羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

びびびッときましたね!

2011年09月28日 11時46分13秒 | Weblog
「OSXLionの美しさ」にメールをいただいた。
 Mac-Win貧乏を自認されている方からである。
 一部をここに書き取らせていただく。(無断でごめんなさい)

『すばらしい文学作品や音楽に接した後に、街が輝いて見えたりする。
 それと同じ「異化作用」をMacは持っていると思います。
 それはJobsの美学が具現化したものです。

 Jobsはコンピュータによって世界を変える、世界をよりよくする、といっていましたが、世の中にウィンドウズしかない世界を想像するとぞっとします。
 まちがなく、Jobsは世界をいい方向に変えたと思います』

 ここだけではありませんが、びびびッときましたね。
 自分のうちにあっても、まだ言葉にならなかったことが、少し言葉になりそうな気配がしている。
 
 実は、大学の教養体育は、大雑把に三系統にわけられる、と最近になって分かってきた。
 いちばん盛んなのは、体育会とは別のスポーツ系。この授業をとおして体力はもちろんのこと、リーダーシップ、リスク管理、コミュニケーション力、絆を深める力、目的遂行にチームをまとめる人格形成、等々を養う。いや、単に楽しいだけでもいい。
 二番目には、フィットネス系がある。現代の健康観によって元気で健全な身体を作り上げる。医学的根拠を大元にして数値化し、処方し、健康な身体になるべく管理の仕方を学ぶ。先進国に生きる教養ある人間として「良い体を作る」ことが主眼となる。(それだけでない教師もいます)
 三番目には、二番目と重なって線引きが難しいという前提がある。ごく最近の傾向として、或る民族が文化のなかで長年培ってきた健康法や武術や舞踊(クラシック・バレーやコンテンポラリーもあるが)。ここには身体文化という枕詞がついてくる。たとえば体育会系とは異なるニュアンスがあり、スポーツということで、体育の中にも入れやすかったものとして日本の剣道や柔道などもある。ご存知のように、正統な日本の武術や武道・日本泳法や日本馬術等々は、戦後GHQのなかのCIE(民間情報教育局)の強い意向で、教育の世界からは遠ざけられた経緯があって、学校教育や大学教育にあっては、日陰者的な複雑な立ち位置を強いられてきた。それも少しずつ揺るんで「身体文化」としても体育に入っている。
 この三番目には社会のグローバル化に伴って、文化人類学的な視点を持つこと、つまり非言語系の民族文化理解の重要性から、日本及び異民族の歴史のなかの身体観や身体運動(舞踊や武術)を学ぶことになる。(このことについては以前、ブログに書いたことがある)

 では、野口体操はどこに入ってくるのか。
 第二番目の西洋医学的なフィットネスではもちろんない。どちらかとい言えば「養生」(←については、カラダの語り部、ときどきギタリストの「カラダにいいこと何かやってる?」を参照してください)に入っている。しかし、厳密に考えれば、丸ごとどっぷり浸かっている東洋的フィットネス(大学ではこのような位置づけもある)とは言いきれない。
 では、第三番目に属しているのか、と言えば言えるかのしれない。しかし、そこにも居心地の悪さを正直なところ感じてる。長年にわたって、日本民族が培ってきた身体文化というには、大きな無理があるからだ。
 こうしたことは、十年間、大学の教養体育で(追い出されないように、多少とも気遣いながらも)野口体操を指導しなければここまで明確にはならなかった、と思う。そして、今まで誰にも話すことすら出来ずにいた。むしろ言葉での表現が難しかったからだ。
 そういえば、プラスアルファとして「アウェアネス・ワーク」という系統もあるが、しっくりこない。
 
 それらのなかでひとつだけ居心地がいいところ挙げれば、(藝術)表現の基礎としての身体をみつめる、ということではある。あることはあるけれど、それだけにしぼって「括弧」に括ることはしたくないのが本音だ。むしろしてはいけないと思う。

 しかし、この数日間で、キタムラさんのブログで頭の中が整理され、話題にしている方からのメールによって、一気に重い雲が晴れて来たような気がしている。
 メールには、「……岐路に立ったときは、多数派に乗っからずに、どうしたら、その他大勢とはちがう存在でいられるか……」彼には、Macがあった。
 更に続けて「そのことによって世に少しでも貢献できるか、ということを考えてきました」彼は、Jobsの思想と美学とによって、ご自身が育てられたことを実感しておられる。
 こうした明快な言葉で語られると、一気に気づきが訪れるのである。
 無理を承知でいってみれば、私にとってのMacは、野口体操だった。
 こちらの田に無理にでも水を引込めば、私とってのJobsは、野口三千三だった。……と……。

 今後の活動の一歩は、次のことを深めることから始めたいと思う。
 敗戦後、1960年代から70年代にかけて結晶させていった『原初生命体の発想』は、野口の意図や真意と離れて、あるイデオロギーに染められすぎたきらいを感じていた。そのことが、今年、資料を整理するなかで、日々、明瞭になったように思う。ここを文章化することが、これからのひとつのテーマでもあるようだ。
 おかげさまで、かなり先が見えてきました。

 ということで、まとまりのないブログですが、今日のところは感謝で結びたい。
 キタムラさん、近藤さん、ありがとうございます。
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IMAGE2011 国際ミネラルアート&ジェム展開催のお知らせ

2011年09月27日 07時00分47秒 | Weblog
 今週末9月30日(金)から10月3日(月)の期間、国際ミネラルアート&ジェム展が開催されます。
 主催は東京国際ミネラル協会、場所は西新宿のハイアット・リージェンシー東京 スペースセブンです。
 今回はオリジナル・アクセサリーに面白い物が見つかるかもしれません。

 さて、この東京国際ミネラルフェアには、野口三千三先生が関わっていらっしゃいました。
 今週は、ミネラルウィークにあたって、いくつかの石を持参して、「蛍光現象」をテーマにレッスンをすすめようと思っています。
 1997年は、野口先生と最後のミネラルフェアを楽しんだ年、柏樹社の月刊9月号「柏樹」に掲載した文章をこのブログに載せます。(野口監修の文章なので、大幅に変えずに、ほんの少しだけ直しました。)

     **********


「冷光 ― ルミネッセンスの物語」             羽鳥 操

 毎年、初夏には野口体操創始者・野口三千三が生前に顧問をしていた「東京国際ミネラルフェア」が開催されている。そうした縁で、私たち野口体操の仲間は、欧米では趣味として市民権を得て長い年月を経ている“自然の石をそのまま愛でる”面白さを知ることになった。しかし、日本では未だにこんな質問をうけることがある。
「ミネラルフェア? それって水のフェアですか」
 すでに二十数回も開催されているにも関わらず、馴染みがない証拠である。この展示即売会には、国内はもとより世界中から隕石・鉱物・化石等々を扱う会社が百社以上も集まる。会場は、かつて淀橋浄水場があった西新宿のホテルである。実は、偶然にも私はこの近くで生まれ育った。もの心ついてから、遊び場だった浄水場を囲む土手は、鬱蒼とした樹木や下草に覆われていて、昆虫や蝶、蛇までも出るところだった。真夏の夜、闇に浮遊する青白い光を追って蛍狩りを楽しんだ記憶は鮮明に残っている。このように昭和二十年代後半から高層ビル街に変貌を遂げる昭和五十年代近くまで、そこには自然の暗闇が存在していた。
 
 さて、本題に入ろう。
 夏の夜を怪しく彩る蛍の光は生物発光現象であるが、岩石や鉱物にも蛍光現象があることをご存知だろうか。この発光現象は、ルミネッセンスと呼ばれる物理現象の一種である。ルミネッセンスとは、《 物質は物理・化学的刺激を受けるとそのエネルギーを吸収し、その一部を電磁波として放出する 》新版・地学事典(平凡社)現象である。日本では一般に光ルミネッセンスを蛍光と言うことが多い。野口は晩年になって、紫外線を受けて発光する岩石・鉱物の蛍光現象に強い興味をもち、際立って美しい石を多く集めた。
 
 そこでまずは電磁波の分類について簡単におさらいしておきたい。
「電磁波」とは、波長の長い順に、電波・マイクロ波・赤外線・可視光線・紫外線・X線・ガンマ線、その他はるか彼方の宇宙からくる宇宙線等である。その電磁波のなかで紫外線が、『「冷光」ルミネッセンスの物語』に関わってくる。そもそも「蛍光」という命名は、鉱物の蛍石に由来している。古くから美しい蛍石が多く産出する所として、イングランド中部・ダービーシャー州は有名な場所だった。時は十九世紀、イギリス人のサー・ジョージ・ストークスという物理学者が、この地で太陽光線に含まれる紫外線を受けて青紫に輝く蛍石を発見した。彼は蛍石(フルオライト)に因んでこの現象を「蛍光(フルオレッセンス)」と呼んだ。しかし、蛍光は紫外線だけによって引き起こされるのではなく、X線によっても起こる現象だ。今日、半ば常識となっている《 光も物質のエネルギー形態である 》という考えがある。ルミネッセンスは炎の燃焼のような熱の発生を伴わない冷たい光、つまり“冷光”と呼ばれる現象で、これにはいろいろなタイプが含まれている。しかし、それらすべては、何らかの形のエネルギーを受けた物質中の原子が刺激されて起こる現象であると言われている。
 
 ところでメキシコとアメリカ南西部をまたがって流れるリオ・グランデ上流に暮らすプエブロ・インディアンは雨乞いの祭の期間、雷をまねて太鼓を打鳴らし、白色石英の切れ端を擦り合わせて電光に似た光を出して祈りを捧げたという。これは鉱物の摩擦ルミネッセンスである。   
 一方、先ほど来問題にしている紫外線に輝く蛍石に代表されるルミネッセンスは、光ルミネッセンスである。白い方解石が青緑に、透明な岩塩が紅に染まり、ウランを含む鉱石は黄緑に、タングステンの原材料となる灰重石は碧く輝き、アメリカ・フランクリン鉱山だけで産出される鉄にマンガン方解石等の鉱物が混ざったフランクリン鉱は濃緑と血のような赤と暗黒色というように、紫外線が照射された瞬間に石は怪しく発光する。
 
 それらに対して、はじめに書いた昆虫の蛍の発光は生物ルミネッセンスと呼ばれる現象である。これは生命体の中にある或る種の物質が酵素によって酸化されて起こる化学発光である。他にも二百メーターから四百メーターの深海に生息するホタルイカの発光は一般にもよく知られている。ホタルイカの生息地は、日中でも十分な光が届かない半暗黒の世界だといわれている。近年になって、ホタルイカは漆黒の闇に包まれる夜に発光するのではなく、薄明かりの状態の昼間に、全身に纏っている大小さまざまな粒状の発光器を灯すことが究明された。半暗黒の海中は、もっと深い海から上方を見上げると、遊泳中の魚影がはっきり浮かび上がって、外敵に見つかりやすい状態にある。小さなからだは発光することで周囲の明るさに溶け込み、光に体を同化させることによって影を消す。このように外敵から身を守るホタルイカの発光といい、生殖のシグナルとしての蛍の発光といい、自然から与えられた体の知恵は素晴らしいと言える。生物の生存は、何百万年、何千万年かけて、突然変異あり、自然淘汰あり、その他、何でもあり、という実に巧妙で多種多様な手だてで確保されてきた。
 少なくとも蛍光現象は、光学と化学、そして原子物理学や量子力学にまたがった境界物理現象だが、元々の自然現象は、科学ですべてを完全に解明することは不可能なのである。幾重にも重ねられ、分かれていながら分けられない境界を裡に潜めているのが本来のあり方なのだ。

 最後に野口のことばを読んでいただくことで、岩石・鉱物の蛍光現象を楽しむことが、単に野口体操の感覚の世界を切り開く一つの方便でないことをお伝えしたい。

『私のからだは、地球物質のまとまりかた・つながりかたの一つであり、私の心はその働き方の一つである。地球が宇宙物質から生まれ、今も宇宙からいろいろな物質が注ぎ込まれていることからいえば、私たちは宇宙物質であるといってもよい。
 今、地球を構成している物質は、生物・無生物の別なく、すべて私の先祖であり、血縁関係の仲間たちである。したがって私はこの先祖、先輩、仲間たちからいろいろなことについて次から次へと貞きたくなるのである。この貞くという営みが私の生活であり、私の体操である。』
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OSXLionの美しさ

2011年09月26日 14時16分56秒 | Weblog
 先週末、MacBookAirを手に入れた。日曜日は、Keynoteをつかってプレゼンをつくってみたりした。
 滑らかでスピード感あふれる仕事ぶりに、1月からなじんできたiMacでさえ色あせる、のである。これにはOSXLionが搭載されていて、なんとも美しい!とうとう私もMac貧乏へ突入なの、と或る方に話をした。
「でも、Macだけならいいですよ。仕事はWindowsで趣味はMacって人もいて(注:話の主自身のことですが)、それってかなりの貧乏になりますよ」
 思わず、笑ってしまった。
 
 今朝もその話を思い出してニヤニヤしていた矢先、テレビのニュースからこんな話を小耳に挟んだ。何かをしながらだったので、正確ではない。また、確かめてもいない。でもありそうな話だし、私にも身に覚えがある。
《中小企業のIT化は、金銭的にも技術的にも難しい。しかしグローバル時代に、しっかりしたIT化はなくてはならない。そこでグーグルが中小企業向けにサービスを開始する》とか言う内容だった。
 
