄く切って湯がく。熱いうちに、用意しておいた酢につけると、白から淡いサーモンピンクへ色変わりが美しい。暑くてぐったりしているときなど、これを食べると、気付け薬でも飲んだように食がすすむ。
 
 そして、夏から秋にかけては。
「茗荷」とくに夏の終わりには、大量に出回る。少々育ちすぎていてもかまわない。二つか大きさによっては四つに割って、さっと湯がいて漬け込むと、香も失われない。紫がかったいい色合いになる。食べると物忘れするといわれるが、この茗荷の味と香は、夏に欠かせない食材だ。熱帯アジア原産といわれるだけに、夏向き。熱さに香はぴったり。日本の初秋は、結構、暑いからおすすめ。

 どの酢の物の場合でも、砂糖の量は、季節や湿度によって、甘さ加減を調節する。微妙な匙加減を求められる。
 塩梅のなかには(甘味)のセンスもあるってこと!
 
 以上、酢の物は、私にとってなくてはならない惣菜であることをお伝えしたかった今日のブログ。
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時間の味

2005年10月27日 07時53分03秒 | Weblog
 ずっと気にかかっているお惣菜がある。
「何年、作っていないかしら」
 食べる人が減ったことが、作らなくなったひとつの理由かもしれない。
 これはある程度、たくさんつくらないと、時間がもったいない。
 どこの家庭でも使われている電子レンジや、圧力釜で調理すれば、時間は短縮できることは明らかなのだが。
 その方法に踏み切れない「何となくのこだわり」があるからかもしれない。
 とにかく半日近くかかってしまう。
 
 上手にできたときには、美容にも健康にも、なにより食したときの満足感がいい惣菜である。
 ねっとりとこっくりとした味わい。さめてかたまって「にこごり」状態になってもいい。熱いご飯の上にのせると、じわぁ~っと溶けて、ご飯に味がうつるのもまたよし。

 この惣菜の名前を知らない。誰に教わったのかも、今となっては定かではない。知ってから20数年はたっている。 
 以前は月に一回は、つくっていたのに。
 では、作り方を。

材料:国産の丸い大粒大豆150グラム・トリの手羽12本くらい。注:手羽先というのか手羽元というのか、名称がはっきりしない。←ごめんなさい。骨付き。
生姜・ねぎの青いところ。 
調味料:醤油・砂糖・酒

作り方:
●前日の夜に大豆を水に浸しやわらかくする(缶詰もあるが、この場合おすすめしない)。翌朝、たっぷりの水で大豆をゆでること2時間。
●最初にあくが出てきたら、丁寧にあくとりをおこなう。水が減ったら、足しながら、常に大豆に水がひたひたした状態を保つ。
●1時間くらいたったところで、別の鍋でトリの手羽を一度湯がいて、改めて水に酒を加えてからゆでること30分。このとき生姜とねぎの青いところを臭み消しに入れる。
●大豆の方は、鍋の底を惣菜箸でかき混ぜてみて、ごろごろいう感じがしたら、まだ茹でたりない
●茹で上がっているかどうかの目安は、小指と親指に大豆をはさんで、グズッと崩れるようになっていたらOK。そこでゆで汁を捨てる。すこしだけ別にとっておいて、手羽と最後の味付けをするときに足してもいい。
●そこに手羽を茹でた汁を濾しながら、手羽と大豆を合流させる。
●大豆と手羽に、たっぷりかぶる程度ゆで汁をいれる。そこに醤油と砂糖を加える。さらにお酒は加減をみながら、適宜の分量で加えてもいい。お酒を入れることで、もっと味にこくが出る。にこごりを作りたいときは、汁を多めにする。
●中火より弱火に近い火加減でコトコト煮ること25分~3・40分くらい。

材料は単純、料理の腕も問われない。ただし、様子をみる感性は必要。焦げ付かせないようにだけ注意。

 手羽の肉は骨からするりとはがれ、大豆はとろりと煮崩れる手前。
 この惣菜は、時間を食べるって感じ!
 
