羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ホッとするのも束の間

2015年01月27日 07時24分52秒 | Weblog
 嬉しい悲鳴をあげています。
 というのは2014年度の授業関係の仕事を終えて、部屋の片付けをすませ、今週から原稿書きに取りかかったところです。
 
 書きながら、新しくいくつかの取材を予定していて、一つは昨日のうちに終わらせました。
 
 本日は、我が家で話を伺う来客があって、二つ目の取材予定です。
 
 そして明後日には江東区にある「東京大空襲 戦災資料センター」を訪ね、2月にはある方とのコンタクトがとれていて話を伺うのが楽しみ。

 いよいよです。
 しばらくこのブログの更新も、まばらになることと思うのですが。

 ホッとするのも束の間。
 三月末が締め切りなんです。
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「才能とは、興味を持つことのできる能力」野口三千三

2015年01月17日 12時20分24秒 | Weblog
 昨年のうちに、東京国立科学博物館で2月22日まで開催されている「ヒカリ展」を見に行った。
 お目当ては、鉱物の蛍光現象で、我がコレクションと比較したい気持ちが働いていた。
 その部屋を中心に、ずずずーっと、部屋をひとつひとつ見た最後に「第4章 はかる」で、セシウム原子時計を見た。見たと言っても、しっかり見たわけではない。
 この「セシウム原子時計」は、1秒の長さの定義と国際原子時計の校正に用いられ、誤差は3000万年に1秒程度(「デジタル大辞泉」より)。
 この3千万年に1秒の誤差は、人間の感覚を大きく逸脱した時間だ。親近感が湧くはずもなく、さぁーっと聞き流す様に、見流して、通り過ぎてしまった。

 ところがである。
 昨日、本日の朝日カルチャー「野口体操講座」の準備をしている時、このような文章に出会って、慌てて「ヒカリ展」の公式ブックを取り出してみた。
 このような文章とは、『重力からみる地球』に書かれていること。
[重力をどのように測るのか]についての記述だった。
「人類の文明は定量的な立場からみると、時計の精度とともに進化してきた。物理測定についてみると、その精度は原理的にその時代の時計の精度を上回ることはできないので、1桁から2桁回った精度で、時計の精度を追いかけるようにして進歩してきた」とあるではないか。
 ものすごく新鮮!
 人は時を測ることを、何時の時代にも、日常的な事柄から宇宙までを通して基準に置いてきたことを思い出す。
「時計か!」
「なるほど、時計だ!」
 はじめ世界最初の標準時は、地球の自転をもとに定められた、と教わった記憶が甦った。
 ちょっとしらべてみると、「太陽に対する自転周期は季節変動するが、その自転周期の年平均を1日とし、それを細分化して、時間を計測する単位である1秒の長さを決めている」
 フムフム。

 1秒の単位を測るのに、規則的に繰り返す現象を何にとるのかが、”時代の文明を決め”ているってわけだ。
 今では振り子時計を見ることは滅多になくなったが、特別な場所には立派な振り子時計が、玄関ホールなどに置かれていることも少なくない。
 その振り子の等時性(周期運動で、周期が振幅の大きさに無関係に一定であること)を発見したのは、ガリレオだと言われている。彼は教会の天井から下がっているランプの揺れを測った。その時に使用した時計は、ガリレオ自身の脈搏ー生物時計ーだった。
 正常なヒトの脈搏は10の-3乗くらいの精度だと言う。感覚的には十分に思えるが……。

 こうしてみると時計の歴史というのは実に面白い。
 生物時計から原子時計への道のりは、速かったと言えば言えるかも知れない。
 振り子の揺れを数える時計から、クォーツ(水晶)の振動を数える時計、もっと正確な時計としてつくられたのが「原子時計」ということになる。
「ヒカリ展」では、電磁波を使って時を測る。その代表として「セシウム原子時計」を展示している。
「セシウム時計」は、セシウム133を使っている。1秒の長さの定義と国際原子時の校正に使われているらしい。1967年国際度量衡総会においてセシウム原子時計を世界標準として採用することが決議された、とデジタル大辞泉にあった。

 自然と気にかかるのは日本の標準時のことだ。
 今まで、日本の標準時は明石市だと思っていた。つまり東経135度の明石市の真上に太陽が来たとき正午だと教えられた。
 ところが実際は小金井市にある通信総合研究所によって計測されているらしい。
 明石市は135度。小金井市は139・506172とある。では我が家は?当然知りたくなる。ここは139・650017だった。すると小金井市と杉並区の我が家の差は、143845となる。いったいこの差はなんだ、とクエスチョンマークがついてしまった。果たして感覚できるんだろうか。無理だ!
 
