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高校の記念祭に行ってみて

2017年06月17日 22時02分04秒 | つれづれなるままに
高校の記念祭ではOB会の展示があり、その設営をお手伝いするので毎年この時期母校に行く。記念祭は生徒が主体になって運営するわけで、現役高校生の実態がよくみえる。毎年そうなのだが、今日も淋しさを感じ、不安を思いながら帰ってきた。
見えてくる実態は
 ・男女とも半数以上が髪の毛を染めてる。
 ・廊下にベターっと座って話してる。
 ・記念祭活動の内容は「ダンス」と「買いたいと思わない模擬店」ばかり。
 ・努力して積み上げてきた成果の発表系はほとんど見ない。
 ・今日は聞こえなかったが、エレキのガンガンの音と何を言ってるかわからんがなり声。
 ・そしてこういう活動内容が他校もいっしょ。

僕の中に「自分達の世代の方が凄かった、まじめだった、りっぱだった」と思いたがってるふしが無いとは言えない。それにしてもこう皆が皆同じだと「ちょっとおかしくないか?」と疑問を持つし、日本の将来が不安になる。(50年前の自分達もこんなだったのかな?)
個性を感じないというのが一番気持ち悪い。髪の染め方、その色が他人と違うこと、ダンスの振りが違うこと、衣装がちがうこと それが個性だと思ってるんじゃないの? それが個性じゃちょっと小さすぎませんかと言いたいな。
「オレ達はこうだ」「私達はこうよ」という自己主張がないんだな。「あえて周りに反発する」ような「健全なエネルギー」を校内に感じない。見終わってみて印象に残った個人とかグループとか発表してる部屋とかが一つもないの。ぜーんぶ同じテンションなんです。
それと「規律がなくなってる」とも感じる。「自由」なんだろうね。「律っしてる」「我慢してる」感が薄いと思う。「自己責任」という言葉の裏で「捨てられてる」のかもしれないよ。昔は「愛のこもったピンタ」があった。今はそんな「愛ある規制」が無いから「規制の無い自由」だけがはびこってる。こうなると生徒だけの問題じゃないかもな。
そんな「規制のない自由」の中で自分を持て余し、「何をしたいのか?」「何をしてはいけないのか?」を考えられなくなってるんじゃないかな。そして行きついてるのが「群れの中でいっしょに行動する」生き方なんじゃないだろうか。

極端な見方をしてるのかもしれない。でも今はこれが僕の見方だな。

別途。今日報道で「軽井沢にある全寮制でインターナショナルな高校(IZAK)の第1回卒業式があった」としてその高校の教育スタイルを紹介してた。「学園」となると政治との関係がいろいろとりざたされる時世だから簡単に「すばらしい」なんて言えないけど、「こんな思想で、こんな教育やってる高校があるんだ」と興味を持った。同じ高校生とは思えない教育を受けてる。考えるヒントになりそうだ。
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期待以上の面白さ

2017年06月16日 09時11分32秒 | 絵画鑑賞
昨日白州からの帰り道で毎月鑑賞に行く友人の画廊に「藤井考次郎」展を観に行った。

     頂いた案内のカード絵にはさほど気を引くものはなく、毎月欠かさず行ってることだし、まっ消化試合風な感じで足を運んだ。

ところが、会場に入った時「これは面白い」と心動かすものがあった。

                                 

写真のような絵が10数枚、白を基調として、さほど広くない画廊の空間に並べられてる。大さはどれも1m四方位の大さ。案外大きいです。この感じの絵に囲まれてると異様な心情がわいてくる。
画廊の友人とたまたま話が合った。「案内はがきに使うんだったらこっちの絵にすればよかったのに」の言に、「僕もそう思ったんだよ。でも作家がこれというからね。」だって。

もう一つ僕が持った感想。僕が現代美術が好きな理由にもなるんだが、「難しいテクニックがない」こと。「テクニックはいらない」ということ。
具象の絵って、それだけじゃないと思うけど、「女体の柔らかみ」「光の感じ」「動いてる感じ」「どう見えてるか」それをどう表現するかじゃないのかな。それは作家のテクニックなんだと思うんです。テクニックの塊なんですよ。
現代美術の作家さんにはテクニックが無いと言うんじゃない。「無くても表現できる」と思うのです。
写真の絵も「このグラデーションどうやって描いてるんだろう」と覗くと絵具が少なくなった絵筆をサーっと走らせてるだけ。「これなら僕にもできるじゃん」と思わせてくれるこの気楽さが好きなんでしょう。
こういうのを見ちゃうと「よし、何かやってみよう」と思えるんです。でも「なにをどうやるか」がでてこない。ここが素人とプロの差でしょうか。画廊の友人も画廊の裏で新しい試みをやってました。
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これこそ印象操作