 大企業とは事情が異なる中小企業にとってIT化は切実な問題であることは間違いない。意欲がなければ話にならないが、たとえ意欲があっても導入は非常に難しい。そこで安価でサービスが受けられたら、願ってもないはなしではないか、と思った。
 
 実は私も、今年の一月にAppleGinzaを訪ねる前に、年単位で悩んでいた。
 野口三千三資料の整理や、これからの野口体操を考えると、最新のIT化は最低限しておく必要を感じていた。が、しかし、次に続いて本気で野口体操を背負ってくれる若者がいるわけでもなし、私だけのことであるならば、そこまでやらなくても問題はひとつもない。それほどITが好きなわけでない。費用対効果だけを考えれば、それだけの投資は無駄ではないのか、と思ったりもした。ところが、あいにくにも口うるさい酒飲みの亭主が「やめとけ!」と文句を言ってくれるわけでなし、行くだけ行ってみようと出かけたのが正月過ぎのことだった。後から思えば、それが運の尽き、とあいなり候。
 地下鉄銀座駅から和光の前に階段を上りきってからも迷いは拭いきれていなかったにもかかわらず、店内に入って見ているうちに、心は決まった。
「道楽だ。野口体操は道楽でいい。楽しんでやろう」
 割り切ることにした。

 これまでもブログに書いてきたので、自宅のWi-hi化も含めてここまでの経緯は省略するが、ちょっと足を踏み入れるつもりがズブズブ状態で、とうとうOSXLion搭載のMacBoookAirまでたどりついてしまった。
 しかし、この快感である。触りたくてしかたがない。なんてこった! 還暦も過ぎた私の力では、Appleの端をほんの少しだけ齧った程度だか、能力にすぐれた方には何ともたまらない世界だろうことは想像できるようになった。
 
 まッ! それは座布団の下に置くとして、中小企業はもちろん、個人でIT化し、使いこなすまでには、まことにもって大事であるのも事実だ。
 救いは一連の機器が体系的に連動して使えて、感覚的な心地のよさがあり、なによりもAppleの美意識に触れられたことでしょうかね。御道楽とはよき言葉である。(身の程知らず?かもネ)
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アキコカンダとジァンジァンと

2011年09月24日 07時12分08秒 | Weblog
 モダンダンスの先駆者、アキコカンダさんが亡くなった。マーサ・グラハムに指事し、1962年に帰国後、日本で活動を行い、宝塚音楽学校で講師をつとめ振り付けもなさったという。
 今朝のニュースで彼女の訃報に接し、今年鬼籍に入られた芸能の方々を想い、昭和の一時代を築いた文化の終焉をひしひしと感じた。
 1960年代後半、まだ音高生だった私は、新劇、アングラ演劇(不条理劇)、オペラ、クラシックコンサート等々に、連日連夜といってもよいくらい通いつめていた。その後、野口体操に深く関わるまでは、そうした暮らしは続いていた。

 1972年音大を卒業して、劇団四季で練習ピアニストをしながら、荻窪のピアノ教室で教える仕事を得ていた。その関係から、1970年代のことだったが、東宝のプロデューサーをしていた方の縁で、アキコカンダさんのダンスを見に行くことになった。
 場所は渋谷・山手教会地下にあった「ジァンジァン」。
 アングラ演劇が盛んな頃、この小屋は独特の文化発信場だった。当時としては珍しく小屋自体がプロデュースを行い、ここでは演劇、音楽、ダンスなどの意欲的作品を上演する前衛若者文化の中心となっていた。

 せいぜい100名弱が入る小さな空間で、アメリカのモダンダンスを纏った細身のからだが、軽やかに舞う姿は新鮮な風をもたらしていた。
 それがこの小屋との初めての出会いだった。

 当時、私は小学生から大学生まで、ピアノの生徒を大勢得ていた。
「ここで、発表会をやりたい」
 すぐにもその夢が実現して、十数年間、毎年のことここで会を開くことができた。
 思えばいろいろなステージを演出してきた。
 或る時は野口体操で知り合った女性が、インドネシアで一時期育ち、「ブンガワンソロ」をやりたいと申し出てくれた。
 そこで竹の楽器「アンクルン」を浅草のパーカッションの店で手に入れ、インドネシア語と日本語の歌にピアノとアンクルンで演奏したことなど思い出す。あこがれの渋谷ジァンジァンで歌える!アンクルンで演奏ができる!ということで、小学生から大人まで参加者がふくれあがっていた。

 実験的な空間で、照明は小屋の人がしゃれた雰囲気を出してくれたりして、クラシックを主体のピアノ発表会だったけれど、それが故に面白いコンサートが実現できた。
 若かかりし頃のひとつの活動だった。
 なんとも感慨深い朝だ。
 