 でも食卓に並ぶときには、その時間に他にも作ることが出来るので(たとえば:野菜の煮物・酢の物あるいは和え物・吸い物・デザートには栗の茶巾絞り等々)、結構、豪勢な雰囲気になること請け合い。
 大皿にたっぷり盛って、取り分けて食べるほうが、おいしい。
 旬の魚の塩焼きがあるとバッチリですぞ!
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授業炎上

2005年10月26日 07時51分04秒 | Weblog
 かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水のながるる
 
 歌人・由井勇は、酒はひとり飲むものと歌ったという。
 
 かつて、野口体操の酒豪人から、体操のあとのビールの味について、薀蓄を伺ったことがある。
 土曜日は、その週の垢を落とす日。落としたあとに、一杯のビールが、呼び水ならぬ呼び酒とか。
 どうやら、独りで飲む酒ではなさそうである。

 由井の歌をもうひとつ。
 
 しめやかに時雨の過ぐる音聴こゆ嵯峨野はさびし君とゆけども

 晩秋から冬に向う嵯峨野の雨にしとど濡れて、思わず飛び込んだ雨宿りの軒下で、雨が上がるのを待ちながら、宿に帰って二人で杯を傾ける酒の味を想像しただろうか。

 野口三千三先生は、まったくの下戸。
 由井の歌の世界とは、隔絶した一生を過された。
 でも、揺れたのよね。酔ったのよね。
 晩年、「悲壮感・使命感のない遺言としての授業」と自ら名づけ、授業に酔ったのは先生だけではありません。
 
 1998年 授業炎上!

 酒豪の方から、コメントを頂戴した。
 お猪口一杯を、一時間かけて、微醺の私です。
 
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減速のクオリア

2005年10月25日 07時29分31秒 | Weblog
 座席は、四人がけのボックスがいい。
 列は、太平洋側がいい。
 晩秋から冬にかけて、東海道在来線は、温室である。
 快晴の日は、ウォームビズどころか、セーター一枚を脱ぎたくなる。
 燦燦とそそぐ太陽光ほど、人をここちよい午睡に誘うものはない。
 東京駅から乗り込んだ通勤の人の大半は、品川あたりでウトウトはじめ、横浜の手前で目覚める。時間にして30分弱。

 秋学期が始まると、週に一回、熱海行きか小田原行きにのって、湘南へ向う。
 車中、さまざまな人生に出会う。
 男女とも仕事での移動の人は、新幹線などとは雰囲気が違う。乗り込んだとたんに緊張感が解かれるらしい。ほっとした表情を見せる。というより、これから「小田原までか」というような「あきらめ感」がある。「あくせくしてもはじまらない。車中くらいゆっくりしようよ」である。
 元気なのは中高年の女性グループである。エキナカで買ったお弁当とお茶、持参したお菓子を楽しそうに食べている。そこだけに安泰な空間が出現するから面白い。
 若い女性グループも、にぎやかである。だいたい恋愛問題が主題で、日常のこまごました不快な出来事をしゃべっているうちに、手元のスナック菓子はなくなっていく。
 人目を忍ぶカップルもいる。そうした人は、不思議とボックスをさけて、ドアのそばにある二人がけに席を取っている。
 葬式や法事に出かけるか、帰ってきたかの家族や親戚の連れ立ち。
 独りぶらりと旅に出る人。

 そんなこんなの車内を眺めていると、大船観音が白い上半身を小さな杜から覗かせてくれる。観音様が、その日の授業内容を、もう一度確認する時間の目安だ。

 なぜか私は東海道線が好きだ。
 新宿湘南ラインの方が、近いはずなのに、東京駅まで足を伸ばす。
 理由はよくわからない。
 
 とくにこうして出かけ、仕事をすませての帰りは、東京駅がいい。
 なぜって、品川を過ぎ、新橋を過ぎると、列車が減速をする。
 この減速の仕方が、他の駅に侵入して停車する減速とは、まったく質感が異なる。
「無事に、帰ってきた」
 思いが静かにからだのなかを巡る。
 
