羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ルーズビズ

2005年09月15日 08時09分23秒 | Weblog
 暑さ寒さも彼岸まで、といわれますが、今日あたりが夏から秋へ変わり目らしい。
 この変わり目、移り目、潮目を読むというのは、サバイバル感覚の基本かもしれない。
 
 さて、個人的にメールをいただいた「野口流ヨガの逆立ち」について。
どうも重さで立つ感覚をつかむネックは、「恐さ」らしい。自分のからだのなかに 巣くう抵抗勢力は消せ! というわけには行かないですからね。
「恐さを敵にまわさないで」
 これはサバイバル感覚がすぐれているからなのだ、と自認しましょう。その上で、恐さとどうつき合っていくのか。
 準備が大切。「やすらぎの動き」と「真の動き」を丁寧にやることです。
「それは分かっているんだけど、続けるのが難しいのよ」って言われそう。
「確かに、仰せのとおりです」

 とにかく継続こそ力ですから。少しずつやり続けることなんですよね。
 ピアノの稽古でも、1時間やらなければいけないではなく、3分でも5分でもいいから、弾いていると1年たてば、一曲弾けるようになるんです。(これホントのはなし)
 で、電話で3分通話が基本というのは、あれ正解。3分で、必要なことは話せるんですから。

 大きな変化を劇的に望むのではなく、小さな変化を積み重ねていく。これに尽きます。
 そして義務感・使命感も、とりあえず座布団の下へ。

 さて、さて、いよいよ秋です。
 この夏のクールビズから、冬にはウォァームビズで、一枚多くチョッキやセーターを着るようにということらしい。チョッキもセーターもいいけれど、体操もおすすめです。暖かくなりますよ。
 自宅で創造的な仕事をするときは、「ルーズビズ」スタイルでやるのがいちばん。
 何が言いたいのかというと、いい発想は締め付けないところから生まれます。
 いい動きにも、締め付けは禁物!

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野口体操の社会化

2005年09月14日 12時18分35秒 | Weblog
 野口三千三先生がご存命中のことです。
 あるマスコミの取材を受けたあとの雑談で
「素晴らしい野口体操を、日本全国の人々に知らせたい。それには…」 
 野口先生は次の言葉をさえぎって。
「あなたの気持ちをそぐわけではないけれど、世界中で野口体操を知らない人や、やっていない人の方が多いの。でも幸せに暮らしている人はたくさんいるわけ。全国組織にしようとは、考えていません」
 グーの音も出ない言葉でした。

 そばで伺いながら、なるほどと納得しながら、
「ちょっとは知られてもいいじゃないかな」
 と思いました。

 そこで、先生が亡くなる10年前から「野口三千三授業記録の会」をはじめて、ビデオ記録を中心に、資料をつくる仕事をつづけてきました。
 
 それから、野口先生没後、残した記録や資料を生かすためには、社会的にある程度認知されていなければ意味を持たないと考えて頼まれた取材や仕事はほとんどお受けしました。
生前の10年、没後の7年半を通して、野口体操の社会化の途上にあって、難しい問題にぶつかってきました。そんなとき
「野口体操を知らなくても、やっていなくても、幸せに暮らしている人はたくさんいます」
「名言だなぁ」
 と思いつつ
「そうは言っても、やっぱり」
 と気持ちを奮い起こします。
 残暑も終わると、秋の活動期が本格化します。
 
 丁寧に推敲せずに載せているブログ。一ヶ月が過ぎました。
 読んでくださっている皆様、お一人おひとりに
「ありがとうございます」
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ターニングポイント

2005年09月13日 08時32分07秒 | Weblog
 昨日のテーマに関連して、野口三千三先生が、ヨガにたどり着くまでの道筋を整理しておきましょう。
 
 昭和21年:江口隆哉+宮操子舞踊研究所・モダンダンス体験。
 昭和23・4年:サーカスで生きる人々との関係を深める。
         (からだを張って生きる人々のなかに入っていく)
     同時期:美容体操とかかわる。
          日本人の身体コンプレックスの時代と呼応して。
 昭和29年:ボディービルを通して、玉利齊氏と出会う。
        美容体操とボディービルは、表と裏の関係にあると認識する。
 昭和30年:積極的にこの二つの世界を研究。
 昭和35年:新劇との関係をもつ一方で、ヨガ研究に余念がない日々を送り始める。

 モダンダンス・サーカス・美容体操・ボディービルからヨガ(+呼吸法)へと、先生の道のりをタイムスリップしてみると、現在の身体論・身体技法ブームを、戦後という歴史のなかで、非常に早い時期に網羅していらした姿が浮かび上がります。
 野口体操は、はじめから野口三千三という個人が抱いた飽くなき好奇心と、体験を通した「実感」に支えられていたことがわかります。

 敗戦が、野口先生に与えた傷の大きさ・深さは、おそらく当時の日本人の多くが受けたものと同様であると思われます。
 しかし、「肉体・身体・からだ」の外(形)へと向うベクトルに気を取られている時代にあって、「実感」と「言葉」と「イメージ」、「意識」と「非意識」、といった内へと向うベクトルで、もろもろの問題提起を自らに課した人は、非常に少なかったに違いありません。

 敗戦後のカオスのなかで、岸内閣が戦前にひとつの区切りをつけ、所得倍増計画を打ち出し一気にその方向へと突き進む池田内閣に移る。まさにその時代のターニングポイントの時には、すでに野口体操の礎が築かれていたことは象徴的であると思いますが、いかがでしょう。

 その視点から、野口体操における「ヨガの逆立ち」を、実感を通して読み解いてみると、個人の卓越した先見性が、うかがい知れるかもしれません。
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ヨガの逆立ち考

2005年09月12日 13時11分09秒 | Weblog
 先日、来日して四年という外国人女性のヨガの逆立ちを、見せていただける機会がありました。
 今日は、その出会いよって、私がいかに珍しく神妙な思いをいだいたのかについて、かいつまんでその経緯をお話します。
 
 野口三千三先生が、ヨガを習われたのは45・6年前の昭和35年ごろのことです。西暦にすると1960年ごろになります。
 時は正に60年安保。
 1960年正月すぎ、岸信介首相ら新安保条約全権団がアメリカへ旅たつ羽田空港で、全学連主流派700人と警官隊との衝突がきっかけとなって、「安保闘争」が激化してゆきます。
 因みに、東京の電話局番が、3桁になった年でもあります。

 さて、このような時代に、野口先生がヨガに通うことに対して非難に近いまなざしを投げながら「東京芸大の助教授ともあろうものが」と面と向って苦言を呈する同僚まであらわれました。
 しかし、先生にとって、ヨガに学ぶところ多く、すでに輪郭が明確になっていた鉛直ベクトルをもつ野口体操に、水平ベクトルが加えられたことは確かなことでした。
 もっと言えば、奇しくもヨガとの出会いは、野口先生にとって、野口体操の立ち位置をより磐石なものとしていく、よすがとなったのではないかと私は思います。

 ここからの話は、相手を否定する話だと、受けとらないでいただきたい。
 そのコケティッシュな外国人女性の逆立ちに戻ります。
 
 彼女の逆立ちの方法や「逆立ちのポーズ」といわれる世界は、野口先生が到達された逆立ちとは、まったく次元が異なっていると感じられました。
 エロティシズムを強調するような方向を感じさせる女性のヨガの逆立ちと、鉛直方向にしっかり結ばれた「地球につながるヨガの逆立ち」と、いずれに軍配をあげるかという問題ではなく、「違うなぁ~」という印象。

 いかにして野口体操が「おもさに貞く」というベクトルをもちえたのか。
 いずれにしても、自然とのかかわり、地球とのかかわりの中で、素朴に素直にご自分を見つめられた先生の息遣いにシンクロできるのか。
 「野口・ヨガの逆立ち」を、やっぱりお伝えしておかねば!
 
 珍しく「ねばならない」という野口体操にとっては「禁句」を発してしまった次第。
 
 野口体操の根本中堂は、野口流ヨガの逆立ちにあり。
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レアな体験こそ命

2005年09月11日 11時49分56秒 | Weblog
 耳をそばだてて、商店街を歩きました。
 聞こえない? 
 翌日は、夕方。
 そのまた翌日は昼ごろ…と。
 
 あの有線放送が聞こえないのです。
「そういえば、最近は、鳴ってなかったかも」
  ウォークマンや 携帯電話の普及に伴って、音楽を流がすのは、とっくにやめてしまったのかもしれない
 
 行きつけの肉屋のおじさんに聞いてみました。
「そういえばそうね」
 なんとも心もない返事しかかえって来ませんでした。

 そこでハッとしました。
 何日か前に書き込んだ、音を自分で作りながら聴く話。
 生演奏を聴いたことがなかったら、自分で音はつくれないんだわ。
 実体験・まるごとのからだが受容する体験は、いかにも大事。