 ここまできて、はたと気づいた。私は何をしているのだろう?
 いやいや、レッスンの準備だった。
 力を抜いて振り子になる腕の実感を得よう、ということだった。
 そこで『重力からみる地球』を読み直したみたところこんなに面白い「時を測る」話にたどり着いてしまったわけだ。

 本日のレッスンのテーマ:
「おもさに貞く」を中心に「腕回し」「振り子」。
※野口体操では、『動きとは、中身の変化が、外側に現れたもの』と捉える。形が生まれるからだの内側に徹底的に着眼し、実感したことを基にして、動きの方法論を編み出している。
*動きのエネルギーはからだの重さ。重さが生きるには力を抜くこと。
*「腕回し」は、振り子の原理で、腕を回す。『振り子は円運動の一部』である。
*固定点の周りに一定の周期運動を行う物体。
*実際の人間のからだは、単振り子ではない。関節がいくつもつながった多重振り子である。
 
 ついつい横道にそれるのが楽しいのであります。
『才能とは、興味を持つことの出来る能力である』野口三千三
 この言葉を思い出し、ちょっと落ち着く我あり。ふふふふッ!
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初心にかえる

2015年01月14日 10時45分02秒 | Weblog
 昨日の話のつづき。

 鍼灸院の治療を受けるようになって、ひとつよかったことがある。
 それは初心にかえって、丁寧に自分のからだと向き合う“ほぐし”を行うようになったこと。
 野口体操を始めた20代のころ、相当な時間をつかってからだほぐしを試していた。10年くらいは徹底的に試みたと記憶している。
 日々、薄紙を剥ぐように変化する、なんて福音は全くもたらされなくて、亀の歩み? とにかくのろのろとして変化は、なかなか訪れてくれなかった。野口先生も呆れるくらいの遅さだった。
 しかし、やめることなく、続けているうちに、3年、5年、10年、と年月は経過し、そのころになると「やすらぎの動き」を初めとした「座位によるほぐし」は気持ちのいい境界へと滑り込んでくれた。

 その後の経過は割愛するとして、一気に野口先生没後の話。
 この16年間は、さまざまなことに見舞われて、本当には自分のからだと向き合う時間が減っていった。
 ただ、突発性難聴を患って入院治療を受けた時には、さすがに自分の時間を大事にして暮らした。

 それでも大半は、あれよあれよの16年だったように思う。

 そこで昨年の秋から、鍼灸院通いを始めたのをキッカケにして、初心にかえってみた。
 からだほぐしを細やかにやってみたい、と思い定めた。
 嬉しかったことがある。
 それはかれこれ40年程前、体操を始めた当初のマイナスからの出発ではなかったことだ。
 新鮮な感覚で、からだに向かい合う時間がもてたのである。

 そこで一つ加えておきたいことがある。
 いわゆるぎっくり腰、腰痛症だが、ひどい症状でなければ、腰のどの部分を傷めたのかによって、動ける体操は必ずやある、ということ。
 私の体験だが、傷めたその日でも、軽く体操は行っている。野口体操の動きのなかで、必ずやできる動きがある。それを探しながら、からだの状態を見極めるのである。
 例えば、仙骨の中心に近い時には、「上体のぶらさげ」や「尻たたき」「腿の胸付け」のような動きは出来ない。ところがこの部位の場合「腕立てバウンド」「やすらぎの動き」「四股」は痛みもなく、快適ではないが動くことができる。
 しかし、傷めた部位が仙骨と長骨が接しているあたり「仙長関節」あたりだと、今度は、できる動きが逆転する。
 まとめると野口体操の動きは、からだを細やかに分ける、からだを粉にする、次々順々に伝えて動く、円を描きながら波・渦・螺旋へと動きを伝ええていくものだから、一所に刺激が集中することは少ないわけ。

