羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

何かをしても 何もしなくても 土曜日はやってくる

2017年05月27日 08時23分25秒 | Weblog
 20日の夜の救急入院から、一週間がたった。
 怒濤の日々であった。
 何かをしても 何もしなくても 土曜日はやってくる。
 朝日カルチャーに出かける前に、母の様子をみて、私の風邪の咳をもらってくれていたが、大したこともなさそうで「いってらっしゃい」と送り出してくれたのが夢のようだ。

 病院のベットで、点滴づくめの毎日。
 それでも時折リハビリで歩行練習をしているようだ。

 もともと自由気ままに暮らして来た人だったから、身体的な拘束はいたたまれないのだろう。
 はたして入院して治療を受けている自覚がどこまであるのか、ないのか。
 点滴の針を抜こうとして、拘束やむなしのサインを私がした。
 母につききりになるわけにはいかない。
 しかたがないがかわいそうだ、と思うしかない。

 食事はどれも柔らかく、くちゃくちゃなのも誤嚥を避けるための方策だとしても、意識低下はまねくし食欲はわかないようだ。

 なにもかもしかたがない。
 先ずは体温が平熱に維持されないことには、何事もはじまらないのである。

 高齢者が病気になると身体機能がことごとく失われるのに時間は待ってくれない。
 失われるのは筋力だけではない。あっという間に、すべての機能が、ガタガタと音をたてて瓦解していく。
 どちらが先ともいえないが、判断力、意思の力も失われ、ただ「痛い」とか「不快」とか「自由にして」といった欲求が残っていることだけでも、最後にのこされた生との絆かもしれない。
 それをすらなんともしてあげられないことが、忍びない。

 今のところ私のことはわかっているようだ。
 嫌だ、と何かを拒否しても、私の顔を見て、声をきくとおとなしく柔らかな表情に変化してくれる。
 リハビリの先生にも「娘です」と紹介してくれた。

「みさお 傍においておいてね。傍にいてね」
 鮮明なことばで告げられた昨日の夕方。
 しばらくベットの傍で過ごし、母の荒れた唇にリップクリームを塗って、別れを告げずにそっと病室を出た。
 
 振り切るように病院をあとにしながら、野口先生のときのことを思い出した。
 虎ノ門病院の病室の窓から、帰っていく私の後ろ姿をじっと見つめておられた。
 20年にわたって、先生の入院生活に深く関わり、最期の時まで、お見送りが出来た。
 力があっただけに、今の母よりも大変だったことが多い。
 おっしゃることは正しいのだけれど、病気になって入院すれば、我慢しなければならないことばかりだった。
 先生と母は身体感覚において非常によく似ている傾向がある。
 いたたまれないことは、よくわかるのだが、如何せんどうにもしてあげられなかった。
 それもこれも今となっては懐かしい思い出である。

 一方で、医者に“最期までジェントルマン”でした、と言わしめた我が父は手がかからなかったのか、というとそれはそれで別の大変があったことも確かだ。

 老い、病い、末期……、同じ状況は一つとしてない。
 支える人間の負担の大きさ重さと、病に苦しむ人・死に逝く人の尊厳は天秤にかけられない。
 難しい、の一言である。

 こうしたなかで一冊の本を読み終えた。
『近代天皇論ー「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀 島薗進 集英社新書
 幕末から明治維新、そして太平洋戦争〜起こるべくしておこった現代の危機。
 歴史のなかで人間の尊厳を問う、なかなかの対談である。

 さて、気を取り直して、午後からの朝日カルチャー講座の準備をしよう。
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おまかせ

2017年05月26日 09時10分41秒 | Weblog
 入院中の母の熱は、一旦、下火になったものの、3日目から再燃。
 まだ、咳が止まらないために、激しい時には痰の吸引などもしてくれているようだ。

 そんな状況のなか、今しがた担当医から電話が入って、肺炎も併発しているという。
 血液検査で炎症反応もあるので、午後からCT検査を受けるという。
 同意書にサインをすることと、急遽、詳しい話を聞くことになった。