 ご冥福を祈ります。
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働く人のメンタルヘルス・ミュージック

2011年09月23日 15時59分30秒 | Weblog
 昨日、久しぶりに銀座ヤマハに立ち寄ってみた。以前に比べて店内は暗い照明で、落ち着いている雰囲気が一階から漂っていた。
 なんとはなしに狭くなった感じがするが、気のせいだろうか。
 二階はCD・DVDコーナーだった。そこで一区画に癒し系のコーナーが置かれているのに気づいた。
「働く人のメンタルヘルス・ミュージック」と「屋久島」の二枚を求めた。
「屋久島」のCDは自然音のみ。DVDは屋久島の映像と音楽と自然音からなるものだった。

 で、開いて驚いた。もう一枚のものには、専門医の解説と使用上の注意がついているのだ。
《万一、気分がすぐれない場合や、気分が落ち込んでしまう場合がございましたら、一旦ご使用をお止めください。再度日を改め、体調がよろしい時にお聴きください》
 そこまで書かかなければならないのだわね。

 たしかにそのCDをかけながらこのブログを書いているのだけれど、眠くなりそうな感じがしている。
《車の運転中などの使用は眠くなる場合がありますので、お控えください》
 確かにおっしゃる通り。
 今なっている曲は、「Lura」という題で、ボサノバのリズムで、ピアノは島健さんだ。島さんのピアノは好きだ。それでも眠くなる。でも、眠れない時に聴くときっと眠気が飛んでいくのだろう、とあまのじゃくな自分を感じている。

 ほんとに音楽療法はむずかしい、と思う。好みによってさまざまな心模様が引き出されに違いない。
 香り、照明、音楽、入浴、その他、きっとそれぞれが工夫を凝らしているのだろう。提供する方がね!
 こうしたCDやDVDが店頭に並んでいるということは、必要とする人がいるってことなのだろう。
 考えるところあって仕入れてきた物だが、ちょっと使えない感じがする。
 あ~あ、残念だ。

 でも、まぁ、昨日、ライオンの古いタイル絵画をのぞきながら小雨降る銀座の街を歩いたが、たとえ雨が降ってもこの街は私を元気にしてくれる。新しくなったヤマハを訪ねて、一時、青春を取り戻すことができたような気がしている。こんな時間をもつことこそ、私にとってメンタルヘルス薬かもしれない。よい気分転換になりました!
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一人っ子政策の舞台裏

2011年09月20日 09時28分21秒 | Weblog
 Twitterで見つけた記事です。
 中国の一人っ子政策の舞台裏の話です。噂には聞いていましたが、ここまで書かれると本当の話だと信憑性があります。
Newsweek JAPANの電子版です。
 
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Mac貧乏

2011年09月20日 06時56分58秒 | Weblog
 土曜日の朝日カルチャーセンターでの野口常設講座の前は、クラシックバレー講座である。
 そのために床に敷きつめられている滑り止めのゴムシートをはずす必要がある。それが終わるまで、教室の前で待機し、しばらく待つのがいつもの習い。
 そこで他の講座を受けている方とも、話をするようになる。何年も顔を合わせるうちに、その方の趣味や仕事等々などを知る事になる。

 その中のお一人にMacファンがおられる。アメリカでは10月にiPhone5が発売されるとか、日本では速くて11月頃とか、発売日は遅れたとか、さまざまな情報を齎してくれる。
 先週は新しいソフトの話で盛り上がっていた。

「Dropboxにあげた情報を、iPadでは読み込みに時間がかかり、ページ捲りも遅いのよね」
「その辺がAppleの戦略ですよ。僕の友達がMac Book Airを持っていて、ちょっと触らせてもらったんですが、いい感じなんですね。これがオススメですね」
 殆どの方が同じ意見で、iPadの限界をおっしゃる。
「で、僕の仲間内では、Mac貧乏って言葉があるんです。ソフトもそうだし、次々、新製品に乗りたくなるし、あれもこれも……、と次々に揃えてしまうんです。どんどん預金高が減ったりするってわけですッ」
 Appleの株は最高値まで上がっているし、アメリカを代表するトップ企業にお躍り出た。
「う~ん、やっぱりそうか」
 腕組みする羽鳥であった!
 

