羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

彼岸の供物といつものお菓子

2005年09月18日 08時21分32秒 | Weblog
 彼岸には、彼岸の菓子があった。
 日ごろ買いにいく菓子屋ではなく、明治通りと中山道が交差している所の和菓子屋まで足を伸ばすのです。
 野口先生には、春の彼岸と秋の彼岸のときだけ、出かける店がありました。
 確かにそこの彼岸の供物は、中の餡が上質なもので、蓮の花に葉を模った供物は、彼岸ではなく此岸にあっていただくもの。
 職人さんも心得ていて、先生の来訪に必ず顔を出してくれるのだそうです。
「このごろの若い人は食べる菓子とはおもっていない。仏のお飾りでなく、仏のご相伴に預かってくれる人がいなさるのは、嬉しいね」

 実は、野口先生は大の甘党でした。
 お住まいの近くにある「巣鴨の地蔵通り」には、昔ながらの菓子屋があります。
とくに先生がお好きだったのは、金時豆や虎豆や小豆や鶯豆などを、砂糖で固めて板状にしたものです。これは単純でありながら、素材のよしあしがはっきり出るごまかしのきかないお菓子です。
 
 四のつく日が地蔵様の縁日。その日に開かれる露店を、先生のお供をしながらひやかして、出来立ての甘い豆板を土産に。
ご自宅で戴く先生ご自慢のお茶は、一年を通して美味でありました。
 因みに、お茶は八女茶でした。
コメント (1)
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