昨日白州からの帰り道で毎月鑑賞に行く友人の画廊に「藤井考次郎」展を観に行った。
頂いた案内のカード絵にはさほど気を引くものはなく、毎月欠かさず行ってることだし、まっ消化試合風な感じで足を運んだ。
ところが、会場に入った時「これは面白い」と心動かすものがあった。

写真のような絵が10数枚、白を基調として、さほど広くない画廊の空間に並べられてる。大さはどれも1m四方位の大さ。案外大きいです。この感じの絵に囲まれてると異様な心情がわいてくる。
画廊の友人とたまたま話が合った。「案内はがきに使うんだったらこっちの絵にすればよかったのに」の言に、「僕もそう思ったんだよ。でも作家がこれというからね。」だって。
もう一つ僕が持った感想。僕が現代美術が好きな理由にもなるんだが、「難しいテクニックがない」こと。「テクニックはいらない」ということ。
具象の絵って、それだけじゃないと思うけど、「女体の柔らかみ」「光の感じ」「動いてる感じ」「どう見えてるか」それをどう表現するかじゃないのかな。それは作家のテクニックなんだと思うんです。テクニックの塊なんですよ。
現代美術の作家さんにはテクニックが無いと言うんじゃない。「無くても表現できる」と思うのです。
写真の絵も「このグラデーションどうやって描いてるんだろう」と覗くと絵具が少なくなった絵筆をサーっと走らせてるだけ。「これなら僕にもできるじゃん」と思わせてくれるこの気楽さが好きなんでしょう。
こういうのを見ちゃうと「よし、何かやってみよう」と思えるんです。でも「なにをどうやるか」がでてこない。ここが素人とプロの差でしょうか。画廊の友人も画廊の裏で新しい試みをやってました。

ところが、会場に入った時「これは面白い」と心動かすものがあった。


写真のような絵が10数枚、白を基調として、さほど広くない画廊の空間に並べられてる。大さはどれも1m四方位の大さ。案外大きいです。この感じの絵に囲まれてると異様な心情がわいてくる。
画廊の友人とたまたま話が合った。「案内はがきに使うんだったらこっちの絵にすればよかったのに」の言に、「僕もそう思ったんだよ。でも作家がこれというからね。」だって。
もう一つ僕が持った感想。僕が現代美術が好きな理由にもなるんだが、「難しいテクニックがない」こと。「テクニックはいらない」ということ。
具象の絵って、それだけじゃないと思うけど、「女体の柔らかみ」「光の感じ」「動いてる感じ」「どう見えてるか」それをどう表現するかじゃないのかな。それは作家のテクニックなんだと思うんです。テクニックの塊なんですよ。
現代美術の作家さんにはテクニックが無いと言うんじゃない。「無くても表現できる」と思うのです。
写真の絵も「このグラデーションどうやって描いてるんだろう」と覗くと絵具が少なくなった絵筆をサーっと走らせてるだけ。「これなら僕にもできるじゃん」と思わせてくれるこの気楽さが好きなんでしょう。
こういうのを見ちゃうと「よし、何かやってみよう」と思えるんです。でも「なにをどうやるか」がでてこない。ここが素人とプロの差でしょうか。画廊の友人も画廊の裏で新しい試みをやってました。
今日は白州から帰ったばかりなのに、記念祭の設営、ご苦労様でした。一仕事の後の美味しい一杯を味わえましたか。
そうですか、ポストカードの絵がいいですか? ぼくにはちょっと遊びが多いんです。 どこがか? グレーの部分に変に黒い模様が入ってるでしょう。あれが無駄っていうか、無い方が強く見えると思うんです。