 一方で、日常生活の範囲の動きで痛みがなくても、野口体操をしてみると、痛みが感じられることがある。
 つまり、病人の世話や介護の動きは別だが、普通の暮らしのなかの動きというのは、案外と範囲が狭いことに気付かされる。
 この実感を得ると、日常的に体操することで、どれほど動きの可能性を広げ、動きののりしろを広くし、動きの感覚を鋭敏にしているのかがよくわかのだ。

 ぎっくり腰など起こさないでいられれば、それにこしたことはない。しかし、いつもいつも理想的な暮らしやからだの使い方が出来るわけではない。
 鍼灸治療を受けていると無理をしたくない気持ちが強くなる、と昨日にも書いたばかりだが、そうはいっても無理は無理だと知りながら無理をしてしまうこともある、というのが現状である。

 最後に加えることがある。
 仙骨の中心に近い場合も、仙長関節に近い場合も、どちらも「やすらぎの動き」だけは出来るということ。これはすばらしくよい事なのである。
 なぜって、気分が落ち込んだり、暗くなったりすることを防いでくれる妙薬だから。
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点と線

2015年01月13日 12時00分53秒 | Weblog
「点と線」と聞くと、松本清張原作の小説を思い浮かべる方が殆どだ、と思う。
 今日はそれではなく、鍼灸体験の話である。

 実は、昨年の秋に、春学期から初秋にかけての忙しさが一段落してホッとしたところで、腰を痛めてしまった。
 すぐにもよくなるだろうと高を括っていたところ、一週間しても改善があまり感じられなかった。
 まずは整形外科に行き、レントゲンを撮り、医師の診断を受けた。骨に異常があるわけではなく、仙長関節の腰痛症だろうから、しばらくリハビリに通う様に、ということだった。
 電気をかけそのあとに悪いところを中心にバイブレーションをかける、つまりあたためほぐす一般的な治療だった。少しずつ改善は見られた。
 
 そこで、はたと、考えたわけです。
 年齢も65歳半ばすぎた。一度、西洋医学の家庭医のほかに、東洋系のよい治療院を探すのもよかろう。
 すぐさま思いついた。
 我が家から3分で“ドア・トゥ・ドア”の鍼灸院がある。そこは知人が家族ぐるみで、長年通っているところであった。
 たぶん一度始めたら、しばらくは通う覚悟を決めて門をくぐった方がよいに違いない、と意を決した。
 一週間、整形外科に通った後、すっぱりそちらはやめて、鍼灸院を訪ねた。もちろん事前にホームページを検索し、だいたいの様子を頭にいれておいた。

 双子のご兄弟の鍼灸師を中心に、若いスタッフが4人ほどそろっている。
 鍼灸の鍼を打ち、灸の部位を指定するのは双子のご兄弟で、灸をすえるのは若いスタッフだった。
 驚くにあたらないかも知れないが、一回の治療の間、10回以上も脉を取りながらすすめていく。
 感動したのは、最初だった。
 私の担当になったお兄さんの手の温かさ、掌の分厚さ、指先の柔らかさ。その触れ方が実に素晴らしいのである。
 スーッとからだの中から力が抜けて、とろける様な感覚がもたらされた。
 ゴットハンド、といっても間違いないと思えたし、いつもそう感じる。

 今まで、見立てについて聞くこともせず、お任せ状態で通い続けている。もうしばらくはそのまま続けてみたいと思っている。
 実際に、からだが軽くなったし、それにつれて徐々に元気が出てくるのである。

 今年の正月になって、突然「点と線」という言葉が口をついて出た。
 そして、この鍼灸に何を感じているのだろうか、と自分に問いかけてみた。

 はじめに左右の脉をとる。つづいてスタッフを呼んで、足のツボらしき所を二カ所ほど触れさせながら、脉をとる。
 それから鍼を何箇所かに、丁寧に、静かに、浅く、次第に深くうち込み、そして再び脉をとる。

