羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

いよいよ九月

2010年08月31日 18時41分17秒 | Weblog
 猛暑、酷暑の夏休みも本日まで。
 あすから二学期が始まる。東京でもすでに一週間前に授業を始めた学校もあるという。泣いても笑っても今日まで。その休み中、子供の声を全く聞かなかった。近所に子供がいないわけではない。祭りの時にはそこここから集まってきて、神輿をかついでいるのだから。
 その祭りも終わって、暑さも一段落してくれるとよいが、まだまだ続くらしい。

 さて、菅+小澤会談も決裂して、代表選に突入というニュースが流れた。
 何だったのか。何なのか。開いた口がふさがらないここ数日だった。政治はドラマじゃないのだ。この国に暮らす人々がいる。市民、国民を置き去りにして、何が政治家だ。
 政治主導どころか、停滞状態で何も決められない日本になっている。
 民主党にはガッカリだが、しばらくは我慢の日々が続くだろう。いつまで我慢していられるかは予測の外だ。無理を承知で言ってみる。いっそ還暦以上の先生方には退場願って、政策実行力のある若手に政権交代してみたらいかがなものだろう。
 
 そんななかで来年卒業する学生は、気の毒なことといったらない。
 いっそ国を出て、海外で活動する道もあるかもしれない。といってみたものの現実には厳しい。
 
 これ以上迷路にはまり込まないために、一人一人が腹をくくってできることをコツコツしていくしかなさそうだ。
 その時、その場、その条件のなかで、一つひとつに最善の答えが出せる直感力が問われそうだ。
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近況

2010年08月30日 11時12分13秒 | Weblog
 先週22日の日曜日に夏風邪の症状。鼻づまりと微熱が数日続いた。
 大したことにはならず、予定は無事にこなすことができた。
 高齢の母に代わって所用をすませたその後、木曜日には、工学院大学・朝日カレッジ「WEBで動画 一日マスター講座」を受講できた。講師は、WADA-blog管理人の和田亜希子さん、元NHK報道カメラマンの浜谷修三さん。
 四時間通しでみっちり教わった。参加者は、YOU TUBEや他の動画サイトも使いながらビジネスに生かそうとする方々が殆どだった。撮影、編集の骨を手際よく教えてくれた。
 USTREAM つまり世界を変えるネットとどのように関っていくのか、それにはどのような機材が必要か等々、私の関心事に道筋をつけてもらえた。
 秋から冬にかけてどの程度のことができるのか、取り組んでみたいとおもっている。

 金曜日には、体育学会で発表される予定の地方国立大学助教の方が拙宅をたずねてくださった。参考になったかどうかはわからないが話をし、アカデミックな思考方法も学ばせてもらった。かねてから野口体操をアメリカのボディワークとの比較で研究するには、ある種の困難と無理が生じる惧れを感じていたが、研究者と言う存在は、それを承知で、できること(答えが出せること)を救い上げて、論文にまとめるものらしいことだけは理解できた。

 土曜日と日曜日は、朝日カルチャーセンターの野口体操常設講座だった。
 とくに日曜日のクラスは三週間の休み明けだったが、思いのほか伝わりよくいい雰囲気にすぐさま導くことができてホッとした。
 
 日曜の朝はマンション管理組合の総会があったが、小規模(百万円程度の修理費)修繕の話で業者の人たちが5名ほど説明にきていた。大規模修繕の前に、どの程度の仕事してくれるのか、様子見も兼ねて頼むことにした。

 そんなこんなの一週間でした。
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アップルの戦略に乗るのか、それとも別の道が?

2010年08月21日 09時08分48秒 | Weblog
 今使っているパソコンは使用年月がなんと九年目に入った。
 NECのVALUE STAR XPである。
 写真や動画を見ることはあっても複雑な操作を扱行うことがない。原稿・レジュメ・シラバス等々をかくのが主で、プリンターとてモノクロで事足りている。
 この間、小さなトラブルはあってもそれは殆ど初歩的なことばかり。これといって大きなトラブルに見舞われたことはない。

 しかし、そろそろ買い替え時、と思っている。
 細かい経過は省くとして、結局のところアップルの戦略にのることになるのだろうか、それとも他の道があるのか、と思案中である。
 
