カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

真面目な人ほど冷酷? 人間の選択の自由とは何だろう

2017-10-03 | HORROR

 ミルグラムという心理学者が行った、アイヒマン実験というのがある。アイヒマンはナチスでユダヤ人を強制収容所へ輸送する責任者だった。後に逃亡先のアルゼンチンで捉えられた後に裁判となったが、その過程で明らかにされていくアイヒマンの人物像は、単に真面目な公務員というものだった。あれだけの人間的に異常な殺戮に関わった人物が必ずしも異常なものでは無いというのは、かえって当時の人々を驚愕させた。そうして一定の環境下において、普通の人が命令に忠実に従うものかを確かめようとしたこの実験が、アイヒマン実験と呼ばれるようになった。
 当時もこの実験は話題になったが、被験者の受けるショックが大きく、かつ批判も多い。今回は、その再現を役者を使って行ったもののドキュメンタリーを観た。実験は単純で、回答者が出題されているものの答えを間違ったら、電気ショックのスイッチを押すというもの。被験者の一人と実験者はグルになっており、実際に電気ショックは無いのだが、被験者はあたかも電気ショックがあったように苦痛の悲鳴を上げる。電気ショックは問題を間違うごとに段階的に電圧があがるようになっている。実験を指導する人物は問題ないというが、その様子は悲痛で、常識的に考えて問題が無いレベルとは考え難い。しかしながらこの実験の真の被験者は、苦しむ声を聞きながら、心の葛藤がありながら、促されるままに実験を続けてしまうのだ。
 多少の解説があって、この実験を最後までやれない人は、実際には38%は居たのだという。約6割は従ったとはいえ、従えない人もいる。さらに実験の状況を変えて、悲鳴を上げる被験者が別室で無く目の前にいる場合は、やはり従わない人が増える(これは当たり前そうだ)。複数人数で従わない人が出ると、同調して止める人が増える。執拗に実験を続けるように促されるのだが、その言葉は決まっている。「続行してください」「あなたに続行していただかなくては」「続行していただくことが絶対に必要です」「あなたは続けるべきです」「続ける以外に選択肢はありません」など。被験者は問題があることを感じながらも、その言葉にあらがうのが難しいらしく。心に苦痛を覚えながらも実験を続けてしまう訳だ。
 しかしながら実際には選択肢はある。この実験は被験者を騙しているだけで、いくら報酬があるとはいえ、この実験をやめてもらうことを暗に期待している。人間の良心は、このような実験にあらがうことができるくらい自由なはずではないか。
 また絶対悪のようなものに、人間は従えない精神をもともと持っているという考えもあろう。だから実際には実験で命令に従う人の多い事実に、人々は驚愕し嫌悪を覚えるのだ。
 実験はそのようなことになったが、そもそも従う必要があるという事前の説明の通り実行することは、人間性として問題があるのだろうか。これはおそらくという予感だが、日本人が被験者なら、実験結果には多少の違いが現れるのではないか。職業や立場によっても、その違いはいくらかあるのではないか。また、性格だけのことで無く、訓練によっても実行できる人とできない人の差が出るのではないか。実験は科学的な手順を踏まえた統計だが、果たしてそれが戦争のような非常時などの人間心理を再現できるのだろうか。
 ともあれ、そのような実験を思いつき、実際にミルグラムは実験を行った。結果的に非常に有名になったが、そのことの意味とは何だろう。
 不快なだけでなく様々なことを考えさせられるという意味では、興味深い実験とはいえる。できれば関わりたくないが、それで何か言いたい人が増える世の中は、やはり面白いものとは言えない。不当な命令でも従う人がいるのは、ある意味では人間性としては当然という気が、日本人の僕にはある。そういうものを無視したい西洋人の思想ということこそ、考えてみるべき問題なのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする