カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

落語的人生の一コマ   私の日々

2018-09-01 | 読書

私の日々/水木しげる著(小学館)

 日常日記的な漫画記録。90を過ぎて何をやっているかという素朴な姿が、ほほえましくもあり非凡でもあり、そうして戦争の影もある。水木さんの作品をお盆になったら毎年読むという漫画家が居たが、その気持ちはなんとなくわかる。水木作品の戦記ものというのがあって、水木さん自身が左腕を失ったいきさつはいくつか作品にも描かれている。凄まじい戦闘の描写の中にありながら、どこかユーモラスな感じもある不思議な作風がある。しかし水木さんは周りの多くの仲間が戦死する中にありながら、奇跡的ともいえる生き残りを果たす。しかしそうして味方の部隊に戻ってきてみると、上官からは死ねと言われるのである。そういう中戦争がなんだという事は、言葉の上ではそんなに語らないのだが、繰り返し考えることはあったに違いない。90歳を超える日常生活にあって、その戦争の傷跡にいまだに考えることがあるのである。
 戦争はダメだとか、平和が大切だというのは、当たり前すぎるきらいがある。しかし過去に戦争は起こり、現代にあっても人は憎み合うと、国家ぐるみで殺し合う。戦争を起こした方が悪で、復讐した方(結局勝った方)が良いことをした(戦争を止めた)とされたりしている。馬鹿らしいと言えば馬鹿らしいが、ひとの命がかかっており、これほど真剣なこともそうもそうも無い。ただ人が死んだという事では無く、きわめて人間的な行為であり、そうしてそのことに、一生かかっても苦しめられる人がいる。しかし一生はそこで終わる人もいるし、長く生きる人はいる。生きている現在が事実で、そうして愉快だったりする。そのすべてを肯定する生き方は、まさに水木劇場ともいえるものでは無いか。
 水木さんは凄まじい体験と、その後も大変な苦労をして漫画を画き、成功もした。しかしその日常はあんがい狭くて、家族やその周辺の人々との、そんなに変わらない毎日がある。さらにきょうだいを含め、大変に高齢になっている(作中のことだが)。まったく不安が無いことも無いかもしれないが、便秘になり体調を崩して、きれいな女医さんから摘便をしてもらって興奮したりしている。これを漫画家魂と言わずして何という。まあ、バカバカしいが、楽しいというのはこういう事かな、と思います。
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