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欧州で禅・ドーピング・欲

2017年07月10日 09時20分34秒 | つれづれなるままに
何じゃこのタイトルは? うん そこが狙いなんだけど。
今朝4時からラジオ「深夜便」で「アスリートのドーピング問題」に関わってる人の話を聞いた。そして7時からのTVニュースで今欧州では「禅」が流行してるという話を聞いた。そこでまたまた思う事があって書き出した。

・ドーピング問題
 今やとんでもない人、物、金をつかって検査体制を作ってるんだそうです。そのすごさをうまく表現できないけど、いってみれば「国連本部、その下部組織」みたいな大がかりな国際システムになってるんだそうです。あのベン・ジョンソンあたりからはじまったのだが、当初は個人的な小さい対象として検査を始めた。あくまでも「公平な競技の開催」を目的にして。ところが違反行為をしてでも「勝ちたい」思いは膨張していった。その膨張に合わせて検査体制も膨張していって、とんでもないシステムになってる。
考えちゃう1例。 一人のアスリートの経年的情報も「公平」の確保には必要になってるらしい。じゃ、今年華々しくデビューしてきた新人についてはどうするの?「3年前のデータないけど」なんだそうです。 藤井聡太君がコンピュータ教育で出現したみたいな・・・。
こうなってくると、みんなひとつの土俵の上に置こうとすることにどうしても無理があるんじゃないか、不可能でしょうと思うわけです。

・ヨーロッパの禅ブーム
 我が郷里福井の曹洞宗大本山永平寺の別院がパリにあるそうです。そこでは本山さながらの修行をおこなってるようです。イタリアミラノ郊外にも修行場があるようでした。まだ若い男女が曹洞宗の教え「生活の全てが修行」を信じて禅道を極めんとしてました。「自分に厳しく生活することは他人に優しくすることです」と若い層が明るい顔で語ってた。

この2つの話を聞いて思い至るのは「人間の欲」です。
勝ちたい、世界一になりたいから違反行為をやる。それをなんとか「公平の場」に置こうと努力する。「人は、少なくとも自分は欲が強い」と考えた人が「欲を捨てられるか。捨てられた時どんな世界があるか。そこに理想郷があるんじゃないか。」と禅に没頭する。どっちも人が持ってる欲に起因する問題じゃないですかね。
僕には解りません。でも「今の人間 ちょっと欲張りじゃないかな。」とは思ってます。もうちょっと諦めれば、もっと楽になれるんじゃないかなとも考えてます。
ついでに、ドーピング問題について。 結論は「こんな検査体制もう一切止めたら」と考えてます。鼬ごっこで、切りがないです。「公平競争」のために莫大な資源を使ってるわけでしょう? 世界一を決める競争を止めるか、検査を止めてなんでも有りにするかでいいじゃないですか。100mを8.9秒で走り、ゴールした瞬間に心臓麻痺で死んだなんてことも起きていいじゃないですか。その人の選択だったんだし。
「あいつは欲が強すぎたな」「人間 欲張すぎか」を可視化しただけでも人間未来へのプラスだと思います。
コメント (4)
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