 それからうつ伏せになって背中から腰、腰から足、肩や首へと鍼をうちながら、その都度灸をすえる部位に印をつけてゆく。鍼を残したところも何カ所かあり、しばらく待つと若いスタッフの誰かがやってきて、記されたところに灸すえていくのである。
 こして全てが終わるまでに1時間はたっぷり要する。

 脉診が主だけれど、ツボという“点から点へ”鍼が打ち込まれていくと、からだのなかに“線”が現れる様な感じがする。
 その上で灸を加えると、その線はかなり太い系を確実なものにしているのではないか?と、思えるようになるまでにそれほどの時間はかからなかった。言葉になるには時間がかかったが、実感は常にあった。

 結果、腰痛はもちろんだが、何十年とつづいていた座骨神経痛もかなり改善した。
 胃腸系も治療の対象になっているようだ。

 いちばんは「無理は無理だ」として、無理をしなくなった自分がいる。
 軽くなって元気になったからといって、せっかくここまできて、無理をするのは勿体ない気がするのだ。
 体調を整えるために、体操以外に、こうした東洋医学の考えに触れながら、もうしばらく様子を見てみたいと思っている。
 高齢期にかかりつけの場があることも大切なのではないか、と考えたことがきっかけだったことをあらためて心に記している。

 よき実感が得られたので、そろそろどのような見立てで、どのような治療を施してもらっているのかを、ちゃんと伺ってみようと思っている。

 点と線が面となって、さらに立体となって我が臓器にどのような変化がもたらされるのか。
 MRIのような機器やさまざまに数値化する検査をせずに、脉をたよりに見えないものを診て、聞こえない音を聞いて、からだの内側に働きかける施術の妙は果たして如何なるものか。
 直接、患部に働きかける「臓器治療、免疫療法、血液内科的治療」とは異なるからだのなかの「無の道」を探る医療行為という世界を、もうしばらく味わわせてもらうつもりだ。

「点と線」が、これからいかような物語を見せてくれるのか、実に、楽しみな新年でもある。
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『おもさに貞く』朝日カルチャー「野口体操講座」初日

2015年01月12日 09時26分23秒 | Weblog
 10日の土曜日の朝日カルチャーは、今年初めてのレッスンだった。
 昨年末、江戸独楽作家・福島保さんが知らせてくださった日本橋三越で、「干支の羊独楽」と「蕪と大根の鳴り独楽」を手に入れてきた。
 そこで「おもさに貞く」をテーマに、竹製の鳴り独楽四個、江戸独楽鳴り独楽2個、蕪と大根の鳴り独楽、合計七個を用意し持参した。

 独楽の大きさは一番大きいものは高さ約20センチ・直径約15センチ、一番小さいものは高さ約6センチ・直径3センチほど。自宅で小さい順に並べて、重さを量ってみた。手で持って比べてみると、差がよくわからないものがあった。見た目の形に惑わされるのだ。そこで秤にのせてみた。やはり2グラムと4グラムの差は、形と色にごまかされてしまいやすいことに気付いた。
 小さいものから、23g、54g、58g、84g、86g、123g、356gであった。
 独楽は重いものほど回る命は長い。いちばん軽い23gの竹製鳴り独楽は、まわすのも一苦労だし、鳴っても本の数秒程度しか鳴りつづかない。で、これはタコ紐ではなく強い糸でまわす。
 58gと84gが太さの境で、86gから123g・356gの独楽の紐は、タコ紐のうち太いものを使った方がまわしやすい。
 また、床の堅さも問題であることを福島さんに教えられた。
 54g「蕪と大根の鳴り独楽」は、白の木肌が美しいミズキでつくられていて、中をくりぬいてあるために全体に見た目より軽い。そこで薄く柔らかい紙を何枚か重ねた上で回さないと、飛んでしまうのだそうだ。実際に堅い床では回る時間が短くなる。
 当然23gの小さな竹の鳴り独楽も、同じ紙の上の方が命が長くなる。