2017年06月15日 07時30分53秒 | 国を憂う
「共謀罪法案」 法務委員会での採決を省略して本会議で直接採決してる。今まさに採決投票中らしい。

これぞ安倍さん好みの「印象操作」じゃないか。委員会での採決となれば「いつもの強行採決」になるだろう。こうたびたびじゃ国民への印象も悪い。「ならば」で採られた方法が「本会議中間報告→採決」。(こんな道があったことに驚きだが)

そして「加計問題」は「何かあるようだが、手続きとしては全く問題は見当たらなかった」としてウヤムヤに。

安倍ちゃんの「やりたい放題国会」だ。 また書くしかない、「国民よ 目を覚ませ!」。
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義家文科副大臣 そこまで落ちたか

2017年06月13日 21時19分18秒 | 国を憂う
「加計学園問題で文科省内部告発者は処分もある」 だって、おいおいヤンキー先生よ、昔のあんたはどこにいったの。
あんたを国会議員に押した有権者は今あんたがまさに手を染めんとしてる「その政治」に物申してくれると思ったから1票を入れたんだと思うがな。
それがなんだ安倍の子分に成り下がって。そういう「既成の権力」が気に入らんからヤンキーやって、その実績で先生になり、議員さんになったんだろう?
やはり「権力」とは美味しいものかい? 手放せないかい? 昔の生徒にどういう説明をするのか? 「先生も只の今人だったね」と嘲笑されてるぞ。
さみしいね。悲しいね。  僕が持ったことがない「権力」って想像を絶する味なんだろうね。
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寒いぞ!

2017年06月13日 08時19分33秒 | 白州の四季
昨日白州に戻った。昨日は「白州も暑いな」だったのに、夜半に雨ふって、今朝の外気は13℃。「寒いな」で目が醒めた。白州に居る間くらいは「都会は猛暑」という情報がうれしいのだがな。

        

今朝は曇天。2000m以上の山は雲の中。当然だが田植えは全て終わってる。だから田んぼは静か。うんそうでもないか? 田と田の間の法面を特殊な機械で草刈りしてるおばさんをみたな。この機械のおかげでおばさんでも危ない作業ができるようになった。
庭の木々はすっかり「うっそう」状態に。当然年々うっそう状態がひどくなっていく感じ。ちょっと伐採して陽が入るようにしないと不健康かなとも思う。

     

この時季は春の花が終わって、ただただ「緑」が全盛の時季。ちょっと飽きるとも思える。そんな中、左は「センダン」の花、右は「ヒメシャラ」の花芽。センダンの花が美しく見えるな。実際かわいいけどね。好きな花です。

                             

左は前回車をぶつけたカラマツの幹。傷跡が乾燥してきて、変色を始めてる。きちんと自直(自分で直す)してる。木々はたいしたもんです。治療無しで回復力持ってるからな。
右は「何?」 かもな。 昨年の落ち葉をちょっとへこんでる場所に集めて、土化してへこみが無くなることを期待してる場所の写真。なんとなく「荒されてる」ように見えません? こういう枯葉を集め、積んでる中はいろんな小動物がいて、枯葉を分解、土化させてます。ミミズなんかも生きてます。それを餌にするイノシシが夜やってきて、掘って、食した後なんです。
うちの北側にある川筋を通って山から降りてきて、うっそうとしたうちの庭にひそみながら食事をしてるようです。イノシシは隠れる場所がないと落ち着かない動物らしいです。
隣に定住で畑作を楽しみにしてるご夫婦がいらっしゃるのに、10m離れた場所にイノシシが来てるっていうんでは申し訳ないからな。そういうこともあって、庭の「うっそう」を何とかせんといかんかなと思うのです。自力じゃできんしな。

こうして載せた写真をみても「緑」ばかりだな。いかに「緑の季節」かが解るというもの。
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国民の力

