カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

「いいね!」の困難

2012-12-03 | net & 社会

 すっかりFacebook生活になっているんだけど、慣れてきたとはいえ、やはりいまだに戸惑うことがあるのも確かだ。拾いだせば細かいところはいろいろあるけど、その最大のものというのが他ならぬ「いいね!」ボタンなんである。Facebookの最大の特徴とも言えるし、利点であるとも言えるこの機能なんだけど、そういうことをいろいろ論じるつもりはさらさら無くて、単に、「いいね!」ボタンを素直に押せない文章がたくさんあるということなのだ。
 まずこの「いいね!」ボタンは、さまざまあがってくる近況について軽い共感を表明するという感じでいいと思うのだが、そう考えると、共感しにくければ「いいね!」を押さなければいいだけの問題ということで、話は済んでしまう。共感を呼ぶような話題を提供する側の責任ということで、近況を書く人が書く内容(アップする内容)を考えるべきというのが前提にはあるのだろう。はっきり共感しにくいものを挙げる人は、だから友達の数に比例することなく、「いいね!」ボタンのカウントは当然少なくなる。いつかはそのことに気付いてくれて、書いている内容の方向性を変えて欲しいものだというような人がいて、ちょっと残念、というのがまずは背景にあるように思う。
 さらに近況を読んでしまった身としては、読んだよ(見たよ)、というあいさつ代わりにポチッと押したくなるのが心情なんである。しかしながらその内容が挨拶をかわすのに向かない、という場合がある。ひとことコメントを添えるべき方が適当だという感じもある。しかし、その内容にそこまで深入りもしたくない。迷った上に、やはりスルーしておくか。ということになる場合がある。
 具体的に言うと、ちょっと不幸な状況というか。例えば「熱があってつらい」という書き込みだと、「いいね!」はちょっとどうか、と思う訳だ。「お大事に」とコメントすべきなんだろうけど、だからと言って会話の発展を期待している訳ではない。別に書き方講座では無いけど、「熱あったけど薬飲んだ」という展開だと、少しは「いいね!」が押しやすくなる。さらに「薬飲んで、仕事もフィニッシュだ(または、もう寝よう)」という展開なら、さらに素直にポチッと行ける感じがする。要するに当たり前だが、「いいぞ」という応援に近いニュアンスになるようだ。あくまで「いいね!」ニュアンスに合致しないと、この間合いが上手くいかないのである。
 また、政治的な発言やら賛否の分かれる議論も「いいね!」が押しづらい。特定の宗教だとか思想というのはご本人の信念だろうから強く主張したい気持ちも分からないではないが、それに賛同することが自分の信念の主張につながるほどではない場合とか、または単にそんなに強く賛同していないという程度も抵抗を感じるようだ。思想系の威勢のいいものとか、発言自体の言葉遣いが汚いものもNGだろう。これはしかし「いいね問題」以前の問題という気もするが、知り合いで特に友達解除の必要まで無いような場合、この意見が目障りでも無視している感情を伝えられないのが残念でもある。
 という訳で「いいね!」ひとつもなかなか難しいものである。しかしながら単にブログなどの無言の来訪者よりは、明らかに嬉しいのも確かだ。一種のご褒美効果があるらしい。ということで、少しでも有効に押したいという感情が生まれるのかもしれない。意見までするものではないが意思が伝わるという意味では、やはりなかなかの機能なのであろう。
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2 コメント

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いいね。 (はじめちゃん)
2012-12-03 11:09:25
ヤフブロにも「いいね」付いてますよ~
押してみて下さいね。^^;
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Unknown (マサアキ)
2012-12-04 09:06:43
いいね!を押しても、本体に反映されるよう参加すべきだと思います。意固地にならない方がいいですよ、きっと。
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