 さて、レッスンが始まって間もなく、まず、私(羽鳥)が一通り鳴らしてみた。
 ひとつずつ近くにいる方に、手渡した。
 上手く回っていい音が鳴る人。思ったより難しく不発に終わる人。
 はじめのうちは遠慮して回そうとしない人。
 時間がたつにつれて、回せた人が手ほどきをはじめて、気後れしていた人もいつの間にか独楽の虜になっていく。
 鳴り独楽は本当に軸がしっかり地球とつながらないと鳴ってくれないし、鳴り続ける時間も短くなる。

 ひとしきり遊んだ時には、小一時間が過ぎてしまった。
 活気の渦が巻く教室に、独楽の威力を改めて感じた。

 この日の板書をここに載せておきます。

2015年1月10日(土)朝日カルチャー「野口体操講座」テーマ「おもさに貞く」

※『野口体操 おもさに貞く』春秋社より
*『人間が人間であることの基礎感覚は、地球の中心との「繋がり感覚」である。』
 動くということは、常に今の平衡状態を崩し、次の新しい平衡状態をつくりだすということの絶えることのない連続である。平衡とは地球の中心との繋がりの在り方の問題である。→「重さの感覚」
*『卵子は存在の基本形であり、精子は動きの基本形である。』
*上下左右の概念の誕生」『重力からみる地球』藤本博巳 友田好文 東京大学出版会 より
 「人は妊娠七週目ころから重力センサーができる。七週目は人間ができあがるまでに必要な三〇〇日の約六分の一の期間である。個体発生は系統発生を繰り返すものとして、生物の現状は三十億年の試行錯誤の結果とすると、その六分の一は約五億年である。だから今から二五億年前のときに海に浮遊していた生物が着底し、初めて重力を感じ、上下の概念が生まれたのではないかと推察できる。やがて口となる流れに向かった方向から前後の概念が生まれる。次に左右の概念が生まれる。とすると、重力は無生物から生物へと躍進するときの最初の概念を与えた力といえるだろう。」
*「独楽」は、まず上下方向・地球の中心方向に崩れない軸をつくるしたがって紐を引く方向は、鉛直に対して水平方向感覚が大事である。それから左右方向で上下のぶれが出ない在り方でスピードをつける。
*独楽本体の重さの違い。重い独楽の方が安定して平衡状態を保つことができる。重さで地球につながる安定感がある。重心が高い所に保たれていることが条件。「鳴り独楽」
※1月9日のブログ「羽鳥操の日々あれこれ」「俗と聖 あるいは 聖と俗 二つの刊行物」
*『Spectator』ボディトリップ「野口三千三の世界」エディトリアル・デパートメント 発売・幻冬舎
*『大学体育』2014年12月104 全国体育連合 平成26年度大学体育指導者全国研修会 報告 
 教養体育 体育必修時代から選択の時代へ
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俗と聖 あるいは 聖と俗 二つの刊行物

2015年01月09日 11時08分30秒 | Weblog
 2015年も明日で10日。早くも中旬にさしかかってきました。
 一昨年から始めた「野口三千三生誕百年」メモリアルの一環として、昨年からご紹介してきた刊行物が、すべて手元に届きました。といっても2冊ですが。
 改めてご紹介します。

『Spectator』2014 SPECIAL ISSUE VOL.32 「ボディトリップ」『第三章 野口三千三の世界』
 発行:有限会社 エディトリアル・デパートメント 
 発売:株式会社 幻冬舎 

 マンガで紹介「こうしてできた、野口体操」
 野口体操の魅力とは何か? インタビュー 羽鳥操 写真 佐治嘉隆
 ぼくの野口体操入門記 ボディ・トリップ「こころ」から「からだ」への旅 阿奈井文彦 他

 115㌻から162㌻ 47㌻にわたって特集されています。

『大学体育』2014年12月 No.104 41巻2号 
 編集・発行:公益社団法人 全国大学体育連合 発行責任者 安西佑一郎
 平成26年度大学体育指導者全国研修会 研修『からだとの対話ー「野口体操」を再考する 立教大学 羽鳥操 14㌻~23㌻ 10㌻の報告です。写真:佐治嘉隆