 すなおにアップルにのれば、もうしばらくしたら‘iPone4’に移り、‘iPad’ももって、さらにちょっと面白そうだと思っている動画のために‘Mac Book’を用意する、といった一連の道具揃えに突き進むのか?
 あるいはNECの新しいVALUE STARか富士通のCPか。つまり3D対応にしたほうがよかろうか?
 迷うところだ。

 iPadだけでは書籍は読めないかもしれない。といっても端末ばかりを身の回りに置いたところで、それほどフル活用しそうにないことは予想の範囲内だ。

 というわけで、来る8月26日に、工学院大学・朝日カレッジ「WEBで動画 一日マスター講座」を受けることにした。偶然、以前話したことがあるこの講座企画者と朝日カルチャー内のエレベーターで出会って、なにげなく相談したのがきっかけだ。
 ここまできたら、変革期に慌てて乗らないで、じっくり吟味しようと思う。
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酷暑の客人と母の背中

2010年08月20日 18時49分39秒 | Weblog
 真夏の片づけが一段落した先週から今週にかけて、男女何組かの客人を迎えた。
 何組といっても、お訪ねくださるのはお一人ずつ。酷暑のなかいちばん暑い時間帯に、ものともせずにいらっしゃる。
 何人か連れ立っての訪問も楽しいけれど、一人というのも気遣いがなくて、本音の会話が楽しめる。

 我が家は商店街から一歩入ったところだが、道幅が狭いので車が入ってこない。そんなこともあって、不思議なくらい静かなのだ。時折、電柱や壁に止まってなく蝉の声が、静けさを際立たせる。

 夏休みにゆっくり客人を迎えるのは嬉しい。
 座敷に落ち着いた頃合をみて「お暑い中を……」とねぎらいながら、母は客人に団扇で風を送っている。後ろから見ると、丸くなった背中が祖母にそっくりになっていた。
 こうしてのんびりと午後を過ごしていただく。
 彼女もしばらく同席して、一時、おしゃべりに花を咲かせている。
 若い人と楽しい時間を過ごせるのは、若返りの妙薬のようだ。

 そして皆さんメールではなく、電話や手紙でお礼のことばが届けられる。
 何だか昔の日本を思わせるいい風習が残っていることを実感した。
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本日は、暑さ負けか?

2010年08月17日 11時53分40秒 | Weblog
 先日ブログに書いた『銃・病原菌・鉄』上巻を読み終え、下巻を半分ほど読みすすめている。
 狩猟採集の移動生活から、農耕を始めて定住生活を紀元前に始めたメソポタミアの肥沃三日月地帯は、多くの楽器のふるさとでもある。野生植物の栽培化は、南北ではなく東西に伝播する。楽器もまた農耕技術・栽培植物と同じ移動をみせている。
 それは不思議でもなんでもない、と言ってしまうといささか味気ないが、それが事実というものらしい。
 世界の楽器と音楽文化の伝播は、東西方向への交流がまず基本となっている。
 日本に伝来した楽器と音楽は、歴史の中で邦楽化されたものの今では青息吐息の状況にある。明治以来行われてきた音楽の西洋化は、速い速度で伝統を押しやってしまった。とりわけ戦後の占領軍GHQ内CIE・民間情報教育局による政策は、見事に邦楽を駆逐していった、といっても過言ではない。加えて体育も同様の運命にあった。

 ごく最近になって音楽教育で邦楽を取り入れるようになったが、それを教える教師が西洋音楽の勉強しかしてこなかったという矛盾のなかで、上手くいくわけがない。
 これから実施される体育授業に武道を導入する政策も同様に危惧される問題が横たわっている。
 
 戦後六十五年たった現在の日本のあり様は、幕末に日本を守ろうと命を懸けた人々の思いと行動をはるかにしのぐところにまで到達してしまった。
 とはいえこれまで学校教育における体育や音楽が西洋化しても、言語までは手付かずだった。かつて日本語を廃してフランス語にしよう、といった明治人もいた。
 しかし、本来、耳の機能は保守的だ、と言われている。身体的立ち居振る舞いも、風土と伝統の暮らしに根付くものだ。日本語は守られたが、体育と音楽という二つの保守は西洋化された。この二つとも軍隊が関っている。兵士の訓練に導入された体育と整列行進をはじめ全員一致で動くことが苦手だった農民をまとめるための軍楽隊から入った音楽である。明治から教育の場で行われた体育と音楽は、軍事がもとになって普及した。つまり‘富国強兵’欧米列強から日本を守る国策に直結していた。

