羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

からだの人格宣言

2005年09月30日 10時06分29秒 | Weblog
 昨日のブログに、「団塊世代」の方から、貴重なコメントをいただきました。
 
 明治以降「欧化」政策の旗印のもとに、私たちが築いてきた文化は、「脳」を主体と考え、「体」は脳に従属する「物」として捕らえる方向に向かい、すでにその考えは頂点にまで達したのではないかと考えられます。
 
 1972年『原初生命体としての人間』が出版されて、野口先生の思想に共感し野口体操への思いをつのらせてくださったのは、少なからず「欧化」のみに価値を見出す考えだけに同調することに批判的思想を抱く哲学や社会学や教育の専門家の方々でした。
 ということからもわかるように、コメントの結びにあった「からだの人格宣言」という言葉は、核心をついていると申し上げたい。
 
 すべてが意識化でき、その意識化できたことは正しい、という論理に「ちょっと待って」と警報を鳴らすことができる人は、自分も含めて少ないといわざるをえません。
 意識化できたことイコール正しいこととは限らない、という視点を持つだけで、見えてくる風景がかわってくるのだと思います。

 「意識」と「からだ」の問題は、大変微妙です。
 「非意識」を大切にされた野口先生の「野口体操」が、その点において、「稀なる体操」だといえると思います。

 『アーカイブス 野口体操』での、養老孟司先生との対談をご覧いただきたい。
 この微妙な問題が、終始語られていることにお気づきになると思います。
 
 「からだ」は決して「脳」の付属物ではないというところから、野口体操は始まります。

 コメント、ありがとうございます。
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