カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

私小説的衝撃作品   物語る私たち

2015-12-01 | 映画

物語る私たち/サラ・ポーリー監督

 自分の家族、特に死んだ母親のことを皆で語ったドキュメンタリー。自由奔放で皆から慕われた母親の実像を様々な縁者に語ってもらうことにより、ちょっとしたミステリーの謎解きにまで発展していく。
 しかしながらドキュメンタリーといいながら、回想シーンの半分は俳優による演技なんだそうだ。ちょっとサギっぽいけど、観ている分にはあんまりわからない(だからサギっぽいということなんだが)。基本的にいろんな人のインタビューを延々とやっているだけなんだから退屈しそうだけれど、しかしそれなりに構成されていて、ミステリー仕立てのワクワク感がある。ショックも受ける。なんとなくだが、驚きのオチもある。観終わると、まあそうだろうな、とは思う訳だが…。
 幼いころに母親は死んでいるものらしく、この監督でもある娘は母の事はしっかりとは覚えていない。しかしながら自分だけは親戚に居ない赤毛だし、他のきょうだいとも違った特徴が多い。冗談では以前から他の子ではないか(普通の家でもきょうだいどうしはそういうことは言うものである)とは言っていたことはあったらしい。母の回想をやっていくうちに、自分が生まれる頃には、どうも地元の演劇仲間か何かのハンサムな男と付き合っていたらしいことが分かってくる。これは公然の仲というか、地元ではあんがい有名な話のようだ。何しろ兄たちも知っていたようだ。で、その男にもインタビューに行き証言を聞くのだが…。
 このドキュメンタリーのアナウンスを担当しているのは、他ならぬ自分の父である。父親とは仲の良い関係であるようで、父は娘に言われてドキュメンタリー制作に協力しているということかもしれない。ところが、お話は死別した妻の浮気の話になっていく。そうして実際に、この妻の奔放さからして、どうも普通に浮気をしているようなのだ。それも最愛の娘が、後に決定的になるが、浮気相手との子供だったのだ。どうもこの父親は本当にそのことに気づいてなかったらしく、びっくりしてしまうが、しかし娘恋しさからか、むしろそのおかげで娘が生まれたことだし、相手より自分が育てることが出来て良かったというようなことをいう。ちょっとリベラルすぎるという感じもあるが、そういうことも、結構ショッキングだ。
 母親のドキュメンタリーだから、母親の生前の映像が中心になっているが、実際に娘である監督は実際には映画女優だし、そのもとになっている母は大変に美しい。そうしていつも闊達な笑顔を振りまいている。そうした母に、実は影のようなものがあり、母の知人たちはそのことに気づいてもいた。それは家族の中の性の歴史でもあり、いわば日本的に言えば、身内の恥のようなものかもしれない。そうして、本当に父親であると堂々と証言するオヤジも現れる。これがちょっとなんじゃそりゃ、というような人で、本当の遺伝的な父でありながら、なんとなくいい奴には思えない。そういうところがありながら、監督である娘と育ての父は、淡々と映画を撮り続けていくのである。
 そういう意味ではマゾッけたっぷりの映画といえるかもしれない。終わりそうでなかなか終わらない展開は、ちょっと疲れるが、そうして最後にまた「えっ」という証言も飛び出す。僕は年間たくさんのドキュメンタリーを観るが、本当にきわめて劇映画的なつくりかもしれないと思った。ウソがあるわけではないが、普通はこれは暴かない。日本の私小説なんかもこの部類に入るのかもしれないけれど、建前の強い西洋人がこんな映画を作ってしまったことに、高い評価があったということだろう。そういう意味ではきわめて日本的ともいえる変なドキュメンタリーである。
コメント
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