2017年06月09日 19時58分09秒 | 国を憂う
今日文科省が加計問題の文書の存在をもう一度調査すると言い出した。
国会内だけの抵抗なら「フン、知ったことか」と聞き流されただろう。それがあの文科省をして「再調査」せざるを得なくなった。ここまでもってきたのは国民の力だと思う。
政権が最も気にするのは国民の反応のはず。今国を覆う「おかしいでしょう。説明してないでしょう。傲慢過ぎるでしょう。」の風が無視できないと見てるってことですよ。ここは「国民の力」が勝ったということです。まだまだ引き締めてチェックを続けましょう。

松野文科大臣が今朝の発表をする前に閣議があったわけです。当然その席で「再調査を表明したいが」と言い出したはず。それに対して安倍ちゃん、菅さんが「まっ、そこまではしょうがないか」と答えたんだろうね。さて そこでです、ここからが本当の問題だと思うんだけど。
当然この先どうどう処理するかのイメージも議論されたはず。

 ・ 「森友事件」同様「文書は確認できませんでした」でウヤムヤにする。そして閉会。
 ・ 「まだ調査中」と言を濁し、国会の閉会を待つ。(但し、共謀罪法は可決してしまう)

おそらくこのどちらかでしょう。これ以外で安倍ちゃんが「再調査」を認めるはずがないですからね。
やはり、まだまだ国民は「甘く」見られてるってことじゃないですか。ここからひと押しできるかどうかが大事なんですよ。
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金がかかる時代ということ?

2017年06月07日 20時02分05秒 | 国を憂う
下の娘のところ、彼女は産休も終えて仕事に復帰した。昨日から長女(小2)と1歳の長男(保育園で行ってる)が調子悪いらしい。
今日は彼女も仕事で保護の必要な長女(普段は学校が終わると学童で親が迎えにくるまで過ごす)の面倒がみれないらしい。やむなくかみさんにSOSがきた。小学校の校門まで迎えに行って、家に連れて帰り、お父さんが(次女と長男を保育園から引き取って家に)戻ってくるまで長女の面倒をみてる助っ人だ。
夕方僕が1人で酒呑んでたら、近所の奥さんから「うちの孫が調子悪い。明日朝早くから助っ人に行く。金曜のゴミ出しができないので今のゴミを預かってほしい」という依頼だ。彼女のところの息子夫婦は小学校の先生夫婦。
共稼ぎ故なのかな、正常に進んでれば社会的介護、保育がうまく回るんだけど、子供に異常が発生するともう狂っちゃう。
まず思うのは子供が正常なら「保育園、幼稚園、小学校、学童」システムも「いいシステム」として機能するけど、ちょっと問題が絡むとだれかの助を必要とする脆弱なものなのかもしれないということ。
もう一つは本論。「共稼ぎ」が当たり前になってるけど、それが先でいいの? 仕事したいという女性を否定するものではないし、「子供は社会の財産」とする考えにも共感しる僕だ。それより「共稼ぎ」しないと生活ができないのか?ということを考えたい。「金のかかる生活」を選び過ぎてないか? という想いが強い。スマホがいい例かな。 僕の時代には無かった。ということは通信費用が増えただろうな。そんな経費の増大が多いんじゃないのかな?
便利は解る。でもそれを求めるあまり、バランスが崩れてないかを考えてみることも必要ではないか。
うちとか近所の御夫婦のように「助けて」ですぐ行ける場合はいい。でもそんなの例外でしょう。大半は助っ人もないのが普通。そういう夫婦はどうしてるんだろうか? そういう事故対応でストレスを溜めなければいいが。
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梅雨入りと庭師

2017年06月07日 19時07分54秒 | 大和の四季
昨日九州から山口県が梅雨入り。そして今日は一機に関東まで梅雨に入ったと言ってる。
そうかもうそんな季節なんだ。毎年思い、書いてるんだけど「春秋の最高の時季はほんとに短い。いまひとつ楽しんでから次の季節に」は許されんらしい。
そのちょうど昨日、友人宅の庭整理を終わらせた。完了できてよかった、
雨降り出す前に完了したいと思い、天気予報を見ながら、さぼるところはさぼって進めてきたが、こんなぴったり終了・開始が一致するなんて。これも「人間力」?。 
でもですよ、自分宅の庭で2,3本剪定したい木を残してるのが気がかり。今日もちょっと手を入れたがまだまだ。
でもこれを機に今年の「庭師作業」は終わる。まじなやつわね、山梨ではそれが「日常業務」だから「まじなやつ」とは見ていない。
もう半月で夏至でしょう? 朝4時半には明るい。こんな季節になってるんだな。日々少しづつ変化してるから意識しないうちにこんな季節になってる。
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2つの練習が本格的