 
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本の自炊

2011年09月19日 09時08分02秒 | Weblog
 確かに、いちばん最初に自分の著書を断裁機にかけた時のドキドキ感は忘れられない。
 何冊も同じ本があるからいいじゃない、というものではない。
「ここでいいのかな? もう少し深くしても大丈夫かな? いや、あまり深すぎてもダメかも」
 何度も微調整しながら、ここぞ!というところで決断し、刃を当ててながら感触を確かめ、祈るような気持ちで断裁する。

 何冊もやっていくうちに慣れがこわい。丁度よいところに切り込みが入っていない事に、Scanしている段階で気づかされることもあった。つまり、離れていないことで読み込まれていく途中で、紙が折れてしまってエラーに遭遇した。
 また古い雑誌等々は、ホッチキスのような留めが錆び付いていてもろくなっているにも関わらず、はがれにくい状態で、危なくおろした刃に当たってしまうことなどもある。

 一冊、一冊が、微妙に異なる。それでも書籍は、まだ楽な方だ。厄介なのはそれ以外のもの。30年も40年も経過した紙は、それだけで傷みがすすんでいる上に、当時の紙質の悪さによって、すっきりと通過してくれない。しかたなくA3キャリアシートに挟み込んでScanするのだけれど、読み取った大きさはA3ではないために、曲がってしまうこともあったり、コピーをとってみるとものすごく小さいサイズでしか出来なかったりする。

 しかし、とりあえず1949年から1998年まで、もろもろの記録を全部ではないもののデジタル化できたことは、「野口三千三授業記録の会」としてはメインの仕事として有難いの一言である。
 
 そのうち「本の自炊の心得」とでも題して、電子本でも書きますかね。
 今回だけで、iPadのiBooksでは、読めないものが出て来るほど重くなってしまった。どうやら紙の黄ばみや先生の赤字やシミなどもScanしたいために、カラー設定で行っていることで重くなってしまうらしい。NHK大河ドラマ龍馬伝の“汚し”に通じる時代感がいいんですよ。当時の息づかいが聞こえるようでね。
 今回、書籍物の他に、「○○○○年○○月×××××記録」の項目がおよそ百項ほどになった。ようやく半分というところだろうか。
 まとまるとDropboxにあげて、保存完了。ホッとするわけです。
 
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Smap in China

2011年09月17日 08時52分51秒 | Weblog
 ニュースで中国に入ったSmapの様子を目にした。国賓待遇というコメントとは裏腹に、いや国賓待遇だからかもしれないが、なんともはや彼らの表情が硬い。
「アレッ」と思いましたね。

 大震災と大津波の復旧復興とそれにともなう増税問題、原発事故の収束問題、それらに誠心誠意向かい合うことに集中しているのは、日本としては当然のことだけれど、中国大連ではダボス会議が開催され、ギリシャのデフォルト問題に端を発した欧州危機で波及する危険が指摘されているイタリアやスペイン国債を中国が買うかもしれない、とか。南シナ海問題等々ではアジアの国々が戦々恐々としている。
 そんな時勢に国民の関心をSmapに向けさせる思惑が透けて見えてくる。

 さらに北方領土では、ロシアが軍の力を増していく戦略がすでに相当程度進行しているらしいニュース。
 アメリカではオバマ大統領の人気急落が回復せず、というニュース。

 日本の外交ははたして大丈夫なのだろうか、と危惧の念が増大した。
 武器輸出三原則前原発言はどこかに消えているようだし。いったいどうなるの?

 なのに国会会期延長問題で辞任するの・しないでほしいの、ともめている民主党。再び、再燃する党の内輪もめや、日本新党の亡霊による裏政治の影など、辟易するのは私だけではないはず。
 この情勢の中では、早期解散して政党大改変などしている余裕は、本当はないしね。

 私は、ひたすら自宅にこもって資料整理に時間を費やしてますけど、今やっておかねば!これも一つの危機感が後押ししてくれたことなんです。

 さて、メジャーになって前線を走る芸能関係者は、昔から政治に利用されるんですよね。しかたがない。せめてSmapの公演が成功裏に終わって、隣国の皆さんに日本文化(?)を満喫していただきましょうぞ。
 ご無事の帰国を祈ります。

 
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後の後

2011年09月16日 18時37分33秒 | Weblog
 資料整理も一段落と思いきや、とんでもなかった。
 今朝、蔵の二階に上がって、久しぶりに窓を開け、段ボール箱を開いてみた。
「おおおっ」
 あるではありませんか。

 休み休み、箱を開き、中の物を取り出し、捨てる物は捨て、残す物はのこすように振り分けた。
 でるはでるは、全く手つかずの状態だった。
 結局のところ片付けたのか、散らかしたのかわからない情況に陥っている。
 缶に入っている刻み海苔は、ほぐしていくと空気が入って、食べても食べてもなくならないような感じだ!

