羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ビッグ対談「からだと出会う」

2023年10月23日 15時37分07秒 | Weblog
NHK・ETV 1987年10月3日放送「ビッグ対談 からだと出会う」(90分)
野口三千三+山口昌男(9月8日録画)

29日の日曜日に予定している「特別レッスン」で、野口先生のレッスン風景の部分だけをご覧に入れようと思っていた。

昼過ぎに探し物をしていた時、放送後も長らくお付き合いがつづいていたディレクターさんから、相当時間が経ってからいただいた資料が出てきた。

企画を通す段階から、ロケ撮影し、編集し、放送を見た視聴者からの手紙等々、貴重な資料をいただいてあった。

番組を作るにあたって、録画したビデオ映像をどのように編集するのか、といった細かい過程は興味深い。
番組制作の舞台裏をしっかり理解することができるのでありがたい。

「三千三伝」で一章分は書けそう!


担当のディレクターの方は、残念なことにお亡くなりになった。

お三人とも鬼籍に入られた。

追悼としてご覧にいれることに・・・・。
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お蔵スタジオ 配置を考える

2023年10月23日 05時18分38秒 | Weblog
10月最後の日曜日、お蔵スタジオで「野口体操の会」会員向けの「特別レッスン」の予定がある。
15畳弱の広さしかないので、六名限定で募集させてもらった。
初めての試みで、どのような配置をしたらいいかを考えている。

そこで2023年3月29日発行「会報『早蕨「野口三千三先生を偲ぶ」特別号』」に添えたQRコードを読み取って、お蔵スタジオで行った「献奏会」のシーンを参考にすることにした。
この記録には、10月10日に行った「野口三千三先生を偲ぶ会」寛永寺の墓参から上野国立博物館庭園内「応挙館」での講演会を中心に、後日開いた「献奏会」の記録を収めてある。

  於:お蔵スタジオ 献奏会
     記録は貴重だ!
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朝日新聞be「はじまりを歩く スポーツ新聞(東京都中央区)」

2023年10月21日 08時33分20秒 | Weblog
今朝の「はじまりを歩く」。
声を出して読む練習は、読みながらたくさんの大切な言葉をもらった。
「なるほどー なるほどねー」
「見出しの妙 見栄えをよくする カズ!! ゴジラ 造語も役割」

「灰頭土面(かいとうどめん)」
   極め付けの言葉!
阪神の元監督・吉田義男さんが京都の僧侶から聞いた
《灰まみれ泥まみれになっても取り組み続け、やりきることが尊い》

最後に「紙とデジタルの問題」
『紙を大事にしつつ、よりデジタル化を進め、ページビジター増と有料化への試行錯誤をしています。 中略 しっかり取材した記事を読んでいただくことも大事にしつつ、ニーズにも対応していく。バランスが大事・・・・』
 日刊スポーツ佐々木一郎・コンテンツ本部長談

スポーツ新聞ならではの強みを、どうデジタルに注ぎ込むか、模索を重ねる、の言葉を受けて・・・・
『日々の生活にちょっとした喜びや活力や彩を与えること。そこは紙もデジタルも同じだと思いたいです』
 佐々木の言葉で、結ばれていた。
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年表

2023年10月19日 05時13分50秒 | Weblog
木下順二、山本安英、両者の本を読んでいると、巻末にあるそれぞれの年表は素晴らしい、と感心している。

年号は、「西暦」と「和暦」がきちんと併記されている。
ある時代に、その人とその周りの人間が、どう絡んで・どう生きたのか、という関係と足跡が、そのことによって明確になっていく。
そして、大いに助けられるのである。

それに倣って、野口三千三の年表を作り直そうと、今、取り組んでいる。
   下の写真はメモ段階

以前から薄々感じていたことだけれど・・・・。

第一「体育(体操)界の本丸」15年間
敗戦を挟んで
第二「芸術(演劇)界の本丸」15年間
先の15年間を踏まえた「芸術(表現)の基礎としての体操」と本人は自称しているが、通して見る30年のあゆみ。

それらを踏まえて
1967年「現代の眼」『体操による人間変革』
1972年『原初生命体としての人間』
『哲学する身体』の境地に達した『野口体操』へと歩みを進める。

*******

これを書いていた昨日、客人を迎えた。
翻訳家である彼女の話から、英国(オックスフォードとケンブリッジ)と米国における「スタニスラフスキーの受容」について貴重な示唆をいただいた。

その視点から、日本の受容の特徴を考えてみた。
そのことについては、今は、置いておくが、野口三千三は日本における「スタニスラフスキー受容」の中心にいたことから、自然と「本丸」という言葉を年表に書いてみた。

