羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

きりなく続く会話より

2005年09月03日 08時50分11秒 | Weblog
「野口体操って、続けるの難しいよね」
「そうなんだよね。どうしてだと思う」
「気持ちはいいんだけどさ、なんか、これでいいのかなって、自分がやっていること、正しいってことがスゴク気になるんじゃないけど、ちょっとは気にしてるんだけど、、、、これでいいのかなぁって、おもうわけ」
「だからさ、正しいとか正しくないっていう基準をね…」
「つまり、とっぱらうってことでしょ。。。。。。。だけど、それって難しいんだよね」
「自分がよければそれでいいって言うのは、やっぱり独りよがりってこと?」
「やっぱ、私たちって物心ついたときから、外からの評価っていうか、親とか兄弟とか親戚の人とか、幼稚園に上がると先生とか友達のお母さんとか、なんとなく周りの目ちゅうか、なんて思われているかってことが、大きいよね」
「確かにね。評価は自分でするものっていう考えは、かなり高度っていうか、慣れてませんね」
「だから、野口体操って、一般向きしないんじゃない」

 ひさしぶりに会った幼馴染との会話です。どっちがどっちがお分かりですよね。
 さらにこんなことも。

「筋トレだって、ある効果が見えるまでは、時間がかかるんだよね。逆に、力が抜けてホントに柔らかくなるんだって、時間かかるよ。でも、筋トレとか、はやってきたピラティスとか、パワーヨガとか、そいったものには、結構、お金出すっ! て気になる人っているんだよね」
「それって、結果をはっきり示してくれるから?」
「力なんて抜けると思ってるんだよ。何も習わなくたって、だらしなくグタァ~ってするのがリラクゼーションとまでは考えなくても、普通はね、ゆるめたり、力抜いたりできるって思うわけ」
「それが間違いなのよ。学生のリポートにあったんだけどね。(私はいつもかなりチャラチャラとしていて、力抜いて生きているつもりでしたが、ほんとうに力が抜けるのは、難しいし、凄く大切なことで、一本筋が通ってくるということを、はじめて野口体操の授業で知りました。)って最後に書かれていたのよ」
「なるほどね。でも、野口体操って、即効性とか効果とかがはっきりしないじゃない」
「ウムゥ、困ったことでイライラしたり、どうしようもないとき、お料理したり掃除したりすると、気分が変わってすっきりすることってあるじゃない。なかには虫取りっていう人もいるけど。でも、そのすっきりさのひとつの条件は、からだを動かすことでしょ。それで汗がかけるとか。
 で、お料理とか掃除とか虫取りとか、どっちにしても、短い時間で結果が出ることって気持ちのうえの問題だけじゃなくて、からだが満足って感じ、大きいよね」
「そうそう、とりあえずある種の達成感があるし。確かに野口体操って気持ちはいいんだよ。でも、自分の家に帰ってくると、なかなか出来ない。それに達成感っていうのが今ひとつなんだよね~」
「だからね、からだって、いや、ほんとうは意識だって、芯から変わるってことは時間がかかるのよ」
「みんな忙しいしね。それに今の時代って、デジタルだもの。自分じゃボタンひとつ押して、で、あとはやってくれるっていう暮らしに慣れちゃってるしー」
「うちのお母さん、バカになるってこのごろ危機感を感じてるみたい。微妙な調節すること何もなくなちゃったっていうわけ。たとえば、昔なら、お風呂から出るときには、次の人のこと考えて、お湯の量とか、湯加減とか、調節してあがったものよ、って」
「そうだよね。今は、設定さえしとけば、あとはやってくれる」

「からだはデジタルじゃないんだよ」
「錯覚しちゃいますね。ちょっと気に入らない、ちょっと合わない、ちょっと不具合、っていうと、もう、すぐキレル」
「心ってさ、デジタルじゃないんだよね。曖昧模糊として、いったりきたり。意識だってホントはそうなんだよね」

「だからさ、野口体操に戻るけど、柔らかくなるとこんな効果がありますって、すっきり言って頂戴! 大衆はね、はっきりしてる方についていくんだって。愛する操ちゃん、考えてご覧よ」
「あなたの口から、大衆だなんて、おどろいた!」

 以上、切りなく続く会話の一部でした。
コメント (1)
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