人工知能と経済の未来/井上智洋著(文芸春秋)
副題に「2030年雇用大崩壊」。チェスに始まり、囲碁や将棋などで人工知能と人間の戦いが話題になり、既に人間の敗北が確定した。このことを脅威として伝えるメディアもあるわけだが、当然と言えば当然のことで、個人で戦う相手として、圧倒的な情報量の差があるコンピュータにそもそも人間が太刀打ちできるものでは無い。電卓に暗算で負けても何も思わないように、将来的には人間はこの事実を普通に受け入れるだろう。
しかしながら人工知能に人間の仕事が奪われるという話になると、この危機感はレベルの違う段階に上がる。実際に今ある仕事の多くは、将来的には人工知能が担うことになるのはほぼ間違いない。一般的に言われているように、スーパーのレジ、運転手、受付、調理やウェイトレス・ウェイター皿洗い、多くの事務仕事、さらに漁師などに至るまで、人間の仕事は機械にとって代わるのは確実視されている。今でも一部はそのような形が垣間見られ、人間は機械の仕事の補助的な役割として、ほんの少しいれば事足りるということになる。要するに今そのような仕事に従事している人たちは、いずれ失業するのだろう。
これは資本家と労働者の格差を確定し、その差を埋めることは不可能そうに見える。だからこそ税制もそれにあわせて変える必要があり、この本ではベーシックインカムを提言している。
それ自体は大変に恐ろしげな未来だけれど、人間という生物がそれでどうなるのかというのは、現段階ではやはりよく分からない。多くの仕事は機械によって代替可能だが、実際が現実にそうなるというのは、やはり本当には分からない。労働者もお金を使うので、収入を失うとお金を使えない。例えばそういう人が多数を占める社会で機械化したところで、顧客が居ないのだから、意味は無い。また、現在の仕事を失うことに目をやってしまうと見えなくなるが、それらを労働として必要としなくなることで、別の仕事をする時間が生まれることも見落としている。自動車の普及で観光地以外の駕籠屋は失業したが、彼らは別の仕事をしているはずだ。要するに今の仕事が無くなってしまうと、人間というのは違う仕事をすることになりそうだ。(今の世界では)とても考えつかないような不思議な事が、職業として成り立つようになるだろう。
ベーシックインカムは、検討の余地はあると思うが、今のように人間の移動が容易な場合は、日本だけが実施してもあまり意味が無いと思われる。世界的にやりましょうということになるかどうかの駆け引きは、将来起こると予想される。もちろん、これに乗らないところがあるわけで、EUなんかの問題のように、いつまでもしこりが残るかもしれない。
この本でふれられていないが、将来的には人工知能が政治をやることになるだろうと僕は思っている。最適解は人間には分かり得ないが、コンピュータなら答えを出すだろう。人間はなかなか機械を信用しない問題はあるが、そもそも政治は人間にとって最適な回答をこれまで選択してこなかった。そうしてこれからも不可能だろう。コンピュータに人間が支配されることが、人間にとって最も幸福であるのは、もはや確定している。感覚的には抵抗のある人も多いだろうが、既に人間には理解が出来なくとも、多くの解決方法の答えを人工知能は知っている。人間には実行も不可能だから(多数決では選択ミスをするので)、やはりこれは機械にそれをゆだねるより他に選択は無くなるだろう。現代でも証券の売買や為替など大量に瞬時に判断を行わなければならない仕事は、すでに人間の裁量では不可能になっているではないか。
僕にはそれこそが明るい未来だと正直に思うが、現段階でそう思う人はまだ少数だろう。もちろん、そのような社会は将来であって現代では無いだけのことである。時間をかけて身をゆだねていくのが、人間の運命といえよう。