カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

油断して大感動のゆるい漫画   すーちゃん

2015-12-15 | 読書

すーちゃん/益田ミリ著(幻冬舎文庫)

 なんだか見くびっていた。ごめん。これが読後の素直な感想。それだけ凄いものを読んでしまったということを素直に認めざるを得ない。最初からそう思っていたわけでは無くて、最初はちょっとノレない自分がいて、なんだこの起承転結のはっきりしない展開は? という感じで不満ですらあった。しかしながらこのゆるい漫画の絵のタッチに騙されてはいけない。吹き出しがちゃんとしてない科白の配置に騙されてはいけない。何というかじわじわ来るのである。女という煩わしさと、人間のエゴと社会の成り立ちが、ちゃんとこの漫画の世界に詰まっているのだ。主人公たちは善良な、しかし既にいわゆる若い子ではなく、そして未婚だ。これはこの時期の女性としては決して絶対的な少数者ではないはずなんだが、しかし、社会的には限りなく微妙な立ち位置にある存在であるらしい。僕にも想像力はあるから、それが困難を含んだ社会的な状況であることくらいは少しくらいは分かっているはずだった。しかし「すーちゃん」を読んで改めて思ったのは、やっぱりぜんぜんちっともわかってはいなかったのだ。「すーちゃん」と「まいちゃん」という二人の同世代らしいご近所の女友達のそれぞれのエピソードが淡々とつづられているだけのお話なんだが、ときどきクスリと笑ってしまうようなちゃんとしたギャグ漫画でもあるわけだが、そういう淡々とした日常が、実はものすごくソリッドに心を引っ掻いていくことがリアルに伝わってくるのである。
 正社員が二人しかいないカフェか飲食店のようなところに勤めている(チェーン店でもあるようだ)すーちゃんは、店に時折来るマネージャーにほのかな恋心を抱いている。バイトの若い女の子たちはちょっとしたことにすぐにいじけてめんどくさい。実家の母から彼氏の有無のことしか電話では聞かれない。しかし、ご近所のまいちゃんとの緩い友達づきあいもあってか、微妙ながら傷つきながら平常心を表面上は保っている感じだ。
 一方のまいちゃんは会社勤めで、営業職に就いている。日々の接待や接客に慣れてきてはいるが、男社会の中にあって、デリカシーの無い環境の中で、やはり日々傷つきながら何とかやっている。付き合っているのは不倫の彼氏だ。既に愛は無いが、男という存在が無いと女として寂しいという思いで、なかなか別れることが出来ない。しかし、この彼氏のような男と結婚するのもまっぴらごめんなのだ。
 二人はご近所だから偶然コンビニやセルフのうどん屋などで顔を合わせる。時折互いの部屋に遊びにも行く。それぞれにいろんなものを抱えているが、立ち入って相手の問題に干渉することは無い。それはお互いに残された矜持というか、強さというか、同世代なりの共感のような、緩やかな連帯のようなものかもしれない。もちろん時折は愚痴り合いもするが、さらっと笑える程度という感じだ。
 この間合いというのが絶妙という気もした。片方は続かない日記。片方は日常ついやってしまう小さい悪事。そういう側面もさらりと紹介される。この二人に共感を抱きながら、ついつい自分のことも考えてしまう。そうだよな、いろいろ思うようにいかない毎日にあって、自分探しもよく分からないし、ピチピチするような若さは失ってしまったけれど、だからといってもう過去に戻れるわけではないし、自分を否定するつもりもない。だけど、何となくもやもやと不幸度のようなものは積もっていくような感じだし、やりきれないものは断ち切れない。
 物語はしかし、ゆるくではあるが、お互いに転機を迎える。それもごくごく日常的に。しかしそれは受動的ではなく、ちょっとした自分の能動的な行動によってなのだ。
 まったくまいりました。完璧に負けてしまった。そうしてちょっとだけ元気になるような、不思議な漫画でありました。男が読んでもたぶん感動すると思います。
コメント
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