カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

投票率は少しだけ上げよう

2017-10-10 | 時事

 さて、世間は選挙である。僕なんかはそう思うが、これにキョトンとした反応を示す人もそれなりに多いと思う。いや、多くなっているというか。要するに選挙といわれても、ピンと来てない訳だ。
 ニュースでは盛んにやっているので、まったく知らない訳では無い。しかしながらまったく関心が無いので、選挙って言ったって、そもそもいつなんだろうと思っているのかもしれない。そろそろだけど、投票日なんて知らない。そうしてきっと投票にも行かない。
 選挙は高齢者の娯楽であるという話もある。それくらい関心の度合いは年齢によって違う。しかしながら若いから行かないというのではなく、多くの若者でも、最初の選挙にはあんがい行っていた実績があるものである。投票したことがあるのだけど、その後行かなくなるのだ。
 僕が若者の頃は、著名な人でも投票しないと公言する人も多かったし、いわゆるちょっと先輩たちも、選挙には行ってなかった。今は時代が変わって、そういうことを公言する人は減ったと思う。それが良いのか悪いのか、ちょっと考えかねるが…。でも、公言しなくても、黙って投票に行かない人が増えているだけのことだと思う。僕は普通にノンポリだったけど、選挙には普通に行っていた。先輩たちがダメだからといって、そんなに影響は受けなかった。いろいろ理由はあると思うが、親や身の回りの人も、投票に行く人がそれなりにいる。単にそういう環境だったから、習慣づいて行っているというのは言えることかもしれない。そういう知った人から、投票を頼むと言われる。はいそれは間違いなく、と返事して、自分なりに投票する。若いころから大人だったのである。
 職場でも選挙のことは、一応大人の責任として行くようにという話はする。選挙協力の話だってすることもある。しかしながら結果としては、中堅の人たちが先ず選挙には行っていないらしいことも知っている。そうすると若い人たちも、上司もそうなんだしと考えているのかはともかく、まあ、ここでは行かなくても平気らしいと学習するのではないか。僕の前では絶対に口を割らないが、そういうのは漏れ伝わってくる。後で注意したりは当然しないが、ちょっと残念な連鎖である。
 一つだけもっとも残念な感じは、そういう状況になる人の多くは、実はそれなりに選挙に関わっていたりする。中堅どころは特に、選挙動員なんかにかり出される立場の人が多いのだ。そうして時間を使って選挙活動をしたので、休みの日は、もう選挙になんていく気が失せてしまうのだ。
 きっかけがまったくないのも良くないとは思うが、今の選挙の活動の在り方に、選挙に行かない人々の感性かまったく合っていないということは言えると思う。やはりネットを完全に解禁したり、訪問の活動などのやり方を変える必要があるだろう。
 もちろん今回は間に合わない。たぶん次回も変わらないだろう。皆が選挙に行くような光景が、必ずしも日本の社会に良いものかどうかは分からないが、何かそういう動機が高まるような状況というのも、正直言って困ったことになっているかもしれない。だから当面考えるべきことは、ちょっとだけ投票率を上げるという事になると思う。少なくともそういう関心のあり方が、政治自体を変えるだろうからだ。それは何より、今のままでは何か足りない部分があるからに他ならない。関心を集めるために極端でポピュリズムに満ちたことしか語られない状況に、いったいどれくらいの人が、本当に危機感を持っているのだろうか。
コメント
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