 というわけで、いっこうに終わらない整理なのであります。
 ゆっくりやることにした。
 思いがけない資料が出てきたりするこもあって、これは人頼みにはできないことを覚悟した。
 九月も半ばであります。
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残るは?

2011年09月14日 19時19分58秒 | Weblog
今日で1949年から1998年まで、およそ半世紀分の資料スキャンが終わった。
追悼の記事や文章を読み返し、そこはかとない寂しさに心に霞がかかった。
残るは、外側で野口体操に関心をもった方々の文章と単行本などに引用されたもの。

相当な量をScanしているので、メンテナンスが必要だろうか。
今回も重宝したのが断裁機である。雑誌を一冊まるごとバラすことができる。

道具は、道具。
一人でできるとは、去年まで予想だにしなかった。
あとはあとのこと。
まずは、一息。
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ようやく波の動きへ

2011年09月13日 15時50分03秒 | Weblog
 野口のエッセー「いつも波のように」(1960年)をテーマにしてから、体操の動きを毎回一つずつ取り上げてきた。1960年代後半の原稿を元にして、「その場跳び(ゆすり)」「上体のぶらさげ」「上体のぶらさげにおける対話」「波の動き」等々、一ヶ月半をかけてきた。
 その間、映画「沈黙の世界」と「赤い風船」の二本を、さわりだけご覧いただいた。
 この有楽座で上映されたドキュメンタリー映画「沈黙の世界」は、野口体操の「波のうごき」「ゆり・ふり」がどのように活かされる発端に近い時期にある。
 そして「デッサンと談話の会」が、その当時の美術界にあって、非常に深い意味がある事も信頼できる筋からの情報で確信を得た。

 さて、野口の言葉を提示しながら、ひとつ一つの動きを丁寧に吟味することで、これまで気づく事がなかった動きの真の随を実感された方も多いように見受けられる。『原初生命体としての人間』が上梓される同時期に書かれたもので、体操の要となる動きであることが伝えられていく。まだ、あと二回ほど、このテーマでレッスンをすすめようと思っている。
 
 柔らかいから鋭さが生まれる。柔らかいから真っ直ぐが生まれる。柔らかいからひねりが生まれる。柔らかいからスピードがでる。つまり、すべてに共通する事は「力が抜けている」と「鉛直方向(地球の中心方向)に主軸が一致する」と「中空の管が通る」、この三つの条件が満たされたとき、動きが飛躍的に気持ちよくなる。

 今日から再びScanを始めた。1979年ののこりから1989年までの十年間が終わった。
 これから1990年代にいよいよ入る。1998年3月に亡くなってから、追悼までのおよそ十年間というところだろうか。
 変わらずに貫かれていること、そして時代によって少しずつ変わっていること、そして歳月が思考を深め筆を洗練させていく過程が見えて来る。
「野口三千三授業記録の会」で記録として残したビデオの題を「もの・ことば・うごき」としたことは、なかなかよい視点だった、と今になって思う。
 世界に類を見ない体操の軌跡は、昭和という時代の軌跡と一致している。
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新しい国民健康被保険者証と臓器提供意思表示

2011年09月11日 18時59分15秒 | Weblog
 日曜日の今日、昼下がりをのんびり過ごしていた。
 ピンポン。。。。
「郵便局です。書留です」
 木戸の鍵とシャチハタを持って出た。
 受け取ってみると、「国民健康被保険者証」だった。でも、今まで、書留で届いたことがあっただろうか?
 はっきりした記憶がない。
 居間に戻って、封筒にはさみを入れて、中の物を取り出す。
 意思表示欄保護シールが5枚も入っている。
「なにこれ?」
 保険証を手に取って、裏返してみる。
《臓器提供の意思表示欄》
 あまりにも小さい文字だ。それでも「意思表示欄」を読んだ。
 よく理解できなかった。
 そこで同封の冊子に書かれている「意思表示欄記入方法」を読む事にした。

 今まで自分の問題として考えた事はなかった。したがってすぐに記入できるほど簡単な問題ではないことにすぐさま気づいた。

《意志の選択》《提供したくない臓器の選択》《特記欄への記載について》《署名など》
 項目は多岐にわたっている。
 しばらく記入はしない事になりそうだ。

 春秋社から出版した『DVDブック アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司』で、養老先生が臓器移植について語っていらした事を思い出す。これは1991年の公開講座の記録だ。
「医者が臓器はバラバラにできる事に気づいてしまったのです」
 なるほど。しかし、そのことと他者に臓器を提供すること、他者から臓器を提供してもらうこと、その問題はまた別のことのように思える。
 おかげさまで今のところ、臓器移植が早急に望まれるような病を得ていない。
 もし、仮に、そうした情況に置かれたら、どのような考えになっていくのかは、分からないのが正直な気持ちだ。また、愛する人に腎臓を半分提供してほしいと求められたら、提供するかもしれない。

