徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

牟岐線ダイヤ新旧比較を

2020-05-24 21:15:00 | ダイヤと車両


my garden。ちゃんと季節は巡って来ますよ。


こっちは去年の5月18日に鷲栗で撮ったやつ。ウチの近所はそろそろ田圃に水を入れようかという段階。来週月曜には緊急事態の解除が期待でそうな状況になってきましたが、間に合うかいな。埼玉だけでも解除されたら近場への撮り鉄が出来るんとちゃうか、と密かに考えてます。



撮り鉄・乗り鉄の自粛継続中につき、小話を少々。




牟岐線の自作ダイヤです。黒のスジは2020年3月改正のヤツで、薄紫のスジが1967(昭和42)年10月改正です。黄緑は42・3の小松島線、橙は2020・3の40・47運用(たぶん)、赤は47・3の客車列車です。


その42・10改正時刻はこの時刻表で見ました。小生が持ってる大判時刻表で一番古いのがこれです。ヨンサントウの前年、表紙は当時月光型と言われた581です。寝台として利用したのは金星の一回だけですが、座席としては山陽特急や東北特急で何度も乗りました。寝台としては幅もたっぷりでしたが、座席はいわゆるボックス席で、ゆったり配置とは言え見知らぬ人と長時間向かい合ってるのは苦痛でした。寝台前提なんで窓側の肘掛けは壁を窪ませて代用、窓は複層ガラスの間にブラインドを装備した特殊なタイプ。昼間だと反射や内側の汚れで見通しが悪く好きになれませんでした。更に、窓框がないのでモノを置く場所がなくボックス席では手に持ってるしかない状態でした。

本題から外れてしまいました・・・
比較ダイヤで目に付くところ。先ずは、昔の一番列車は朝が早かったこと。昔の下り一番531Dは徳島発5:02、これに対し今の4523Dは5:43発です。ちなみに末尾3から始まってますが、521Dは牟岐発海部行きに存在します。上りの場合、昔は522レが牟岐発5:07で、今は牟岐発の場合鳴門行き524Dの5:50発です。
昔の531Dは牟岐に7時前に着くんです。そういう需要があったのか、はたまた今でも車輌の回送はひょっとしておこなわれてるのか?今の4523Dは牟岐着が8時チョイ前。これでも通勤通学列車としては十分だと思います。
しかも、この4523Dは日和佐で20分以上交換待ちしています。日和佐-牟岐間に交換可能駅が無いと言うこともありますが、これはやはり牟岐にそう早く着ける需要が無いんだと取れます。

上りの注目列車はやはりハチロクが牽いていた522レですね。何と言ってもやはりのろい!スジの傾きを見ればおわかりかと思います。この列車は桑野で前夜切り離した客車の増結をするんで10分近く停まりますが、それ以外の福井・阿南そして羽ノ浦のがわからん。接続するバスでもあったんでしょうか。

他に目に付くのは阿南以南での速度差ですね。特に日和佐-牟岐間で昔のダイヤでは随分スジが寝てます。例えば、昔の536Dと今の530Dは由岐到着時刻が同じですが、牟岐発時刻は12分今の方が遅い。これはやはり車輌性能の差でしょうね。実際の運用とは違うかもしれませんが、キハ20と1500系のトン当たり出力を比較すると5.6対12.8で圧倒的に1500系が強力。阿南以北の平坦区間ではほとんど差がないんで、電車みたいに加減速性能の差が時間に反映しづらいみたいです。
一方、頑張ってるなと思ったのが昔の急行。阿南以南のスジを見れば、今の各停とほぼ並行です。当時の急行は二両編成でも未だ2エンジンの55や58は入ってなくて28×2か28+26の1エンジン車だったと思います。駅を通過するだけでこんなに速くなるんかと感心します。

ダイヤ構成では何と言っても今のダイヤでの日中パターンダイヤ化ですね。ただね、下りでは羽ノ浦で約7分、上りは二軒屋で約4分の交換停車があります。
下りが徳島を毎時00分と30分発に統一、阿南で約10分で折り返すパターンですが、西原に交換設備があれば上下とも交換停車をなくせると思うんですが・・・実際、西原と地蔵橋の交換設備を復活させようという計画はあるようですが。昔は小松島線の列車もあったので地蔵橋の交換設備は頻繁に使われていました。




所要時間比較表も作ってみました。
始発から14時くらいまでの列車だけですが、平均所要時間は阿南以南で昔は下りが72分、上りが78分。これに対し今は下りで63分、上り56分と圧倒的に速いです。下りが63分と上りより長いのは4523Dの日和佐22分停車が足をひっぱてると思います。
昔の上りが一番時間掛かってますが、やはり車輌性能の差で、急行が辛うじて一時間を切ってますが各停では長時間停車の各停では一時間半、すんなり来ても75分位。それに対して今は長時間停車が無ければ一時間以内で済んでます。
昔は今よりこの区間は本数が多いようですが、その分交換回数も増え、やはり日和佐-牟岐間が一閉塞と言うのはだだでさえ遅いのに無駄な停車時間発生させて居たようです。
今度帰省出来たら買おうと思ってるんですが、阿南以南で「汽車」の時刻表にバスも併記したのが出てる様です。大変素晴らしい事です。経営の苦しい事業者がほぼ同じ区間で少ない乗客を奪い合うなんて言う愚は避けないとね。土讃線の池田-大歩危辺りも真似して欲しいです。

阿南以北を見ると、ほぼ同じですが下りは今の方が5分長い。これはやはりパターンダイヤで、全列車が羽ノ浦で5~6分交換停車してるのが原因です。先に述べたように西原が交換可能になれば昔と同じになると思います。
まあ、今は昔に比べて二駅増えて(昔は西原をほとんどの列車が通過していたんで実質三駅増)昔と同じですから、やはり車輌性能向上が時間短縮を実現したんでしょうね。

やっぱり文字ばっかりのは書いててもツマランです。次回は写真にしたいわ。

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78647号機牽引の客レ (takaginotamago)
2020-06-26 16:19:36
はじめまして、takaginotamagoと申します。
牟岐線の蒸気牽引列車のことで、ご教示を賜りたく、このコメント欄をお借りしてご連絡いたします。
埼玉県在住のTさんが約50年前に撮影された、78647号機(宇)が牽引する客レの写真が次のサイトにございます。(一番上のカラー写真です)
http://www5.plala.or.jp/stmlo9600/sl/sl147.html
Tさんご本人は約20年前に視力を失われたとのことで、撮影内容や撮影地点を確認できず、半世紀前のご記憶をたよりに高徳本線ではないかと推定しておられます。

私の母方の祖母の郷里が香川の引田でして、やはり50年ぐらい前の子どもの時に高徳本線でC58を撮影をしたことがあります。祖母の郷里を訪ねた時の印象でいいますと、Tさんの撮られた写真は、高徳本線沿線の風景とちょっと違う感じがします。
このサイトなどを参考に、いろいろ手をつくして調べましたところ、牟岐線の722レを地蔵橋駅の北方(右カーブの手前)で撮影されたものと推定しています。ただし、私は地蔵橋付近の土地勘もなく、牟岐線の蒸気牽引列車をみたこともありません。

そこで、昔の徳島の蒸気事情や現地にお詳しい方よりご意見を賜りたく、書き込みました次第です。沿線の風景、1両目の緩急車、日射の方向、この記事のダイヤグラムに記された運行時刻などが判断材料になろうかと存じます。
何卒よろしくお願いいたします。
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