 それに関連して、こんなことがありました。
 先日、朝日カルチャーの野口体操講座に参加されたあるマスコミ人は
「本だけでは分からないから、DVDのアーカイブス野口体操を見て、ビックリしたのですが、今日、羽鳥先生の上体のぶら下げのときに、力がぬけた胴体を触らせていただいたら、またビックリです。
 触れた感触は、映像では無理です!!!!!」
 目をにして、全身は状態でした。

「レアな体験こそ命」。
 心に刻んでおきたい言葉を残して、教室をあとにされました。
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粗食のすすめ

2005年09月10日 07時46分30秒 | Weblog
 『粗食のすすめ』という本が流行っているらしい。
 年若い友人のM子さんが、お母さんに頼まれて、自分が持っている本を届けるのだという。
「へぇー、粗食ね」
「母が、体脂肪が気になるらしくて…」

 体重計が進化して、体組成を一瞬にして調べることが出来る「体測定器」が商品化される時代だから。
「60代後半のお母上としては、そうなのね」
「子供たちに迷惑かけたくないそうです」
(陰の声→筋肉量・体脂肪率・内臓脂肪のレベル・基礎代謝・推定骨量を数値として読んで、筋トレに励んだり、ウォーキングをしたり、食事に気をつけるのも悪くは無いけれどー。)

「で、粗食ってどんな食事」
 写真入の本を、パラパラめくっていると
「つまり、普通の家庭で食べてきた日本食なんです」
 と言いながら、我が家の食生活を知っているM子さんは、ニヤッと笑いました。

「うちの食事は、粗食なのォ~」
 複雑な思いの私でした。

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音楽の楽しみ

2005年09月09日 08時51分21秒 | Weblog
 アップルと ソニーが、新製品を出したらしい。
 昨日のテレビニュースでも、今朝の新聞にも、結構大きく取り上げられています。
 
 ところで、私がステレオで音楽を聞いていたのは、今から35・6年前のこと。
 チューナーに接続した器機は、部屋の片隅をかなり広く占領していました。
 そして一揃いのステレオ装置には、オープンリールの録音再生デッキを供えて、放送されている曲を録音して、再生するというやり方でしたからね。
 大きくて重たいデッキだったなぁ~。
 
 それが、名刺より小型で、厚みは一センチにも満たない機械が、1000曲もダウンロードできるなんて!

 そうそう、当時は自分で音を創って聞いてました。
 弦楽器だったらバイオリンかチェロかとか、ピアノか、ギターか、打楽器か、とか。
 声楽は男性か女性かとか、オーケストラは、ドイツかフランスかアメリカか。
 演奏者は誰なのか。音楽のジャンルは何か。時代は何時のものか。
 
 それらを総合して、低音・中音・高音の区別に、さらに細かなヘルツによってバランスを変えられる装置がついていて、自分で音を創り出して聞く楽しみ。
(このバランス装置は、5・6年前まで、そんなにお高いものじゃなくてもソニーのラジカセには、ついていたのに、あぁ~)
 生意気な10代から20代に、たっぷり音楽に浸っていたものでした。
 
 こんなことを書いていると、当時のことが思い出されます。
 夏休みはベートーベンのソナタを練習しながら、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」や「ベートーベンの生涯」などを読みながら過し、後期9月末になって久しぶりに受けたレッスンで
「ひとまずベートーベンは休んで、今度は、フランス近代、そうねドビッシーの子供の領分でも弾いてみましょうか」
 ピアノの先生からすすめられたドビッシーに、胸が張り裂けるほど嬉しくて、楽譜やレコードを求めて、わざわざ銀座や六本木に出かけていきました。
 忘れもしない、高校一年の思い出でした。
 
 それが商店街を歩いていると、ドビッシーもラベルも有線放送から流れてくるようになって10年は過ぎているはず。

 「隔世の感」とは 。。。。。。。。。。
 

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魔がさして…のせられた話

2005年09月08日 10時33分42秒 | Weblog
 香取慎吾君が宣伝している「体組成スキャン」という、文明の利器に乗ってみました。
 凄いんですよ。
 全身脂肪率・部位別脂肪率(右腕・左腕・右足・左足)・筋肉量・部位別筋肉量(右腕・左腕・右足・左足)・水分量・内臓脂肪率・基礎代謝・推定骨量が、あっという間に数値ででます。

