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金がかかる時代ということ?

2017年06月07日 20時02分05秒 | 国を憂う
下の娘のところ、彼女は産休も終えて仕事に復帰した。昨日から長女(小2)と1歳の長男(保育園で行ってる)が調子悪いらしい。
今日は彼女も仕事で保護の必要な長女(普段は学校が終わると学童で親が迎えにくるまで過ごす)の面倒がみれないらしい。やむなくかみさんにSOSがきた。小学校の校門まで迎えに行って、家に連れて帰り、お父さんが(次女と長男を保育園から引き取って家に)戻ってくるまで長女の面倒をみてる助っ人だ。
夕方僕が1人で酒呑んでたら、近所の奥さんから「うちの孫が調子悪い。明日朝早くから助っ人に行く。金曜のゴミ出しができないので今のゴミを預かってほしい」という依頼だ。彼女のところの息子夫婦は小学校の先生夫婦。
共稼ぎ故なのかな、正常に進んでれば社会的介護、保育がうまく回るんだけど、子供に異常が発生するともう狂っちゃう。
まず思うのは子供が正常なら「保育園、幼稚園、小学校、学童」システムも「いいシステム」として機能するけど、ちょっと問題が絡むとだれかの助を必要とする脆弱なものなのかもしれないということ。
もう一つは本論。「共稼ぎ」が当たり前になってるけど、それが先でいいの? 仕事したいという女性を否定するものではないし、「子供は社会の財産」とする考えにも共感しる僕だ。それより「共稼ぎ」しないと生活ができないのか?ということを考えたい。「金のかかる生活」を選び過ぎてないか? という想いが強い。スマホがいい例かな。 僕の時代には無かった。ということは通信費用が増えただろうな。そんな経費の増大が多いんじゃないのかな?
便利は解る。でもそれを求めるあまり、バランスが崩れてないかを考えてみることも必要ではないか。
うちとか近所の御夫婦のように「助けて」ですぐ行ける場合はいい。でもそんなの例外でしょう。大半は助っ人もないのが普通。そういう夫婦はどうしてるんだろうか? そういう事故対応でストレスを溜めなければいいが。
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梅雨入りと庭師

2017年06月07日 19時07分54秒 | 大和の四季
昨日九州から山口県が梅雨入り。そして今日は一機に関東まで梅雨に入ったと言ってる。
そうかもうそんな季節なんだ。毎年思い、書いてるんだけど「春秋の最高の時季はほんとに短い。いまひとつ楽しんでから次の季節に」は許されんらしい。
そのちょうど昨日、友人宅の庭整理を終わらせた。完了できてよかった、
雨降り出す前に完了したいと思い、天気予報を見ながら、さぼるところはさぼって進めてきたが、こんなぴったり終了・開始が一致するなんて。これも「人間力」?。 
でもですよ、自分宅の庭で2,3本剪定したい木を残してるのが気がかり。今日もちょっと手を入れたがまだまだ。
でもこれを機に今年の「庭師作業」は終わる。まじなやつわね、山梨ではそれが「日常業務」だから「まじなやつ」とは見ていない。
もう半月で夏至でしょう? 朝4時半には明るい。こんな季節になってるんだな。日々少しづつ変化してるから意識しないうちにこんな季節になってる。
コメント (8)
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