羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ターニングポイント

2005年09月13日 08時32分07秒 | Weblog
 昨日のテーマに関連して、野口三千三先生が、ヨガにたどり着くまでの道筋を整理しておきましょう。
 
 昭和21年:江口隆哉+宮操子舞踊研究所・モダンダンス体験。
 昭和23・4年:サーカスで生きる人々との関係を深める。
         (からだを張って生きる人々のなかに入っていく)
     同時期:美容体操とかかわる。
          日本人の身体コンプレックスの時代と呼応して。
 昭和29年:ボディービルを通して、玉利齊氏と出会う。
        美容体操とボディービルは、表と裏の関係にあると認識する。
 昭和30年:積極的にこの二つの世界を研究。
 昭和35年:新劇との関係をもつ一方で、ヨガ研究に余念がない日々を送り始める。

 モダンダンス・サーカス・美容体操・ボディービルからヨガ(+呼吸法)へと、先生の道のりをタイムスリップしてみると、現在の身体論・身体技法ブームを、戦後という歴史のなかで、非常に早い時期に網羅していらした姿が浮かび上がります。
 野口体操は、はじめから野口三千三という個人が抱いた飽くなき好奇心と、体験を通した「実感」に支えられていたことがわかります。

 敗戦が、野口先生に与えた傷の大きさ・深さは、おそらく当時の日本人の多くが受けたものと同様であると思われます。
 しかし、「肉体・身体・からだ」の外(形)へと向うベクトルに気を取られている時代にあって、「実感」と「言葉」と「イメージ」、「意識」と「非意識」、といった内へと向うベクトルで、もろもろの問題提起を自らに課した人は、非常に少なかったに違いありません。

 敗戦後のカオスのなかで、岸内閣が戦前にひとつの区切りをつけ、所得倍増計画を打ち出し一気にその方向へと突き進む池田内閣に移る。まさにその時代のターニングポイントの時には、すでに野口体操の礎が築かれていたことは象徴的であると思いますが、いかがでしょう。

 その視点から、野口体操における「ヨガの逆立ち」を、実感を通して読み解いてみると、個人の卓越した先見性が、うかがい知れるかもしれません。
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