「まぁ、年齢と身長を入力するだけ?」
「はい、裸足で機器の上に立って、あとは慎吾君のように、グリップを握って紐を上に格好よく引き上げるだけです」
「乗ってみようかしら」
「どうぞ」
 担当の女性に乗せられてしまった。
(正直言って、知りたい気持ちもありました。だって、あのコマーシャル、第二段も見てたもん。新撰組終わって、慎吾君ちょっと太ったんじゃない、と思いながら)

 その結果、左腕の筋肉量右に比べて少ないと判定されました。
 それから野口体操のワークショップを指導して、夕方、自宅への帰りの道々、買い物した1キロちかい袋を左手に持ち替えて、筋トレしながら歩いている自分に気がついて
「おおー、こわ~、数字の魔力に、影響されてる」
 思わず左腕の力を抜きました。

 「内臓脂肪率の項目など、今のところ心配ありません。これからもバランスのよい食事や適度な運動を維持しましょう」とか「基礎代謝率などは、燃えやすい・標準・燃えにくい、のうち“燃えやすい”」という結果が出て、ウふふって感じ。
 でも、筋トレしながら、頭の中では、アイスクリームっていう文字が浮かんでいたんですからね。(暑い日でしたからネ。自己正当化かな)

「危ない、危ない」という野口三千三先生の声が聞こえました。

 これもひとつの目安! ってところです。
 でも、いい結果が出てよかったと、ほっとする気持ちもありでした。

 生きるってムズカシ~。
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夏の盛りに

2005年09月07日 09時12分16秒 | Weblog
 友人が、夏休みに京都を旅行したとか。
 で、夏の暑い盛りに、素晴らしい「香」に出遭ったらしい。

「このお香は、どちらのものですか」
「松栄堂はんのものどす」

(日本橋にもあったわ)と、友人の脳裏に店の入り口がぼんやりと浮かんだ。
(今日は、帰京する日だし、ちょっと寄っている暇はなさそう)
 そこで、帰京してから、数日後に店を訪ね、同じ香を求めて意気揚々と自宅に戻ったそうです。

「では、さっそく」
 マンションの和室で、香を焚きました。
 
「何か違う。この香ではないわ」
 それから、いろいろ考えをめぐらせました。その結果気がついたことを電話してきました。
「わかったの、同じ香を焚いても、コンクリート10階建てのマンションの一室は、形だけの和室に過ぎなかったの」
 彼女の話を、短くまとめると、京都という風土と伝統があって、さらに狭めると、その家のその部屋で、代々香を焚き染めていたこと。
「空間と時間が、その家、独特の香りを創り出していたってわけなの」
「そうね、きっとカビの匂いも、そこに暮らす人の体臭も一役かっているってわけか」
「そうなの、そのとき、お店の人が、必ずしもお高いお香でなくてもよろしいですよって言って、微妙な表情をしていたわけがわかったのよ」

 お香だって麻薬なのだ。寺の本堂や庫裏や観音堂や本坊や方丈などで、焚かれた香りを嗅ぎたくて、ついつい出かけてしまう。
 憎いねぇ。はじめはきっと想定外だったに違いない。 
 人間にもおこぼれ頂戴という、二次効果ってことだったのね。

「香も、一期一会だったの…」
 電話の向うで、しばし沈黙。

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地図のない道

2005年09月06日 08時35分38秒 | Weblog
 面白い本を読みました。
 書名は『健全な肉体に狂気は宿る』内田樹+春日武彦(角川ONEテーマ21)の対話編です。
 
 そのなかでこんな記述がありました。
「英語ができて、コンピューターが得意で、ピアノが弾ける人は世界にたぶん三億人ぐらいいる。でも、例えば、イディッシュ語ができて、胡弓が弾けて、算盤ができる人になると世界に五人くらいしかいない」
 つまり、キャリアを積むことにおなじ時間とお金と身体的エネルギーかけるなら、他の人ができないことを探しなさいというすすめらしい。

 かつて私も似たようなことをいわれたことがあります。
「あのね、ピアノや英語が教えられる人は、たくさんいると思うよ。
 でも、野口体操を伝えられる人って、世界で一人かもしれないよ」
 この話、キャリアとは関係なさそう?