 しかし、そうした問題に直面していない“今”ここで、判断に苦しむ。
 非難されるかもしれないことを覚悟して正直な気持ちを書こう。
 保険証を裏返して記入欄を見た瞬間には、とても嫌な気分に陥った。
《メメント・モリ(死をおもえ)》という覚悟が、実のところ一寸たりとも心の空間に入っていない自分に気づいたからだ。

 それから数時間後、再び落ち着いて冊子の記入方法を読んだ。
 最初の衝撃は薄らいでいた自分の心模様に、少しだけ救われたような気がする。
 提供したくない臓器を選択、と書かれたところを読む。
「脳死後:眼球」くらいはいいかな?と揺れた。でも、私の近眼と乱視度は相当だった事に気づく。そりゃもらった人がまずいんじゃないの?
「心臓停止した死後:腎臓・膵臓・眼球」とあったが、どれも嫌だな、という感じが今はしている。

 またもや養老先生の言葉を思い出した。
「殆どの人が内臓のにおいを嗅いだ事もない。触れた事もない。そのなかで臓器移植について考えることはとても難しい」正確ではないが、そのような趣旨だった。

 かつて肺癌の術後、父の肺を見せてもらったことがある。ヘビースモーカーでおまけに男性では珍しいSLE(全身性エリテマトーデス 膠原病のひとつ)を煩っていたためにステロイドが切れなかった。切り取られた肺はぷくぷくとふくれているところがあった。外科医は言う。「ここを押すとすぐに破裂するんです」
 軽く触れる程度では大丈夫だが、少し押すだけでニコチンのにおいがプーンと鼻についてくる。
 確かに臓器はバラバラになるのだ。

 さて、あれこれ思い出す事多く、こうして文章を書きながらも、迷いは尽きない。
 まずは慌てて結論を出ささずに、しばらく考える時間をいただこうとおもう。
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さまざまな準備

2011年09月10日 08時51分34秒 | Weblog
 豊島園を東京都の公園にして、震災等々の避難場所として確保する。都は西武と買収の話し合いを始める、とニュースで聞いた。朝刊にも豊島園の入場者が最盛期の四分の一に減った事が書かれていた。
 そしてその周辺の住宅にも買収話を持ちかけるらしい。
 実に、複雑な思いがする。直下型地震発生が逼迫していることについて、殆どの都民は今回の震災とその余震の頻発度から、予想をこえて事実起こりうると考えている。その時に立川昭和祈念公園と豊島園とその周辺は、避難地としては貴重な場であることは間違いない。
 しかし、東京西部の遊び場として、子供や若者に親しまれている豊島園の入場者が減ったとしても、西部側からの申し入れならともかくとして東京都が買収にあたる、というニュースを受け止めるには多少の抵抗感は拭えないのは、私だけだろうか。

 それはさておき、身近なところでは、出来る事から始めようと、少しずつ部屋の整理をしたり、防災用品の点検を行ったり、25日の防災訓練には参加する思いを強くした今週一週間だった。
 なによりも昼間は、一人になることが多い母を思うと地域の方々に面倒をかけることになる。そのことの現実感が生まれた。
 10月からの介護保険の介護認定も継続されそうなので、定期的に人を頼む事も視野に入れて整理を始めたというわけだ。

 しかし、この地域は火災による被害が大きいと予想されている。一軒でも火を出さない、という意識と行動が求められるが、非常に難しい。隣家の奥さんと買い物やゴミ出しで会うたびに、そのことを話題にしている。

 最後は、何時どこで地震に遭遇するかに運命はゆだねられるのだが、各自が準備する事は最低限しておかないといけない。しかし、まだ仕切れない物が残っているのが現実だ。
 
 今日は残暑の一日になる天気予報に照応するように、早朝から蝉の鳴き声が聞こえていた。
 それでも秋の空気に移る気配があって、災害に苦しめられる2011年の夏も終わりに近づいたことを感じる朝夕である。
コメント (2)
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野口庭の写真(野口体操公式ホームページ・フォトギャラリー) 

2011年09月06日 19時15分54秒 | Weblog
 前のブログを読んで、佐治さんが西巣鴨にかつてあった野口庭写真を掲載してくれました。
 野口三千三先生が最後に丹精こめて作り上げた庭です。
 一枚目は「庭の全景」、二枚目は「鞍馬苔と庭」、三枚目は「岩檜葉」のアップ写真です。
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