カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

分からないことは、無理に分かろうとしなくていい

2017-10-23 | 雑記

 特にひねている訳では無いが(と言いながら、僕は十分ひねたところはあります。たぶん)、内容がよく分からないからといって、詳しく聞きたくないということがある。説明している人も、分からないことがあったら遠慮なく質問なり意見を言えと言う。それは普通の態度だが、それにあえて応じたくない。緊張してできないということでは無い。そういうときもあるにはあるが、それで困るならば普通は質問したりする方だと思う。出来なくても後で事務局へ足を運ぶとか。だからこの場合は、そういうことを指して言っている訳では無い。何か妙な予感がして、この件に積極的にかかわりたくない、ということなんである。
 詳しく分かって賛同した人から、当然この企画に(なりに)積極的に働いてもらう、というような旨の説明があったりする。実はいつの間にか僕自身は、当事者の一人であるらしい。それもひょっとすると推進する側の人間なのかもしれない。最近は立場上、勝手にそういうことになっている場合があるわけで、まあ、事前に了解をした覚えは無いのだけれど、立場上そんなことを言って場を汚さないような人間だからこそ、そんなところに居てしまうということがあるのである。以前なら激しく困って動悸が止まらなかったものだが、経験上、ここが案外肝心だということは分かっている。ここは一時辛抱どころなのだ。
 要するにこれは罠のようなものなのだ。賛同してくれる人のいい人を、選別しているのだ。実は相手だって大人なので、無理に拉致ってオルグするわけにはいかない。実際にはそういう妙な部分をはらんでいるような問題だからこそ、賛同者を表面上は募っている訳だ。もちろん組織としてはやってもらわなければ困るのだろうが、これが上手く機能しない理由だってちゃんとあるはずなのだ。そうして困ってテコ入れをする場合、やんわりと半分強制であることを匂わせて、そうして責任をかぶせてきている訳である。乗ってしまったら最後、泥船の水かき係が待っているかもしれないのだ。
 もちろんこういうものは、分からないままに手順通り、流れに任せて仕事をすれば良い。おそらくそれで上手くいくはずは無いが(行っていたらこんなテコ入れが入るはずが無い)、一度問題点の底まで落ちてしまうのがいい。そうして初めて気が付いたようなことをして、恐らく他にも気づいた人が出てきて騒ぎ出すので、そこで初めて、その他大勢に混ざって質問したらいいのである。
 とりあえず年末あたりまで来ると問題は最大化する。そういう予想を立てて、こちらは分からないままで対応を考えていかねばならない。できないことは一所懸命やっても簡単には出来ない。先に先頭を走ると、どのみち息切れして末尾のゴミを拾うことになってしまうだろう。もちろん、こんな予想は外すこともある。外れた方が少しでも現場は上手くいったという頃になろうから、気にすることなんてない。ここは分かっていないという事こそが、一番大切な立ち位置なんだと思う。
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