「その言葉にまんまとのせられた」 
 なんてあさましく下品な物言いは、口が裂けてもいたしませんわ。
 何を隠そう、生前、野口三千三先生から戴いた言葉でした。
 のってよかった? 
 その答えは、生きている間には出せそうにありません。
 自分の一生が見通せないから、生き甲斐があるってわけ。

 美空の歌のじゃないけれど 地図ない道 歩くのも またおかし
                               
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便利さの裏側で

2005年09月05日 13時33分59秒 | Weblog
 浴室を拭く話に関連して、こんな話も聞きました。
 農村でのこと。
 ひとつの村の中にある、小さくまとまった集落で、もちまわりで風呂を焚き、みんなで借りに行く習慣があったそうです。 
 で、自分が風呂からあがるとき、床の上においてある木のスノコを拭いてから出てくるのが、次の人を思いやるエチケットだそうです。
 そうした習慣がある田舎で育った両親に育てられた30代半ばの男性の話でした。
 
 カビの問題とは別に、今でもその習慣を実行しているとか。
「幼い日に、家庭で身についたことは、なかなか抜けませんね」と彼曰く。

 便利さの裏側で、失われていくことのあまりに多かりき。
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お風呂のカビとり物語から映画「卒業」

2005年09月04日 08時48分31秒 | Weblog
 お風呂のカビとり物語を読んで、実際にやってくださった方に会いました。
「なかなか、いいですね」
 で、その方の住まいがマンションで、浴室に窓がないそうです。習慣になってくれると、「信じられないくらいカビははえないですよ」と、この方法を教えてくれた私の知人もそばにいて「私のマンションも窓がないんですが、これが大正解なんです」と言葉を続けていました。
 我が家も一年後・二年後が楽しみですね。
 
 実は、歯磨きも同じです。
 今の70代・80代の日本人は、毎食後に歯を磨く習慣はありませんでした。
私が高校生のころですから、60年代です。そのころアメリカから入ってきたデンタルフロス(糸でみがき)で、歯と歯の間の食べ物をこそげる方法を、行きつけの歯医者が教えてくれました。当時この方法を実行する日本人は、まだまだ少ない時代でした。
 
 で、その後、いろいろな方法が出回って、凝り性の私は、電動磨きブラシや、ウオーター・ピックなどという電気仕掛けの歯磨き方法も試みました。
ところが水と電気はどこか相性がよくなくて(私の感じ方です)、紆余曲折の末、残ったのが歯ブラシとデンタルフロスとゲジゲジがついた歯間ブラシを、そのときの食べ物によって適当に併用して磨くのがいちばんということで、落ち着いて、20数年というところです。
 デンタルフロスと歯間ブラシは、軽くて小さく持ち歩きが楽です。ポーチに入れておいても邪魔になりません。そしてどこでも使えるからとっても便利です。
 
 ところで「卒業」という映画がありました。
 結婚式を挙げる教会から逃げ出す彼女のラストが印象的でしたが。そこまでの過程で、彼女をそうさせる青年が、上着のポケットから歯ブラシを取り出すシーンがありました。年上の人妻とのアバンチュールの後だったか前だったか……。記憶のなかの映像は、非常にぼやけてしまってますが、歯ブラシの登場に笑ってしまったことは、はっきり思い出します。当時、歯磨きに凝っていたものですから。

 使ったらすぐお手入れを…。ある習慣が身につくには、はじめは大変ですが、「慣れるが勝ち」。時間も手間もかからなくなって、「いい感じ」なんですよね。
 
 家もからだも一体のもの。いやいやからだの延長が家ですから。いやいや家の内側は肌着なんだ! 外側は服なんだ! と思えたらバッチリ。エッ、服は鎧だ! そうか、最近読んだ『健全な肉体に狂気は宿る』(角川ONEテーマ21)の内田樹さんは、いざ出陣! 大学に行くときはビシッと、スーツで決めるってかいてあったなぁ~。
 ちょっと話が外れてきたので、今日は、この辺で失礼。
 ご自愛のほど、ごきげんよう。
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きりなく続く会話より