 二つの真逆の刊行物を読んでいると、野口三千三・野口体操がもつ深さと広がりをつくづくと感じます。
『Spectator』は、カウンターカルチャー(1960年代~70年代にかけての文化を進化させている)誌で俗なる世界を垣間みることができます。
 一方、『大学体育』は正課体育授業での内容や報告をしつつ、全国の体育指導者に最先端の教養体育を研究・発表・指導する研修会やシンポジウム報告する機関誌です。大学体育教育を率先し、先達としての役割をはたすものでもあります。こちらはアカデミズム、つまり無理に関連づければ「俗」に対して「聖」とでも言えるかもしれません。しかし、それも見方を変えれば、どちらが俗でどちらが聖だ、と決めることは出来ません。メービウスの環のように、表かと思うと裏であり、裏かと思うと表だったり、と。

 期せずして2014年に、赤田祐一さんから受けたインタビュー記事、そして大学体育指導者研修会(60名ほど全国の大学から集まった指導者)に野口体操を伝えた報告が年末にまとまってくるというのは、野口先生の計らいを感じます。
 野口のことば『私は「俗悪を楽しむ聖者」である』『おもさに貞く』春秋社版28㌻~
《私は、閉鎖的・逃避的、隠遁的・独善孤高的な生き方を好まない。満員電車の中も、衆人環視の中も、都会の雑踏も、俗悪な世間も、好きでも嫌いでもない。そのままが私の生きる場であるから大切なのである》
 なんとも含蓄あることばです。
 好きでも嫌いでもない。生きる場だから大切である、という発想は、ストレスのすくない生き方に通じるような気がします。
 
 こうして活字としてまとめられることは、野口三千三・野口体操が日本に存在し、今でも継承されていることを明確に伝え残すことになる、とあらためて自覚することができました。
 没後16年は、意味深い貴重な時間であったと思います。
 
 どうぞ野口体操を大切に思ってくださる方々にはサポーターとして支えていただきたい、とこの場を借りておねがいいたします。
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初夢

2015年01月03日 07時39分32秒 | Weblog
 ものの本によると、「初夢」とは元日の朝に見る夢とある。しかし、元日から二日の朝という説もある。また二日から三日の朝という説もある。
 ということは、正月三日ならば、どの朝であっても最初に見た夢を「初夢」としてもよさそうだ。
 元日、二日、三日を、「三賀日」というのだから。

 さてさて、今朝、見ましたね。
「昨日のブログに、1秒たりとも無駄な時間はなかった、大見得を切りなすったが、本当かな?胸に手を当ててごらん」
 誰なのか判明つきにくい御仁の声がはっきりと聞こえた。
「えー、はい」
 半分覚醒しつつ、でも夢の中。
「たしかにそうは書きましたが、よーく来し方を振り返ると、無駄と失敗の連続でした」
 頓首
「わかれば宜しい」

 そこで目が覚めた。
 以前ならば筆が滑った、とでもいうのだろうか。
 今ならさしあたり、ミスタッチ、打ち損じかな。
 つまらない夢を見たものである。
 せめて「一富士 二鷹 三茄子」みたいな縁起のいい夢を見たかったなぁー。
 しかし、夢ばかりは望んで見られるものではなさそう。
 私の非意識、下意識、深層に潜む本質が見え隠れするものなのだろう。

 ふと、思い出した。
 おもむろに三笠書房版『原初生命体としての人間』を取り出す。
 第五章「ことばと動き」から
『ことばのもつ抽象が、論理が人間の歴史をつくってきたというが、これは人間の歴史のある一面であって、具体的な特殊・個・非論理・点的な、意識下の巨大な力が歴史をつくってきたことも忘れてはならない』
 ここにたどり着くための夢だった。
 うん、そうだ、そうに違いない。
 思いがけない初夢でした、の。

 本日は、年賀の客あり。
 さぁ、さぁ、支度 支度。
 正月三日。 
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稽古初め……時の重さ