2017年06月04日 19時51分24秒 | オペラに挑戦
昨日大和オペラの発会式、今日は綾瀬オペラの練習日。始まった。想定はしてた。2つを同時進行させるたいへんさを。
綾瀬の練習は基本日曜の午前、大和は土日の午後が基本。時間的重なりはそんなにないはずだが、練習日が重なると「練習場のはしご」って状態になりそう。
早速次回6/11は時間も重なった。大和ではパートのリーダもおおせつかったので最初っから休むわけにはいかん。綾瀬お休みの大和参加でスタートだ。
スケジュールを調整してみた。午前綾瀬で午後大和という「練習場のはしご」日も何日かある。これも綾瀬の練習場所が決まってないので成立できるかは不明。ちなみに、今日の綾瀬練習場は小田急線長後駅からバスで10分行った所。ここだと綾瀬練習の帰りに大和で下車、昼を食べて大和練習に参加が可能だ。車利用が便利な「綾瀬中央公民館」だと、大和に駐車場が無い関係で移動に時間がかかる。ちょっと苦しいかな?早退か、遅刻覚悟だな。
まっいずれにせよ解ってたことなんだから、頑張るだけでしょう。
いやいやこれだけじゃないんだぞ。 8月からは座間オペラも練習入れるつもりでいるんでしょ!!!  もっと気合いれて「がんばれ!がんばれ!」です。
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大和第九発会式

2017年06月03日 21時15分45秒 | オペラに挑戦
来年1月の公演に向けて今日発会式があった。
公演は来年の1月21日、ベートーヴェンの唯一のオペラ「フィデリオ」の一部を歌うのと、第九の全楽章を歌う。ドイツ語オペラは初めて。期待もするんだが、自分としては「オペラは遊びがないと」が信条で、ベートーヴェンのの格調、堅さ、正確さ そんなものが「ちょっと違うかも感」がある。
フィデリオをどうきかせるかについてはまだ詳細が決まってないようだ。たぶん最後の15分くらいにある合唱とソロの掛け合い大合唱「この日に祝福あれ」を歌うんだろうとは思うが。段にあがって整列して、譜面もってオペラ合唱歌うなんて好きじゃない。「暗譜ですか?」と僕の意思表示はしたつもり。この辺も決めてないようだ。スタートで決めてなければ、こういう素人団体では「整列して譜面もって歌う」形になりやすい。只さえも伊語オペラファンのぼくとしては大いに興味が減退していく。フィデリオは追々ですね。

この団体で第1回第九をやったのが昨年の12月。まだ1年経ってないのです。「続けてください」の要望で第2回をスタートさせたのだが、参加者が増えてた。ソプラノ、アルトが40名弱、男性パートも11名づつの参加。「初めての第九」という方も10名近くいて、大きくなっていく方向なので嬉しいことだ。4つのパートがそれぞれ30名くらいで歌いたいなとは思うのだが。大和の第九もそこまでは発展してほしい。

バスパート11名の「パートリーダー」をやることになった。事務局と参加者の間で連絡を密にするのが役割だろう。苦になる仕事でもない。いいバスを歌うためにがんばればいいこと。ちょっと気になるのは別の団体でオペラに参加してて、練習が重なって、第九お休みという日もありそうなこと。まっしょうがないか。うまくやってくしかない。

この団体の事務局をサポートしてる若いお兄さんが高校の後輩と知ってびっくり。僕がこの団体に参加するようになって以来会話はしてたんだが、まさか後輩とは。僕と同期のある女性と高校関係の行事でいっしょし、それぞれが自己紹介した際に彼女の方から「だったら大和で歌ってる〇〇さんているでしょう?」と僕を話に出して繋がったようだ。彼は39期とのこと、僕は20期だから20歳ほど下ってことですか。こうして人と繋がるのはいいことですよ。

そして明日は綾瀬オペラで3回目の練習参加。今後の練習予定をしっかり聞いてきて、大和と綾瀬の練習日をきちんとスケジュールしよう。
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