2005年09月03日 08時50分11秒 | Weblog
「野口体操って、続けるの難しいよね」
「そうなんだよね。どうしてだと思う」
「気持ちはいいんだけどさ、なんか、これでいいのかなって、自分がやっていること、正しいってことがスゴク気になるんじゃないけど、ちょっとは気にしてるんだけど、、、、これでいいのかなぁって、おもうわけ」
「だからさ、正しいとか正しくないっていう基準をね…」
「つまり、とっぱらうってことでしょ。。。。。。。だけど、それって難しいんだよね」
「自分がよければそれでいいって言うのは、やっぱり独りよがりってこと?」
「やっぱ、私たちって物心ついたときから、外からの評価っていうか、親とか兄弟とか親戚の人とか、幼稚園に上がると先生とか友達のお母さんとか、なんとなく周りの目ちゅうか、なんて思われているかってことが、大きいよね」
「確かにね。評価は自分でするものっていう考えは、かなり高度っていうか、慣れてませんね」
「だから、野口体操って、一般向きしないんじゃない」

 ひさしぶりに会った幼馴染との会話です。どっちがどっちがお分かりですよね。
 さらにこんなことも。

「筋トレだって、ある効果が見えるまでは、時間がかかるんだよね。逆に、力が抜けてホントに柔らかくなるんだって、時間かかるよ。でも、筋トレとか、はやってきたピラティスとか、パワーヨガとか、そいったものには、結構、お金出すっ! て気になる人っているんだよね」
「それって、結果をはっきり示してくれるから?」
「力なんて抜けると思ってるんだよ。何も習わなくたって、だらしなくグタァ~ってするのがリラクゼーションとまでは考えなくても、普通はね、ゆるめたり、力抜いたりできるって思うわけ」
「それが間違いなのよ。学生のリポートにあったんだけどね。(私はいつもかなりチャラチャラとしていて、力抜いて生きているつもりでしたが、ほんとうに力が抜けるのは、難しいし、凄く大切なことで、一本筋が通ってくるということを、はじめて野口体操の授業で知りました。)って最後に書かれていたのよ」
「なるほどね。でも、野口体操って、即効性とか効果とかがはっきりしないじゃない」
「ウムゥ、困ったことでイライラしたり、どうしようもないとき、お料理したり掃除したりすると、気分が変わってすっきりすることってあるじゃない。なかには虫取りっていう人もいるけど。でも、そのすっきりさのひとつの条件は、からだを動かすことでしょ。それで汗がかけるとか。
 で、お料理とか掃除とか虫取りとか、どっちにしても、短い時間で結果が出ることって気持ちのうえの問題だけじゃなくて、からだが満足って感じ、大きいよね」
「そうそう、とりあえずある種の達成感があるし。確かに野口体操って気持ちはいいんだよ。でも、自分の家に帰ってくると、なかなか出来ない。それに達成感っていうのが今ひとつなんだよね~」
「だからね、からだって、いや、ほんとうは意識だって、芯から変わるってことは時間がかかるのよ」
「みんな忙しいしね。それに今の時代って、デジタルだもの。自分じゃボタンひとつ押して、で、あとはやってくれるっていう暮らしに慣れちゃってるしー」
「うちのお母さん、バカになるってこのごろ危機感を感じてるみたい。微妙な調節すること何もなくなちゃったっていうわけ。たとえば、昔なら、お風呂から出るときには、次の人のこと考えて、お湯の量とか、湯加減とか、調節してあがったものよ、って」
「そうだよね。今は、設定さえしとけば、あとはやってくれる」

「からだはデジタルじゃないんだよ」
「錯覚しちゃいますね。ちょっと気に入らない、ちょっと合わない、ちょっと不具合、っていうと、もう、すぐキレル」
「心ってさ、デジタルじゃないんだよね。曖昧模糊として、いったりきたり。意識だってホントはそうなんだよね」

「だからさ、野口体操に戻るけど、柔らかくなるとこんな効果がありますって、すっきり言って頂戴! 大衆はね、はっきりしてる方についていくんだって。愛する操ちゃん、考えてご覧よ」
「あなたの口から、大衆だなんて、おどろいた!」

 以上、切りなく続く会話の一部でした。
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微妙な関係~水とのお付き合い

2005年09月02日 08時18分42秒 | Weblog
 今年になって習慣になったことがあります。
 それは、お風呂から出たら、浴室内部の水気を取っておく習慣です。
 今年、家の改築をしました。それにあたって仮住まいのお風呂の水気や、窓周辺の結露を残したまま、カビだらけにしない方法を、知人から教わりました。それを半年やり続けたことで、すっかり習慣になったようです。
 