 なにが起こるかわからない。
 まったくの動揺はない。
 その都度、落ち着いて対処できる自分に驚いている。

 一旦、よくなったときに、ケアマネジャーの方が手配して、入居可能性がみえていた特別養護施設に交渉して、25日には退院して転院という話まですすめてくれていた。
 なぜかとんとんを準備がすすんでいたが、またしてもドタキャンであった。
 この病状では治療が優先されることは必定。

 今月いっぱい待ってくれるという話だったが、間に合えばという条件だが、再度、母に会って身体能力の変化や精神的な状況を確認してから受け入れ可能かどうかを判断することになった。

 さて、私自身は、当初は生活のリズムがくるったり、食事も乱れていたが、出来るところからこれまでの暮らしのあり方を取り戻そうと心掛けている。
 疲労感はかなりのものだが、これは時間が解決してくれるに違いない。
 なにより母の世話をしなくてすむことが、どれほど楽なのかを実感として知った。
 
 来週にむけて待ってもらっている施設に無事に入居できることがいちばんだが、それがだめならばその時はその時で、よい道がひらかれているような気がしている。根拠はない。でも、そんな気がするのである。

 今は、何でも受け入れようと思っていて、気持ちは静寂。
 淡々と、するべきことをしながら、毎日のことをこなしている。
 
 
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母 緊急入院

2017年05月20日 23時38分48秒 | Weblog
 今しがた帰宅して、興奮が醒めない状態で書いている。

 本日、土曜日朝日カルチャーのレッスンを終えて6時過ぎに帰宅し、すぐに母をトイレに誘導。 
 そこで肌着の取り替えやパンツ型のおむつをはじめて着用してもらった。
 なんとか立ち上がって、居間まで危なっかいい状態で戻ってくれたが、そこで力付きでへたり込んでしまった。

 熱を測ると38・3度もあった。
 風邪の熱としては高すぎる。肺炎になったら、大変とばかりに、カステラを食べもらって、以前に私に処方されていた薬を呑んでもらった。

 いざ、水枕や部分氷嚢を用意して、床についてもらおうとしたが、梃子でも動かない。しばらくすったもんだしたものの、私の力ではどうにもならず、隣家若い男性に助けを求めた。

 心よく引き受けてくれたでてきいたところに、真向かいの奥さんが帰宅。彼女は看護士さんだった。
 男性はお姫様だっこをいて母を床に、看護士さんはしっかり付き添って様子をみてくれた。
「救急車を呼びましょうか」
 そんな話をしていると隣家のもうひとりのおじさまから電話がかかった。
 かかりつけの先生に往診を頼んでくれるいうのだが、自宅の番号がわからない。
「操さん、救急車を呼びましょう」

 もうその一言で決まり。

 二軒目に受けれてくれる病院も決まって、救急車に乗って走り出し少しの間で、母の様子が落ち着いた。
 救急外来で様々な検査と診察を受けて、看護士さんが外で待つ私を呼びに来た。
「お母様、とてもお元気ですよ」

 結局、急性の尿路感染による高熱だった。
 時間は10時近くになっていた。
 親戚の従兄も駆けつけてくれて、入院はしなくて通院で結構ですよ、という女医さんに頼み込んで、入院を引き受けてもらった。
 
 帰宅したのは11時であった。
 自宅から歩いて15分、電車だと10分の場所にある病院でしばらく治療を続けて、そのまま特別養護老人施設に入居させてもらいたい、と願う気持ちがはっきりした。

 最近はひとりの時にトイレに行かず、我慢をし続けていたようだ。
 
 からだは正直で、またいつ何時、何が起こるかわからないものだ!
 
 ご近所さんに助けられ、救急車の方々に面倒をかけ、入院をみとめてくれた女医(滅法美人)さんがいて、駆けつけてくれた従兄がいた。
 騒ぎ立てたわたしだが、いざとなると皆さんがとても親切でありがたかった。

 四方八方に手を合わせて、おやすみなさい。
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C’est la Vie!

2017年05月12日 03時52分06秒 | Weblog
 夜、洗面所で歯磨きをしていた。
 気づくと母が私のそばで正座している。
「あなたの名前がわからなくなちゃった!」
「うぇ、もにょもにょ」
 明快なことばにならない。
 口を濯いで
「はとり みさお よ」
「あ〜、そうだった」

 それから寝るまでの間、母につきあった。
「名前を思い出そうとしてるのに、思い出せない。思い出そうとすることも思い出せない」
 かるい焦燥感をにじませて
「なんかみんな忘れてしまった。急にいろいろがわからなくなってきたのー、そうなっちゃうの」

 それってつらいだろうな。

 認知症の妻と10年つきあった従兄が言っていた。
「大きな声を出したり、行動がおかしくなるのは、不安だからだと思うよ。何かが自分のなかで壊れていくことはわかるんだとおもうよ」
 たしかに、壊れていく自分が薄々でもわかることは、不安だし、恐いし、これからどうなるのか考えようにも考える力がなくなることは、とっても恐い、と思う。

 母にとってどの道がいいのだろう。
 私は母との暮らしをどのように選べばよいのだろう。

 一昨日のこと、再来週には特別養護老人ホームの方が、訪ねてくることになった。
 そのことが頭から離れない。

 母を寝かしつけて、二階にあがりひとりになった。
 体操を始めたが、続かない。
 
 ふと、父が思い出された。
 本館が古い建物のころだった。病室は天井が高く、一部屋の広さもたっぷりしていて、昔ながらの威厳のある順天堂医院に入院していた。
 誘われてさらに奥まった建物にある喫茶室で父が注文してくれたクリームソーダーが、体操用のマットの上に現れた。
 メロン色のソーダー水に白いアイスクリームが浮いていて、赤いサクランボが添えられていた。
 先日の「ひよっこ」のシーンが記憶に残っていたのだろう。
 父は65歳、私は39歳だった。
 父の戦後、私の子供の頃は、クリームソーダーはあこがれの特別な飲み物だった。
 あのとき、内心「この年になってクリームソーダーはないだろう」と言葉に出さなかったが、手放しで喜ばなかった自分だった。

 あの日の父の年齢を少し超えた今になって、ようやく父の気持ちがわかった。
 難病の「全身性エリテマトーデス」と、診断が下った。
 病名がつくことで、ステロイドの治療がはじまり、次々におこるわけの分からない状態から少しずつ解放されていたときだった。

 それから15年後。
 同じ順天堂病院の病室で、癌の治療を受けていたものの、日に日に衰えていく父が言った。
「お母さんをよろしく頼むね」
 もう、クリームソーダーを飲む力は父に残っていなかった。

 私は、こうして父を思い出しているが、母はもう父を思い出さないような気がする。
 

 おとなしくうなだれる母をみて思う。
 次の瞬間には、明るさを取り戻す母をみて思う。
 母から不安な気持ちが一切失せた時、母はもっともっと楽になるのだろうか。

 どこで誰と暮らしているのかわからないけれど、自分が寝るところはわかって床につく母。
 毎晩「おやすみ、また明日」と穏やかに言葉を交わす母。
 
 料理をしながら、喜んで食べてくれる母のために食事を作ることをしなくなる日常を想って、悲しくなる私がいる。
 
 これからの暮らし方を選択する岐路にたっていることだけは間違いない。
 もしかすると選択できるだけ幸せなのかもしれない。
 迷うだけ迷うことにした。

 体操を続けることができず、たまらなくなって傍にあったiPadを手に取って、FBに逃げこんでしまった。
 Edith Piaf “La vie en rose”をクリックして、流れてくる歌をいっしょに口ずさんだ。
 