 では、言語はどうだろう。
 たとえば楽天が社内公用語を英語にしてグローバル企業化を加速させると言う。もしそれが成功すれば、そうした動きをみせる企業が増える。となればゆくゆく日本の公用語は英語になっていくに違いない。さらにドルが凋落して、元が覇権をとれば中国語が公用語となる可能性だってないとはいえない。

 日本語の命運は、すでに尽きているのだろうか。
 ある一部の伝統を背負う人々の母語としての日本語、社会の下層階級のことばとしての日本語だけが残っていくとしたら、それはもう‘日本’という国そのものの崩壊を招いていくことに他ならない。上手くいって香港のように、技術語としての英語と文化としての日本語が生き残っていく未来もありかも。
 
 こうしてみると教育現場は難しい。事実、時代の今と近未来を見据えて、大学では手を打ち始めた。
 若者にこう呼びかけている。
《農場へ行こう!》と。
 農業体験を薦めているのだ。それにともなって新しく農場を整備する動きは、昨年度から本格化した。もとは商学部が母体だった大学が、新たに農業を学生に普く推奨する前に‘クールジャパン’と‘英語教育’が充実している国際日本学部を新設した。
 
 いずれにしてもコンピューター、IT、英語(中国語)、農業、畜産、水産、医薬、鉱物資源開発の競争激化がすでに始まっている、ってこと。
 そのなかでも日本は一次産業を立ち直らせることが肝要、と読む。
 
 今日のブログの文章はあきらかに破綻!
 また、出直そう。
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学生演劇

2010年08月15日 11時31分12秒 | Weblog
 タイトルに挙げた‘学生演劇’を、この年になるまで一度として見たことはなかった。
 今夏、立て続けにその種の演劇活動を観てきた。
 発端は、昨年のこと。
 原田大二郎氏率いる明治大学文化プロジェクトに選ばれた学生が上演した「ハムレット」を観たことだった。
「ヌヌッ、お主ら、やるな!!」
 学生とはいえ見事な舞台だった。
 いやいや、この不景気な時世にあって、大学がらみだから大掛かりな演劇活動が可能だった。そのことを学生たちも十分に理解している。とにかくあれだけの規模の上演をしていたら、大きなスポンサーがつかない限り、プロ劇団では財政がもたない。
 そこから大学側が彼らに学ばせたいことは‘演劇’だけではないことが、言外に読み取れる。
 一つだけ挙げれば、たとえばあるプロジェクトを遂行するにあたって、集団を如何にしてまとめ企画や戦略を練り、適材適所人材を配置し、結果を出していくには何が大事かを体験を通して身につけさせること。

 それにしても舞台の出来栄えに驚かされた私は、その後、授業の前後で学生から手渡されるリーフレットを見て、時間が許す限り出かけていくようになった。
 学生会館や大学のスタジオ、町中の小さな小さなスタジオ等々で、彼らが見せる顔は、たぶん親御さんたちも知らない顔だろう。同じ大学の構内の表情まで違って見えてくる面白さがある。
 そしてこういった活動は、20名から30名くらいの集団だ。
 上演時間は、一時間半から二時間半。出し物は、作・演出も含めて学生あるいはOBの手になるもの。
 最初は、現代を生きる若者たちの演技力だけではなく、構成や演出表現の上手さに戸惑うほどの驚きを感じていた。
「実に器用なんだな、彼らは」
 ある日、ふと、思った。
「それは、きっと、本人たちの意識とは裏腹な印象かもしれない」
「僕らだって、それなりに苦労してるんですよ。迷ったり、悩んだり」

 それはそうかもしれない。
 しかし、東京にいれば、無意識・非意識のうちに、さまざまな情報が向こうからやってくる。昭和30年代や40年代を昨日のことのように持ち出す私は歳をとったものだが、それを差し引いても、ありとあらゆる情報の海原で生きているのが二千年初頭に生きる若者たちだ。

 演劇に話を戻そう。
 これとて条件は同じだ。彼らはいつの間にか、演劇の常套手段、演技のABCを身につけている。先輩後輩の関係を越えた情報網がすぐ手の届くところにあるのだから、と思ってしまう。
 なにより大学と言う組織は、学生に対するサービス産業になってしまったのかもしれない。手取り足取り、教えすぎるのだ! 耳年増、目年増、感覚年増の若者を排出しているのではなかろうか。

