(訂正 初期の日記では「横浜の私立中学」と書きましたが、高校でした。訂正しました。)
今朝のニュース 横浜の私立高校がある金融会社と協力して生徒に「ファイナンシャルプラン」の考え方を教えるようにしたそうなんです。どこかモヤモヤ感が湧いてくる話じゃないですか。
「人生80年、この年齢でこうして、ここでこうなって、・・・・」だから「この歳ではこれくらいのお金が必要だね」「どうやって稼ぐか計画しておかないと大変だよね」っていう授業。
確かに今の世の中、それが現実で、理解してないと大変なことになるのは事実だけど、高校の授業でやることなのかな?
数日前に「思春期とミエリン化」という日記を書いたけど、こんな授業やられると、16,7歳で外側からミエリン化され、思春期を持たない子供になるんじゃないの。しいては「世の中変えたるで!」みたいな能動性、革命家が消え、停滞感いっぱいの国になりそうで・・・。
「人生80年 無事に生きたいならこうしなさい」「これが一番よ」
やはり「怖いな」だし「やり過ぎ」じゃないかな。
そういう人生設計する人がいてもいい。でも「違う、オレはこうするぞ」もありでしょう。とすると、現状の社会制度を是として「こうしなさい」は教育じゃない。それは「洗脳」なんじゃないだろうか。
「いや、ひとつの例として教えるのです」とおっしゃるのであれば、他の人生スタイルも同じ深さで教えないと怪しくなりますね。でもそれは多様性の中、不可能ですよ。
つまり「入り込み過ぎた授業」なんじゃないでしょうか。
ここんとこ「人新世の資本論」(斎藤幸平)を勉強してる僕ですが、「資本主義の悪さ、限界」を考えるようになってます。
「ファイナンシャルプラン」が存在すること自体に疑問を感じます。「金」が前に出過ぎです。これでは「人の価値を金に換算する」思想が消えません。資本主義は物の価値を金に換算しないと機能しないシステムです。いつしか人の価値までも金換算するようになったのです。資本主義を回すのに欠かせない処置でした。そのあげく「障害者は金かかるだけで、役にたたん」と言う悪人も生まれました。
横浜の新教育とともに、「人間には資本主義しかないのか」を夢想してみてはどうでしょう。
今朝のニュース 横浜の私立高校がある金融会社と協力して生徒に「ファイナンシャルプラン」の考え方を教えるようにしたそうなんです。どこかモヤモヤ感が湧いてくる話じゃないですか。
「人生80年、この年齢でこうして、ここでこうなって、・・・・」だから「この歳ではこれくらいのお金が必要だね」「どうやって稼ぐか計画しておかないと大変だよね」っていう授業。
確かに今の世の中、それが現実で、理解してないと大変なことになるのは事実だけど、高校の授業でやることなのかな?
数日前に「思春期とミエリン化」という日記を書いたけど、こんな授業やられると、16,7歳で外側からミエリン化され、思春期を持たない子供になるんじゃないの。しいては「世の中変えたるで!」みたいな能動性、革命家が消え、停滞感いっぱいの国になりそうで・・・。
「人生80年 無事に生きたいならこうしなさい」「これが一番よ」
やはり「怖いな」だし「やり過ぎ」じゃないかな。
そういう人生設計する人がいてもいい。でも「違う、オレはこうするぞ」もありでしょう。とすると、現状の社会制度を是として「こうしなさい」は教育じゃない。それは「洗脳」なんじゃないだろうか。
「いや、ひとつの例として教えるのです」とおっしゃるのであれば、他の人生スタイルも同じ深さで教えないと怪しくなりますね。でもそれは多様性の中、不可能ですよ。
つまり「入り込み過ぎた授業」なんじゃないでしょうか。
ここんとこ「人新世の資本論」(斎藤幸平)を勉強してる僕ですが、「資本主義の悪さ、限界」を考えるようになってます。
「ファイナンシャルプラン」が存在すること自体に疑問を感じます。「金」が前に出過ぎです。これでは「人の価値を金に換算する」思想が消えません。資本主義は物の価値を金に換算しないと機能しないシステムです。いつしか人の価値までも金換算するようになったのです。資本主義を回すのに欠かせない処置でした。そのあげく「障害者は金かかるだけで、役にたたん」と言う悪人も生まれました。
横浜の新教育とともに、「人間には資本主義しかないのか」を夢想してみてはどうでしょう。