 C’est la Vie!
 そう軽く言ってみたいけど、今は、言えない。
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土と植物、盆栽ブーム

2017年05月10日 08時45分11秒 | Weblog
 世の中、2020年のオリンピックに向けて、わけのわからないことまで含めて達成しようという風潮に、首を傾げたくなる昨今である。
 

 たとえば「盆栽、BONSAI」。悪いことではないけれど、ブームを起こそうとしている。
 それでもいかにも自然! いかにも風雪に耐えて! といった雰囲気を、チェーンソーを使ってまで、無理矢理つくり出そうとする盆栽には、感覚的に痛みを感じて、いかがなものかと正直なところ思ってしまう。

 さて、我が家でも平成14年に亡くなった父が、丹精していた盆栽鉢が残された。
 いまでは見る影もないぼさぼさ状態だが、それでも家の玄関までのロケーションに緑があるのは捨て難く、水やりと植え替えだけは続けている。
 
 当初からみると鉢数も減った。
 毎年、3月の春彼岸時に植え替えをしているが、昨年も今年も時間がなかく、ごめんなさい状態が2年も続いてしまった。
 さらに今年は50年来、盆栽用の土を自宅まで運んでくれているお店が改装のために、土を手に入れることができなかった。

 よく見ると、土の上にのせている鉢のものの葉はのびのびとして・青々として元気がいい。
 鉢を動かそうとしても、びくともしない。
 おそらく鉢の下に開いている小さな穴から、土の中にいちばん主になる太い根が伸びて、そこから養分を吸い上げているに違いないからだろう。

 それ以外にコンクリの上に置いてある物のうち、元気がない鉢を選んで、今週になってようやく3鉢の植え替えを終えた。
 物置に残っていた“赤玉土の小”は、これで終わってしまった。

 今朝になって小振りの雨のなか、植え替えたばかりの木を見ていた。しっとりと濡れた葉から、息を吹き返しているような雰囲気を感じて嬉しかった。他の人には、このくらいの変化では気づかれないだろう。
 ほかにも植え替えなかったものの、楓や欅の中鉢は今までになくこんもりと茂って青さを増していた。
 この形は、どこかで見た。
 ふと、思った。
「そうだ、野口三千三先生の西巣鴨の庭だわ」
 今ころの季節は花にも恵まれ、緑も鮮やかに、初夏のさきどりを感じされる季節だった、と懐かしかった。
 父が育てていた頃は、盆栽としての体裁を整えられて、それなりの日本的自然形の佇まいであったのに、今年の形はむしろ野口先生の庭で見かけた形に似ている、と気ずかされたのだ。
 先生の植物との関わりは、殆ど自然のままの形を維持する方向で、鉢植えされていたものが多かった。
「あのかたちだ!」

 今、『土と内臓』築地書館 を読んでいる。
 読みながら、自然の威力、微生物の面白さを感じながら、もし、私が10年若かったら、ここから引っ越しをして本当に自然の庭をつくってみたい、とあらぬ妄想に浸っている。
 野口家の庭は、栄養剤や殺虫剤をまくことを拒否して、できるだけ自然のままにし、虫は手で捻り潰せる程度の手入れだった。枯れ葉も全部を取り除くことはなさらなかった。
 きっと、あの庭には、植物の健康を維持するのに大切な微生物が、縁の下の力持ちとして存在していたにちがいない。
 
《微生物が自然の土壌肥沃に生物学的な触媒としてはたらいているとする新しい解釈は、現代の農業の哲学的基礎に異を唱えるものだ。農芸化学が短期的に収穫量を高めるうえで効果的だったことは、誰にも否定できない。しかし徐々に長期的な収穫を危うくしてしまったとおもわれるようになってきた。栄養移行の阻害に加えて、農薬の過剰使用は植物の防衛機構を低下・無力化させ、弱った作物を病原体が攻撃する隙を作ることがある。うかつにも有益な土壌生物を激減させてしまったことで、植物が微生物との適応的な共生によって築き上げた栄養と防衛のシステムを私たちは邪魔しているのだ》上述 132頁より