 で、浴室のカビ対策については、ものすごく丁寧にやる方法が、梅雨時を前に新聞記事になっていました。当然すぐ気がつきました。
「まぁ、そこまでしなくても」と、一歩も二歩も引いてしまうほどの方法。
 ところが知人のおすすめは、もう少し簡単で楽々。
 お教えしましょう。
 使い古したタオルで、床や壁はもちろん水滴の飛んでいるところを拭いておくだけです。すると浴室内の乾き具合は素晴らしいの一言。段取りや手順に慣れてくると、そんなに時間はかからなくて終わります。
 
 何とかカビを発生させないでおきたいわぁ~、と祈るような気持ちはじめたことが、新しくなった家に戻っても、日常の当たり前の習慣になってくれました。
 知人曰く
「ホテルマンの人からおそわったの」
「フムフム、納得」
 
 ぬぐった水と一緒に、カビが大好きな湯垢やからだから出る皮脂や抜けた髪の毛や石鹸の残りカスなども、全部が全部とはいかないまでも、一緒にとれますからね。
 汚れを落とすのも水の力、でも、水気を残さないことも肝心なんだよね。
 浴室だけでなく、水気をぬぐうことって案外大事だったのでありま~す。

 今日は、お風呂のカビ対策のお話でした。
 ぜひ、一度お試しあれ! 
        

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オフィスは知っている、喜びも悲しみも

2005年09月01日 10時02分59秒 | Weblog
 戦後60年の今年、出版会もマスコミも、戦争について終戦について日本の戦後について特集を組んでいます。
 とくに8月は、テレビドラマも含めて、もう一度、日本人にとって先の戦争はなんであったのかを考えるものが、例年より目だっていたように思います。
 
 今日は、違った角度から戦後を見直してみたいと思います。
 そこで、アメリカの7年間の進駐が残していったものに「オフィス文化」があるという話題をひとつ。

 夏休みも終わって、いよいよ秋の陣がはじまったところです。ある種の緊張感が、オフィスにも漂ってくる9月。ビジネスマンやビジネスウーマンが、仕事をする風景について、くどくどとした説明はなくても誰の目にも明らかでしょう。そのくらい当たり前になっています。
 
 このスタイルが日本に普及し定着したのは比較的近年のことで、GHQ(連合国総司令部)の影響が大きかったことは、一般に知られていないかもしれません。
 戦前の日本では、江戸時代からの帳場の伝統が残っていて、机も木製がほとんどだったそうです。現在のオフィス文化は、19世紀・欧米で生まれ産業革命とタイプライターによって爆発的に広まりました。大勢の事務員がタイプライターで効率よく文書作成する場としてのオフィスが必要になったわけです。
 
 正直言って、タイプライターがパソコンに変わっただけで、19世紀と21世紀がまったく同様の映像としてみえるという、空恐ろしい感じがしますが。
 で、レンガからコンクリートへ。20世紀初頭、職場の大型化・効率化が進んだわけです。
 日本は、終戦と同時に、お堀端の第一生命ビルに、日本にはなかったスチール製の机を持ち込んだのが、アメリカの進駐軍でした。それが灰色の事務机の原型になっていったそうです。

 最近でこそオフィス内の色合いが変わってきました。しかし、職場を効率一辺倒の場としてだけ捉えるのではなく、人間的な生活の場としても捉える「ニューオフィス」の考えが台頭するには、戦後30数年の時間が必要でした。1980年代になってからのこと。
 
 もっとすすんで、ネットや携帯の普及で、何処でもが事務所になりうる時代になりました。そこでオフィスはなくなるのか、と思いきや、やっぱりそう簡単になくすことはできそうにありません。仕事は人間同士の関係のなかで成り立つ基本は変わらないから、という真理が見えてきます。
 だったらもうひとつ進んで、オフィスの真ん中に、ゴロンと横になれて野口体操ができる空間をつくる提案をしたい、と常々思っているのですが。(実現したという話は聞いていません。)
 
 少子化問題も、高齢者の身体能力の問題も、働き盛りの人々のQOLがあがれば、全面的な問題解決にはならなくても、風穴を開けることはできるだがなぁ、と思う次第。
 働いているのは、人間なんですよね。オフィスは知っているんです。喜びも悲しみも。

 因みに、私の仕事場は、昭和7年、帳場で使われていた机をはじめ道具を残しています。座布団に座ってパソコンを打つこと20年。はじめは熟語変換がきかないワープロからでした。

尚、今日の資料は、05年4月25日付け、日経新聞「ビジネスレッスン」を参考にしました。

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