すると どうだろう。
一人の人間の一生が、今まで以上にリアルなこととして、私の中で立ち上がってくれた。

「野口体操」は、16歳から46歳までの30年間に、体操界と芸術界という二つの本丸にあって、それを土台にした独自の前衛体操としての「野口体操・人間変革」身体哲学への道へ歩みを進めたことが明確になった、と言いたい。

戦前・戦中までをリセットした、という野口自身の言葉に嘘はないのだろう。
けれども、そう簡単に前半の人生をリセットすることはできない。
「三千三伝」を書き続けながら、本を読み、人にあって話を聞くうちに、そう思う気持ちがより強くなった。

その一つの証明は、1961(昭和36)年「藝大テキスト」だ。
本人の意識と無意識が交錯した道筋を、行間に読みとることをしなければ!
ここがその後のターニングポイントとなってくるのだろう、と今は思っている。

「芸は一代」のもの、とも。
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朝日新聞「はじまりを歩く」

2023年10月14日 10時14分00秒 | Weblog
毎週、土曜日は朝日新聞be掲載「はじまりを歩く」を声に出して読むのが楽しみになっている。



気づいてとっておくようになって、まだ日は浅い。
8月6日「映画館(東京、熊本、群馬)」の写真が、群馬県高崎市「高崎電気館」で、「ここに泉あり」の看板が掲げられた・・・・とあったことがきっかけで取り置くようになった。

野口三千三先生が青年教師時代を過ごした高崎!
看板の「ここに泉あり」は、群馬交響楽団のはなし等々。
「三千三伝」を書き始めて、高崎には何度も通っているうちにいつの間にか「群馬愛」が自分の中に育っていった。

加えて、FBでも上毛新聞の記事が毎日入ってくることもあって、日常に群馬県の出来事が我が事のように思えるから笑ってしまう。

話を戻すと、毎週、今日は何の話題が取り上げられるのか。
どんなふうにそれが深められるのか。
「へー、ふーん」
知らないことを知る楽しみに、ワクワクしている。
ただひとつ困ったことは、味わい深い地名と名前のよみ方がわからないことがあること。もうすこし多めにルビをふっていただきたい。

それはともかく、毎回、取り上げられる題材が面白い。
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「野口三千三伝」進捗 

2023年10月13日 08時29分50秒 | Weblog
ノロノロ運転で、書いています。

演劇編
プロローグ
  野口三千三の恋文
  山本安英主演「夕鶴」に寄せる想い

1、演劇との出会い
  岡倉士朗さんのこと(次女の方へのインタビュー)

2、東大YMCA  喫茶店・南米コーヒー
  ぶどうの会 木下順二さん(『本郷』)

3、野口三千三とスタニスラフスキー(1)
  ぶどうの会を中心に 山田肇さん

4、野口三千三と沖ヨガ

 ここまでは大まかに書き終えています。

5、1962年 駒ヶ根合宿(一部・調査中)これから書き始める予定
  野口体操の人気 貫見忠司さん 池田潤子さん 竹内敏晴さん
 
先日、しばらくぶりに取材のためにJR山手線大塚駅に降り立った。
駅の改札口、また南口周辺が大きな変化をしていたのに驚く。
アトレ一階には、GODIVA、日比谷花壇、有名なスイーツ店などなど。
この路線はどの駅も同じような作りになってしまった。

都電荒川線も昔の雰囲気を保ったまま、綺麗な車両になっている!
野口先生のお宅に伺う時の雰囲気が失われていることに隔世の感を抱く。

一区切り、ここから新たな気持ちで、書き続けようと思った次第。
帰宅して掃除に勤しむ。

  今朝のお蔵スタジオ
北の窓から差し込む柔らかな光

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あぁ〜もう

2023年10月06日 05時36分01秒 | Weblog
明日は、土曜日!

今週から『野口三千三伝』第2部「演劇編」」を書き始めた。

書き始めると、日にちと曜日がわからなくなるー。
気づいて呆然。

第2部 演劇編ー野口の専攻:「(舞台)芸術の基礎としてのからだと動き」
1、野口三千三の恋文(看板倒れかも)
2、演劇との馴れ初め 岡倉士朗(次女の方へのインタビューを中心に)
3、謎解き:「ぶどうの会」が東大YMCAの会館をなぜ稽古場に使用できたのか

本日からは、スタニスラフスキーについて・・・・・。

写真は早稲田大学演劇博物館
文京区本郷3丁目・明治6年開場
向かって右:春木座(本郷座)新派の拠点でもあり歌舞伎も公演
向かって左:震災後の仮設劇場
ここを拠点に2代目市川左團次が活躍したと記されている。

永井荷風も木下順二も、2代目左團次の歌舞伎を観劇。
小山内薫と共に現代劇にも挑戦した左團次は、歌舞伎のロシア公演の際にスタニスラフスキーとも会っている。
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