 思い出したことがある。
 父は60代になってSLE 全身性エリテマトーデスに罹患した。
 ステロイドを服用し、二週間に一度の割合で血漿交換治療を行っていた。
 担当の血液内科(膠原病)の医師に、盆栽の土いじりをやめて欲しい、と言われたらいい。
 病を抱えながらも、父は土いじりをやめることはしなかった。
 盆栽の鉢の中には、それほどの微生物がいるとは思えなかった。
 植え替えの時に、ミミズもダンゴムシもいっさいみたことはない。
 しかし、待てよ、もしかすると目には見えない微生物、カビ類が土のなかでは育っているのかもしれない。

 形が崩れて、ぼうぼう状態の我が家の植物を一鉢ずつながめて、複雑な心境に迷い込んだ。
 野口先生の庭は、失われて久しいが、なんとも懐かしい。
 あの庭は、先生が彼岸へと連れて行かれたような気がしている。
 毎日、そこで暮らし、細やかに手入れをし、愛情をかけた主を失った庭は、生態系のバランスを崩して人がつくりあげた庭としての命を維持できないことも知った。
 それに比べて、同じ鉢植えであっても、我が家の盆栽はいかがだったのだろうか。

 さて、最初の話にもどろう。
 500年も生きながらえている盆栽はスゴイが、オリンピック便乗の日本文化・BONNSAIブームが、あまりにも行き過ぎた虚飾・奇をてらう方向に歩かないで欲しいと思うのは、無理な願いなのだろうか。

 つくづく、自然と文化のバランスとりは微妙である、としか今は言いようがない。
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連休を終えて

2017年05月04日 05時08分31秒 | Weblog
 昨日、朝日カルチャーの「野口体操講座」日曜クラスは、ほとんど全員の出席だった。
 連休中ということもあって、他の講座は殆ど休講。これだけの出席者がいると、やはり休まずに開講してよかったと思っている。

 さて、私のGWは、5月1日から、連日、掃除と片付けに勤しんでいた。
 とりわけ開かずの蔵の窓を、早朝に開け夕方に閉めることを日課にした。
 一応、蔵の中は、他の方に手伝ってもらえる状況まで、おおざっぱな片付けは出来た。
 一度徹底的に捨てる作業をしたい、と思うところまでようやくたどり着いた。
 
 他のところの片付けや掃除も含めて、概ね順調に進んでいいた、と言えそうだ。
 70肩も再発せず、お蔭さまでした!
 
 その間、昨日5月3日に、2020年に改正した憲法を施行したいという、首相の明言をニュースで知って仰天した。
 翌朝、朝日新聞を開いたら「オピニオン」12版 『憲法は芸術だ』なかにし礼さんの言葉のなかに「改正の期限を切るなどというのは、大問題ですよ」同感!
 この記事は FBで何人もの方がシェアしていらした。今週の土曜日のクラスにはもっていこうとおもっている。

 そしてホッとしたのはフランス大統領選だった。予想通りのマクロン氏勝利の結果ではあったけれど、やってみなければわからないのが選挙だったり国民投票だったりするから。アメリカのオバマ前大統領がマクロン応援メッセージを発信しても、決めるのはフランス国民だから、行方は終わるまでわからいとおもっていた。
 この大統領選結果をうけて、今朝の日経平均は年初来高値を更新した、というニュースも同時に配信されている。
 
 今度はおとなりの韓国の大統領選だ。なかなか難しそうだ。

 こうして連休中も世界は動き、日本でも様々な問題がおこっている。
 片付けたことですこしすっきり感が得られたこともあって、68歳の自覚が生まれて来たようだ。
 そうそう、気を引き締め!しっかり目を開き、耳をそばだてて、残された生きる時間を大切にしながら、よき道を探っていきたい、とつくづく思った”片付け連休”あけ月曜日の朝である。
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