 周りの風景が、ゆっくりと動き、ビルが迫ってくる。
 その迫り方が好きなのだ。
 車内に漂う、共通の安堵感。そこからそれぞれの電車に乗り継いでいくのだが、ここでは言い合わせたように「ほっと」皆が肩を降ろすのである。気を抜くのである。

 東京駅は、終着駅なのだ。
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森のパースペクタ

2005年10月24日 07時25分14秒 | Weblog
 神は細部に宿る。
 そうした言葉がぴったりの写真展を見た。
 乾期のバリだという。
 
 少年、老人、成人した男性が立つ姿には、自然と人間の生命を隔てる戸は立てられていない。自然のなかに溶け込み、神々に許される存在として、生きる姿がそこには映し出されている。
 ところが少女と女性は、どこか違う。
 その印象を、どう言葉にしたらよいのか。
 女の性というものは、自然のなかに溶け込むというよりは、からだそのものの中に、自然を抱き宇宙を呑み込んでいるようにもおもえる、と言えるかもしれない。すくなくともそこに展示されている写真が映し出しているものには、それを感じた。
 おそらくその印象は、写真がモノクロであることから来ることかもしれない。
 
 モノクロが内在させる訴える力は、今、このときだから強い。
 あらゆるところに色があふれ、あらゆるところに音があふれ、あらゆるとこに形があふれている現代。あふれすぎると、時として、見えなくなる。いや、目を閉じたくなるか、耳を塞ぎたくなるか、麻痺してしまうかである。
 
 空間片面の壁に展示されている写真は、多様な植物が、それぞれの命を繁茂させる姿を、モノクロの濃淡、しかも微細な部分までも鮮明に映し出し、静かなる闘争の出来事を伝えている。
 
 はじめはある植物と他の植物の見分けがつかない。しかし、観ているうちに違いが向うから浮き上がってくる。ベンハムトップのモノクロ独楽が、回転によって色が生まれるように、見ているこちら側の脳のなかで切り取られた空間から、ざわめきが鳴り始め、静止した形態から色がうまれ、多様な生命の営みが顕現する。

「森のパースぺクタ」佐治嘉隆写真展は、いろいろなものに見飽きてしまった方にとくにおすすめしたい。
「本来の美」を求めてやまない人に、真実を語りかけてくる写真展だ。
 
 今年はあえて、モノクロに挑戦した写真家の真骨頂が、みごとに表出した写真展である。

 30日(日)まで、新宿5丁目にあるコンテンポラリー・フォト・ギャラリーにて。
 ☏03(3226)9731 13時~19時
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上戸 下戸 どっちなの?

2005年10月23日 07時43分06秒 | Weblog
 「黄金鯖」がいるという。
 これをゆるくしめた「しめ鯖」の味は、美味をこえているらしい。
 
 初めて「鯖バッテラ」を食したのは、中学生のときだった。 
 いまから四十数年前のことだ。
 東京で育った私は、江戸前鮨が寿司だとおもっていた。
 トロにイカ、タイにヒラメ、アナゴにゲソに加えて、小生意気子供時は、青さかなも好きだった。
 初めて食べた油の乗った鯖に薄くスライスされた昆布がのせられた「バッテラ」は、頬が落ちそうだった記憶がある。
 
 数年前、知人に連れられていった新宿の隠れた「酒処」で、口に入れたとたん「ウゥムッ」と、ことばを失うほどの鯖に出会った。
 実のところ、マグロも好きだが、鯖や鰺といった青さかなの美味しさはこたえられない。どうも好きらしい。よ~く、考えてみると、鯖や鰺を食べたいと思うときは、実は、とても元気なときだと思う。あの味に負けないくらいの生気が漲っているときに、食べたくなるようだ。

 最近は、江戸前の範囲を拡大して、東京湾のいちばん先まで延ばしたらいい。
 三浦半島でとれる魚も「江戸前」にいれるので、魚の種類も増えた。
 正直言って、なんとなく抵抗を感じるのは、私だけだろうか。
 江戸前は江戸前であってほしいのだ。

 ところで「黄金鯖」。
 この鯖は、金色に耀き、油が乗っている今が旬だそうな。
 テレビのニュースでその話を見て聞いて、一度、食べてみたいと思っている。
 そうなると「江戸前」拡大解釈もいいか、なんて思ってしまう。

