カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

みんな誰かが悪いのだ   ホットロード

2015-12-30 | 映画

ホットロード/三木孝浩監督

 原作は紡木たくの漫画。僕は80年代は別冊マーガレットの読者だったから、恐らくだが読んだはずだが、ほとんど記憶にない。独自の詩のような作風なので、意味が分からなかったのかもしれない。
 暴走族に憧れる少女(14歳らしい)が、暴走族につながりがあるらしい仲間と共に関係を持つようになり、母親とも上手くいって無い内面も描きながら、恋心を深めていく。
 まず最初に当然のように抱くであろう疑問は、なんで今この話で、さらに主人公のキャストが能年玲奈なのだろう、ということに尽きるだろう。意外性ということならばそれでいいかもしれないが、意外性はその意外さで新鮮に驚かされて成功するという感じだろうけど、その違和感はぬぐえないまま時間が経過する感じなのだった。また僕がヤンキーじゃない所為もあるだろうし、またたぶんだけど、ヤンキーの人が観たとしても、それなりに違和感が残るのではあるまいか。描ききれてないというよりも、それでもちょっと違う価値観と世界観ということかもしれない。ほとんどSF世界で、しかしそれを言うとSF世界にも失礼かもしれないというようなことも思ってしまう。
 若い頃の感受性を忘れているというのはあるかもしれない。しかしこれではあいまいというか一応セックスは無いということを言いたいのかもしれないが、必然的にセックスがあって当然という流れだし、そうでなければ普通は成り立たない話のようにも思える。そういうことが痛々しくて切ない気分というのは分かるけれど、そうして本当に分かってくれるのはこのような心に痛みのある人間同士でなければならないというのも、何十歩も譲って考えると分かったと思ってもいいけれど、親のあいまいな精神の壊れようも含めて、単なる病的な集団の妄想のような話になってしまっている。それから逃れられないのは、単に周りにいる人間がそろいもそろってみんな馬鹿だからという結論めいたことにもなってしまう。そういうところが、かなり残念な感じなのかもしれない。
 しかしながら紡木たくの世界観が映像化されるというのは、一定の需要はあるかもしれないとは思う。僕らの十代でどうしてあのように絶大な支持を受けたのだろうか。僕は最初から合わなかったというのはあるが、道から外れたようなことになった弟は、この作品群が好きだったようだ。要するに彼らには紡木が分かったのだろう。分かりえないながらもそういうことは、現実として観ておきたいとも思う。もちろんそれがそのまま世論に反映されることが、なんとなく不幸そうに思えるにしても。
コメント
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