6年がかりで遂に完結した五木寛之氏の長編小説『親鸞 完結篇』(上下巻)、読了しました。
浄土真宗の開祖、親鸞の生涯を描いた歴史スペクタクル3部作の最終編です。
五木氏は70代後半で書き始め、80歳を越えて無事最後まで書き終えられた作品は3部6冊に及び、
6巻すべて読み終わった私も、何とはなしに感無量です。。。
第一部『親鸞』は、2008年9月1日から2009年8月31日まで新聞連載。
京都を舞台に比叡山で修行に励みつつ煩悩に苦しむ、8歳から35歳の若き日の親鸞です。
法然に出会って独自の信仰の追求を始めた青年期が描かれました。
第2部『親鸞 激動篇』は2011年1月1日から12月12日まで新聞連載。
越後へ追放され、そして関東を流浪する親鸞。
土地の人々と交わるなかで、師の教えに追いつき追い越そうと苦悩する、36歳から61歳の姿が描かれます。
そして待望の第三部『親鸞 完結篇』では、親鸞は京都へ帰還します。
最も多くの業績を残したといわれる61歳から90歳までの、師を超えていく聖人の軌跡が綴られます。
現代で言えば定年退職後の年齢で、親鸞は精力的に著作や多くの和讃を書き、訪れた弟子と面会します。
でも、離れた地にいる弟子や教えを受け継ぐ人はいますが、一番身近な人にその想いは伝わりません。
妻とは別居することになり、信仰を取り違えた実の息子に対しては義絶を強いられます。
自分の教えは家族には思うように届かず、苦しい模索が続くのです。
家族の中で独りぼっちになってしまった親鸞の最後の悩み、どこぞの父親に通じるものが?!
それは仕事にかまけて、大事な子育て時期に家族をないがしろにしてきたことのしっぺ返し?!
歴史を学ぶ時、私の中では歴史上の人物はいつも肖像画の姿で、動きを感じられませんが、
この『親鸞』は実に人間臭く、悩んだり苦しんだりしていて、歯がゆく、
「しっかりしてよ!」と応援したくなってしまうのです。
「信仰」や「宗教」、「信じるものを持つ」とは、何なのでしょう?
それはいつも、そしていつまでも「自分の心の中」にあるものではないでしょうか?
宗教を理由に財産や場所を占有したり、徒党を組んだり、相手を攻撃したりするものではないはず。
また、浄土宗は主に「死後の世界」における自分のありようを願うものです。
念仏を唱えれば往生できる、徳(供物を含む)を多く積んだものが極楽へ行ける、など、
来世に希望を持つことで厳しい現世を生き抜くことが出来たのでしょうか?
今は大変だけれども、死後の世界で楽に暮らせるようになるために、今、こう生きなさい、
それは世界の宗教すべてにある考えです。
表紙見開きには、ちょっとしたお楽しみが。
登場人物が勢ぞろいして、カーテンコールのように笑顔で居並んでいます。
「長編を読んでくださりありがとうございました!」と登場人物たちに言われているようです。