 さて、ここまで読まれた読者の方には、羽鳥は相当な酒豪なのか、という印象を持たれたかもしれない。
 残念ながら、私は、下戸の代表なのであります。
 でも、昔から上戸の方々が食するものには、美味しいものがあることは、舌が知っておりますの。
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秋真っ盛り

2005年10月22日 08時22分09秒 | Weblog
 我が家の前の通りは、戦前、農道だったらしい。
 最近、家を建て直したところは、セットバックして、なんとか4メートルの道幅に広がっている。
 
 で、この道を西に抜けると、商店街にでる。
 この商店街もまた、農道だったのかと思うくらい、狭いのである。
 おまけに午後3時から8時までは、車の進入禁止になっている。

 ところが、一本北側にある道は、戦前からの本道で、道幅は広く、一方通行ではない。そんな事情で、建っている家々も、なかなかの構えで住宅地という雰囲気がある。
 
 家の立替で半年間、その道路沿いに仮住まいをしていた。
 実に、五月蝿い。
 終日、トラックから乗用車からオートバイから、あらゆる車種の車が行き来している。

「むさ苦しいと思っていたれけど、家の前の道路は狭くてよかったわね」
 半年後、新居に戻って、静かな環境・排気ガスの蔓延しない暮らしに、一筋違いの家に大いに満足している。

 毎日のように入ってくる「売却しませんか」という不動産業者のチラシを見ながら
「手放したいわけじゃないんだし、固定資産税だってお安いし~」
 語尾を延ばして、この庶民的な環境を、賛美している。

「ここにだっていいことはたくさんあるわ」
 ご近所の方々の車庫入れの上手さは、日本一だし。
 野良猫だって安心して子育てができるから、少子化の心配はないし。
「今度は、ちょっと高級な猫みたい」
 銀色で毛がふさふさした子猫を見ながら、「猫談義」を交わす井戸端会議も残っている。
 
 黒猫・赤茶猫・三毛猫風。一年に、二回くらいは出産している女盛りの成猫(?)は、今までにない高貴な感じの子猫を「猫かわいがり」している秋真っ盛りである。

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脳の報酬って何?

2005年10月21日 09時48分47秒 | Weblog
 日経新聞「あすへの話題」に、脳科学者・茂木健一郎氏が書いておられる。
 10月20日は、「大人の誕生日」。
 他愛なく誕生日を祝う習慣がある欧米を引き合いに
「他人が好意をもって誕生日を祝ってくれることは、脳にとっては何よりの報酬だ」という。
 童心に還ることをすすめている。
 
 これを読んでなるほどと思った。
 なぜって、野口三千三先生は、町を歩いていて、珍しいものを見つけては体操に結び付けて嬉々としておられたからだ。
「それって、かなり強引だよね!」
 そんな声を聞こうものなら、猛然と立ち上がって、「野口体操ここにあり」と、言わんばかりに、さらに面白い発想を展開してみせたのである。
 
 茂木氏は続ける。
 「人類の文明の歴史を眺めてみると、大人が自分の中に残っている子供っぽさを肯定し、積極的に活用する方向に進化しているように思う」と。
 つまり、創造性は、子供っぽさなしには成り立たないと言う。
「その言葉に十票!」
 思わず手をあげる私。
 
 そういえば、挙手する私も、このブログで「鞭」の話を書いたときのコメントに「美少女系」なんて言われましたね~。
 まだまだ可能性が残されているってこと??????? いったい幾つなの???????
 
