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荘厳な英国葬

2022年09月20日 11時32分53秒 | つれづれなるままに
19日夕方から実に荘厳な、これぞ国民が送る「国葬」をLIVEで拝見した。素晴らしいの一言。
英国文化の威厳、過去の壮大な栄光 そういう歴史絵巻を見た感がありました。
在位70年というと、僕の人生の長さとほぼ同じ、第二次大戦中に青春を過ごされ、戦勝国とはいえ世界が混乱してる時に王位に就き、それから僕が生きてきた同じ時間だけ国の「精神的柱」になって今の英国を作ってきた方だったのを再認識した。「神」ではないわけで、生身の人間として悩まれたことも、国民から批判されることもあったらしい。  でもその都度己を変えられ、国に、国民に尽くす想いで王位を全うされたんですね。
国にとって王室、皇室はあった方がいいのではと昨日書いた。葬儀を見てて、英国と日本の大きな差に気づき、同じというわけにはいかないなと思った。
英国は王室と国民がその信ずる宗教が(宗派による相違が若干あるのかもしれないが)キリスト教でほぼ同じと言うこと。日本は皇室は「神道」であり、国民は(何となくが多いが)「仏教」でしょう。宗教を異にするというのは「精神的柱」になれる、する条件がちょっと薄れるだろうと思うに至ったのです。
「宗教ってそんなに大きいのか?」と考える方もいらっしゃるでしょう。僕はその人の、国民の精神性において信じてる、信じてないにかかわらず「宗教的倫理観」は大きいと思ってます。
 「宗教的倫理観」=「生きていくうえでの拠り所」「善悪の判断基準」「価値基準」
「残念ながら」と書きますが、だれしもその土地に生まれた以上その地で永々と築かれてきたこの宗教的倫理観がまずあるんじゃないでしょうか。まずはその中で生きるんです。
そこの基盤が違うというのは大きいズレになって、真の理解にはつながらないんじゃないかと考えたのです。日本では「天皇の国葬です」と言われても、今回の英国のような国を挙げての一体感は生まれない国なのかな と考えたのです。日本の皇室の不幸とも言えますかね。
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