単なる習慣の話だが、ひじ掛けのある椅子がなんとなく得意でない。深いソファは座りにくいし、ひじ掛けの部分に腕を置いているのがなんとなく落ち着かなく思える。見た目の尊大さも嫌だし、手の置き場にかえって困ってしまう感じだ。
日ごろ使っている椅子には、普通にひじ掛け部分がついている。でも普段は手は机の上にあるし、腕を載せている時間というのはほとんどないように思える。単に椅子についているだけの機能であって、使えている訳では無い。来客用の椅子にもひじ掛けがついていて、僕の座る椅子も同じだから座りはする。この場合も前の机を使って資料を見たり、ほとんど僕が話をしているような状態だから、その間にひじ掛けはやっぱり使わない。いらないのにこの形態になっている椅子というのは、むやみにもったいない気もする。
車の運転でもひじ掛けは使わない。右腕をドアの上に乗せる場合はあるのだが、左腕の側の肘掛はしまいこんでいる。ひとの車に乗るときこれが出してあっても、やっぱり使わない。椅子の間のスペースに、肘も含めて細くなって座る。窮屈に感じる場合もあるかもしれないが、体が固定できるならそれでいいかもしれない。
ご年配の人から、出来ればひじ掛けのある椅子がいいと言われることがある。座る場合に必要というより、立ち上がるときに必要だという。肘かけの無い椅子から立つのは、体が不安定になる場合があるのだという。そうなのか、と思うから、肘掛け椅子を仕舞い込むわけにはいかない。将来は必要になるのかもしれないが、今はだから不要でも肘掛け椅子は必要なのかもしれない。
しかしながら、映画館とか飛行機だとか、人がそれなりに詰めて座らなければならない場合だけは別である。自分のスペース確保のために、この肘掛の仕切は助かる気がする。どちらの側を優先に使うのか問題というのがあるが、少なくともその間は確保されている安心感がある。中には両側の肘掛に堂々と肘をかけている尊大な人もいるが、まあ、その肘がこちら側のスペースまで進攻してこない限り、かまわないと言えばかまわない。平和のための区切りというのは、案外必要な処置なのかもしれない。