 ふふふふっ。。。。ホッ。。。。。。。

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たかが○○ されど○○

2005年10月20日 07時38分58秒 | Weblog
 朝日カルチャーセンター・土曜クラスでは、逆立ちの練習が佳境に入ってきた。
 「野口流・ヨガ逆立ち」を、数名のグループに分かれておこなっている。
 男女入り乱れて、和気藹々と練習する様子は、野口先生の時代を彷彿とさせるに違いない。
 本来、逆立ちは楽しいのである。
「たかが○○、されど○○」という言い回しが、これほどぴったりのものはない。

 そこで準備するものは、「生卵」「ゆで卵」「逆立ち独楽」「卵の形をした独楽」等々で、まず、楽しく遊ぶことを毎回おこなってから、逆立ちに入る。

 15日の土曜日は、カーボン紙のうえでゆで卵を回していただいた。
 白い殻に、青いインクで、立ち上がっていく軌跡が、描かれる。
 揺れながら、円を描きながら、螺旋形で、卵は立ち上がる。
 細くとがっている方が下になると、安定してまわる。
 独楽はもともと重いほうが上になる。卵とて同様だ。

「立った、立った!」と歓声が上がる。
 逆立ちになれた人に、拍手が起こるグループがある。
 初めて立てたときは、それはもう、感動ものである。
 立ってみなければわからない境地かもしれない。
 気がつくとそれぞれの顔が耀いている。なんといったらよいのだろう。言葉にするのは難しい。
 生き生き・いきいき・イキイキ・活き活きとして、艶やかである。
 独楽は気持ちよく回ると、艶やかに輝きを増す。
 人は気持ちよく動けたとき、こんなにも美しくなれるのか。。。。。。。いや、違う。。。。。。。満たされたからだは精気あふれ。。。。。。。いや違う。。。。。。。
 お手上げだ!
 とにかく楽しい!

「たかが逆立ち、されど逆立ち」
 万歳・バンザーイ なのである。


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独楽の命は粋!

2005年10月19日 08時11分59秒 | Weblog
 昨日、江戸独楽作家・福島保氏の工房を訪ねた。
 20数年のお付き合いで、初めてのこと。
 
 工房の棚では、「黒檀」「紫檀」と名称が書かれた箱や、これから独楽に生まれ変わる木材等々が、出番をまっている。
 今年の新作は、真ん中に薄い輪があって、回すと上下するもの。
 福島さんをご紹介するためにお連れした知人は、始めて目にする独楽つくりに、びっくりした様子で
「こんなに、多様な独楽があるなんて、想像もできませんでした」
 と感激することしきり。
 
 まず、ごく普通の独楽、次にまんなかに輪のある独楽、それから福島名人といわれる「芥子独楽」を二つが、目の前で、つくられていく。

「そろそろ老眼でしょ」
 ちょっと意地悪な質問を私がすると
「老眼もそうなんだけど、小さすぎてそんなにはっきりとは、見えませんよ。だから、始から小さいものはつくれないの」
 大き目のものをつくって、木材がちいさくなり、勘がはたらくようになってから、芥子独楽に取り掛かるのだそうだ。
「最初の青いのは9ミリね。もうひとつの赤いのが6ミリね」
 確かに見えないだろうと、素人目にも納得がいく。

 小さな芥子独楽から、最大級の40センチくらいある曲独楽まで、つくる刃物は同じ大きなもので削っていく。そうやって形をつくり、彩色をするのだから驚きである。
 
 形もでき、彩色をする。その色を輝かせるのは、蝋を塗ること。蝋が塗られると、艶やかな色に変身するところで、見ているものは、もう独楽の虜になる。

 なんといっても圧巻なのは、独楽のからだを一点でささえて回す先端を、母体の木材から切り離す瞬間である。芥子独楽は、木屑のなかにもぐってしまう。そこで、6ミリの芥子独楽などは、削っていく刃物の先で掬い取るようにして、取り上げるのである。
 
 独楽とはいえ、いや独楽だからかもしれないが、誕生の瞬間に、えもいわれぬあたたかな息が、独楽それ自体の内部にかようのが見える。聞こえる。感じられるのである。

 何時見ても、何回見ても、飽きない。
「昔話シリーズ、極小独楽シリーズ、お雛様シリーズといろいろあるんです」
 一寸法師、桃太郎、竹取物語。見せていただいたことを思い出す。
 作家は、柔らかな頭で、独楽に物語を与えていくのだという。

