ブライアン・エプスタインがいなかったらビートルズはどうなっていたか。歴史に「もし」は無いし、確かめようは無いのだが、エプスタインのドラマがあることは、ビートルズの興味において一定の深みを感じさせられることは確かである。それも32歳という若さでこの世を去ったという刹那的なことも含めて。
ただ、僕は多かれ少なかれ、ビートルズは彼がいなくても世に出ていたのではないかという気もしている。エプスタインがビートルズの存在を知ったのは、彼の職業であるレコードショップでビートルズがバックで演奏していたレコードの売れ行きが良かったことからだとされているが、既にある程度やはり注目されていたということもあっただろうと思われる。そういう注目のバンドに懸けてみようという決断は素晴らしかったと思うものの、やはり素材が良かったということの証明であったとも思われるのだ。
もちろん、そのプロデュースの仕方も良かったし、献身的なマネジメントも良かったことは間違いないが、多かれ少なかれ彼らの地が露出していく訳だし、戦略的なものが当たるような背景を読む力があったとは言っても、むしろこの個性的な4人をまとめる技量の方が優れていたという見方の方が正解かもしれない。
死後そのショックもあるだろうけれど、結局ビートルズは崩壊の道を歩んでいくように見える。もちろん、ブライアンの刹那的な死への道も含めて、その様な圧力は抗しがたいものがあったのかもしれないが。
それでもやはり、エプスタインは面白い人間かもしれない。ビートルズの音楽そのものではないにせよ、やはりそのつながりを成立させている大切な要素であったことは間違い無いのであろう。つまり、ビートルズの魅力そのものに、やはり欠かせない人物のようだ。さらにジョン・レノンが暴走し、再生の道を歩むまでに、彼の影響が無かったとはいえそうに無い。いわゆるプラトニックな関係ということだけでなく、精神的な支柱になっていたということなのだろう。
世間的にはそのようなゴシップこそ、エプスタインに注がれる興味ということなのかもしれないが、時代も変わって現代になってみると、やはり彼の早すぎる死というものの中に、内面的に果たせない思いというものがあったようにも感じる。
その後のジョン・レノンは、自分の生き方そのものを作品化させてくように見えるが、そのプロディースを委ねて行くのがオノ・ヨーコだったのかもしれない。ちょっと関係なさそうに見えるようでいて、やはりジョンの中にあるだろうわだかまりのようなものを、そうやって埋めていく必要があったようにも思われるのである。そして、その様な彼の葛藤そのものの中に、やはりエプスタインとの関係はあったのではないだろうか。
そうなってくると、エプスタイン無しのビートルズは、やはり考えにくいものだったのかもしれない。そしてそれが事実として残っている現実においても。彼のマネジメントそのものがビートルズという作品だったというより、彼がビートルズを発見するその必然こそが、ビートルズ物語には欠かせない宿命的な事実ということになるのであろう。