この2週間に、3人の方との悲しい永遠のお別れがありました。
寒さが急に厳しくなったせいでしょうか。
以前は、知り合いの方のご両親の告別式に出ることがほとんどで、
遺影を拝見しても初めてお目にかかる、ということが多かったのですが、
だんだんと知り合いご本人が故人になり、遺影を見上げる時の淋しさといったらありません。
一緒に話したり過ごしたりした時間が思い起こされてなりませんでした。
お三人さんは、70代、50代、40代、現職の方がお二人も!
ご本人はまだまだやりたいこともいっぱいあっただろうし、
ご家族の悲しみもいかばかりかと思うと、本当に悲しいお式でした。
でも、誰が悪いわけでもありません。
これはもうその方の人生に決められていた「運命」と思わずには耐えられません。
ご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。
人は、誰もが「死」に向かって一日一日向かっていますが、そうとは実感せずに暮らせています。
一日過ぎて明日を迎えることは一歩死に近づくことですが、「明日」を楽しみに生きていける、
それは、いつ自分にその時が来るかわからないからでしょうね。
私は10年ほど前に大病をして「もしもの時」を覚悟した時期もあったのですが、
その頃は、一日がまた過ぎ、明日という日が来るのが恐ろしかったです。
篠田桃紅さんの『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』という本を読みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/85/2a8fd76da605b00bfaccb181a08c1ece.jpg)
103歳!篠田さんから見れば私などまだ人生半ば、ひよっこですね!
篠田桃紅さんは、今も第一線で活躍され世界で尊敬されている現役美術家です。
「『いつ死んでもいい』なんて嘘。生きているかぎり、人生は未完成」とおっしゃいます。
彼女の素晴らしく自由でなにものにもこだわらない生き方が素敵です。
人間はなにも分かっていなのだということとを大前提に、傲慢を避けただ心の赴くままに生きる。
気張らず美しく自然体で生き、無理に気張って苦しんで生きる必要は何もないのです。
望んで自ら生まれたわけではないのだから、運命の時がきたら望まなくても死ななくてはならない、
その時が来るまで好きなように生きる。
そして「人」という字は、よく人と人とが支えあっている字と言われているけれども、
それは違って、一人の人が立っている様なのだと。
お亡くなりになった70代の方は、PC教室でのお付き合いでお一人暮らしの男性でした。
お一人でも愛犬と楽しく過ごされて、教室でも皆さんと仲良く生き生きと過ごされていました。
ご遺族のご長男のお嫁さんとお話することが出来、
「生き生きと過ごされて楽しそうでしたよ。」とお話すると、
「ありがとうございました。」とおっしゃり泣かれていました。
親と離れて暮らす子どもたちにとって、一人暮らしの親はとても心配でしょうが、
元気に楽しく過ごしていたと聞いて、きっとホッとして嬉しかったのかもしれません。
私の親も80歳を過ぎて元気に二人だけで暮らし、私も月に一度は顔を見に行っていますが、
きっと周りの方にお世話になっている部分もあるのだろうと、感謝しています。