羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

夏の盛りに

2005年09月07日 09時12分16秒 | Weblog
 友人が、夏休みに京都を旅行したとか。
 で、夏の暑い盛りに、素晴らしい「香」に出遭ったらしい。

「このお香は、どちらのものですか」
「松栄堂はんのものどす」

(日本橋にもあったわ)と、友人の脳裏に店の入り口がぼんやりと浮かんだ。
(今日は、帰京する日だし、ちょっと寄っている暇はなさそう)
 そこで、帰京してから、数日後に店を訪ね、同じ香を求めて意気揚々と自宅に戻ったそうです。

「では、さっそく」
 マンションの和室で、香を焚きました。
 
「何か違う。この香ではないわ」
 それから、いろいろ考えをめぐらせました。その結果気がついたことを電話してきました。
「わかったの、同じ香を焚いても、コンクリート10階建てのマンションの一室は、形だけの和室に過ぎなかったの」
 彼女の話を、短くまとめると、京都という風土と伝統があって、さらに狭めると、その家のその部屋で、代々香を焚き染めていたこと。
「空間と時間が、その家、独特の香りを創り出していたってわけなの」
「そうね、きっとカビの匂いも、そこに暮らす人の体臭も一役かっているってわけか」
「そうなの、そのとき、お店の人が、必ずしもお高いお香でなくてもよろしいですよって言って、微妙な表情をしていたわけがわかったのよ」

 お香だって麻薬なのだ。寺の本堂や庫裏や観音堂や本坊や方丈などで、焚かれた香りを嗅ぎたくて、ついつい出かけてしまう。
 憎いねぇ。はじめはきっと想定外だったに違いない。 
 人間にもおこぼれ頂戴という、二次効果ってことだったのね。

「香も、一期一会だったの…」
 電話の向うで、しばし沈黙。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする