カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

もはやもう開き直り   地方消滅

2015-12-19 | 読書

地方消滅/増田寛也編著(中公新書)

 副題は「東京一極集中が招く人口急減」とある。この本を組んだグループが発表した「消滅可能性都市896のリスト(2014年5月)」は衝撃を持ってさまざまな分野で取り上げられるようになった。恐らく消滅という言葉の衝撃度もあると思われるが、これはやみくもに危機感をあおるために使われている単なる誇張と考えるわけにはいかない。人口統計をベースにした将来像というのは、将来予測としてかなり信憑性の高いものであるといわれる。他の経済指標とはかなりぶれが小さいためだ。実はそういうことは専門家でなくとも、かなり前から指摘され続けてきたことではある。事実僕が30年近く前に学生だった頃に授業でも習った覚えがちゃんとある。その当時の新聞でも、「今手を打たないことには」30年後には大変な未来が待っているという記事もあったと記憶する。そうして30年たった現在になって、その衝撃をどう考えるかということについては複雑な思いがある。要するにほとんど手は打たれることは無く、30年前と変わらぬ政治的政策は続き、国は莫大な借金を膨らませつづけただけだったのだ。消滅可能性都市という響きは、衝撃的であるという生易しいものではない。既に失った30年のことを考えると、残された戦い方は、撤退戦しかないという事実を認識することから始める必要があるのだ。悲しいかな結論としての負けは確定しているが、その負けをどれだけ少なくするのかということである。もちろんそれでも根本的に将来のために出生率を上げるなどの攻めも同時に行わなければならない。ただしこの攻めの方が成功したにせよ、例えば2030年までに出生率を2.1まで回復させた(これには相当な努力が必要だが)としても、それで人口増加に転じるまで、その後60年の歳月が必要なのである。要するにわれわれが生きている間の処方箋としては、すでに別の次元の問題解決策であるということなのだ。
 これまでもずっと続いてきたことではあるが、東京への激しい一極集中は、現在ではかなり意味の違ったことであることも認識しておかなくてはならない。以前は地方の農村から若者が上京することで、ダイレクトに国の経済発展へとつながることではあった。豊富な人材が地方に眠っており、その人材を掘り起こす循環が上手く回っているように見えていたのだ。ところが現在の集中はそうではない。以前の農村の長男以外の二男三男が東京に行っていた(要するに食い扶持を探さなければ地方も共倒れだった)図式が、現在は一人っ子であるとかきょうだい全部、または家族そのものが移動してしまう。残された人というのは高齢者ばかり。特に若い女性の人口流出が顕著にみられる現象で、東京は日本の中でも突出して子育ての難しい場所(合計特殊出生率はダントツの最低)であるのに、子供を産める女性が東京に集中してしまうことで、さらに出生率が下がってしまうのだ。また、たとえ一人の子供をもうけたとしても、その子育ての大変さに、泣く泣く二人目を断念するという首都圏の事情もある。東京は子育て支援も実際は金をかけて行っているが、それ以上にコストがかかりすぎて、結局は有効ではないというデータもある。地方都市で女性の働き場所があれば、(もちろん複合的な日本人の働き方を変えていく必要はあるにせよ)東京で政策を練るより、もっと有効的に物事を進めることも可能性があるのだ。
 東京に人やものが集まることについて、東京にいる人自体に問題意識が希薄であるといわれる。若者の活力が集中するのは必ずしも悪くないということかもしれない。生産性や効率の上で、さらなる集中が必要だという説もある。しかしながら東京の高齢化率も恐ろしいスピードで進んでいる。規模が大きすぎるというのは恐ろしいことで、介護する人材を含め、実は東京自体の機能がマヒしかねない規模なのである。効率どころかコスト高過ぎて、介護難民であぶれた人々が膨れ上がるとも言われている。地方の機能がダムのように人材流出を止めない限り、東京も地方もともに疲弊して破綻するような危機があるのだ。
 つまるところ地方でも流出が比較的に少ないところがある。6パターンほどに累計して紹介してあるが、要するにその地区特有に、問題意識と強みを認識して、とにかく頑張っている地区しか生き残れないということに尽きる。衰退産業である農業や林業であっても、場所に特化して上手くいっているところはあるのだ。働き場所である産業構造にも考えてもらう必要はあるが、金融以外の産業が東京に手中するメリットは、実はそんなに大きなものではない。事実は日本の大企業の代表のトヨタなどは、地方の中核都市に根付きながら世界企業ではないか。
 ともかく政治家がこの本の内容を理解することは必須であるが、やはり有権者である一般の人の認識も変える必要がある。漠然と問題だと嘆くよりも、何が有効かを本当に真剣に考え抜くしかない。既に国が手を差し伸べて地方を活性化させることは不可能になったのだ(特権的に一部なら可能かもしれないが、そのような不公平政策が実現するわけが無い)。問題は根深く複雑で難しいが、サバイバルとはそういうことだ。既に消滅可能性のリストに載っている町に関わりのある人間としては、現状からかなり絶望を味わっているにせよ、皆悪いのだから開き直るより他に無いではないか。
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