2015年01月02日 12時31分28秒 | Weblog
 正月二日。
 通常の時間に起床す。
 
 今朝は朝刊がこない。
 そこでまだ暗いうちに、本日分の御節の盛りつけとお雑煮の準備を始めた。
 それから三が日の二日目、朝食を終えて、“元日はしてはならない“という言い伝えに従ってやめておいたゴミを捨てに蔵の裏にまわる。
 ぶる、ぶるッ。寒い。
 それから洗濯や簡単な片づけを終了。

 さぁ~、いざ、今年はじめての体操にとりかかったのは、8時を少し回った時だった。
 12月の最後のレッスンから6日しか過ぎていないのに、通常の暮らしぶりとは異なる年末年始のこと、思いがけず堅くなっているからだに驚く。
「丁寧に、大事に、大切に!」
 野口のことばを思い出しながら、一通りの動きを試してみる。
 普段、授業があり、レッスンがあるということは、かなりの時間かけて体操をしていることに気付かされる。
「丁寧に、大事に、大切に!」
 からだをほぐす。
 次第に、うう~ん、いいね~。
 
 とはいえ、まだまだ足らない感じは否めない。
「まっ、いいか。午前中は……」
 自分に言い聞かせる、ということは午後も再び稽古しよう、という気持ちがあるってことらしい。

 さて、次なる稽古はじめは、文章を読むこと。
 実は、2003年1月に出版された「岩波アクティブ新書『野口体操入門ーからだからのメッセージ』」が手に入らなくなったことで、再刊のお話を年末にいただいている。
 今度は現代文庫に入れていただけるらしく、近々、担当の編集の方と初面談のお約束がある。
 
 年も改まったので、それまでに読みかえさねば。
 そこで本日、ページをめくりはじめた。
「おー、12年の歳月は、これほどまでに社会の有り様を変え、自分の心持ちを変えてしまったのか(驚愕)。書き換えたい所がいっぱいあるなぁ~(溜息)。」
 読み進むうちに、原稿を書いていた時のことを思い出す。
 父の癌治療と同時並行の作業だった。
 ちょうど文教大学で教えはじめた頃で、大学のある茅ヶ崎駅から東京駅に帰ってきてそのままお茶の水の順天堂大学病院の病室に泊まったこともあった。
 病室で校正したり、編集担当だった山本さんと病院で打ち合わせをしたことなども、ありありと情景が浮かんできた。
 花王のプロジェクトも始まっているなかで、書いていたことは信じられない(二つ目の驚愕)
 そして校了するか、しないかの時に、父はこの世から去った。

 思えば、掲載写真撮影はまだ夏の暑さが残る9月頃だった。
 辛うじて自分の足で立って歩くことができた父と、撮影の佐治さんとモデルを引き受けてくれた常田景子さん、お二人に会ってもらえた。
 すでに野口先生を亡くして4年の歳月が過ぎていた。
 こんなことを思い出しながら、メモを書き込んだ付箋を本のページに貼りつけている。

 ふと、気付いた。実際の本はどのくらいの重さだろう。
「新書版だけに軽い」
 しかし12年の時が、本をズシリとした重さに変えてしまった、と。
「重さこそ存在」とはよく言ったものだ。
 本を掌に、過ぎた時の重さを実感している。
 今年、干支は一回りして同じ未年である。一年一昔。それ以上に速く昔になってしまう現代のこと。
 書き直したいところは随所にあるが、正直、無駄な時間は12年間を振り返って1秒たりともなかった、と安堵する私。

 第一章の物語の始まりに書き込んだ神田明神下「天野屋」さんを、久しぶりに訪ねてみたい。でも引用している本も読み直さねば……、と心ははやるが、殆どのページに貼られた付箋を眺めつつ、読み終わるまではおあづけ!と心に誓う。
 
 それでは、午後の稽古と読書のつづきに入りましょうぞ!
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粉雪の墓参り……つれづれに

2015年01月01日 14時05分05秒 | Weblog
 昨年は、忙しさを口実にお彼岸もお盆も、祥月命日も、父の墓参りを欠いてしまった。
 そのことがずっと気にかかっていた。