 確かに演技者の力には、はっきりしたばらつきはある。台本に多少の無理はある。しかし、全体を通して、観るに耐えないようなステージではない。それなりに楽しませてもらっている。
 加えて、内容だけでなく、上演にあたっての全体の気遣いもゆきとどいている。
 しかし、冒険がない、のだ。突き刺さってくる若さゆえの破綻がない、のだ。

 実は、わが町の商店街では、唐さんをお見かけする。八百屋で買い物をされる姿など、日常の風景に溶け込みながらも溶け込みきれず、演劇的破綻の風情が漂ってくる。そのくらいの臭みというか、灰汁というか、なんとも表現しにくい‘醸しだされる何か’がある。
 それが演劇者とはいわないが。

 さて、卒業すれば社会人となって、学生時代の‘青春演劇活動’は‘後からしみじみ思うもの’かもしれない。それならそれでいい。
 問題はその青春を引きずってしまうこと。(意識なしに)器用にこなしているその延長線上に‘プロフェッショナルの演劇’はありえないことを‘いつ’‘どこで’‘だれ(複数)’によって知らされるのだろうか(そんな心配は、これも教えすぎのうちかもしれない)。早い話が、挑戦し、経験し、身をもって体験しなければわからない、のだ。
 
 さてさて暑い夏、演劇に夢中になる若者に‘覚悟のほど’を問うても無駄というもの。
「やるだけやるさ」
 きっと、そう答えが返ってくるに違いない。
 時間がたてば分かれ道は自ずとそれぞれの眼前に開けてくる。歩いてみないことには、二股道にも三叉路にも五叉路にも出くわさないのだから。 
 
 彼らの器用さを羨みながら、不自由であること不器用であることは、才能がないことではない。むしろ不自由さのなかで、不器用さのなかで本物の才能は育つのかもしれない、と意地を張っている自分を感じている。
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藤の生命力

2010年08月12日 10時58分46秒 | Weblog
 七房の藤の花を愛でていた時から、季節は移った。
 近くの花屋でこの鉢を見つけたときには、垂れ下がる花の色と甘い香りに、迷わず買ってしまった。
 その時、小さな葉でさえ、葉と名のつくものは一枚もついていなかった。
 教えられた通りに、鉢の底には赤玉土ゴロを一皮並べにし、あとは砂で埋め込んだ。
 藤を育てる骨は、日当たりと水はけがよいこと、と言われた。

 花も終わったが、水遣りだけは欠かさないまま初夏を過ぎた。その頃には緑の葉が茂り、蔓上に延びていく一本をさした棒に絡ませておいた。
 今では上に伸びていく茎に互い違いに葉がついている。
 たった数ヶ月もたたないうちの成長ぶりを見ていると、藤棚に繁る期間はそれほど長い時間を要しないだろうことが予測される。

 そういえば生まれた新宿の家の庭には藤棚があり、その下には砂場が作られ、その脇には向かい合わせ二人乗りのブランコがあったことを思い出した。
 しっかり夏の日よけとなる遊び場だった。

 それにしてもこれほどのびのび成長し葉が繁るものとわかっていれば、もっと大き目の鉢に植えたものだ、と思っている。
 植物はまず一年間を通して観察し、それから三年、五年と過ぎるうちに、ようやくその性質が見えてくるものらしい。
 来年の植え替え時には、根の張り具合をよく見届けて、相応しい鉢を選ぶことにしよう。
 来る晩秋から冬の様子こそ、しっかり見届け、見守ることが肝要、と藤が語りかけてくる。
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都会の片隅で本を読む、ということ。

2010年08月11日 07時30分01秒 | Weblog
 ほぼ三週間をかけた夏の片付けを終えて、咽喉の乾きを覚えていた。
「飲みたい、美味しい水を!」
 悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
 しかし、どんな水なのか、はっきりしない。
「水ならなんでもいい」
 水を欲していたのは‘読書脳’だった。
 そこで駅前の書店の棚をあさった。
「ゥムムッ、最近、どこかでこの書名は見たような気がする……」
 上下巻を手にとってレジで支払いを済ませ、そそくさと自宅に戻った。
「夕飯の仕度まで、まだ時間が少しあるわ」
 パラパラとめくる。
「面白そうだ!」
 そこでハタと気づいた。
 読みたいのに読むものが見つからないとき、後追いしている撫明亭のご亭主が読まれた本だったことに。

《ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリア、それぞれの地で、人類はきわめて多様な社会を作りあげてきた。高度な工業社会もあれば、伝統的な農耕牧畜生活を営む人びともいる。なぜ人類社会はこれほど異なった道筋をたどったのか。世界の地域間の格差を生み出したものの正体は何か》
 表紙カバー裏の紹介文の一部だ。

 本文を少し読み始めて、本とは直接関係がないが、淡い後悔の念をいだいた。
「タイシルクのハンカチーフ、お礼メールの書き方が、軽すぎたわ!!」
 ケニア旅行土産になぜ‘微笑みの国・タイ’だったのか。手渡されたとき、そんな疑問が脳裏をかすめたことを思い出した。
 ご亭主が、アフリカの地で東南アジアの地で、また飛行機のなかで、読んでいる脳の軌跡を辿ってみたくなった。
「なるほどね~」
 殊にこの本にとっては、こうした国々への旅の途上で読むことで、読書が身体性をもつのだ。たぶん。

 書名は、『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』ジャレド・ダイアモンド著 倉骨彰(くらほねあきら)訳 草思社 2000年 だ。

「むさ苦しい都会の片隅で読むのとでは、伝わってくる‘空気’が違うんだろうな~」
 ちょっぴり羨ましさを感じつつも、ページをめくるうちに、咽喉の渇きがこれから十分に癒されていく確信を得た。
 それは、昨日、午後のことだった。
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iPadの楽譜 

2010年08月10日 06時57分14秒 | Weblog
 iPadをピアノの譜面台に乗せて、女子学生が稽古をしている。どこかの保育系短大らしい。
 書籍が電子になるのだから、楽譜だって‘電子楽譜’があってもおかしくない。
 場所をとらずに何万曲、何十万曲、たった一台のiPadの収納されるわけだ。
 確かに便利だ。しかし、ちょっと待てよ! 曲の解釈やら、注意やら、楽譜に書き込むことはできないだろうな~。
 かつて弾いてきた曲の楽譜には、手垢といっしょにその曲から喚起された思いや‘こう弾きたい’といった意思や感情や情緒や迷いや挫折や希望や嬉しさや楽しさや……、ありとあらゆる情景がしみこんでいる。昨日も書いた‘住まいの身体性’にプラス、そこで暮らす人間の‘創造性’‘想像性’‘精神性’がたっぷり残されている。楽譜にそれらの残像が残ることで、新たな思いも膨らみ、年齢を重ねることで気づかされること、深まること、拡がること、諸々が豊かさをもたらしてくれる。(たとえテクニックは落ちたとしても)

 クールなiPadにおさめられた一曲一曲に、何がのこされるのだろう。
 そんなことを思いながら、楽譜の山を眺めている。
 それだけじゃない、古いレコードも、だ。

 まぁっ、断ち切るべきは、‘我が青春の残滓’かもね~?! ううううっ。。。。。
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住まいと言う名の身体

2010年08月09日 07時23分26秒 | Weblog
 我が家の蔵は、三間+二間半、昔の言い方で表現すれば、建坪は十五坪ほどになる。
 穴の開いたお釜、使わなくなった布団類、蚊帳、……、ありとあらゆる日常品もしまわれている。

 三年越しの整理で、隠れ部屋を確保できたことで、今朝はホッとしている自分を感じている。 
「指がうごかなーい」
 悲鳴をあげながらも、一年以上していなかったピアノ練習を再開できたことは嬉しい。
「下手になったっていいのだ!」
 これまでしまいこんでいた楽譜に囲まれて、練習時間が持てる満足感に浸っている。
 演奏の上手下手はどっちでもいい、と決め込んだ。

 部屋の空気を抜くために、連日、窓を開けるのが朝の日課となった。
 蔵には、一階北側に一つ、二階東と西に一つずつ、計三箇所しか窓がない。
 入り口の扉は真南についていて、幅はメートルにして一メートルはある大きなものだ。
 これらを夕方まで開け放ち、扇風機を時々まわし、除湿機を使っている。
 たかだか二週間くらいだが、気にかかっていた匂いが、全くなくなったわけではないけれど、不快感は減少してくれた。