「これはベンハム・トップ」
 人の目の錯視を利用した独楽である。確かイギリス人が考えた独楽だったような記憶があるが、定かではない。
 CD版を独楽に加工した上に、モノクロの幾何学模様を描いた紙をつくり、着せ替え人形のように紙の円盤を乗せ替えてみる。
 不思議や不思議! モノクロの色の中から、緑色や暖色系統の色がほのかに立ち上がって見えてくる。
「回転方向をかえてやると、内側と外側と、色の筋が交替するでしょ」
 実に、面白い現象だ。
 以前に、この原理を読んだことがあった。詳しいことは忘れしまった。原理もさることながら、目の前で繰り広げられる色の魔術に、魅せられていく。
 独り遊んで楽しむと書く「独楽」は、つくる人も独り楽しんでいることが確かめられた。


「独楽の命は、粋ですからね」
 福島氏は、あっさりとした口調で語りながら、用意してあった独楽を次々と見事な手さばきで回してくれた。
 
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iPodから聞こえる経営

2005年10月18日 05時24分29秒 | Weblog

 ーiPodから聞こえる経営 「平たい地球」生かし切るー
 10月17日付け・日経新聞「核心」に、アップルコンピューターCEO(最高経営責任者)S・ジョブズ氏が、スタンフォード大学でおこなった祝辞が静かな評判を呼んでいるという記事がありました。
 日経新聞本社 コラムニスト 西岡 幸一氏の署名記事です。
 
 「Stay Hungry Stay Foolish (飢餓をもて、ばかでいろ)」と、卒業生に呼びかけた祝辞。
 なかなかの人生が語られています。
 
 なんとその祝辞が、ブログ・「撫明亭日乗」を開くと、日本語訳とビデオで読んで見て聞くことができます。

 左側下Book mark ブックマークから、どうぞ。
 
 おすすめ!
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2005年10月17日 08時20分48秒 | Weblog
 参加者の拍手をあとに、セミナーハウスを出て、京都行きのJRにのったのは、4時をまわっていた。
 山崎駅のこんなに近くにサントリーがあるとは、夢にも思っていなかった。
 きっと、ここに工場を建てたころには、山懐に包まれた静謐な場所だったに違いない。

 電車はその山崎を通り越して、9日の日曜日午後に東京を発って一泊し、10日は午前・午後を過した高槻から次第に当遠ざかる。
 遠ざかるにしたがって、私は、車中の旅人となる。
 目は、行きに出会った男性を探している。もっと正確に言えば、あの冊子を探していた。
「確か、あそこには、月見の宴の折に体調を崩した芭蕉が、それからあまり芳しくなくなったような……」

 。。。。。。。

「たびにやんで ゆめは かれのをかけめぐる」
 2・3回、口ずさんでみる。
「そうか、日本人にとって、夢というのは、特別だったのだ」
 東京を発つ前日に読みはじめ、そのまま携えてきた本をとり出した。

 ながきよの夢をゆめぞとしる君やさめて迷へる人をたすけむ
                   (『明恵上人歌集』)

「この本は、印象的な出だしだったなぁ」『明恵 夢を生きる』河合隼雄著(京都松柏社)。
 夢の記録を丹念につけた明恵上人。
『夢記』について、著者は言う。
「覚醒時の生活とみごとにまじり合って、ひとつの絵巻を織りなしている」と。
 さらに進むと「……「一体感の世界に、錯倒した仕切りを立てる」その仕切りを強固なものにし、他から切り離され「自立」した意識をもって、他を観察することによって、西洋近代の科学が生まれてきた……」と。

 奈良から平安期へ「夢とうつつの世界の境界が希薄である」ところに、日本人の意識のありようをおく姿勢は、時代が下っても繋がっていた筈。
 もしかすると野口先生が目指されていた主客一体感・命なきものも命あるものも一体として感じていく体操の世界にどこか通じるものがあるのではないか、などと考えながら京都行きの列車の人になった自分が、今度は東京行きの座席に座っている。

「なんとなく芭蕉の夢を軽く読み過ぎていたような。。。。。。。。。。。。」

 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

 東京駅の殺到に降り立ったのは、7時半をすこしまわったころだった。
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