 今朝、仏壇に花と御節を供えながら、今日こそは墓参りにいきたい、と心に決めた。
 朝のうちはとてもよい天気で、母を誘った。
 ところがいざ家から出てみると、曇り空に変わっていて、寒さが身に凍みる。
「私は行かないわ、ひとりで行ってらっしゃい」
 曲がり角に近づいたところで引き返した。
 一旦、家に入って、ガスストーブをつけ、母のコートを脱がせて、出かけた。

 30分もかからないで笹塚にある寺に到着。
 花と線香をもらい、ちょうど奥から出ていらした大黒さんに年賀の挨拶をして墓所へと向かった。
 見上げると雲は一段と低く垂れて、北風も吹きはじめていた。

 お参りをすませると、そそくさと寺の玄関の前に引き返した。
 そこではお屠蘇と甘酒の接待が行われていたからだ。
 大きな石油ストーブが焚かれていて、赤い毛氈があたたかな風情をかもしている縁台に腰掛けていただく。生姜の香りのきいた甘酒が冷えたからだの中心部へと落とし込まれていく。
 ほーっと、息をついて初詣の余韻を味わえる余裕がでたのだった。

 行きは中野駅から渋谷行きのバスで、帰りは笹塚駅から新宿経由を選んだ。
 車内はガラガラ。ゆったり腰掛けて、普段とはまったく違う気持ちで揺れに身を任せている自分を感じていた。
「そういえば、何十年ぶりに”紅白”を最後まで聞いてしまった」
 なんとなく気に入った歌を思い出す。
「エッ、それって全く中高年好みだよね」
 苦笑。
 クリスハートの「糸」。なんでも中島みゆきの曲だとか。
 天童よしみの「やっぱ好きやねん」。上手かった!画面からとび出しそうな真に迫った歌だった。
 みんなで歌おう!アナと雪の女王。聞くまではすごく抵抗感があったが、イディナ・メンセルの日本人女性歌手では持ち得ない大人力・力歌唱力は素晴らしいことを知った。「Let it Go」それでも好きになれない。
 長渕剛の「明日へ続く道」はジーンと心に響きましたね!歌の完成度は、一番よかった。
 ピースを歌い上げたサザンは、音声があまりよくなくてちょっと残念だった。はっきりしたメッセージとして歌詞を聞かせたくない放送局側の作為を思うのは、深読みすぎだろうか。

 全体に感じたことは、すでに6年後のオリンピックを想定してオーディション化して、派手派手キラキラエンターテーメントの予行演習が、すでに始まった感がある。
 日本の伝統芸能はさておき、AKB48と姉妹AKB諸々にきゃりーぱみゅぱみゅは別格として、お祭りの主役はやっぱ嵐かな?!全員がそこそこ40くらいだから、十分いける。EXILEは年々歳々若返りの脱皮を繰り返せば条件付き。
 トリの聖子さんは、純白の衣装で世界の歌姫としてソロの歌を当てたいんだろうけど、昨晩の緊張は半端じゃなかったからなぁ~?!オペラ歌手には、あの艶やかな雰囲気はないしー。

 時代の一断面を見ようと最後までつきあってしまった紅白。
 私には直接関係ないことだが、勝手な印象に思いをめぐらせていると、新宿で乗り換えた総武・中央線は、東中野のホームをあとにしていた。
 暖房はきいている筈なのに、しんしんと冷えがからだを包んで来る。
 何気にiPhoneの天気を呼び出した。
「えっ、今の時間、雪?」
 思わず窓のそとに目をやると、ひらひらと舞っている白いものが見える。
「元旦の粉雪に、墓参りかー」
 深い溜息。
 オリンピックを見据えた「全員参加・一億総決起みたいな危ういお祭り騒ぎ」より大事なことがある。
 元旦だというのに、笹塚駅近くの高架下で、毛布にくるまりうずくまってカップラーメンを食べようとしていたホームレスの姿を思い出した。
 
 昼食を済ませたら、年末に買ってしまった本『21世紀の資本』、朝日の朝刊に著者のトマ・ピケティ氏インタビュー記事の切り抜きを読み返してみよう。
 
 明日は正月二日、稽古初め。
 私を取り戻す”我に還る日”であーる。
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