 風水の考えに従わなくても、‘からだに貞く’ことをすればよい、と身をもって知った。
 余分な水分はからだの外に老廃物と一緒に流してやる。カラカラに渇いた時には水分を補ってやる。つまり除湿と加湿のバランスを一年間で上手く取っていくこと。
 そしてなによりもからだの細胞の隅々に風を通してやる。さらに適度に太陽に当ててやる。
 つくづく感じた。住まいはからだが拡張されたものだ、ということを。
 一番大事なことは、人がそこに常時‘住まうこと’なのだ。暮らすことなのだ。
 住まうとは、暮らすとは、生きものがそこで生の営みを行っていること。日常の暮らしを営むことが‘物の命を繋ぐ’ことに他ならない。
 自分のからだに気持ちよいことを、住まいにも拡張して行う感覚こそ大事だ、と悟った次第。
 さーて、拡張された身体とともに、空間を生きよう、時間を生きよう。
 一連の片づけから、そんな心境に導かれようとは思いもかけないことだった。
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本日

2010年08月08日 19時17分01秒 | Weblog
 ブログを始めて今日で満五年を迎えた。
 八月八日、この日は偶然にも作家の五木寛之さんのブログも始まった。
 そのことが何とはなしに嬉しかった記憶が甦る。

 最近では更新する間隔が長くなったが、それでも続けられたのは、やはり読んでくださる方がいらしてこと、と思っている。

 明日から改めて六年目ということで、気分一新した綴り方をしてみたい。
 では、本日はこれにて。
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昭和の香りの隠れ部屋

2010年08月06日 11時41分58秒 | Weblog
 毎年、冬と夏に行っていた片付けも、今年で三年となった。
 昨日、出入りの大工さん一名、その知り合い木工所の主人と息子さんの三名が助っ人として登場。
 御蔭で片付けの第一弾のうち三分の二が終了した。あとは来年の冬に残りの部分に手をつけると、一応、蔵の一階はほぼ一段落がつく。
 二階に関しては、来年以降に先延ばしすることにした。

 自分専用の物置兼‘隠れ部屋’が、ほぼ用意できた。
 といっても私の趣味が生きている部屋ではない。お金はかけず、ひとまずそこから出すものとそこに入れるものの移動を行ったのが昨日の作業だった。

 母が祖父にもらったという戦前の箪笥に本箱(この本箱は、野口先生の御宅にも同じようなものがあっって、茶器入れになさっておられた)。それからガタガタになっている鏡台。戦争に突入すると材料がなくなることを見越して、つくらせたものらしい。これらは同時代なので、雰囲気は共通している。しかしさすがに戦争をかいくぐっているだけに傷んでいるのだが、母が頑として捨てることを許さなかった。

 で、隠れ部屋には、以前使っていてクリーニングしてあった六畳用花柄カーペット敷いた。そこにアップライトピアノ、楽譜入れ、クラビコードを乗せた。棚が吊ってあるので本や楽譜がたっぷり収納できる。とにかくここにあったものを捨てるのに三年かかりだった。
 たすけたのは思ったより綺麗だったソファベットだ。昼寝もできる、という予測からだ。

 外界から遮断された静かな空間だ。難点は壁が厚過ぎることと穴を開けたら意味がなくなる理由から、クーラー設置できないこと。酷暑の午後は辛いものがある。
 しかし、今日の午前中は涼しくほっとできる状態だった。
 大正十五年、昭和元年に作られた建物は今年で八十四歳になるだけに、昭和の匂いがプンプンしていること。
 
 昨日で、本年度の片付けは一まず終了することにした。
 これから他の方の手が借りられる状況に到達した。
 ご苦労様でした。

 兎にも角にも昭和の香りたっぷりの隠れ部屋かな。
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夏の収穫

2010年08月01日 08時52分20秒 | Weblog
 本日から八月。
 さて、7月中の片付けは、かなり進んだ。捨てるもの、分類して残しておくもの、どちらとも決めにくいもの等々、以前に比べて空間ができた。

 気づいたこと。
 ここまできてようやく道筋が見えてきた。何事も一気呵成にはいかない。
 人間関係のなかで、折り合いをつけながらすすめることだから。
 そして今年から来年の冬にかけてできそうなことの大雑把な見通しがたった。

 家を建てるのも、改造するのも、それ以前にものの整理も、ある程度若くないと出来ないことだけは確かだ。しかし、年々歳々、物が増えていく。若いときとは違って、捨てられない傾向が強くなるもの。

 ここまで来て、自分の気持ちに少し余裕が出てきたことは今年の夏の収穫である。
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